異世界パンダ

日暮晶/ファンタジア文庫

短編

 ――彼女は、俺の前で躊躇ちゅうちょなく服を脱いだ。

 服の下に隠れていた、綺麗きれいな形と大きさを併せ持つ巨乳が盛大に弾む。

 当然の流れとして、彼女は下にも手をかける。流石さすがにこれ以上見るのは悪いかと思い、その場を離れようとするが……

「あ、こらこら。どこへ行こうとしてるんだ。水浴びは嫌いなのか?」

 そんなおとがめの声と共に、伸びてきた綺麗な二の腕が、俺を羽交い締めにして抱え上げた。じたばたもがいても、手も足も浮いてしまっているので意味がない。むしろ彼女の柔肌に俺の体が沈んでいくようで、ろくに女性に触れてこなかった俺の体が硬直してしまうのは仕方のないことと言えた。

「おや、観念したか? それじゃあさっさと済ませてしまおう」

 一糸まとわぬ姿で彼女が向かうのは、すぐそばにある小さな泉。戦闘で汚れた体を清めるためにこの場所へ来たのだ。

 こんこんと水の湧き出る泉。その水面は波紋を広げながらも、鏡のように映しだす。

 きらめく金髪と、とがった耳を持つ裸身の美少女の姿を――そして彼女が抱える、白と黒の毛並みを持つ、丸っこく可愛らしい生き物の姿を。

 それは、子供サイズのパンダ。

 ――今の、俺の姿である。

 ……いやもう、ほんとにどうしてこうなった!?


 ◆◆◆


 享年、二十五。仕事で外回りの最中、パンダを積んだトラックの横転に巻き込まれ、俺は地球での生を終えた。しかしその後、どういう奇妙な巡り合わせを経たのか――俺はいわゆる、異世界転移をする羽目になってしまった。

「やー、お亡くなりになって早々申し訳ないんすけど、おにーさんには異世界に行って止めてほしい方がいるんすよ」

 白亜の床面、天井は夜空。それが果て無く広がる謎の空間に気づけば俺は立っていて、そしていきなり現れた緑色の髪を持つ女は、開口一番そんなお願いを口にした。

 エメラルディと名乗った彼女は、地球担当の女神であるとのこと。

 内容だけ聞くと眉唾ものの話だったが、不思議と、彼女の言葉を疑う気にはなれなかった。

 森に木があるように、海に水があるように。コスプレじみたその髪の色も格好も、それがあるべき姿でそこに在ると感じたから。少なくとも、彼女は常ならぬ存在であると、頭ではないどこかで認めていたのだとは思う。

「おにーさんは地球の若い方っすから、異世界転移とか転生とか言えば概要は理解できるっすよね? 今の状況はそんな感じっす」

 しかし、しゃべりが雑なら説明も雑だった。ちょっとないぐらいの美人なのは認めるが、口を開くたびにその神秘性が薄れていくようだ。

 不幸にも死んだ主人公が、神を経由して特殊な異能やら特別なアイテムやらを授かって別の世界へ行ったり、別の世界で赤子からやり直したりという話は現代日本には確かに多いし、一つ二つは俺も触れているけど。

「で、おにーさんをここへ呼んだ本題なんすけど。実はちょっと前に飛ばした転移者が、ウチのあげた特典を使ってずいぶんヤンチャしてるらしいんすよ。『このままじゃこっちの世界の生態系が壊されるから何とかしろ!』って、その世界担当の神様からめっちゃクレーム来ちゃってまして。おにーさんには、その転移者を――『大地喰らいアースイーター』を止めてほしいんす」

 それはまた、随分と大仰な異名だな。

 とはいえ……自分でいた種なら自分で回収すればいいんじゃないか?

「そう思うっすよね? ところがどっこい、全世界神様協定ってものがあってっすね。ウチら、地上へ降りた人に直接干渉することが条約で禁じられてるんす。なんで、何か問題が起こった時は、使者を送り込む必要があるんすよ」

 死者を送り込む?

「なかなかキレたジャパニーズジョークっすね。嫌いじゃないっすよ――ともかく!」

 パン、と彼女は手を合わせる。

「申し訳ないんすけど、ウチの尻拭いに協力していただきたいんすよ! 今回は特例なんで、特典てんこもりにしますから!」

 なんで俺なのか。そうたずねてみたら、エメラルディは笑って答えた。

「おにーさんが『力』に溺れない、いい人だからっすかね。魂見れば分かるっすよ。こんなんでもウチ、女神なんで」

 言い切った。前に送った転移者が力に溺れて異世界を危機に陥れていることを棚に上げて言い切った。

 ――しかし、いい人なんて言われて、悪い気はしない。その尻拭い、請け負った。

「ありがとうございまっす! ではでは、えーっと……その世界に存在しない異能の類は容量食うんすよね」

 容量?

「なのでこれから向かってもらう異世界・モノクロームに存在する各種魔法とそれを扱うための魔力、騒がれないための魔力隠蔽、身体能力と武術の心得……うん、これだけあれば余裕で勝てるはずっす。それじゃ、準備完了! 転移座標は彼の次の侵攻予定地にしておくっすよ――それじゃあ、いざ!」

 彼女がばっと手をかざすと、俺の頭上と足元に、淡く光る魔法陣が出現。それが光を強めていき――途端、ビーッ、ビーッ、というブザー音と共に、魔法陣が赤く明滅し始めた。

「えっ、うそ容量オーバー!?」

 だから容量って何だ。

「あっちゃーどうしよう……力の方を削るのは流石に……はっ、あれは! ちょうどいいところに!」

 何やら彼女が指先をくるくる動かすと、俺の体が一瞬カッと光った。な、なんだ? 疑問を感じる間に、魔法陣の明滅が収まった。

「これで安心っす! それじゃあ、今度こそ!」

 キィィ――、と魔法陣の光が強まって、視界が奪われていく。


「異世界・モノクロームへ、行ってらっしゃい!」


 ――もちろん、この時の俺は知る由もなかった。

 異世界に降り立った俺の姿が、パンダになっていることなど。


 ◆◆◆


『――なんじゃこりゃぁぁぁあああっ!?』

 森の中で目覚めた瞬間から、違和感はあった。

 いくら異世界の森と言っても、周囲の木々が高すぎる。雑草も異様に背が高い。極めつけは、白と黒の毛皮に覆われ、人間だったころよりも随分短くなった俺の手足。

 近くの川をのぞき込んでみれば、そこに映っていたのはもっこもこの、子供サイズのパンダの姿だった。手を振ってみた。向こうも手を振り返してきた。わー、かーわいーい。絶叫した。

 川のせせらぎ、小鳥のさえずり。虫の鳴き声に、風で揺れた枝葉のざわめき。大自然の交響曲を吹っ飛ばす勢いで。

 考えられる原因は一つ。エメラルディが何かをやらかしたに違いない。

 しかし原因に目星をつけたところで、やらかした張本人ははる彼方かなた。どうしたもんだこれ――と悩んでいたが、ふと目に入った植物に目を奪われた。うまいなこれ。

 もっしゃもっしゃもっしゃ……。…………!?

