メカニカル・クロニクル

羽根川牧人/ファンタジア文庫

短編

『みなさん、おっはでーす!』

 あざやかな赤髪のアイドルが、カメラ越しに愛嬌を振りまく。

『西暦二一五〇年、五月十五日の朝をお知らせ! 今日も元気に《塔争トウソウ》してます? オリハルコンを強化しちゃってます? PT貯めまくっちゃってますう?』

 瓦礫の散らばる舗道。

 枯れた街路樹。

 ちらつくダスト、古びた機器ハイテク、連なる落書きグラフィティ

 百年以上前の広告を垂れ流す電子看板サイネージ

 退廃した街の中央には、直径一千メートル、高さ五千メートルを超える巨大建造物メガストラクチヤー《塔》がそびえ立つ。

 放送は、塔の外壁に大小様々なサイズで映し出されていた。

『え、全ッ然PTポイント貯まんない。むしろ減っちゃってる? ははあ、そんなあなたにぃ、今日もミウが《塔争者》さんの順位を発表しちゃいまーす! んんんん、カツモクせよー!』

 アイドルの隣に、トップテンの名前が表示される。

『倒せたら、PTはガッポガポのガポ! オリハルコンも強化しまくりクリスティ! 塔での生活に一歩近づけます! 命知らずさんは、頑張ってみては? でわでわ、塔の最上階でミウと握手!』

