第3話探究者

「監査課も仕事熱心よね。元々表には出せない事なのだから、見ないふりをしてればいいのに。技術革新には、闇がつきもの。どの時代でも、変わらないわ」

 真鍋の右側の闇が割かれ、差し込んだ光がそう告げていた。決して明るくはないものの、扉の向こうには光がある。徐々に開く扉と共に、光の浸食が始まっていた。


「やっぱり、暗い! 見えないわ!」

 光の中で仁王立ちしていた女は、いつの間にか足元に置いてあるランタンを手にとっている。それで足元を照らして部屋に入ると、丁寧に扉を閉めていた。


「まさか!? 暗くして、襲うつもり?」

 振り返ってすぐの言葉とは裏腹に、女はまっすぐに真鍋の所にやってきた。


 その明かりに照らされた世界で、困惑する真鍋がいた。


「誰が、誰をですか? それより、どこまで聞いてました?」

 決して顔を背けずに、真鍋は用件を告げている。手で遮ってなお届く光は、真鍋にとっては厄介なものなのだろう。


「ん? 全部よ? ――えっと、たぶん?」

 机の上にランタンを置いた瞬間、そう返事した事を後悔したのだろう。顎に手を当てながら、女は小首をかしげている。


「そうですか……。さっきの話ですが、ブレーキを無くした車が危険な事と同じですよ。彼らが表の世界を繋いでいますからね。自制心を忘れた研究は、研究のための研究に成り下がります。それは貴女が一番ご存じでしょう? 奥野さん」

「あら? アタシには肩書きを言ってくれないの?」

「ええ、その後のやり取りが面倒なので。それに、その扉から入ってくる時は私的な訪問だと言ったのは貴女ですよ? まあ、お望みでしたら敬意をもって、お答えします。内務省特務機関・国家保安局・戦略技術部部長、奥野将補」

 無駄のない動作で立ち上がり、敬礼の姿勢で答える真鍋。


 それを見つめていた奥野。

 にんまりとほほ笑むと、不動の姿勢をとる真鍋の頬を、艶めかしく指でなぞっていた。


「フルネームで呼び捨てしちゃう? でも、アタシの名前は奥野祥子よ? 祥保じゃないわ。ま・ち・が・え・ちゃ・いや」

 耳元で甘くささやくように、奥野は真鍋に迫っていた。


「毎回間違えるのは、貴女の耳です。ホント、いい耳してますね」

「うふふ、ありがとぉー」

「褒めてませんよ? では、そろそろ本題に入りませんか、奥野さん。あと、今回娘さんを強引に参加させた意味も教えて下さい」

「ふふ、女には謎と秘密がつきものよ。野暮なことは聞かないの」

 机の端に腰を掛け、片手で真鍋の顎をすくうように持ち上げる奥野。艶やかな口調としぐさと共に、真鍋に魅惑の眼差しを向けていた。


「報告しないといけませんから。野暮でも野望でもいいですから、とっとと話してください。まあ、言いたくないなら結構ですが、推測で報告しますよ?」

 姿勢も表情も変えずに、真鍋は奥野に答えていた。


「もう、仕方ないわね。そんなにアタシが気になるなら――」

「気になりません」

 はっきりと、そしてきっぱりと。真鍋は奥野の言葉を遮って答えていた。


 それが面白くなかったのだろう。奥野は真鍋の鼻を小さく指ではじいていた。


「もう! ちょっとは籠絡させてよね。自信無くすわよ、女として」

「いいかげん無くして下さい。私の忍耐力が無くなります」

「アタシがおばさんだから!?」

「誰もそんな事言ってません。第一、あなたの興味は……」

 恥じらいの表情としぐさ。感情をめまぐるしく変化させて表現する奥野に対し、真鍋は表情も態度を崩さず対応していた。しかし、何か思う事があったのだろう。最後には自らの言葉を飲み込んでいた。


「で、娘さんの件はどうなんです? まさかと思いますが、職権乱用ってわけじゃないですよね? ――――そうなんですか? そうなんですね。全く、貴女という人は……」

 真鍋の言葉と視線をうけて、奥野の視線はぎこちなく宙をさまよっている。


「母娘なんですし、もう少し話し合ったらいかがです? 『つどい』に参加するまでもなく、ヘルペスに関しては理解が得られたのではないですか?」

 小さく肩を落としながら、真鍋はもう一度座りなおしていた。そんな真鍋を、奥野は頬を膨らまして抗議の瞳を向けている。


言うまでもなく、奥野は真鍋よりもずっと上の階級にいる。しかし、そんなやり取りをするあたり、二人の親密さがうかがい知れる。


「ほら、年頃の女の子って、色々と微妙なのよ。特にあの子は特別だから」

 片方の指を立てながら、奥野は笑顔で告げていた。


「まあ、いいです。確かに、あの感覚は特殊ですね。まさに奥野さんの娘さんだと思いました。もしも、奥野さんがあの場にいたなら、同じような言動を見せてくれたと思います」