 な。

 何を俺は当たり前のように草食ってんだ!?

 いつの間に手に取っていたのか、ちっちゃい手の中にある、焼き鳥の串のようにハゲた茎を見て呆然ぼうぜんとする。いや、草を食うというなら、向こうでもホウレンソウやら小松菜やら食ってたけど、こんな雑草まがいのものを、しかも生で食うなんて初めての経験だ。キャベツやレタスじゃあるまいに。

 しかも何が問題って、それをうまいと感じている俺の体よ。

 ま、まさか――この体のせいか!? このパンダの体が、本能的に草を欲しがっているのか!?

 本能的なものにあらがえないのだとしたらこの先かなり厄介なことになりかねないな……と考えているうちに俺は二本目の茎の葉をもしゃもしゃしていた。ちくしょううまいなこれ……。

 ――と、俺が葉っぱ食べ放題の無限ループに陥りかけた時。

 唐突に、森が静まった。

 一体何が、と思った直後、すぐ近くで轟音ごうおんぜた。そして何の余波か、突風によって木々の葉が散る。

 流石に二重の意味で道草食ってる場合じゃないと、俺は音のした方へ駆け出す。二足でも走れたは走れたが、四足の方が楽かつ速いので早々に四足歩行へ移行した。

 果たして、その先で見た光景は。

 トラックのような巨躯きょく強靭きょうじんな四肢と尾を持つ、ファンタジーでは鉄板の怪物――赤いうろこのドラゴンが、ドリルでもたたき込まれているかのように、やいばを伴う竜巻に押し潰されていた。

 しかし動きが取りにくくなっているだけで、ドラゴンにダメージはあまりないように見える――しいて言えば、背中から生えた蝙蝠こうもりのような翼がズタズタに裂けているぐらいだろう。

「……っ、絶大魔法でもこの程度か!? 全く厄介な……!」

 風に紛れて、人の声。見れば、ドラゴンの正面に、レイピアを持つ一人の少女が立っていた。

 風になびく黄金の髪。そしてその髪をき分けて側頭部から伸びる、尖った耳。それらの特徴から、彼女がいわゆるエルフである、と判断する。

 こちらもドラゴンに並んで、ファンタジーでは鉄板の種族だろう。森の中に住む長寿の種族で、魔法が得意というイメージが強い――少なくとも後者は当たりのようで、どうやらあの竜巻を起こしているのも彼女のようだ。

 ドラゴンとエルフの戦闘か……ちょっとそわっとするな。

「ならば極大魔法で仕留めるのみ!」

 身動きが取れず咆哮ほうこうするドラゴンの前で、彼女はレイピアの切っ先を天へと突きつける。

揺蕩たゆたう風は死神の御手みて、魂を運ぶ死出の道なり! 風の前に崩れぬ物無く、なればの風遮る物無し!」

 それはおそらく、呪文の詠唱。彼女が一言一言を紡ぐたびに、ヒリヒリと焼けつくような感覚が肌をでていく。これはもしかして――魔力の高まりを察知しているのか? その感覚が正しければ、彼女の練り上げた魔力は、掲げたレイピアへと収束している。

「抗うすべ無き霊威を以て、なんじに災禍の魔名を与える!」

 魔法を放つ準備が完了したのか、彼女のレイピアを光の帯が取り巻く。それは彼女の髪のような黄金色に輝いていた。

「唸れ、すいじっ……!?」

 ふと。

 彼女と、ばっちり目が合ってしまった――彼女は目を見開いて詠唱を中断、こちらへと駆け出す。え、なに、どうして?

 彼女は即座に俺を抱き上げる。直後、ドラゴンを押さえつけていた竜巻が消失――翼をズタズタにされて怒り狂うドラゴンが、咆哮。臀部より伸びる長い尾が、鞭のごとき勢いで振るわれる。それは周囲の木を――俺の体がパンダであることを差し引いても、一本一本がビルのごとき高さと太さを持つ木々を、軽々とへし折りながらエルフの剣士へと迫る。

「――ぐっ!」

 それを彼女はレイピアで受け、かつ地面から足を離す。正面からまともに受けるのはきついと見て、衝撃を逃がすためにわざと浮いたのか。というか、もしかしなくてもこれは――俺を庇っているのか?

 ごっつい木々をへし折りながらの一撃だったおかげで衝撃はかなり相殺されていたようだが、それでも彼女は吹っ飛ばされる。空中で二、三回転しつつ、飛ばされた先の木の幹に着地。

 だがその行方を眼で追うドラゴンの口の奥に、赤がちらついた。

 炎を吐こうとしている!? 俺のそんな危惧をよそに、彼女は地面へ降り立ち、中断した最後の呪文を高らかに唱え上げた。

「――唸れ、翠刃すいじん! 《剣嵐豪渦ストームブリンガー》!」

 ドラゴンに突き出されたレイピア。それを取り巻いていた光の帯が弾けた途端、音が

 そう錯覚するほどの爆発的な風の刃が、周囲の木々をなぎ倒し、地面を抉りながらドラゴンへ一直線に向かう。対するはドラゴンの吐き出す炎のブレス。風刃と灼熱が衝突し、空気がうねる。しかし――

「極大魔法の力――めてくれるなよ、蜥蜴とかげ風情が!」

 轟っ、と強く唸る風が、竜の灼熱を吹き散らす。さらに風の勢いは止まることなくドラゴンへと迫り、その体を深く裂いた。

 先ほどの竜巻ではろくに傷ついていなかった強固な鱗すらも、あっさりと断ち割った――それだけで、術の威力の差が窺える。

 胴体の半分近くをバッサリと斬られたドラゴンはおびただしい量の血を流しながらも、その眼だけはこちらをにらみつけている。だがやがてドラゴンはくずおれ、息絶えた。……こちらを睨んだまま死ぬとは、随分執念深い生き物だな。

 そのドラゴンの死骸に、異変はすぐに訪れた。突然淡く光ったかと思えば、その体が光の粒と化して消失していく。

 この世界の魔物の類は、死ぬとこうして消えるものなのかとも一瞬思ったが、エルフの剣士が眉をひそめてその光景を眺めているあたり、これは異常なことなのだろう。

「普通の魔物なら死骸は残るはず……消えるということは、やはりこれは『大地喰らいアースイーター』の尖兵せんぺいか」

 その単語に。

 俺は思わず耳をひくつかせた――女神エメラルディから止めてほしいと頼まれた、転移者の名前。

「尖兵でこのレベルとなると……さらにこの上がいるわけか。あまり考えたくはないな」

 完全に消失したドラゴンの前で、レイピアをさやに納めながら彼女はつぶやき――「それにしても」と、俺の顔を覗き込む。

「お前も随分暢気のんきやつだな……並の野生生物は、私と奴の魔力に驚いて逃げてしまうというのに。巻き込むかと思ったぞ」

 その顔に浮かぶは、苦笑。

 わざわざ呪文を中断して俺を抱え上げたのは、魔法の余波に俺を巻き込まないためだったのか。その隙のせいで彼女がドラゴンの攻撃を受けたのかと思うと、少し申し訳なく思う。喋らない方がいいだろうとは思ったので、俺を抱えるその手に、じゃれつくように頬ずりして感謝の意を示してみる。エルフの剣士の顔が、少し緩んだ。