 アイドルのウインクと同時に、映像は終了した。

「で? ランキング八位、いえ、七位のアタシに、なんか用?」

 己の順位アップを確認してドヤ顔を決めたのは、とにかく派手で扇情的な少女。

 一房だけピンクが混じった金髪に、ハートをかたどったピアスと、へそが出るほど短いブラウス。

 胸元からは、黒いブラジャーにあしらわれたフリルがのぞく。

 そして彼女の隣には、犬のようによつんばいになった少女。

 塔をグルッと囲む大通りは、凶華がを連れて散歩する、お決まりのコースなのだった。

「《悪辣女帝バッドエンプレス》の曽根島そねじま凶華きょうか。斬新なまでのドSっぷりだな」

 対峙するのは学生服の少年。

 身長は百七十センチ台後半。

 上位の凶華を前にしても物怖じした気配はない。

 むしろ不敵な印象すらあった。

「それ、うちの制服よね」

「ああ。俺は譲葉ゆずりは玲理れいり。西塔京学園高等部一年だ」

「へえ、同い年ね。もしかして、アタシのペットと知り合い?」

 凶華が手にした鎖を引き、首輪で繋がれた黒髪の少女が苦しげにうめく。

悪辣女帝バッドエンプレス》が奴隷にしている生徒は三十人以上。

 PT集めの厳しいノルマを達成できなければ、おしおきが待っている。

《塔争》上位者は皆、PTを集めるためには手段を選ばない、ゲス中のゲスなのだ。

「ツブしてもツブしても出てくるモンね。ヒーローを気取りたいヤツって。弱肉強食の世界で、なに夢見ちゃってるんだか」

「俺はお前のペットとは知り合いでもなんでもないよ。ただ、お前に興味があるんだ」

「……ただの命知らずかあ」

 凶華は太股に巻かれた携帯袋ホルスターから白金色のカードを取り出す。

「《神族の雷槍ブリューナク》、起動ブート

 声に反応し、カードは無数の糸にばらけた。そしてミシンが裁縫するかの如く、三次元空間に規則正しく形を成し、彼女の背を超えるサイズに肥大化する。

 凶華を上位ランカーに押し上げたパーソナルコンテンツ。

 作り手の髪と同じく、ゴールドとピンクに染められた、機械仕掛けのランスだ。

ORIGINALオリジナル HALLUCINATIONハルシネイション UNDERアンダー YOURユア CONTROLコントロール

 略してオリハルコン。

 組み込まれたプログラムに応じて姿形を変え、エネルギーや質量すら生み出す究極の物質。

 百二十年前に発明されたそれは、人類の発展に貢献すると同時に、貧富の差を決定づけた。

 オリハルコンの九九%を独占した富裕層は《塔》を建設し、自由な暮らしを謳歌。

 一方で《街》の貧困層が過酷な労働の対価として得るのは、わずかな物資のみ。

 彼らが弱者の立場から抜け出す方法は、ただ一つ。

 オリハルコンを武器として戦うバトルロイヤル――《塔争》を勝ち抜くことだ。

「さあ、アンタも出しなよ。上位ランカーのアタシに挑んでくるくらいだから、とっておきのを持ってるんでしょ」

 やる気満々な凶華とは対照的に、いまだ玲理は戦う意思を見せず、突っ立ったまま。

 自らのオリハルコンを起動しようとすらしない。

「相手を倒し、PTを奪う。それを延々繰り返し、百万PTまで増やせば、塔の永住権が手に入る。……こんなシステム、くだらないと思わないか」

「ハア?」

 凶華が呆れたのも無理はない。

 塔周辺で暮らす若者達にとって《塔争》への参加は、太陽が東から昇るのと同じくらい当然のことだからだ。

「俺達は争いあうんじゃなく、力を合わせてこの世界に革命を起こすべきだ」

「革命って。まさか塔と戦って、オリハルコンを奪う気?」

「斬新なアイデアだろ?」

「アンタ、塔と街にどんだけ力の差があるか知らないワケ?」

 ハッと笑い飛ばす凶華。

「貪欲なヤツらがオリハルコンを手放すワケないし、自殺行為でしかなくない?」

「もちろん楽じゃない。だから俺は、志を同じくする仲間を集めてるんだ」

 玲理は優しげに微笑み、彼女に手を差しのべる。

「だから曽根島凶華。俺に協力してくれないか?」

「――耳を貸したらダメです、ご主人さま!」

 首輪をつけた少女が叫び、よつんばいのままで玲理を下からにらみつけた。

「アイナ。どういうこと」

「私、この人を知ってます」

 白い肌に、片眼を隠してしまうほど長くて美しい黒髪。

 凶華のペットであるアイナは、犬の真似をしていなければ、清楚なお嬢様といった風情の少女だ。

「コイツ、上位者なワケ?」

「いえ、順位は下なんですが」

 ゴクリと喉を鳴らし、彼女は続ける。

「《解放者》。一部ではそう呼ばれている危険人物です」

「なにソレ。革命で人々を解放する的な意味?」

「皮肉ですよ。やってることは、まるで逆。実力者を次々ペテンにかけ、解放どころか下僕にしてるらしいですから」

「おいおい。そりゃ心外だな」

 肩を竦め、玲理は反論する。

「俺はただ、惚れた相手を仲間にしてるだけだって。昨日の敵は、今日の友ってね」

「嘘です!」

 アイナが声を張り上げる。

「貴方に負けた《塔争者》は皆、人が変わるって聞きました。特殊なオリハルコンで心の中を盗み見て、弱味につけこむっていう噂もあります」

「へえー、エグいね。人は見かけによらないって、アンタみたいのを言うんじゃない?」

 凶華は愉快げな表情を浮かべながら、金髪の毛先をくるくると指に巻く。

「ご主人さま。なにをしてくるかわからない相手です。気をつけてください」

「気をつけて?」

 上目遣いで見つめてきたアイナの尻を、凶華はヒールで思いきり踏みつけた。

「んきゅん!」

 その弾みで、アイナの豊満な胸が揺れる。

「アタシがこんなヤツに負けるとでも? この駄犬!」

 ギュッと引かれる鎖。

 少女は機嫌を損ねてしまったことに慌てて、怯えきった表情で「くうん、くうーん」と鳴く。

 それで鎖が緩むと、アイナは蝶柄があしらわれたニーソックスに、すりすり頬ずりを始めた。

「しょうがないバカ犬ね」

 凶華は鎖を街灯に向けて放り投げる。

 先端の重りはグルグルと鉄柱に巻きつき、ペットをその場に縛りつけた。

「この《塔争》が終わったら、しつけなおさないと!」

 言うやいなや《神族の雷槍ブリューナク》を構え、突撃する。

 かろうじて飛び退いた玲理は、槍によって陥没した地面を見て、ふうっと息をはいた。

「交渉決裂か。じゃあ、勝負で決めようぜ。俺が勝ったら革命へのプランを聞いてもらう」

「あはっ。いいわよ。どうせ負けるワケないし」

「言ったな」

 玲理は胸ポケットからカードを取り出し、眼前に掲げる。

起動ブート

 カードは細かな繊維に分かれ、漆黒に染まりながら彼の上半身を覆う。

烏の外套クロウコート》。

 機動力を上げる《装着型》のダウンロードコンテンツ。

 攻撃手段は内蔵されておらず、最初に起動するオリハルコンとしては不適切だ。

「勝負とか言っときながら、まだ武器を出さないワケ?」

「能ある鷹は爪を隠すんだよ」

「鷹? アンタはその鷹に狩られるウサギだよ!」

 持ち主の好戦的な声に感化されたかのように、円錐の槍にバチリ、と電気がほとばしる。

「しなれ!」

 振るわれた槍の先から、目映い電流が鞭のように飛び出す。

 玲理は跳躍し、足元に迫る雷光を回避。

烏の外套クロウコート》の効果もあって、身体は三メートル近く跳び上がった。

「あはっ、縄跳び上手! なら、もっとレベルあげちゃう?」

 凶華は携帯袋ホルスターから新たに四枚のカードを抜き、扇状に拡げる。

「《小槍スピアー起動ブート!」

 空中で解けて組み合わさった糸は、ミニチュアサイズのランスに変化する。

「《雷神の迂曲路サンダー・ワインド》!」

 電流は空中を飛び回る四本の《小槍スピアー》を経由。

 変則的な屈折を繰り返し、玲理に襲いかかる!

「くっ!」

 反応が遅れ、わずかに顔を逸らすのがやっとだった。

 瞬間、稲妻は頬すれすれを通り過ぎ、背後にあった《塔》の壁面を焦がす。

「さすがは上位ランカーだな」

 速い上に、初見で軌道を読むのは困難。

 しかも《小槍スピアー》を経由することで電流の威力は増している。

神族の雷槍ブリューナク》。

 ケルト神話に登場する同名の槍は、矛先が五つに分かれている。

 彼女のオリハルコンもまた、本体と四つの《小槍スピアー》を合わせた姿が真骨頂なのだろう。

「そんな動きでアタシに勝つなんてムリムリ。降参するなら今のうちだと思うケド?」

 凶華の自信たっぷりの笑みを、まじまじと真顔で見つめる玲理。

「な、なによ」

 視線の意図を測りかねた問いに、真剣な眼差しで彼は答える。

「やっぱお前かわいいな」

「なっ」

 予想外な言葉。それを挑発と捉え、凶華の目つきは鋭くなる。

「……ふざけてんの、アンタ」

「うん。調子に乗ってるところがすごくいい。俄然、デレさせたくなった」

「誰がデレるか!」

 犬歯をむき出しにして吠える。

「取り消しなさい、さっきの。戦ってる最中に言われて嬉しい言葉じゃないわね」

「ムキになるなよ、そういうところもかわいいけど」

「また言った!」

小槍スピアー》が尖端を向け、ダーツのように飛んでくる。

「うーん……、そろそろ無抵抗も限界か」

 玲理はそう言うと、カードを新たに取り出す。

「《蒼の叛逆ブルーリベリオン》、起動ブート

 解けた糸はシュルシュルと形を整え、手の中に一振りの剣を顕現させる。

 ゴテゴテとした機械感が満載のナックルガード、刀身一メートルほどの半透明な空色の刃。

 大きくなりがちな《刀剣型》においては、小振りと言ってもよい大きさの片刃剣サーベル

「感情的になった攻撃は、軌道を読みやすいんだぜ?」

 襲いかかってきた《小槍スピアー》を片刃剣サーベルで弾き飛ばし、玲理は即座に距離を詰める。

「しまっ――」

 その機動力は、凶華の予想を遙かに超えていた。

 まさに一足飛び、進撃を阻もうと突かれた槍も、進行を食い止めるにはわずかに遅い。

 半透明の刃が懐で煌めく。

 ズパァッ!

 やられた、と思った。

 胸を斬られて凶華はよろめくが――なぜか痛みを感じない。

 あれ、と思い見下ろすと、服は破けておらず、血も流れていない。

「…………アンタさぁ、マジで舐めくさってるワケ?」

 凶華のこめかみがヒクつく。

 こんな攻撃、どれだけ食らおうが、痛くもかゆくもない。

「そのパーソナルコンテンツ――攻撃力ゼロじゃん!」

 オリハルコンは、大きく二つに分類される。

 一つは、PTを支払って購入できる普及品である《ダウンロードコンテンツ》。

 もう一つは《塔争者》になる際に受ける人格解析スキャンの結果に応じて、その者に最も適した武器として与えられる《パーソナルコンテンツ》。

 誰でも使用可なダウンロードコンテンツは、改造の幅が小さく、相手にも機能がバレやすい。

 一方、パーソナルコンテンツは始まりからして唯一無二のため、攻撃が読まれにくい。

 故に己の分身であるパーソナルコンテンツを極限まで鍛えることが、順位を上げる近道。

蒼の叛逆ブルーリベリオン》は、明らかに独自のもの。

 にもかかわらず、装着型オリハルコンを身に着けていない凶華に傷一つつけられないなんて。

「この《悪辣女帝バッドエンプレス》を相手に、縛りプレイでもするつもり? それとも、その剣は見てくれだけのナマクラってワケ?」

 怒りを露わにする凶華とは反対に、玲理は嬉しげに頬を綻ばせる。

「ありがとう。見てくれを褒めてくれて」

「いや、褒めてないんだケド」

 その反論は、玲理の耳には届いておらず、半透明の刃を見つめる瞳は心酔しきっている。

「斬新だろ、この剣。完成までにすごい時間がかかったんだ。何度も初期化と再構築スクラップアンドビルドを繰り返して」

「……初期化と再構築スクラップアンドビルド、ね」

 凶華は不愉快そうに細く整えられた眉をひそめる。

「それで完成したのが、なんにも斬れない剣? チョー暇なんだね。無意味すぎて涙が出ちゃう」

「……やっぱりな」

 けれど、玲理は全てを見透かしたような顔で言った。

「無意味なことしてるのはお前のほうだ」

「ハアア?」

 玲理の掲げた刀身に、うっすらと凶華の顔が映り込む。

「コイツが教えてくれた。お前がどうして他人をペットみたいに扱うのか。なぜお前のパーソナルコンテンツが電気を帯びているのか。そして、お前が本当に欲しいものがなんなのかも」