 それは、今まで見せたことのない真鍋の表情と呼べるものだった。その口元の小さな広がりは、明らかに真鍋の心情を吐露している。


「んー? 何が言いたいのかなー? 真鍋くーん?」

 再び頬を膨らませ、両手を腰に当てた奥野。その仕草は抗議の姿勢だとしても、その瞳は笑みを湛えている。


「とにかく、これまでの『つどい』で成果は出ました。『死』という共有できる価値観の上で議論することは、個人の精神的成長の促進を示唆しています。もっとも、それには様々な因子が必要です。その一つは情報だと、私は推測しています」

 真鍋の言葉の終わりを待たず、真鍋の後ろの闇に淡い光が灯っていく。


 一つ、また一つと灯る光の中に、様々な画像が映し出されていた。


「今回の検証も前回同様、四十七ヶ所です。うち、二十三ヶ所で死亡が確認されています。娘さんの参加した所が最後で、つい先ほど終わったばかりです」

 背後のモニターを一切見ることなく、真鍋は座ったまま自分のPCの画面を見つめている。その姿を一瞥した奥野は、壁につけられているモニター群を順番に見続けていた。


「クローンの情報量で差が出るのかしら? それの意味するところは一体何なのかしら? 表示して」

 それまでの雰囲気を一蹴して、自らの疑問を口にする奥野。短い命令を発したとき、それぞれのモニターに変化があった。

 

「死を選択した二十三ヶ所全部が、自分をクローンだと知らないサトシなのね……」

「そうですね、それ以外は全く同じ情報です。娘さんが出会ったサトシのように、生き残ったところには、複数回生き残っているサトシがいます」

「興味深いわね。クローンであるという情報が、どう影響しているのかしら?」

 再び真鍋に向き合った奥野は、片手を机に当てて見下ろしている。そこには威圧的な雰囲気が漂い、何か脅迫めいた視線を向けているようでもあった。


「あくまで仮説ですが……」

 目を閉じたまま、真鍋が語り始めていた。その視線の先にあるPCの画面は、誰もいない『つどい』の場所を映している。


 それをじっと見つめる奥野。先ほどまで鳴りを潜めていた静寂が、ここぞとばかりに這い出していた。


「クローンであるという情報で、自分を客観視している……。その感覚は、人として『生』を受けたものではないという認識なのかもしれません……」

 這い出した静寂の頭を押さえつけ、静かに真鍋は語り始めた。推測と言いながらも、その目には確信めいた光があった。


「つまり、『人間ではない』ということ? それならむしろ、『生』に対する執着も少ないのでは?」

 真鍋の言葉を吟味しながら、奥野は仮説の穴をついていた。


「サトシは父親の死をきっかけにして、『死』という概念に固執するようになっています。それは、全てのサトシに共通することです。しかし、その概念を支える精神は、幼いサトシには育っていなかった。すべての種族は『生』と『死』を繰り返します。人間はその営みを概念として認識しました。しかし、それは認識というよりも知識です」

 考えが言葉に十分のっているかを吟味するかのように、真鍋は一呼吸置いていた。その続きがあることがわかっているのだろう。奥野は黙って真鍋を見つめている。


「かつて、『死』は身近なものでした。子供は『死』を知る前に、記憶に刻まれてた場合もあるでしょう。動物や虫、そして人間も含めて『死』を刻むことで精神を成熟させていくのでしょう。しかし、今は『死』は知識の中だけで存在するものになりました」

 これ以上はいう事がないとばかりに、真鍋の口は閉ざされていた。


「つまり、『死』が身近にあった場合に、その精神は成熟するという事? それがあって初めて、本当に議論する事が出来るということなのね? クローンであるという認識が、『死』と同じ効果をもたらしていると?」

 その姿と言葉を咀嚼していた奥野は、自分なりの結論を下していた。


「サトシのいう『死にとりつかれている』という言葉は、クローンとして存在している自分を、『生きてはいない』という感覚から出る言葉なのかもしれません。違いがあるとすれば……」

 視線をいっさい外すことなく、真鍋はそう告げていた。


 沈黙が再び舞い降りて、静寂が二人の間を駆け巡る。


 やがて、自らも結論を得たかのように、奥野は小さく手を打っていた。


 その瞬間、静寂が蜘蛛の子を散らすように走り去る。


「じゃあ、それも検証しましょう。死を身近で感じることが、精神の成長をうながす。それって、大人になるってことよね。あの、アンリって子がいい素材だわ。次回はあの子で検証しましょう。情報のないサトシ君とのペアリングでお願いね」

 まるで映画のチケットを頼むような感じで、真鍋の肩を小さく叩く奥野。そのまま入ってきた扉をあけ、鼻歌交じりで去っていた。


 逃げ去った静寂が、再び真鍋のもとに集まるのと同時に、背後のモニターも順に消えていく。


 一つ一つ消えていく様は、まるで闇に浮かぶ蛍の最後の光を思わせる。


 しかし、それを見ることもなく、真鍋は再び口元を覆い隠していた。


「死ぬために生きているのか、生き抜いた先に死があるのか……人の命……」

 最後のモニターが消えた時、真鍋はそうつぶやいていた。ノートPCを閉じた途端、闇が真鍋を包み込む。


 そして静寂の宴の始まりを告げるかのように、その駆動音が静かにその役目を終えていた。


(了)

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生きと死、生けるものたちへ あきのななぐさ @akinonanagusa

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