「この状況でも全く嫌がる様子もないしな……むしろお前、懐いていないか? それに、こんな生き物は見たことがないな……」


「――それは、パンダって生き物なんすよ。『霊剣』ローニエスさん」


「っ!? 何者だ!」

 突然の声に、エルフの剣士(ローニエスというのが名前らしい)は警戒心をあらわにしたが――俺は、別の意味で驚いていた。

 だって、この妙に耳に残る喋り方は……!

「おっと失礼、怪しい者じゃないっすよ」

 木の陰から姿を現したのは、鍔の広い三角帽を頭にかぶってローブを着こんだ女性。敵意はないと示すために脱いだ帽子の下から出てきたのは、緑色の髪。

「ウチは通りすがりの占い師。名前は、エメリィっす。以後お見知りおきを」

 衣装こそ違うが、見間違えようはずがない。

 その女は、俺をこの世界へ送り込んだ張本人。

 いたずらっぽい笑顔を浮かべた地球担当の女神エメラルディが、俺に向かってウィンクをした。

「実はちょうどエルフの国へ行こうと思ってたところで……あぁ、その子、随分懐いてるようっすね。飼ってあげてはいかがっすか? ウチなら注意点とかも教えてあげられるっすよ」


 ◆◆◆


 色々ときたいことはあるんだけど、まずは俺のこの姿について答えてもらおうか。

「(……実はっすね、おにーさんをこっちに飛ばす直前、容量がオーバーしたって言ったじゃないっすか?)」

 言ったな。エレベーターの重量オーバーみたいな気軽さで。

「(世界において、それぞれの存在には持てる能力の限度があるんすよ。端的に言っちゃえば、それが容量っす)」

 つまり、何か? 俺に力を色々詰め込み過ぎてその限度を超えちゃってたってか?

「(実は転生ならともかく、転移する時に人の姿っていうのは結構容量を食うんすよね。逆に言えば、人の姿でさえなければ容量は相当空くもんで……あと、手近にパンダの魂があったっすから、それをねじ込んで体を形成してみました)」

 おい、手近にパンダの魂ってまさか……

「(トラックに積まれてたあの子っすね)」

 結局あいつも死んだのか……国交的に大問題だな。もう知らんけど。

 というか、だったら力の方を削っとけよ。

「(転移者を止めることを考えると、力の方を削るのはちょっと不安だったんすよ! まぁでもいいじゃないっすか、その姿も可愛いっすよ?)」

 雑にやらかしてくれたお前が言うな。さっきから草に意識を奪われたりで大変だったんだぞ。

「(……体の方はまんざらでもなさそうっすけどね?)」

 ?

「お、おいおい……今は手続き中なんだ。ちょっと待っていてくれ」

 ……!?

 俺の意識とは関係なく。

 体が勝手に、エルフの剣士・ローニエスの足にじゃれついていた……どういうこった。

「(その体、随分本能が強いらしいっすね。気分はいかがっすか?)」

 ……無意識に異性にすり寄るってのは恐怖でしかないな。

 ――と、俺と女神・エメラルディ……もとい、占い師・エメリィは、関所で色々と掛け合っているエルフの剣士・ローニエスの隣で、無言でそんなやり取りを交わしていた。

 閑話休題。

 ――エルフの国。それは深く雄大な森の中にある。

 領土はおろか、居住区でさえ、一見すれば巨大な樹の乱立する森と大差ない。それも当然で、エルフたちの住居は、大樹をくり抜いて作られているからだ。

 居住区のあちこちから泉が湧いていて、そこから流れる川は居住区全体に広がり、住民たちの水源となっている。

 さらさらと流れる川の水面が木漏れ日を照り返すと、森全体が輝くよう――日本では見るべくもないこの光景は、幻想的の一言である。

 一方で、国は国である。これと言って垣根のようなものがあるわけではないが、勝手に国へ――領土はともかく、居住区へ入ることは当然許されないため、関所での手続きが必要となる。

 この場合、手続きが必要なのはエメリィだ。ローニエスはこの国の人間だし、ローニエスが拾った俺はパンダだ。手続きの必要がない。ちなみに、俺がローニエスに付いてきたのは、流れに身を任せただけではない。

 さっき彼女に助けてもらった恩をどこかで返したいと思っているからだ。

 その手続きが終わるのを待っていると、突然エメリィの声が頭に直接響いてきたのだ。はっきり言って不気味の一言である。

「(ま、仮にも神様なんで、念話じみた真似まねぐらいはお茶の子さいさいっす)」

 というのが本人の弁だ。この体で人語を話せることがばれたら魔獣扱いされるかもしれない、とも言われたので、俺は無言を貫いている。

 自分の姿についての疑問は解消したけど、気になることはもう一つ。あんた、なんでここにいるんだ? 神様ってのは世界に直接干渉できないんじゃなかったのか? よじよじ。

「(あー、それがっすね……『仕事が雑』と協定の上役に怒られちゃいまして、おにーさんのサポートをするよう命じられたんす。転移者を止めるために力だけ渡して放置するとは何事だ! ってな具合で)」

 自業自得もいいところだな。よじよじ。

「(ただし直接戦闘に関わったりの類はできないっすから、あくまで情報面のサポートになるっすけど)」

 まぁ、情報があるのとないのとじゃ大違いだから、助かるな。よっこらせー。

「ぶふっ……」

 ……? エメリィ、なんで今急に噴き出した?

「お待たせしました、ローニエス様。お連れさんの手続きが完了し……ろ、ローニエス様、その子は……?」

「……随分懐かれてしまったようだな」

 困惑した事務員と、どこかあきれたようなローニエスの会話が、下から聞こえた。……下から?

 気づけば俺は、ローニエスに肩車してもらっているような形になっていた。しかも上半身は完全にローニエスの頭に預けている。腕も尖った耳に引っかかる形で垂れ下がっており、だぱーん、という効果音がしっくりくるぐらい脱力した格好だった。

 いや、待て、違うんだ。これも体が勝手に……!

「(どうやら、意識を会話に持っていかれると体が本能に従って動くらしいっすね。これはなかなか興味深いっすよ)」

 言ってる場合か元凶が……!