「……なによ、それ」

 動揺を浮かべた少女に、玲理は追い討ちをかける。

「自分がされたことを誰かにやり返したって、心にあいた穴は埋まらないぜ?」

 指差された凶華は俯き、身体をぶるぶると大きく震わせる。

「おっ、泣いてるのか。よし、胸を貸してやろう」

 玲理は迎え入れようと手を広げるが――彼女は涙に濡れてなどいなかった。

「誰が泣くかぁ!」

 怒りはすでに、憎悪に肉迫するほどの悪感情へ昇華していた。

「オリハルコンで心をのぞくなんて、アンタ、ウザすぎ!」

 宙をたゆたっていた《小槍スピアー》が《神族の雷槍ブリューナク》の矛先に集まって、本体を中心にグルグルと円を描き始める。

 バチバチと鳴り響く、耳をつんざくほどの凄まじい音。

「もう謝っても許さない!」

悪辣非道アクロレーザー

 電磁波を収束して高熱の光線レーザーとする《悪辣女帝バッドエンプレス》の切り札。

「こりゃヤバいな」

 まともに受ければ、敗北必至。

 だが、玲理の余裕は崩れない。

 なぜなら、すでに布石を打っていたからだ。

 回転していた《小槍スピアー》の動きが、突如として鈍る。

「な……!」

 オリハルコンのエラーに、青ざめる凶華。

 ついに《小槍スピアー》の一本は機能停止し、カランと地面に落ちる。

 一度槍に集まった電磁波を、留めおくことはできない。

神族の雷槍ブリューナク》から放射される、目も眩むほどの熱線。

 けれど《小槍スピアー》の一本を失って、不安定に乱れる軌道。

 自分には当たらない――玲理は確信したが、その後すぐに気づいてしまう。

 斜め後ろ、熱線の向かう先にいる、鎖に繋がれたアイナに。

「あの、ノロマ!」

 凶華の悪態。

 見開かれるアイナの瞳。

 ふいをつかれた彼女の動きは硬直し、回避は間に合いそうもない。

「チッ」

 本意ではない展開に玲理は舌打ちし、すぐさま庇うべく間に割り込んだ。

 光が視界を真っ白に染めて――意識は一瞬のうちに途絶えた。


蒼の叛逆ブルーリベリオン》で斬りつけたとき、玲理はその刃を介し、凶華の心象風景を見た。

 彼女の心の中にあったのは、小さな子供部屋だった。

 かわいい動物模様の壁紙。

 床にばらまかれた玩具。

 蛍光インクの星が光る天井。

 あたかもその場にいたかのように、脳内に再生される記憶。

『あなたが、私達の家族になってくれて良かったわ』

 三十代半ばの美しい女性が屈んで目線を低くし、十歳くらいの女の子に語りかけている。

『家族……』

『ええ、家族よ』

 そう言って女の子を抱きしめた女性は黒髪。女の子は金髪。

 容姿は全く似ていない。血の繋りがないことは明らかだ。

 それでも、女の子は胸の中で安らかに微笑んでいる。

 しかし、そんな穏やかな時間は長く続かない。

 女性は女の子を引きはがして背を向けると、開いたままの扉へと歩いていく。

『ママ、ママ、どこへ行くの』

『すぐ帰ってくるわ。お姉ちゃんと仲良く遊んでてね、○○』

『ママ、行かないで!』

 女の子は追いかけようとした。

 けれど彼女には首輪が巻かれ、鎖で壁に繋がれていた。

 部屋の外には出られない。

 ママと入れ替わりでやってきたのは――別の女の子。

『お姉ちゃん……』

『私のママは、アンタのじゃないでしょ』

 お姉ちゃんは、女の子の頬をバチン、と強く叩く。

『アンタはペット! いい加減に立場をわきまえなさいよ!』

 何度も、何度も、平手で女の子の頬を打ち続ける。

『ごめんなさい……、ごめんなさい……』

 理不尽な暴力に屈し、女の子が涙ながらに謝罪すると、お姉ちゃんは『理解したならいいのよ』と無邪気に微笑んだ。

『さーて、今日はこれで遊ぼ』

 そう言って、後ろに隠していた真っ黒な警棒を取り出す。

『なに、それ……』

『ママが護身用に買ったスタンガンよ。五十万ボルトもパワーがあるんだって』

 手元のスイッチで、バチバチッと先端から火花が散った。

『抵抗しちゃダメよ。アンタはお人形役なんだから』

『痛いのやだぁー!』

 床に這って必死に逃げようとするが、首輪のせいで叶わない。

『あははっ。痛みなんか感じるわけないでしょ』

 お姉ちゃんが女の子の背中を蹴り、うつ伏せに倒れた身体の上に乗る。

『だって、アンタは×××なんだから』

 スタンガンが泣きじゃくる女の子に押しつけられ――

 バチンッ!


