片恋の追想

石燕 鴎

第1話

○○年4月8日

その日の天気は雨、朝自宅を出るときにはそのような天気予報はなかった。図書館で勉強をしてから帰ろうと思いたったが、司書教諭のこれから雨がひどくなるとの一言で帰宅を選んだのである。

私は帰ろうと昇降口に向かうと彼女は困ったように空を見つめていた。私は彼女のことは全く知らず、不思議な親切心から声をかけてみた。「もし、××駅まで行くなら、一緒に帰りませんか」と告げた。彼女はだまったまま、こくんとうなづき、私が広げた傘の中に入ったのである。彼女は私と身長はさほど変わらず、改造制服も着ていない、外見から判断すれば普通の少女であった。しかし、私はこの高校に入学して3年。全く彼女に見覚えがないのである。恐らく下級生であろうと考えたが、雨の音と無言の空間が心地よく、聞くのが無粋に思えたので私は無言を貫いた。××駅まで向かう際には一切の会話は無かったが、その無言の空間は一種の安心感を覚えるものであった。

××駅に着くと、彼女は細いが良く通る声で私に礼を告げてきた。私は嬉しく思ったが、表にそれを出さず「お互い様よ」と若干冷めた返答をしてしまった。それから、帰宅のため、私は2番線、彼女は6番線へと向かったのである。そう言えば彼女の名前を聞くことをなかった。今度会ったときに聞こう。

○○年5月8日

彼女と2回目に会ったのはゴールデンウィークが開けてからであった。図書室の隅の日が一番当たらないところで本を読んでいる彼女を見つけた。私は邪魔をしてはならないと、参考書を選び彼女から離れたところに座ったのである。

彼女を本越しにちらちらと観察すると、先日に会った時とは違う印象を受けた。右の手首には鈴のついた赤い組紐が結ばれており、高校生ながらも化粧がとても上手であった。しかも座った際の姿勢が良く、ペルシア猫のような美しさを覚えた。彼女が本を捲る度に小さく鈴が転がる音がする。それが全く不快にならないのである。

図書室には司書教諭と私、彼女しかいなかったが彼女の日陰の「美しさ」に水を差すことが野暮に思えたので、やはり声をかけず、私は小さな鈴の音を背景に参考書を捲った。

○○年7月18日

あれから2カ月程彼女に遭遇することはなかった。私の高校は敷地も広くなく、1日いれば大抵の高校に所属している人間と出会う筈である。それなのに、2カ月も出逢うことがないというのが不思議である。

この日の彼女との邂逅は、中庭であった。高校には猫が何匹か住み着いており、人懐っこい猫もいたのである。私は終業式の後、廊下を歩いており、ふと中庭に目を向けると彼女が猫と戯れていたのである。彼女は陽だまりの中で猫を膝に乗せ、撫でており、無防備という言葉が一番似合う姿であった。

私はこの時、数ヶ月前に抱いていた数々の疑問を解決する好機が来たと悟った。私は急いで教室に置いてある荷物を取り、中庭に走って向かった。確かに彼女はそこにいたが、膝の猫と共にうとうとと眠っているではないか。私は急に湧き上がってきた罪悪感から、遣る瀬無い気持ちをかかえ、帰路についたのである。

○○年10月21日

秋も深まってきた。衣替えの時期のため、ブレザーを久しぶりに着たのである。

彼女とは終業式以来遭遇していなかったが、今日はブレザーを着た彼女が廊下を歩いているのを目撃した。しかし、なにか違和感があるのである。その違和感の正体は当初はもやもやとしたものであったが、下校時間にようやく解決したのである。私のブレザーの色は濃紺であるが、彼女のそれは濃紺というよりはどちらかといえば黒なのである。彼女と遭遇をしていた夏休み前はカッターシャツであったので全く気がつかなかった。 益々、秘め事の多そうな彼女について知りたくなってきた。

しかし、もうすぐ私も受験の時期である。学校に来る日もそれ程日数は残されていない。私が卒業するまでに少しでも彼女のことを知りたい、と思った。

△△年1月12日

受験勉強も追い込みが始まる。頭の片隅には常に彼女の存在があったが、私は受験生である。やはり第一に考えなくてはいけないのは受験のことである。この日も図書室で勉強をしていた。4時頃を過ぎた頃か、ちりん、という音がして彼女が図書室に入ってきたことを悟った。彼女はいつもの日の当たらない特等席に座る。私は受験のことで手一杯な筈であるのに、ついつい彼女を目線で追ってしまう。彼女が私のそばを通った。黒いブレザーに赤い組紐、今日はなんだかふわりといい匂いがした気がした。それからは勉強に手がつかなく、心が宙にふわりと浮いた様な気持ちになったのである。

△△年3月21日

ついに卒業式は明日である。私も無事進路が決まり、4月からの新生活の準備を始めていた。世話になった司書教諭に礼を述べに行くと、この日も雨が降るから早く帰るように言われた。私は司書教諭から傘を借り、昇降口へ向かうとやはり困ったように上を見上げる「彼女」がいた。私はなんだか嬉しくなって「もし、××駅まで行くなら、一緒に帰りませんか」と初めて会った時の言葉を口にした。彼女はその時と同じようにこくりと頷き、私の広げた傘に入ったのである。そこから××駅に行くまでのことはあまり覚えてはいない。ただ、最初とは違い彼女といくつかぽつりぽつりと会話をしたのである。彼女の名前は××。一学年下の転校生であまり学校に馴染めなかったこと。最初に声をかけてくれた私のことをずっと気にかけていたこと。朧げではあるがこのようなことを話しながら帰った。××駅に着くと彼女は鈴を転がしたような声で礼を言う。私はなんだか嬉しくなって「別に大したことないわ。お互いさまよ」と素っ気ない対応をしてしまう。私達はなんだかおかしくなってしまい軽く笑みをこぼした。「先輩、またお会いしましょう」と彼女は6番線ホームに向かった。私は彼女の姿が見えなくなるまで手を振った。

××年12月17日

あれから幾分歳月を重ねた。当時の日記を見つけ、彼女の出てきた頁だけを読み返してみた。私が彼女に抱いた感情は女性同士ではあるが「恋」であったと、私は思う。儚い、まるでうたかたのような「恋」であった。卒業以来彼女とは一度も会っていない。今日は高校の同窓会がある。私は同窓会の会場である高校に向け、道を歩いていた。高校に入ると幾分校舎が古びていたが、彼女と過ごした懐かしい図書室の雰囲気はまるで変わってはいない。私が感傷に浸っていると鈴の音が聴こえてきた気がした。

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片恋の追想 石燕 鴎 @sekien_kamome

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