「やれやれ、待てと言っているのに」

 ローニエスは苦笑しながらひょい、と俺を抱え上げて、そのまま体の前でホールドする。腕から伝わる温度に、不思議と心が落ち着く。

「これでいいだろう。さ、エメリィ。入国手続きは完了だ。国へ案内しよう」

 ローニエスの案内と共に、俺たちはエルフの国の居住区へと足を踏み入れた。


 ◆◆◆


 ――一言で言って、ローニエスは人気者だった。

「お帰りなさい!」「お疲れ様です、ローニエス様!」「お姉さま、抱いてーっ!」

 彼女が帰ってきたと知ると、住民たちは次から次へと家から出てきて、大歓声と共にローニエスを迎えたのだ。

「(『霊剣』ローニエスと言えば、この世界全体で見ても五本の指に入る大戦士っすからね。この国では英雄そのものなんすよ。種族性として力は弱いものの、技と速さを突き詰めた剣技に、エルフ特有の魔力をかした強力な魔法を併用する戦闘技法は、剣一本で全てをねじ伏せる『剣聖』にも引けを取らないと評判なんす)」

 エメリィからの説明に、なるほどなぁ、と納得する。

 とはいえ、この人望は実力由来のものだけではないのだろう。凛とした表情に受け答え、子供たちには笑顔も見せる。その上でとんでもない美人なのだから、英雄扱いされない方が不自然だ。

 一方で、その場においてある意味彼女以上の人気を誇ったのが俺だった。

 白黒のもこもこした丸っこい見た目は、どの世界でも女子供の目を引くらしい。ローニエスが子供たちのために地面へ俺を降ろすと、エルフたちが殺到した。もはやちょっとした恐慌状態である。

 ついでに困ったことも一つ。俺が動物だからと油断しているのだろう、特にローニエスと同じぐらいの年頃の少女たちが、とにかく肌を密着させて来る。しかもエルフの種族性なのか知らないが、大多数が薄着だ。色々柔らかいものがダイレクトに来る。

 これはいかんと思った俺は、自意識を別の方向へ向けることにした。

 エメリィ、聞こえるな? この状況、しばらく抜けられなさそうだから、『大地喰らいアースイーター』について教えてくれ。

「(女の子にもみくちゃにされて恥ずかしいから、意識をこっちに飛ばしつつ体には勝手に遊んでてもらおうって寸法っすね。欠点を逆手に取るとはおにーさん、主人公の資質アリアリっすねぇ!)」

 見透かしてんじゃねぇよ。隠し事ができないと開き直るしかないな……。

「(まぁさておき。『大地喰らいアースイーター』っていうのは、まあ異名っすね。次から次へと鉱山を襲って、鉱石を根こそぎにしていく所業からその異名がついたっす)」

 なんで鉱山なんだ?

「(彼の能力に必要だからっす。ウチがあげた特典は、『獣化金ストーンコール』。一定量の鉱石を使ってランダムに魔物を召喚、使役する能力っす。いわばガチャっすね)」

 でもその能力、この世界の生態系を破壊するほどの力があるのか?

「(能力そのものっていうか、使い方が最悪なんす。執念とでも言うべきっすかね)」

 執念?

「(どうやら彼、『獣化金ストーンコール』から美少女キャラも出るって思ってるらしいんすよねぇ)」

 ……一応訊くけど、出るのか? 美少女。

「(出るわけないじゃないっすか。あくまで魔物を呼ぶ能力なんで)」

 特典を与えておいて結構な言い草だな……。

「(そもそも彼、とあるソシャゲのガチャのために闇金で借金して、欲しい美少女キャラが出なかった上に借金も返せずじまいで海に沈められたってのが死因っすからね)」

 救いようがねぇ。そんなんでも転移とかさせてもらえるのな……。

「(でもでも、一万連以上回してお目当てのキャラが出ないとか、流石にちょっと同情しないっすか?)」

 しねぇよ。

「(ま、まぁともかく、そういう理由でこの世界の鉱山を片っ端から襲ってるんすよ、彼。既に計四つの鉱山が食い潰されたっす。次の狙いは、この国のミスリル鉱山っすね)」

 なんてはた迷惑な……それが資金源だって国もあったろうに。

「(問題なのは、呼び出された魔物の数っす。一つの鉱山につき、大体五百体ぐらい呼び出されてるんすけど、多くのゲームにキャラの所持上限があるように、この能力で使役できる魔物の数にも限度があるんす。等級レアリティや能力を厳選して、余った魔物はどうするっすか?)」

 ……売却……捨てる? 生態系がヤバいってことは、野放しにしてんのか!?

 やりたい放題もいいところじゃねえか……この世界の奴らは、誰もそいつを止められなかったのか?

「(止められていたら、おにーさんがパンダになることも、ウチが出張ることもなかったっす。『大地喰らいアースイーター』の尖兵であるドラゴンと、ローニエスさんの戦いは見てましたよね?)」

 強烈な風の魔法でドラゴンをぶった斬ったあの光景は、今でもよく覚えているが。

「(ローニエスさんが風の魔法の最上位を放ってどうにか倒したそのドラゴンっすけど)」

 エメリィのトーンが、少々落ちた。

「(ゲームになぞらえた等級で言えば、☆4――最高を☆5として、っす)」

 ……わーお。

 その戦力差は、この世界の人間にとっては、あまりに絶望的と言ってもいいだろう。

 尖兵がそのレベルであるということは、『大地喰らいアースイーター』の率いる本隊には、そのさらに上――いわば☆5の怪物どもが、ゴロゴロしているということに違いないのだから。

 ちなみに、☆4と☆5、等級レアリティによる力の差はどの程度なんだ?

「(ざっくり言って五倍は下らないっすね)」

 マジか。それが複数いるとなると……。この世界、終わるんじゃないか?

「(それをさせないために、おにーさんを送り込んだんすよ。大丈夫っす、おにーさんのちんまい体に秘められた力は、☆5を通り越して☆7ぐらいっすから。チートもチートっすよ。多分楽勝っす)」

 ……今、何か聞き捨てならないことを言わなかったか?

「(ところで、そろそろローニエスさんが爆発しそうなんで戻った方がよさげっすよ)」

 爆発?