 ハッと玲理は目覚めた。

 見えるのは、覚えのある天井と空調設備。

 そこは彼の通う西塔京学園。

 塔の東西南北に位置する四つの学園。

 その存在意義は、永住権獲得者――《塔達者トウタツシャ》の輩出。

 塔が《塔争》を主催する目的は、有能な人材の発掘と、技術革新にある。

 故に《塔達者》を出した学園には多額の報奨が与えられる。

《塔達者》自身が恩を感じ、学園に多額の寄付をすることも珍しくない。

 教師は躍起になり、生徒もまた、我こそが次の《塔達者》だと貪欲に知識を吸収する。

 戦闘技術。

 ルールの抜け穴。

 歴代 《塔達者》達の記録。

 オリハルコンの設定方法。

《塔争》を勝ち抜くために識るべきことは少なくない。

 さて、学内ということはわかったが、そこは一度も入ったことがない部屋だった。

 室内を覆い隠すワインレッドのカーテン。窓際に立つのは、首輪をつけた十人近い少女達。

 彼女らは真っ直ぐ背を伸ばし、部屋の中央を見つめている。

「――どう、アタシの足は」

「おいしいれす……」

 革張りの椅子に、足を組んで座るのは凶華。

 ニーソックスを脱いだ足を、跪いたアイナに差し出している。

「ちーがーうでしょ、おいしかったら罰にならない」

 彼女の白い素足が、媚びた目を向けたアイナの頬を蹴る。

「ご、ご主人さまの足、臭くて、しょっぱくて、鉄みたいな変な苦みがありますぅ」

「そう。アンタはそんなものを舐めて喜ぶ雌犬なのよ。自覚したら鳴きなさい」

「わんわん。はふ、はふはふ」

「ああ、いいわ」

 舌を出し犬の真似をするアイナを、凶華は恍惚とした表情で見下ろす。

「さあ、ワンちゃん。しっかり指と指のあいだまで舐めるの」

「は、はい。ごふぇっ!」

 アイナが答えた瞬間、凶華はその顔を思いきり踏みつけた。

「鳴けっつってんだろ。マジわかんねーヤツだな」

「くぅーん、ちゅっ、ちゅっ」

 踏みつけられながらも、足の裏に必死でキスをするアイナ。

 まわりの少女達の表情は様々で、軽蔑を向ける者もいれば、同情を寄せる者もいる。

 ただ誰もが立ちすくんだまま、アイナを助けようとはしない。

「なにやってんだ、お前ら」

 玲理の常識は、どうもここでは通用しないらしい。

 周囲を見回せば、学舎にふさわしくない鞭やら拘束具やらがそこかしこに転がっている。

 おそらくここは、《悪辣女帝バッドエンプレス》がペットにおしおきをする際に使う《調教室》。

 学園で《塔達者》に最も近いとされる彼女は優遇されており、自由に使える部屋を与えられているのだった。

「しつけよ、しつけ。この犬がアタシの攻撃範囲に入ってきたもんだから、白けた決着になっちゃったでしょ」

「攻撃範囲に入るも何も、鎖に繋がれてたんだからどうしようもなくないか?」

「そんなの、アタシの知ったことじゃないわね」

 凶華はアイナの顔を執拗に踏みつける。

「……ところでアンタ達、なにをぼーっとしてるの?」

 彼女の横暴は納まらず、理不尽な矛先は部屋にいる他の少女達にも向かった。

「え……、だってご主人さまがここで調教を見ていろって……」

「それはもういい。PTをさっさと稼いできなさい。命令しなきゃ動けないワケ?」

「い、今すぐに!」

 主の怒りを恐れ、我先にと部屋を出て行く少女達。

 残されたのは、凶華、アイナ、玲理の三人だけだ。

「なるほどね」

 玲理はニヤリと笑った。

 凶華がペット達を追い出したのは、自分が目覚めたからだ。

 心を読まれた自覚があり、その内容をペット達にバラされるのを嫌がったのだろう。

「ふんっ。それにしてもアンタのオリハルコンって、いくつ能力があるワケ?」

 しかし、彼女は本心をおくびにも出さず、肘掛けの上に置かれた二枚のカードを指でつまんだ。

「それは――」

蒼の叛逆ブルーリベリオン》と《烏の外套クロウコート》。

 どうやら気を失っているうちに奪われてしまったらしい。

「心を読む他に『オリハルコンを停止させる』とかもできるの? エグい能力ねえ」

小槍スピアー》の機能停止は、玲理の剣に弾かれたせい――そう彼女は推測していた。

 設定ミスによる動作不良は珍しいことではないが、自身の槍に限ってそれはありえないと思っているようだ。

「鋭いな。正解だ」

 剣の能力――その本質までを言い当てているかはともかく、原因としては当たっている。

拍手しようとしたが、両手、両足がロープで縛られているために無理だった。

「この縄、解いてくれないか。ついでにオリハルコンも返してもらえると助かる」

 上半身を起こしながら、玲理は頼む。余裕ぶってはいるものの、内心は気が気ではなかった。

 既製品ベースの《烏の外套クロウコート》は買い直せばいいが、剣は別。

 玲理にとっては命よりも大切なものなのだ。

「んー、どーしよっかなー」

 当然その焦りは見透かされており、凶華はカードを指の間で巧みに遊ばせる。

「《解放者リベレイター》なんて呼ばれてるんだから、自分で自分を解放してみたらぁ?」

「……はぁ。なにが望みだ?」

「ふぅん。空気読めるじゃん」

「それがモテる秘訣だからな」

「ああ、そう。大してモテそうには見えないけどね」

 凶華はオリハルコンを胸の谷間に挟み、椅子から立ち上がる。

 そして玲理の前髪を掴むと、ぐいっと上へ引っ張って、間近でじろじろと顔を確認した。

「ま、不細工ってワケでもないわね。及第点ってトコ?」

「惚れ直したか?」

「直すもなにも、一度も惚れてないわよ。バーカ」

 凶華は目を細め、玲理の額を指で弾く。

「いたっ。伸びた爪でデコピンすんな!」

 腫れていないか額を触りたいところだが、手が解けないのでじたばたするだけに終わった。

 その青虫みたいな動きを見ながら、にたりとした表情で凶華が切り出す。

「ね、アンタ、アタシに飼われる気ない?」

「…………飼われる?」

「そう。ペットよ、ペット。オトコを飼う趣味はなかったけど、アンタは特別扱いしてあげる」

「うーん……」

 ペットときたか。

 剣で見たものを絶対にバラすな――そんな要求を予想していた玲理は答えに窮した。

「悩む必要なんてないでしょ? どーせアンタは《塔達者》になれないし、革命は成功しない。だからアタシに媚を売りなさい。そうすれば見返りをあげるわ。塔には上れないけど、まあまあ満ち足りた人生をね」

「まあまあ満ち足りた人生ね」

「ええ、いい響きでしょ」

 凶華は残った左側のニーソックスをするりと脱ぐと、玲理の顔にかけた。

「うわっ、なんの真似だよ」

「駄犬の真似よ。もっとも、真似をするのはアンタだケドね」

 首を振って生温かいソックスをはねのけると、彼女の素足が鼻の先まで来ていた。

「服従の誓いに、アタシの足を舐めなさい?」

「……それにどんな意味が?」

「ベッツにぃ? アタシが満足するってだけ。人を虐げるのって、ホント楽しいもの」

 玲理はしばらく凶華を睨みつけていたが、やがて観念したようにため息をついた。

「まずは縄を解いてくれよ」

 言葉に混じった了承のニュアンスに、凶華は満足げな笑みを浮かべる。

「解いてやって」

 アイナが指示に従い、玲理の後ろに回り込む。待っていると、きつく結ばれていたロープが緩み、手足が解放された。

「さ、これで這いつくばれる? さっさと足を舐めて、服従を誓いなさい」

 焦れて凶華が催促する。

「あんまりトロいようならおしおきするわよ。それが望みなら話はベツだけど」

「はいはい、わかったよ」

 拘束を解かれた玲理は、自らの意思で床に手をついた。

 口を開け、舌を出し、ついに足を舐める――かと思いきや。

「なんてな」

 すんでのところで顔を上げて、玲理は素早く立ち上がる!

 奪われたカードを取り返すつもりだ!

 瞬時にそう判断する凶華。

 だが、抵抗は想定の範囲。

 相手は丸腰。ねじ伏せることなど容易い。

 馬鹿な男。

 しかし、その後起きたことは、彼女の想定とはまるで違った。

 彼は胸の谷間に挟んだカードになど目もくれず、凶華の身体をいきなり抱き締めたのだ!

「お前の心の痛みがわかった」

「なっ、ななななな……!」

 凶華の顔が、カーッと耳まで赤くなっていく。

 それは怒りではなく、明らかに動揺によるものだった。

「お前は、本物の愛を知らないんだよな」

 耳元でささやくように、それでいてしっかりとした意思を込めて、玲理は言う。

「お前が求めてる『家族』に、俺はなれない。でも『仲間』にならなってやれる。互いを大切に想い、決して裏切らない。お前が求めていたのは、そういうものじゃないのか」

「あ……」

 自信に満ちた申し出に、肩の力が抜け、半ばほだされた瞳がきょろきょろと泳ぐ。

「ご主人さま……?」

 だが、アイナの驚きを隠さない視線が、凶華を我に返らせた。

「ふ、ふざけんな!」

 凶華は玲理を突き飛ばすと、《神族の雷槍ブリューナク》を機動。

 そして力一杯振り下ろした!

