第7話 恋と決断
「なんだ。その様子だと私の出番はなかったようだな」
広大と言って差し支えない庭を抜けた先、お城と見間違うかというほどの家の玄関で、私と陽奈先輩を迎え入れた水丘先輩が、泣き腫らした私の顔を見て開口一番そう口にした。
「も~!薫ったらイジワルな顔して!そこは何も言わずに迎えてあげるべきでしょ!」
陽奈先輩が水丘先輩から私を守るように抱きしめてくる。
「むぐっ」
陽奈先輩の胸の中は暖かく、もう大分収まったとはいえ傷心中の私の心にゆっくりと温もりを染み込ませてくれる。
けれど胸の圧で息が出来ないので首を少しだけ捻り、酸素を吸うためになんとか顔の半分だけ陽奈先輩の胸の間から逃れると、目線の先で水丘先輩がジーッと怪訝そうな顔でこちらを見つめていた。
「ほう……これが俗に言う嫉妬か……」
「?」
水丘先輩が何か呟いたが、陽奈先輩の胸でムギュムギュされているので途切れ途切れにしか聞き取ることができなかった。
「まぁいい。立ち話をしていても仕方あるまい。とりあえず中に入れ」
促されて、ようやく陽奈先輩の拘束から解き放たれた私は水丘先輩の家に足を踏み入れる。
「外から見て時から思ってはいましたけど、本当にお城みたいですね……」
水丘先輩の家はそれこそ私が小学生の頃から噂に聞こえてくるほど、近隣では有名なお家だった。
先輩方の後ろに続き、入ってすぐ目の前に現れた大階段を上りながら、高級感たっぷりの床や天井、絵画や花瓶、そしてその他の装飾たちに忙しなく目を奪われてしまう。
「薫の家はお金持ちの中のお金持ちなんだよ。
「陽奈……お前が横文字を喋ると見た目も相まって馬鹿にしか見えんぞ……」
「ひどーい!!そりゃあ私こんなだし賢くは見えないだろうけどさぁ……」
シクシクと落ち込む陽奈先輩の肩に水丘先輩が手を置く。
「白壁、聞いて驚くなよ?陽奈はこう見えて二年の期末考査、三百二十四人中二位だったんだぞ?」
「ええ!?」
そんなまさか……というのも失礼だけど、私以外の人が聞いても同じ反応をすると思う……
驚きに目を丸くしていると、それを見ていた陽奈先輩がぷくーっと頬を膨らました。
「椋ちゃんまで酷い」
「いや、いやいや!別に私はなんにも思ってないですよ!はい!」
「本当かな~?」
手をわきわきさせながら、陽奈先輩が上っていたはずの階段を一段、また一段と降りてくる。
嫌な予感しかいないので、私もにじり寄ってくる陽奈先輩に合わせて一段ずつ階段を降りていく。
「ほ、本当です!!本当ですから!!」
くすぐりだけは勘弁して欲しい!その一心で手を振るも、やがて階段を降りきってしまう。
それを待っていましたと言わんばかりに陽奈先輩の目が猫のように怪しく光り、そして次の瞬間……
「問答無よぅ゛え゛っ゛!」
華麗な四段ジャンプから私を捕らえようとした陽奈先輩は、水丘先輩に服を引っ張られて、結果変な声と一緒に前につんのめっただけだった。
「馬鹿なことしてないでいくぞ」
「分かった!分かったからゆっくり服離してよ!?落ちちゃう!落ちちゃうから!」
「はぁ……」と一つため息を吐いた水丘先輩は陽奈先輩の服をゆっくり自分側に引き寄せる。
「ふぅ……危なかった……」
「お前が余計なことするからだろう……全く……お前らいつの間にそんなに仲良くなったんだ」
「嫉妬?」
「ばか者」
水丘生徒会長の鋭いチョップが陽奈先輩のおでこに直撃する。
「あうっ!」
「ほら、さっさと行くぞ」
そう言って水丘先輩は先に階段を上っていく。
「はーい……ごめんね椋ちゃん……調子乗っちゃった」
「いえ、私は全然大丈夫です。でも水丘先輩があんな反応されるなんて、よっぽど陽奈先輩のことが大好きなんですね……羨ましいです」
素直な気持ちでそう言うと、陽奈先輩は赤くなったおでこをさすりながら、頬を淡い桃色に染めて照れくさそうに笑った。
「ふふっ……ありがとっ!」
……………………………………………………………
「ここが私の作業場だ!」
バンッと開け放たれた扉の向こうには、生徒会室と同じぐらいの空間が広がっていた。
見渡してみると、椅子に座って作業する背の高い一人用のデスクが1つ、床に座って作業する背の低い机が一つ。そして壁には所狭しと本が並んでいる。
机の上もよく見てみると、墨汁のようなものや定規に筆、そして斜めに置かれた板の上に、絵の描かれた紙が置いてあった。
この部屋……どこか既視感がある……どこで見たんだろうか……?