「――さて、みんな。すまないが、そろそろ行かせてもらうよ。わざわざ出迎えてくれてありがとう」

 俺が自分で戻ろうとする前に、パン、と一つ手を叩き、感謝の意を示すローニエス。

 国の英雄の意を汲んだエルフの子供が、抱えた俺をローニエスの元へと運んでくれた。

「ありがとぉございましたー」

「ああ、どういたしまして。さて、エメリィ。行こうか」

 その子の頭を軽く撫で、エメリィに付いてくるよう促す。

 多くの観衆に見送られながら俺を抱え上げる腕の力は、少しばかり強いように思えた。


 ◆◆◆


 少し揺られて、ローニエスの家の前。

「――ま、基本的には雑食なんで食べ物もそこまで気を遣わなくても大丈夫だと思うっすよ」

「そうか。助かるよ――何分、初めて見る生き物だからな」

 彼女の家だという樹は、決して大きくはなかった。英雄と言われるぐらいだから、もっと巨大な樹を占有しているかと思ったが……。

 そんな俺の感想を代弁するように、エメリィが訊ねる。

「ローニエスさんの家、思ったよりは控えめっすね?」

「ああ――住むのは私一人だからな。あまり広くても手入れが行き届かないから。だが、裏手には小さいが泉もあるんだ。体を清める泉を一人占めできるのは、ちょっとした贅沢ぜいたくだと思っているよ」

 それは、俺の感覚で言うところの、家の裏手に露天風呂があるとか、そんな感じなのかもしれない。

「では、ウチはあっちの宿屋にしばらく泊まってるので。何かあったらいつでも呼んでくださいっす」

「そう言えば、エメリィ。君はなぜこの国に?」

「占い師として、困ってる人を助けるためっすね」

 いけしゃあしゃあとよくも言う。俺のそんな内心も知らずに、ローニエスは微笑ほほえんだ。

「素晴らしい心がけだ」

「そうでもないっすよ。半分ぐらい自業自得なんで……あぁそうだ、折角ですから一つ、ローニエスさんのことも占ってみるっす」

「いいのか? しかし君のそれは生業だろう。いくらだい?」

「関所で掛け合ってくれたっすから、今回はタダでいいっすよ」

 取り出したカードの束をパラパラと手の中で躍らせ、やがて一枚のカードを抜き取る。その絵柄を見たあと、少々わざとらしいぐらい顔を顰めて、エメリィは言う。

「ローニエスさん、なんでも自分で背負いすぎなんじゃないっすか? ちょっとぐらい周りに頼ってもバチ当たらないと思うっすよ」

 それを聞いたローニエスは、分かりやすく動揺した。

「……思ったより、君の占いは怖いのだな」

「いやいや、ウチは結果を読み上げただけっす――でも、思い当たる節があるのならお気をつけてっす」

 ではでは、とエメリィは去って行った。最後に俺に放ったウィンクにどんな意味があるのかは分からない。

 彼女を見送って、ローニエスは家へ入る。

 扉が閉まる。

「……さて」

 レイピアを鞘ごと壁に立てかけ、防具を外していく。胸部を覆っていたそれが外れた時の衝撃と言ったらなかった。

 思っていたよりも随分と……その、大きい。着やせするタイプだったのか……?

 そんな風に思っていたのもつかの間、彼女は両手を広げて俺を抱きしめてきた。抱きしめてきた! 自然、彼女の腕と乳に挟まれる! 沈む! 体が柔肉に沈む!? あとなんだこれすっごい柔らかい花の香りが――


「――――っ、ほんっとに、可愛いにゃぁもう!」


 ……なんて?

「なんでお前はそんなに可愛いんだ! しかももふもふ! あったかい! あ~可愛いにゃ~♡」

 にゃあって言った。間違いなく言った。どっちかって言うと聞き違いであってほしかった。

 さっきまでの凛とした表情は、声音はどこ行った。とろけた顔して、声帯だけ幼児退行したのかと訊ねたくなるほどの猫なで声で、ローニエスの独白は続く。

「みんなひどいよにゃー。お前を見つけたのは私なのに、私よりも先にあんなに可愛がって……いやまぁ、私はこうして一人占めできるんだからいいんだけどにゃ?」

 どこか拗ねたような表情で俺の顔をつんつんとつっついてくる。

 挙句に、俺を抱きしめたままごろんごろんと床を転がり始める始末。

 ……まさか、エメリィが言ってた「爆発しそう」ってこれのことか!

 察するに、元々ローニエスは可愛い生き物が死ぬほど好きなんだろう。しかし彼女の強さを察して動物の類は基本的に近寄らず、おまけに人目のある場所では立場などがあるから、無暗むやみに可愛がることもできない、とそんなところか。

 その反動が今、全力で俺の身に降りかかっている。

 人目を気にしない自分の家で動物と二人っきりとなれば、そりゃぁ容赦なく可愛がるだろう。

「ああそうだ、お前を全力で可愛がりたいところだが……ドラゴンとの戦いで少し汚れてしまったんだった。まずは体を清めないとな――ついでに、お前も水浴びしよう」

 ……な、に……?

 ぎゅっと抱きしめられている俺に抗う術などあるはずもなく。

 じたばたすることもできないまま、家の裏手にある泉のほとりへ連れられて――


 ◆◆◆


 ――はっきり言って、彼女の裸体は目の毒だったと言ってもいい。

 そりゃあエロ本ぐらいは読んだことがあるものの、向こうで肉親以外の裸なんてじかに見たことないし……しかもそれがとんでもない美女の、芸術的とまで言えるものだったのだからな……。乳もすごいがくびれもすごかった……。

 眼福がんぷくではあったが。発散する方法もない。まさか襲うわけにもいかんし。

 なので一連の記憶は頭の奥に封じ込めておくことにした。

 その後も散々遊び倒され、彼女手ずからパンを食べさせられ、就寝。

 しかし眠ったところで彼女が俺を手放すはずもなく――ベッドの中で、俺は寝息を立てるローニエスの、抱き枕にされていた。

 ……寝られねえ……っ!

 薄っぺらい寝間着越しに、押し付けられてる胸がふにふにと形を変えているのが分かる。すげえ、なんだこれ。人をダメにするクッションなんて目じゃない。人っていうか、俺の思考がダメになる。考えるな、意識を別の方向へ向けるんだ……っ!

 真っ先に思い浮かんだのは、エメリィの占いのことだった。

 何でも自分で背負い込む、だったか。確かにローニエスは真面目そうだから、人に頼ることは難しそうだと思う。あるいは『霊剣』の異名が、そうさせるのかもしれない。

 ……そういえば。

 ドラゴンのことを、住人の誰にも話していなかったな。『大地喰らいアースイーター』が近づいている可能性に関しても、全く。

 その理由は――住人を、不安にさせないため、か?

「(えー、もしもし?)」

 突然、頭の中に声。この場にはいないエメリィの念話だった。どうした?