「がっ!」

「死ねっ、死ねっ、死ねえ!」

 興奮収まらぬ彼女は、ランスで何度も何度も打ち据える。

 ぐったりと玲理が床に伏す頃には、凶華は肩で息をしていた。

「アタシはコイツの剣を解析しに行くから、しばらくここに閉じ込めておきなさい!」

 アイナに命じ、部屋を出ていく凶華。

「いってえ……」

 玲理は、ごろんと仰向けに体勢を変えた。

 床についた背中が焼けるようだが、骨は折れてなさそうだ。

「勇者ですね、あなた……」

 アイナがそばに座って、呆れたように見下ろしてきた。

「褒め言葉か、それ」

「もちろんです」

「あまりそういう風には聞こえなかったけどな……。ところでお前は、なんで凶華のペットなんかをやってる?」

「なんで、とは?」

 痛みに顔をひきつらせながらの問いに、きょとんとするアイナ。

「私はご主人さまを《塔達者》にして、そのおこぼれにあずかりたいだけの犬ですよ?」

「謙遜するなよ。お前、それなりの実力者だろ。凶華のペットの中じゃ、お前が稼いだPTがダントツで多いし、百位以内の塔争者に何度も勝ってる」

「……よく調べてますね」

「それだけ戦えるんなら、凶華に反旗を翻すこともできたはずだ。なぜそうしない?」

 アイナは困り顔になりながらも、意を決したように口を開く。

「ご主人さまは、過去をあまり覚えていないんです。残っているのも良い記憶ではないみたいで、眠るといつもうなされている。一度、あんまりひどい夢を見ているようだったから、揺り起こしたことがあるんです」

 アイナは自嘲気味に笑った。

「そうしたら目覚めた彼女は、私に抱きついて言ったんです。『ママ、アタシを一人にしないで』って」

「ママ、か……」

蒼の叛逆ブルーリベリオン》を介して見た人物を思い出す。凶華の母親は、確かにアイナとよく似ていた。

「その時からです。私が彼女を助けてあげたいと思い始めたのは。……おかしいですよね。こんなに虐げられているのに」

「いいや?」

 しかし、玲理は決して馬鹿にはせず、真顔で返す。

「お前自身はその想いをおかしいと思っていないんだろ。だったら、他人にどう思われるかなんて気にする必要はないさ」

 それは、自分に自身に言い聞かせているかのようでもあった。

「馬鹿にされるのを恐れてたら、斬新になんてなれないからな」

「変わった人ですね、あなた」

「惚れたか? だったら、仲間になってくれると助かる」

「それはご主人さま次第です」

 アイナはにっこり笑って立ち上がると、凶華が脱ぎ散らかした靴やソックスを回収し、調教室から出ていく。

 閉まった扉にロックのかかる音。

 どうやらここは調教部屋としてだけでなく、監禁部屋としても使えるようだ。

「参ったな、これは」

 玲理は大して困った素振りも見せず、天井を見上げながら小さくぼやいた。


 調教室から出たアイナは、隣の解析室で凶華を見つけた。

 部屋にはディスプレイがついた、人の背丈ほどもある装置が三台置かれている。

構築機コンストラクター》。

 PTを使用してオリハルコンをDLダウンロードしたり、能力を強化したりすることが可能な装置で、プログラミングの知識があれば、独自のオリハルコンを造り上げることもできる。

「アイツ、やっぱエグいわね」

 手元のトレーにセットされているのは、装着型オリハルコンである《烏の外套クロウコート》。

 凶華の足下に屈み、ソックスと靴を履かせるアイナ。

 凶華は仕事を終え立ち上がったペットに、画面に表示されているステータスを指し示す。

「ほら見て。この装備、時間制限付きの《熱耐性》がつけれらてる。《悪辣非道》を受けて気絶だけで済んだのは設定のおかげよ。ずっこいヤツ」

 凶華はトレーからカードを取り上げ、今度は《蒼の叛逆ブルーリベリオン》を置く。

「さて、こっちはどうかしらね。使えそうなら、どうにかアタシのモノにしたいトコだケド」

「……そのオリハルコンは」

 言いにくそうにしながらも、口を開くアイナ。

「そのオリハルコンは、あの男、譲葉玲理に使わせるべきじゃないでしょうか」

 画面の《解析中》という表示は、なかなか変わらない。

「アタシもそうするつもりだったって。でもアイツ、ペットになる気ないじゃん」

「ペットにするんじゃなくて……、仲間にしてもらうんです」

「――なに言っちゃってんの? ペットの分際で、アタシに意見するつもり?」

 凄む凶華にアイナはたじろぐが、それでも勇気を振り絞る。

「そう、私はペット。その立場に甘んじていたから、ご主人さまの孤独を埋められなかった」

 真っ直ぐ立ってみて、アイナは初めて気づく。

 凶華よりも自分のほうが背が高かったのだと。

「貴女に必要なのは対等な存在。譲葉さんなら、それになれる」

「対等、ね」

 突然牙をむいてきたペットにイラつきながらも、凶華はほくそ笑んだ。

「ま、確かにアイツは一つだけいいコト言ってたわ」

「いいコト?」

「革命、よ。アタシが《塔達者》になった暁には、塔の中で革命を起こす。そして塔から《塔争》をのうのうと見下ろしてたヤツらを、街に引きずりおろしてやるわ!」

 そう言って高笑いする凶華。

 あくまで自分一人で《塔争》を勝ち抜こうとする意思は揺らがないらしい。

「ご主人さまが本当に望んでいるのは、そんなことじゃ――」

「ウザい! アタシに憐れみの目を向けてんじゃないわよ!」

「きゃっ!」

 突き飛ばされたアイナが床に尻餅をついた、その時だった。

『はーん。革命、ですかあ』

 どこからともなく聞こえた声。

「アンタ、なんか言った?」

「え?」

 尻をさすりながら、首を傾げるアイナ。

 なにを訊かれたのかも理解できない様子だったが――凶華の背後にある《構築機コンストラクター》を見て、突然震え始める。

「ご、ご主人さま……」

 ありえないものを見たかのような反応。

「なによ」

 後ろを振り返ると《解析中》と表示されていたはずの画面に、赤髪の少女が映っていた。

 いつも《塔争者》のランキングを発表しているアイドルだ。

 名前は確か――ミウ。

「え? 定期放送の時間ってまだよね?」

『はい、まだですよー』

 凶華に答えたのはアイナではなく、画面の中の少女だった。

 ありえない。どうしてこちらの声が、塔の中にいるはずの人間に届いているのか。

『あーあ。革命なんてヤバヤバな思想を抱いちゃうなんて、設定をミスりましたかねえ』

「ひっ」

 アイナが悲鳴を上げたのも無理はない。

 ミウの伸ばした手が、画面を突き抜けてきたのだから。

 否、手だけではない。頭、胴体が出て、そして最後には足で筐体を踏みつける。

 ミウは「んっ」大きく伸びをして、凶華とアイナに向き直った。

「こんにちはあ。めったに見られない生アイドルですよ。握手してあげましょうかあ?」

 ド派手な衣装を着た少女は営業スマイルを振りまくも、瞳は全く笑っていない。

「それにしても街の空気はマッズいですねえ。お肌に悪そう」

「……塔のアイドル様が、こんなトコまでなんの用?」

 凶華は警戒を強め、身構えた。

構築機コンストラクター》は元々、塔から提供されたもの。どんな技術が内蔵されていてもおかしくはない。

 しかし、人を転送するなんて、そんなことが可能なのか?

「アタシの順位アップをお祝いしに来てくれたとか?」

「まっさかあー」

 心底おかしそうに、ひらひらと手を振るミウ。

「ミウは、初期化と再構築スクラップアンドビルドしに来たんです」

初期化と再構築スクラップアンドビルド?」

 まただ。

 今朝、玲理が同じことを口にしたときもそうだった。

 その言葉は、なぜか凶華の心をかき乱す。

「欠陥が発見されたんで、初めからやり直しってやつですっ。ザンネン無念ですね!」

「意味不明だケド、なんとなーく侮辱されてるのはわかったわ」

 怒りでこめかみを引きつらせ、凶華はカードを掲げる。

「《神族の雷槍ブリューナク》、機――」

 オリハルコンを起動しようとしたが、なぜか言葉が引っかかって、先に進まない。

 おかしい。どうして――

「機――」

 言い直そうとしても、どうしてもそこで止まってしまう。

「キモキモですねー」

 ミウがため息をつく。

「貴女のオリハルコンは、持ち主を傷つけたりしますう? しませんよねえ。要はそういうことです。持ち物が、持ち主に逆らえるはずないでしょお?」

「持ち、主……?」

「ああ、覚えてないんですよね。ま、無駄話はこれくらいにしちゃいましょ」

「ご主人さまから、離れて!」

 異変を察知したアイナが、前に立ち塞がる。

「《暴発する愛ストーキングレネード》、起動ブート!」

 手の中でカードは綻び、真紅のラインが幾何学的に刻み込まれた、直径五十センチほどの鉄球へ変化した。

 彼女はその鉄球を首輪の鎖に繋げ、ミウへと投げつける!

「貧相なオリハルコンですね」

 しかし、その攻撃をこともなげに片手で受け止めるミウ。

 か細い腕に、力を込めた様子もなく。

「な……」

 意外な膂力に驚くアイナだったが、すぐに口角をにやりと上げ、両手で素早く印を結んだ。

「爆散しなさい!」

 首輪と鉄球を繋ぐ鎖が真っ赤に明滅。

 鉄球そのものに刻まれたラインもまた、さらにその真紅の彩度を強くする。

「んあ?」

 ミウが間の抜けた声を発すると同時に、鉄球は爆発。

 黒い煙が空気を熱し、視界を塞いだ。一メートル先すら見えなくなるも、アイナは確かな手応えを感じていた。

暴発する愛ストーキングレネード》の爆発をまともに食らい、立っていられた者は一人もいない。

 だが――晴れてきた景色の中に彼女が見たのは、先ほどと寸分も変わらない、鉄球を持ったままのアイドルの立ち姿シルエット

「ドッキリとしては、なかなか悪くないんじゃないですか?」

「そんな……!」

 呆然とするアイナ。ミウはその隙に、彼女の首輪に繋がっている鎖を思い切り引っ張った。

「きゃん!」

「ま、くだらないオリハルコンであることに変わりはないですけどお!」

 アイナの身体は人のものとは思えない力に振りまわされて、壁に勢いよく激突した。

「はい、おっしまい!」

「アイナ!」

「ちょっとちょっと、他人の心配してる場合ですかあ?」

 ミウは凶華にすたすた近づくと、首を掴み、軽々とその身体を持ち上げる。

「かっ、はっ」

 気道を圧迫され、もだえる凶華。

 その脳裏には、いくつもの疑問符が浮かんでいた。

 手を避けることも、振り払うこともできたはず。

 それなのになぜか動けなかった。

 逆らってはいけない。

 そう本能に言いつけられているかのように。

 この女には、絶対勝てない――そう観念した時だった。

「なんの騒ぎだ、これ」

 そこへ現れたのは、隣の部屋に囚われていたはずの譲葉玲理。

「あっはあ。他にも人がいたんですかあ」

 隣の部屋とを隔てる壁が崩れていた。

暴発する愛ストーキングレネード》の爆発が、偶然にも彼を監禁から解放したのだ。

「譲葉さん、助けてください」

 地面に倒れ、立ち上がることのできないアイナが、かすかな声で頼む。

「――ミウ。運営側のご登場か」

 玲理は周囲を素早く見回して、状況を把握。

構築機コンストラクター》のトレーに置いたままになっていた自身のカードを手に取る。

「《蒼の叛逆ブルーリベリオン》、起動ブート

 そして宣戦を布告するように、ミウへ片刃剣サーベルの切っ先を向けた。

「わあ、オンナの子を助けるべく立ち上がるなんて、オトコの子ですね!」

 敵意を浴びせられているというのに、なぜかミウは嬉しげだ。

「でも、本気で助けるつもりですかあ? なんの得にもならないですよお?」

「助けるさ。今はまだ仲間じゃないけど、ソイツはもう俺に惚れてるからな」

「勝手なこと……、言ってんじゃないわよ」

 どれだけ前向きだ、と宙に吊られながらも凶華が呆れると。

「あは。面白いこと言っちゃってますねえ、貴方。コレを仲間にできるはずないのに」

 冗談を言われたような反応を示し、ミウがほがらかに笑う。

「コレは貴方と違って――人間ですらないんですよ?」

「なに、言ってんのよ。アンタはさっきから……」

 凶華は弱々しく、自分の首を掴んでいる相手の胸を叩く。

「なんであたしに逆らえないのか、まだわからないんですね」

 力のない反抗に、ミウの愉悦の表情はさらに大きくなった。

「よおく見ててください? ――オリハルコン、強制終了」

 ミウがつぶやいた途端、凶華の右腕に異変が起きた。

「な、なによこれ」

 ネイル、指、手のひら――さらには肘の先までもが、ヒュルヒュルと糸になってばらけていく。

「なん……で……」

 それは紛うことなく、オリハルコンの形状変化だった。

「じゃじゃーん! サプライズ大成功! はいコレ、曽根島凶華なる人物は、オリハルコン製の人工物だったんでーす。これで理解しましたよね? ミウの言ってること全部」

「ウ、ウソよ」

 凶華の表情が悲痛に歪む。

「私は子供の頃を覚えているもの。アタシがオリハルコンなら、そんな記憶あるはずない」

 それは強がりだった。凶華の中にあるのは、記憶と呼ぶにはあまりにも断片的なものだ。

「残っている記憶は本物ですよ。といってもお、百年以上も前の、ですけどねー」

「百年以上、前……?」

「貴女はオリハルコン黎明期に作られた《人型》。記憶も時間感覚も曖昧なのは、長らくカード形状で眠ってたからですよ」

「ウソ、ウソに決まってる」

 反論しながらも、凶華は思い出していた。眠りにつく前の、最後の記憶を。

『……壊れちゃったんなら、仕方ないわよね』

 それは、ママの声だった。

――アタシはまだ壊れてない!

 叫ぼうとしたが、無理だった。なぜならその時、凶華の身体は、すでにカードに戻ってしまっていたから。

『修理するより買い換えたほうが安く済むものね……』

 申し訳なさそうに言いながら、ママが自分をどこか冷たい場所に置くのがわかった。

『もったいないけれど、キョーカちゃんはリサイクルね。業者に初期化スクラップしてもらいましょう』

――置き去りにしないで!

 悲痛な想いは届かない。

『ねえ、また新しい妹を買ってくれるんでしょ?』

『今度はちゃんと、大事にするのよ、お姉ちゃん?』

『うん! アタシ、次は絶対にいいお姉ちゃんになる!』

 遠ざかる二人の声を聞きながら、凶華は思った。自分は本当の家族ではなかったのだと。

 わかっていたつもりだった。

 それでもママは自分を愛してくれている――そんな淡い期待を抱いていた。

 いや、まだ望みはある。

 壊れていなかったとわかれば、もしかしたらママは喜んで迎え入れてくれるかもしれない。

「《塔争》を勝ち抜いて、私はママに会うの。そして今度こそ、本物の家族になるんだから」

 口にしてみてようやく、なぜ自分が《塔達者》になりたかったのか、パズルのピースがはまるみたいにしっくりきた。

――アタシは、もう一度ママに会いたかったんだ。

「やだあ。そんな人間、とっくに死んでますって。百年以上前って言ったの、聞いてなかったんですかあ?」

 だが、ミウは冷たく言い放つ。

 それはもはや叶わぬ夢だと。

「大体、そういう個人的な希望はいただけませんね。街の人間をここに永遠に縛りつけとく――貴女はミウ達、塔の運営によって役割を与えられた、何十、何百というオリハルコンの一つに過ぎないんですよ?」