「(や、お楽しみのとこ申し訳ないんすけど、緊急事態っす)」

 何がお楽しみだ、と思った瞬間、地響き。ガサガサッ、と木の葉がざわめく。当然、ローニエスも跳び起きた。

「なんだ、この地響き……!? まさか!」


「(『大地喰らいアースイーター』、急接近してるっすよ)」


 ローニエスは即座に着替え、レイピアと防具を装着。そして俺を抱え上げ、家を飛び出た。向かった先は、エメリィのいる宿だ。突然の英雄の来訪に驚く宿の店主に、エメリィの泊まっている部屋を尋ね、階段を上って扉を叩く。

「こんばんはっす、ローニエスさん。占いのご入り用っすか?」

「夜分遅くに済まないが、この子を預かってくれないか」

「ふむ、そりゃ構わないっすけど」

「ついでにもう一つ済まないが――もしも私が帰らなかったら、この子の面倒を頼む」

「あら、嫌な想定っすね。『大地喰らいアースイーター』でも来たんすか?」

 見透かしたような言葉に一瞬面食らったローニエスだが、すぐにうなずき返す。

「恐らく。だが、うわさ通りなら奴は鉱山以外には興味を持たないはず。焦ってここから逃げる必要はないだろう」

「鉱山以外に興味を持たないなら、ローニエスさんが動く必要もないんじゃないっすか?」

 どこか試すようなエメリィの言葉を、『霊剣』は鼻で笑う。

「馬鹿を言え。鉱山のミスリルの採掘や、加工で生計を立てている者もいるのだぞ」

 それより何より、と彼女は笑う。

「国が荒らされているというのに、英雄とまで呼ばれている私が初めから逃げを打ったんじゃ、国のみんなが絶望するしかないじゃないか。私は自分のことを英雄だとは思っていないが、みんなの期待には応えなければならないだろうよ」

「死ぬことになってもっすか?」

「私は死ぬつもりはないよ――ただ、戦場に出る時は、常に死を覚悟しているだけだ」

 彼女は再度、その子を頼むと言い残し、俺たちの前から去って行った。

 少しして窓の外から、ざわめく民たちの不安を吹き飛ばすような凛とした声が届いた。

「――安心しろ! 『大地喰らいアースイーター』は私が止める!」

 とどろく歓声の中、エメリィは言う。

「――いやーっ、かっこいいっすね。流石は英雄っす。しかも彼女、一人で行くつもりっすよ」

『……ああいうのを、愚の骨頂っていうのかな』

 二人きりになったので、俺は遠慮なく口に出す。

 ローニエス自身も分かり切っているはずだ。尖兵のドラゴンに苦戦した彼女が、たった一人で『大地喰らいアースイーター』の本隊に勝てるはずがないと。

 なのに彼女は、この国の住人を安心させるためだけに戦場へ向かうと言ったのだ。

 あるいは、『大地喰らいアースイーター』の魔物がこっちを襲う可能性を考慮して、国の兵を残す形で本隊に向かったのか。いずれにせよ……

『人のために自分を犠牲にしようってか。あんたに周りを頼れって助言されたばっかなのにな――でも』

 人のための愚かさは、同時に愛しくも感じる。

 徹底的に自分を犠牲に、誰かを助けようとするその姿勢は、地球にいた頃の上司とは――自分のせいで問題が発生したにもかかわらず、俺を矢面に立たせたあのクソ上司とは、大違いだ。

 見捨てようって気には、なれないな。

「えぇ、神様的視点でも同感っす。てなわけで、出番っすよ、おにーさん。その身に秘めた力を解放する時がやってきたっす!」

『了解――パンダの恩返しといこうじゃないか』

 一足早く敵の元へ向かったローニエスを追うように、俺も宿屋の窓から飛び出した。


 ◆◆◆


 樹の上から眺めるそれは、まさしく百鬼夜行。

 一際巨大な、それこそ山のような泥人形を殿しんがりに、数多くの異形が列を成して進む様を、他になんと例えればいいのだろう。

 ――逆に、それらの異形の中にある人間の姿は、この上なく浮いていた。

「石……石……」

 ローブを纏い、ふらふらと歩く頬のこけた男は、ぶつぶつと呟きながら、胡乱うろんな目で鉱山へと進む。途中、道端に転がっていた鉱石を見つけ、その手に取り、やや緊張した面持ちで能力名を呟いた。

「――『獣化金ストーンコール』」

 鉱石が光を放って、砕ける。

 砕けた鉱石が青い光と共に形を成し、一体のドラゴンを生み出した。

「――あぁぁぁぁぁぁああっ!!」

 それを見た男は、絶叫した。

「なんでだっ! なんで僕のガチャからは怪物しか出てこないんだ! 僕は! 美少女キャラが欲しいってのに! 美少女キャラは! いつになったら出てくるんだ! 僕をご主人様? と慕ってくれる可愛いキャラは! いないのか!? いやそんなはずはない! 確率が低いだけで、出るはずなんだ! なぜならガチャとはそういうモノだろう!? だったら出るまで、回すしかない! ないんだ! あああぁぁぁあ!」

 慟哭するように叫ぶその男の姿は、まさに狂気としか言いようがない。

 ……しかし、想像以上に終わってんな。美少女が出ないって教えてやったら止まらないかな?

「(多分、流石に気づいてるとは思うっすよ。いわば現実逃避っすね)」

 なかなか辛辣しんらつなコメントだった。

大地喰らいアースイーター』は視界に収めた。とっとと始末をつけたいのはやまやまだが、一つ問題があった。

「――くっ、いい加減にしろ! 貴様、これだけの軍勢を従えて、まだ何を求める!」

 リザードマンとでも称すべき、武装した蜥蜴頭の亜人。その手に捕えられてなおえるのは、我らが『霊剣』ローニエス。

 彼女は既に、敗北していた。彼女の前ではあまり戦いたくはないため、俺は突っ込むことを躊躇しているのだ。

 フォローするわけではないが、彼女の戦いぶりは堂々たるものだった。だが、戦力の差は覆せるものではなかった。数もそうだが、質もそう。☆4のドラゴンを討ち取った風の極大魔法 《剣嵐豪渦ストームブリンガー》も、今彼女を捕えている☆5のリザードマン、その鱗を裂くことはかなわなかった。あんなナリをしているが、ドラゴンよりよほど高い防御力を備えているらしい。

 彼女のレイピアは無残に折られ、生殺与奪は『大地喰らいアースイーター』に握られている中で、なお噛みつきに行くあの精神力はすさまじいの一言だ。

「女が欲しいというなら、私を好きにすればいいだろう!」

「分かってねーなぁ……俺はガチャから手に入る美少女が欲しいんだよ。まさかお前、自分がガチャ産の美少女と同等だとでも思ってんの? 野良のくせして態度デカいぞ」

「侮辱されているのは分かったが意味が分からんとさっきから……!」

「ぎゃーぎゃーうるっさいなぁ……食っていいぞ」

大地喰らいアースイーター』の意思を受け、リザードマンがぐぱっとその口を大きく開いた。

 流石に。

 後先考えてる場合じゃ、ない!