 凶華はついに決壊した。

 ぶわっと瞳から涙が溢れ、口の形をぐしゃぐしゃに曲げてわめき出す。

「ママァー!」

 泣き叫ぶ顔に《悪辣女帝バッドエンプレス》と呼ばれた面影はもはやない。

「あーあ、みっともな」

 ミウは凶華から顔を背け、黙りこくっている玲理に馬鹿にしたような表情を見せた。

「まだコレを守る気あります? そもそも《塔争》なんて、皆さんにちょっとした希望を与え、反抗する気を起こさせなくするための嘘。百年間で《塔達者》になったのは、運営が用意した人型オリハルコンだけなんですよね。凶華ちゃんも、皆さんを欺くための、システムの一部だったわけなんですよお。さあ、どうしますう?」

「……」

 玲理は物言わず、ただ反抗的にミウを見つめている。

「……そんな目を、アイドルに向けていいと思ってますう?」

《塔争》の真実を知れば、誰でも絶望する――そう考えていたミウにとって、彼の反応は満足いくものではなかったのだろう。

「再構築前の、最後の仕事です。そこの、自分を助けようとしてる少年を殺してください?」

 命令が発せられた瞬間に、凶華から感情が消えた。

 彼女の肘まで到達していたオリハルコン反応は収まり、腕の形が元に戻る。

 首を掴んでいたミウの手が離れると、凶華はすぐさま携帯袋ホルスターからカードを取り出し、掲げた。

「《神族の雷槍ブリューナク》、起動ブート

 オリハルコンを構え、強く床を蹴って、玲理に迫る凶華。

 しかし、繰り出される攻撃には知性も戦略もなく、ただ槍を振り回すだけ。

 それでも《神族の雷槍ブリューナク》の重量とリーチは、玲理にとっては純粋な脅威だ。

「凶華、目を覚ませ!」

蒼の叛逆ブルーリベリオン》で槍を受けた玲理は、タガが外れたような腕力に抵抗しながら呼びかける。

「《悪辣女帝バッドエンプレス》が、人の命令に従ってていいのか?」

 あえて神経を逆撫でするようなことも言ってみる。

 しかし、彼女の顔に一切変化はなく、瞳はうつろなままだ。

「ムダですって。ソレは所有権を持つあたしに絶対服従。とめるには、壊すしかないんです」

 ミウがにへらと邪悪に笑う。

「だからぶっ壊しちゃいましょうよ。どうせ初期化するんで、派手にやっていいですよ?」

「ああ、そういうことか」

 それは、残酷な趣味だった。

 最初からミウは、凶華に玲理を殺させる気などないのだ。

 真の狙いは逆。凶華を助けようと奮闘する玲理自身に、彼女を殺させること。

《塔争》に、この世界に抗おうなどという気を、二度と起こさせないために。

「なら――」

 諦めたように玲理は呟くと、剣で槍をいなし、思い切り凶華の胸を貫いた!

 瞬間、玲理は剣を介して、再び彼女の心象風景に侵入する。

 やってきたのは、さっきも訪れた子供部屋。

 眼前に現れたのは、首輪で鎖に繋がれた、幼い女の子。

『……《解放者》。アンタがそう呼ばれてる理由が、やっとわかったわ』

 脚を抱え座り込んだ女の子が、玲理を見上げている。

『貴方に負けたヤツの人格が変わるのも当然よね。だってその剣、オリハルコンを解析して、心を壊して、ただの機械に戻すことができるんでしょ?』

『……確かに俺の剣は、お前の心を壊せる。そうすれば、もう痛みは感じない。今よりきっと、楽に生きられるだろう』

『最初から気づいてたのね……。アタシがオリハルコンだって』

『……ああ。すまない』

『謝る必要なんてないでしょ。アタシが心だと思っているものは、本当はただのプログラムなんだから。それも、もうすぐ消えてしまう』

蒼の叛逆ブルーリベリオン》の刃が、彼女の首筋にあてがわれる。

『アタシ、もう疲れちゃった。一思いにやって』

 うなずく玲理。

 女の子の顔から、力が抜け、閉じた目から涙が流れた。

 振り上げられた剣。

 彼女は刃が迫るのを、頬を撫でる風によって感じ取った。

 ガシャァァン!

 鳴り響く、けたたましい音。

 だが――剣が断ち切ったのは首ではなく、彼女を縛りつけていた太い鎖だった。

『……どうして?』

 女の子は信じられない、という表情を玲理に返した。

『言っただろ。俺はお前を解放しに来たんだって』

『でも、アタシは人間じゃない。塔に操られ、人のフリをしていた、道具に過ぎないのよ?』

『関係ないさ』

 そう言って、玲理は微笑む。

『俺の革命は、人のためだけにあるんじゃない。人とオリハルコンのためにある。塔に使われるだけ、虐げられるだけだった俺達の運命に、叛逆するんだ』

 そして座り込んだままの彼女に、手を差しのべる。

『お前を仲間にしようと思ったのも、そのためだ。今度こそ、この手をとってくれるよな』

 十歳くらいだった女の子は、今の十五の姿になっていた。

 おそるおそる伸びてきた手を迎えるように、玲理は力強く握りしめた。

 途端、心象風景は消え、目の前に現実が戻ってくる。

 同時に、凶華の身体が玲理にどさりともたれかかってきた。

「ああ、やっちゃった」

 勘違いしたミウが、玲理に嘲りの眼差しを向ける。

「そりゃそうですよね。みんな、自分が一番大事ですもん」

「それはどうかな」

「え?」

 だが、剣を突き立てられたはずの凶華の胸に傷はない。

 それどころかうっすら開かれた目には意識が戻りつつあった。

「わ、まだ動くんですね。だったらカレを殺しなさい?」

 再び命令を下すミウ。

――ところが。

「……バカじゃないの?」

 彼女に従う気配は全くない。

「ええー!? なんでえ!?」

 先程まであったはずの強制力は完全に失われていた。

「《蒼の叛逆ブルーリベリオン》は、オリハルコンの設定を書き換える」

 美しき刃を掲げる玲理。

「そして今、凶華の所有権を俺へと書き換えた。つまり、お前からの命令は一切無効だ」

「書き換える、ですって。そんなの絶対ムリでしょうよお!」

 所有者以外に改変できないように、オリハルコンの設定には厳重なプロテクトがかけられている。

 塔争管理者であるミウが凶華に施したプロテクトは、他と比べて何倍も強固なもの。

 それを一瞬の接触で突破するなど、どうしたって不可能だ。

「まあ、俺のオリハルコンへの愛がなせるわざだな」

 血の滲むものだっただろう研鑽を、軽く言ってのける玲理。

「……そう。どうしても運営に逆らいたいのね」

 ビリィッ!

 突如、ミウの着ていたステージ衣装が破けた。

 彼女の身体は肥大化し、皮膚に赤い毛がたなびきだす。

「そのオリハルコン、放置すればイレギュラーに繋がる可能性があります。故に、全力で排除させてもらいますね」

 口調からも愛嬌が消えた。

 彼女の超重量に耐えきれず、ゴウン、と学園の床が崩れ出す。

「《烏の外套クロウコート》、起動ブート

 玲理は落ちていた自らのカードを取り上げると、凶華とアイナを両脇に抱え、外へ跳んだ。

 そこは四階だったが、落下しながら纏われたオリハルコンの効果により、三人は無事、広いグラウンドへと着地する。

「なんなんですか、あれ」

 ダメージから回復しつつあるアイナが、さっきまで人の姿をしていたものを見て呟く。

 校舎を押しつぶしながら、さらに巨大化するミウ。

 塔の技術がどれだけ進化しようと、こんな変化、人体では起こりえない。

 唯一、あの物質でなければ。

「まさか――彼女もオリハルコンだったんですか?」

「ああ。塔の人間は、わざわざ街に下りてきたりはしないさ」

 ミウは豹に似た姿に変化し、大きさは前脚で人を踏みつぶせそうなほどになっていた。

『ミウは、三十年前に《塔達者》になった選ばれしオリハルコン。奪う側になれたんですよ。貴方達と違ってね』

「塔の連中に、いつまで便利に使われているつもりだ!」

 地鳴りのような獣の声に対抗し、玲理は叫ぶ。

「勝ち抜いたのならわかるだろ。《塔争》というシステムがいかに無意味で残酷か。なのにどうして抗おうとしない?」

『考えなしみたいに言わないでくれます? 勝者には弱者に見えない景色が見えるんですよ』

「いいや、お前は考えていない。この戦い一つとっても、な」

『はあ?』

 意味不明とばかりに牙を見せたミウに、玲理は言い放つ。

「少し考えればわかるはずだろ。デカくなるなんて《蒼の叛逆ブルーリベリオン》の前じゃ無意味なんだよ」

 それが強がりでないことは、すぐに証明された。

『もういい! 潰れろ!』

 三人を押し潰すべく、全身でのしかかってきた巨大獣。

 対する玲理がしたのは――剣を真上に掲げること。

 ただそれだけ。

 覆い被さってくる真っ黒な影。

 が――三人は潰れなかった。

 玲理が剣一本で、獣の身体を支えたからだ。

 もちろん、玲理が怪力だから、ということではない。

「お前の重量設定を変更した」

『この……!』

 ミウは前脚で玲理を払い飛ばそうとするが、重量のない獣の攻撃は、片手でいとも容易く受け止められてしまう。

「ねえ……。トドメはアタシにヤらせてくれない?」

 凶華が四枚のカードを空中に放り投げる。

小槍スピアー》は変形し、《神族の雷槍ブリューナク》の矛先でバチバチと激しく音を立て回り出す。

「ハッ。そんな攻撃が効くとでも思ってるんですかあ?」

 その準備をせせら笑うミウ。

「運営側のオリハルコンにはね、完全な防御能力が備わっているんですよ! どんな属性攻撃も無効です!」

「忘れっぽいんだな、お前」

 そんな玲理のつぶやきとともに、ミウの巨体を受け止めていた《蒼の叛逆ブルーリベリオン》が青く煌めく。

「今、お前に弱点を設定した。あとは言わなくてもわかるな」

『き、貴様ァー!』

 明らかに狼狽し、なんとか逃れようと身を翻すミウ。

 しかし、もう遅い。

「《悪辣非道》!」

 槍から迸る、高熱の閃光。

「が……!」

 ミウは《神族の雷槍ブリューナク》最大の一撃をもろに浴びる。

 設定された弱点は――熱。

 真っ黒な炭となり、ボロボロと崩れ去るミウ。

「そんな……。ミウは……」

 彼女の残骸は少しずつ収束し、カードとなって地面に落ちる。

「俺の革命が、人とオリハルコンの共存できる世界を作るまで、しばらく眠っているんだな」

 玲理は言うと、カードを上着のポケットにしまいこんだ。


「改めて答えを教えてくれ」

 崩れた校舎を遠目に見ながら、玲理は隣に座った凶華に訊ねる。

「なんの話?」

「仲間になるかどうかって話」

「……わかってるクセに」

 まだ先のことは考えられない。

 自分が人間ではないとを知り、《塔争》を戦う目的すらも失ったのだから。

 ただ。

「人のためだけじゃなく、アタシみたいなオリハルコンのためにも戦うって言うなら――見せてもらおうじゃない。アンタの革命ってヤツを」

「ああ」

 合わせた拳は、仲間としてのこれ以上ない意思表示だった。

「で、アンタはどうするの」

 凶華はアイナへ問いかける。

「革命を目指すなら、もうアンタを利用してまでPTを貯める必要はなくなったんだケド」

「そんなの、決まってます」

 アイナは凶華に近づくと、その手をとる。

「私の所有権は、ご主人さまのものです。ご主人さまが人間だろうと、オリハルコンだろうと、それは変わりません」

 ほんの少し瞳を潤ませる凶華。

「アイナ……。駄犬がいつの間にか忠犬に……」

「犬扱いは変わらないんだな」

「そりゃそうでしょ。アタシを誰だと思ってるの? 泣く子も黙る《悪辣女帝バッドエンプレス》よ」

「マザコンのくせに」

「あ? なんか言った?」

 すっかり意気消沈していたはずなのに、彼女の調子は早くも戻ってきたようだ。

「あの……、譲葉さん。わからないことが一つあるんです」

 そんな彼女を尻目に、訊ねてきたのはアイナだ。

「ん? なんだ?」

「《蒼の叛逆ブルーリベリオン》の力があるなら、ご主人さまを無理やり仲間にすることもできたんじゃ?」

「あ」と凶華も声を上げた。

 実際、最初の戦いで凶華は《蒼の叛逆ブルーリベリオン》に切り裂かれた。

 あの時、心を書き換えようと思えばいくらでもやれたはず。

 しかし、玲理は苦笑しながら首を横に振る。

「俺が《蒼の叛逆ブルーリベリオン》で変えるのは設定だけ。心まで変える気はないよ」

「心、かあ。……うん」

 その響きに、凶華は温かいものを感じた。

 玲理はオリハルコンである自分に、心があると言っているのだ。

 そして、尊重してくれている。

「ホントにアタシの心、いじったりしてないよね……」

 ドキドキと早鐘のように高鳴る鼓動を抑え、誰にも聞こえないように凶華はつぶやいた。

 そんな彼女の変化に気づくことなく、玲理は腕に巻いたウェアラブル端末の画面を、空中にポップアップさせる。

「さて、次はどうするかな」

「え……、次って?」

 凶華は画面に表示された大勢の《塔争者》の顔を見た。

 有名な上位ランカーもいれば、知らない顔もある。

 共通しているのは、彼女らが皆、美しい容姿だということ。

「……これ、なんのリスト?」

「《塔争》に参加させられている人型オリハルコンだよ」

 何をわかりきったことを、と言いたげな口調に、凶華の口角がひきつる。

「これまでもお前と同じように、何人も解放してきたんだぜ?」

「あ、あの、譲葉さん……?」

 アイナが不穏な空気を感じとり、玲理を制止しようとした。

 だが、当の彼は空気をまるで読むことなく、先を続ける。

「俺は街にいる人型オリハルコンを全員仲間にするつもりだ。じゃなきゃ、塔には太刀打ちできないからな」

「…………アタシを仲間にしたのは、その壮大な計画の一部に過ぎないってワケ?」

「ああ、斬新だろ?」

「この浮気ヤローが……!」

 けろりと答える玲理に、凶華の怒りは頂点に達する。

「死ねぇー!」

 凶華は《神族の雷槍ブリューナク》を握りなおし、文字通り雷を落とす。

「なに怒ってるんだよ?」

 それを躱しながら、怪訝そうに眉をひそめる玲理。

「今こそ『惚れたか』って訊くところだったんじゃないんですかね……」

 そんな二人に、ため息をつきながら頭を抱えるアイナ。

 彼らがこの世界の年代記クロニクルに大きな波紋を投げかけるのは、まだまだ先の話だ。


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メカニカル・クロニクル 羽根川牧人/ファンタジア文庫 @fantasia

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