 ――正直なところ、俺は少しビビってもいた。こんな軍勢にたった一人で挑まなきゃならないのかと。そもそもロクに喧嘩けんかだってしたことないのに。

 しかしそんな弱気とは裏腹に、体中には力がみなぎるよう。

 酩酊めいてい感にも似た何かが、俺の弱気な思考を鈍らせていく。

 俺ならできると、体が叫んでいるようだった。

 樹の頂点を蹴ると、隕石いんせきのごとく体がすっ飛んで行く。

 すぐにリザードマンの横っ面が目の前に迫り――勢いの全てを短い脚に乗せて、体をひねり、上から下へ蹴り下ろす。

 ガラスを踏み抜いた感触。爆弾でもぶっぱなしたような轟音。そして爆風。わお。

 ローニエスの魔法にすら耐えたリザードマンの鱗をぶち抜き、俺の蹴りは、リザードマンの巨体を地面へ埋めていた。一撃で絶命していたらしく、光となってかえっていく。

 これが、俺の体に秘められた力とやらか……って、しまった! 蹴りの余波とはいえこんな爆風を目の前で喰らったローニエスは――

「きゅう……」

 案の定、ローニエスは吹っ飛ばされていた。加えて頭でも打ったのか、目を回して気絶している。戦うところは見られたくなかったから好都合と言えば好都合だけど……ちょっと申し訳ない。

「ぱ……パンダ? ……いや、それよりも☆5のリザードマンが一撃で……! なんだ、お前は!?」

『あんたのが過ぎるってんで、女神がわざわざ俺を派遣したんだよ』

 ローニエスは気絶してるし、こいつの前では喋っても構わないだろう。俺の言葉を聞いた途端、全てを理解したと言わんばかりに彼が顔をゆがめた。

「このクソみたいな排出率のガチャを寄越よこしたクソ女神、エメラルディの刺客か!」

 言われてるぞ、クソ女神。

「(条約がなければ雷の千や二千を落としてるところっすよ)」

 念話の向こうでエメリィが怒りに震えていた。一つや二つじゃないあたりが怖い。

「――だが、ははは! いかに女神の刺客と言えど、この数相手に勝てると思うか!? ☆5が四百体、☆4が六百体! 計千体の魔物たちに勝てるものなら勝ってみ」

 さっきは蹴りだったので、今度は腰だめに構えてからの正拳突きを魔物に叩き込んでみた。凶悪極まりない角だらけのおおかみが、地面に水平に吹き飛ぶ。

 いや、それだけにとどまらない。狼そのものが弾丸と化して、隊列の頭から尻まで貫き通す。隊列に引かれた光の線は、巻き込まれて消し飛んだ魔物たちの残滓ざんしだ。

『――勝てば官軍、負ければ賊軍とも言うしな』

 口を半開きにしたまま固まっている『大地喰らいアースイーター』へ、俺は言う。

『勝ったら好きにすればいい。ただし負けたらどうなるか……分かるよな?』

 俺は短い腕の指先をくいくい、と動かし挑発する。

『ローニエスのために戦う俺に、勝てるもんなら勝ってみな――白黒はっきりつけてやるよ』

 蒼ざめた『大地喰らいアースイーター』が喚いた。

「か、か……かかれ! 全員であのパンダを叩き潰せ!」

 動き出す魔物たち。この世界においては、敵う者などいない異形の軍勢だろう。

 しかし、申し訳ないが。

 ――そこからは、一方的な蹂躙じゅうりんになった。

 小さな体ながらにカンフーじみた動きと馬鹿力で、白黒の軌跡を描きつつ物理攻撃の通る相手を殴って蹴って叩き伏せた。残り……数えんのも面倒だ。約六割。

「れっ、霊体部隊! 実体のないお前らならいけるだろ! 呪い殺せ!」

「(あー、精霊とか幽霊の類っすね。物理的には触れられないっすけど魔法による干渉は可能っすよ)」

 なるほど、じゃあ話は簡単だ。エメリィのアドバイスに従い、魔法で吹っ飛ばす――それもただの魔法じゃない。右手に雷、左手に炎の極大魔法。宿した魔法の帯を合掌して絡み合わせることで実現した、触れれば爆ぜる閃光せんこうが肉球から放たれる。それはさながら、レーザーのように魔物の群れを薙ぎ払った。

「なっ、なっ……なんだその魔法!? そんなの見たことないぞ!」

「(極大魔法を無詠唱の上に、合成するとは魅せてくれるっすねぇ、おにーさん! 燃える!)」

 そりゃどうも。今のでほとんど吹っ飛んだな……残り、約一割。

「ま、まだまだ! 残ってるのは☆5の中でも特に強力な連中だ! こいつらをただの魔物と思ってもらっちゃ困る、こいつらは知性もあるし、武器の扱い方を知ってて――」

 ほう、武器か。俺も武器が欲しい――あ、ちょうどいい魔法があった。俺は地面に手を当てる。にょきにょきと、竹が生えてきた。それを引っこ抜いて振り回す。身の丈には合わない長さだが、ふむ、悪くない。

 迫るよろい型の魔物や、魔術師のなれの果てみたいな魔物(リッチとかそういう系?)たち自慢の剣やつえを、こんのように振るった竹で打ち砕く。竹で得物をへし折られて、魔物たちの戦意も砕けたようだ。そいつらの頭を順にシバいて光の粒に変える。残り、一体。

「な、な、舐めるなよ! ☆5の中でも土塊巨人タイターンは別格なんだ! こいつ一体いれば国は簡単に捻り潰せる! その体格差で、倒せるものなら倒して――」

 俺は即座に、泥人形と逆方向へ走る。

「は、ははっ! 流石に倒すことはできないと諦めたか! だがありが象から逃げられると思うなよ!? 踏み潰せ!」

 無視し、急停止。今度は怪物に向かって全力で走り――その怪物の手前で、手に構えた竹の先端を地面に突き刺す。竹が、ぐぐぐっとしなり――その反発力を利用した棒高跳びの要領で、俺は大跳躍を果たした。

「な、な、なにぃぃ!?」

大地喰らいアースイーター』の驚愕きょうがくを遥か下方に置き去りにして、俺は月をバックに、竹を大上段に振りかぶって、そのデカすぎる頭に全力で叩きつけた。

 巨人の頭がU字にひしゃげ――るだけじゃない。唐竹割とはよく言ったもので、そのまま上から下まで真っ二つに引き裂いた。このまま倒れられると色んな意味で大惨事だと思ったが、幸い、倒れながら巨人は光に還っていった。

 ……さて、これで残るは『大地喰らいアースイーター』だけだな。

「な、な、なんだよ……なんなんだよ、このふざけたパンダは! この『獣化金ストーンコール』は、女神が僕に与えた力だろう! 僕はそれを使っただけだ、何が悪い!」

「(いやいや――何寝ぼけたこと言ってんすか)」

 頭の中に、声。『大地喰らいアースイーター』が突然辺りを見回し始めたところを見るに、奴にもエメリィの声は聞こえているようだ。

「(この世界の鉱石の半分以上を独占した身分で、救いなんか求められてもぶっちゃけ困るんすけど。貴重な鉱石の取れる鉱山は、それだけで国一つが三百年以上は安泰に暮らせるだけの資金源だったんすよ? しかも資金源を奪うだけじゃ飽き足らず、契約しきれない魔物を放置してくれちゃって。この世界の生態系やら用心棒のいない村やらにどんだけ被害出たと思ってんすか)」

 おお、エメリィが冷たい。『大地喰らいアースイーター』も、その言葉を聞いて蒼ざめていた――自分が救われることはないと知り、ビビったのだろうか。

「(おかげでウチもめっちゃ怒られたんすから、反省してください)」

『エメリィ……その締めは色々と台無しだぞ』

「(あはは。ま、そういうわけっすから――慈悲はないっす。やっちゃってください)」

『了解。時間もないしな』

 竹を置き、地面を蹴る。

 往生際悪くも逃げようとした『大地喰らいアースイーター』に瞬時に迫った俺は、短い腕を振りかぶった。

 鉄拳制裁!


 ◆◆◆


『――ってことは、「大地喰らいアースイーター」の特典、奪い取ったりできないのか? ほい、二枚返して』

「そうなんすよ。条約に抵触するみたいっすから。ここに置けば……ふふっ、一気に六枚っす!」

 気絶した『大地喰らいアースイーター』をそこらへんの蔓で縛り上げて転がしたのち、俺は宿屋へ戻ってきた。奴は、目を覚ましたローニエスがしょっぴいてくれるだろう。

 そのローニエスが帰ってくるまで暇なので、俺たちはオセロ盤を挟んで、今回の顛末てんまつについて話をしていた――ちなみにこのオセロ盤はエメリィがこの世界へ持ち込んだものだ。彼女は地球のボードゲームの類が好きだそうだが、他の神はあまり付き合ってくれないとぼやいていた。

『ってことは、あいつはどうするべきなんだ?』

「どうもしなくていいんじゃないっすか? この先、よくて一生幽閉、悪ければ即死刑。鉱石がなければ特典も発動できない上に、契約した魔物は全滅。まぁ万が一に備えて監視ぐらいはしておかないとっすけど……ウチもしばらくここに滞在っす」

『懸念が一つだけあるんだけど……あいつ、俺のこと話したりしないかな?』

「パンダっていう可愛い動物に、国を滅ぼした軍勢が負けたって? 言っても誰も信じないっすよ~」

『ああ……それもそうか。じゃあとりあえずは、一件落着か?』

「そうっすね。時々、野放しにされた魔物は討伐に行かなきゃっすけど……って、あれ? い、いつの間にこんなに盤面が黒く……?」

『はい最後の石。数えるまでもなく俺の勝ちだな』

 八割が黒く染まった盤面を見て、エメリィが呆然と俺を見てくる。

「……おにーさん、強くないっすか?」

『オセロは割かし得意なんだよ』

「白黒はっきりしない生き物のくせに……」

『誰のせいでこうなったと思ってやがる』

「うぅー……そのうちリベンジするっす!」

『? 今からもう一戦ぐらいするのかと思ったけど』

「残念ながら時間切れっす」

 エメリィが一つ手を叩くと、オセロ盤が消えた。……神様ってのはやりたい放題だな……。

 同時に、扉をやや強く叩く音。ああ、ローニエスが帰ってきたから時間切れ、か。

 エメリィが開くと、そこには憮然ぶぜんとした表情のローニエスが立っていた。

「お疲れ様っす、ローニエスさん。『大地喰らいアースイーター』、倒せたみたいで何よりっす」

「私じゃない」

 間髪入れずに、否定した。

「私は少なくとも一度敗北したし、気も失っていた。しかし目を覚ました時には、既に『大地喰らいアースイーター』は縛り上げられていた」

「ほう。それは驚きっすね」

 本当に驚く気があるのか、と言いたくなるほど棒読みだったが、幸いローニエスはそこを突っ込むことなく、一つの依頼をした。

「そこでだが、あれをやったのが何者なのか、あるいはどこへ行ったのかを占ってくれないか? 奴が率いていたのは、紛れもなく国を潰せる軍勢だった。しかしそれすらも一体残らず消えていた。逃げ散ったにしては、周囲の破壊痕が凄まじかったし」

 つまり、自分が気絶している間に片付けた何者かがいるはずだ――とローニエスがエメリィに詰め寄るのを、俺は少々ひやりとしながら眺めていた。

「ふむ……占うのはいいんすけど、手を下した人を探してどうするんすか?」

「礼を言う。それから文句もだ」

 ……も、文句も言っちゃうの?

「国を守ってくれたのはありがたいが、礼も受けずに立ち去るとは何事だ、とな。恥ずかしがり屋なのか知らないが、謙虚が過ぎるだろう。こちらの気持ちも少しは考えてもらわねば」

 ……ん? 何だろう、この違和感……口では文句を言っているが、その表情はどこか緩んでいるような……?

「とはいえ、そこまで徹底的に見返りを求めない正義を貫くなんて奴、初めてだ。そして、私はその生き様は嫌いではない」

 …………んん?

「会ったこともない奴に、と思うかもしれないが言わせてもらおう。私はそいつの生き様にれた。見つけて捕えて婿にする。きっと、騎士のかがみのような者だろうからな」

 はぁあっ!?

 すごいキリッとした顔でちょっと頬染めて、この人何言っちゃってんの!?

「あ、あぁ?? ……そう来たっすかぁ……」

 パラパラとカードを手の中で躍らせながら、エメリィも笑顔を引きらせる。

「(な、なんて答えればいいんすかね)」

 困りに困ったのか、念話まで飛ばしてくる始末。どうにかボカしてくれとしか言いようがない――婿にしたい相手がパンダだなんて知ったら卒倒するぞ。

「え、えぇっとっすね……」

 困り果てたエメリィが出した答えは――


「――遠くにいるようで近くにいる、か。占い師らしい抽象的な言葉だな」

 宿屋から家へ帰る道中、俺を抱えながらローニエスは、夜空を見上げ独りちる。

「何のヒントにもなっていないが――なぜだろうな、不思議と、いつか会える気がするんだ」

 もう会ってます、とは口が裂けても言えない。

「願わくば、お前を一緒に可愛がってくれるような奴ならうれしいんだがにゃあ」

 俺の頭を撫でる飼い主は、この世界にいない空想の戦士に恋をしてしまった。その原因の一端である俺にも、それなりの責任はある。

 流石に結婚はしてあげられないが……ペットとして一生そばにいて、ローニエスの癒しになって、危険が迫った時は陰からこっそり助ける。

 せっかく拾った命だ、そういう使い方も悪くはないだろう。

「……あ、そういえば、名前を付けるのを忘れていたな」

 思い出したように、ローニエスは言う。

「パンダだからな……んー」

 少し悩んでから、彼女は頷く。

「焼きたてのパンのようにあったかいしふかふかだから、お前の名前はパンにしよう!」

 安直か、と危うくツッコミかけた。


 ◆◆◆


 俺はこうして、異世界でパンダとして生きていくこととなった。

 名前はパンだ。以後よろしく。


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異世界パンダ 日暮晶/ファンタジア文庫 @fantasia

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