「どこでも好きなところに座ってくれ」
その言葉に促されて、水丘先輩は一人用の背の高いデスクに、私と陽奈先輩は背の低い机を挟むようにして座る。
「どうだ白壁。私の仕事が何か分かったか?」
私が既視感について考える間もなく、水丘先輩の横やりが入ってしまう。けれど水丘先輩の仕事については既に見当がついていた。
本棚と作業スペースを見るに答えは一つだろう。
「もしかして漫画家……ですか?」
「せいかーい!!」
水丘先輩と私の間に割り込むように入ってきた陽奈先輩が、私の回答に応えてくれる。
「そしてー!じゃーんっ!これが私の言ってた椋ちゃんが驚くことです!」
そう言って手を後ろに回していた陽奈先輩が私に何かを見せてくれる。
私はそれが何か認識した瞬間、思わず体が固まってしまった。
「禁断の……果実……?」
先日、私と先輩の間に起きた問題の発端となった本が、そこにはあった。
「そう!なんとこの『禁断の果実』作者『
「……………………」
…………え?
「なんだ白壁。反応が薄いじゃないか」
「椋ちゃーん?椋ちゃーん!おーい!……ダメだ。全然反応がない……」
何故だかこの瞬間、私の頭の中では普段、私の頭を整理してくれている小さな働き人たちが、情報の渦に呑み込まれて助けを求めている光景が思い浮かんでいた。
しかもよく見たらこの小さな働き人たち先輩に似てる……かわいい。
しかしこうして現実逃避していても仕方がないので、とりあえず渦の中から小さな先輩たちを助け出して、情報を整理していく。
まずは禁断の果実の作者さん
後はなんだっけ……そうそう。この部屋の既視感は……
あっ。分かった……禁断の果実の中にあった「漫画家とギャル」っていう短編で見たことあるんだ。ということは……ん?
「えぇ!?水丘生徒会長が禁断の果実の作者さんだったんですか!?」
「遅いよ!!」
気がつけば陽奈先輩が机に乗り出してまさに驚愕といった表情をしていた。
「椋ちゃん一分ぐらい抜け殻みたいになってたよ!?」
「すいません……頭の中で小さな先輩が溺れていて……」
「どんな状況!?」
なんだかまだ思考が追いついていなきのか、ぼーっとしてしまう。
目の前ではツッコミ疲れたのか陽奈先輩ら肩で息をしながら「椋ちゃん頭おかしくなっちゃったの……?」と呟いていた。
一方で作業用デスクに座っていた水丘先輩は何がツボだったのか、楽しそうに笑っている。
「くくっ……あの不良娘を好きになるだけあって、白壁も大概変わってるな」
別にそんなことはない……と思う。
頭の中全部好きな人に支配されてるぐらい普通だ……うん。普通。
「それでだ。今日白壁をここに呼んだのは他でもない。漫画作りに協力してもらいたくてな」
「協力……ですか?でも私絵なんて描けませんよ?」
「違う違う。絵は私が描く。白壁に頼みたいのはストーリーのほうだ」
「私が漫画のストーリーを?」
「ストップ!薫だとまたいらないことを言いそうだから、詳しくは私が説明するよ。とりあえず……はい。これ」
机の上に置かれた『禁断の果実』。そしてその横に『禁断の果実』の出版社であるリリィクイーンの公式サイトが表示されたスマホが置かれる。
リリィクイーン公式サイトにはデカデカと禁断の果実の画像とその下に十万部突破の文字、そして続編決定という文字が表示されていた。
「見ての通りなんだけど『禁断の果実』が大ヒットしちゃってね。いま薫はその続編を書かなきゃいけないの」
話を遮るわけにもいかないので、水丘先輩に目礼でおめでとうございますと伝えると、どうやら伝わったようで水丘先輩も少し短めの目礼で返してくれる。
「それで実は……この『禁断の果実』のお話って、私と薫が美月ちゃんから聞いた話を参考にしてるんだ……」
「先輩から聞いた話……?」
そういえば以前陽奈先輩から、先輩が生徒会室でお二人に私との話をしていると聞いたことを思い出す。
『禁断の果実』の表紙に描かれた私と先輩に似た二人の女の子、私達の通う学校に似た制服、そして今の話。
ここにきて初めて、自分の中で全てが繋がった。
「まさか……」
「うん。これ、美月ちゃんと椋ちゃんをモデルにしたお話なの……」
「……マジですか」
「マジなのです……」
あまりの衝撃に、驚きは口調が崩れるという形で表れてしまう。
しかし言われてみるとキャラクターもそうだけど、ストーリーでも多々共感できるエピソードがあった。
体育館で即興演劇をしている先輩に思わず見惚れてしまったり。
せっかく二人でサボっているのに、保健室で寝込む友達に会いに行く先輩を見て顔も知らない人に嫉妬したり。
そんなことが続いて友達としか思われてないんじゃないかって不安になったり。
今思えばそんな本に私がハマるのは当然じゃないか。だってモデルは私自身だったんだから。
「でも……先輩から聞いたお話なのに、どうして後輩の子の視点でお書きになったんですか?」
そう尋ねると水丘先輩が一瞬だけ、何かを躊躇うように固まった。
「不良娘の話を参考にしたのは、あくまで女子同士のエピソードだったからな……それに──」
「薫」
陽奈先輩が厳しい口調で水丘先輩の言葉を制止する。
けれど、水丘先輩がなんと言おうとしたのかはもう……分かっていた。
「ありがとうございます陽奈先輩。けど、大丈夫です。水丘先輩が言いたかったのは……先輩が私に恋愛感情を持っていなかったから……ですよね。だから先輩側の心情では書かなかった」
「……そうだ」
「ごめんね椋ちゃん……」
「謝らないで下さい。私は本当に大丈夫です……先輩が……私に向ける気持ちが友情だってことには……気がついていましたから」
自分で言っているのに、また涙が零れそうになる。
けれど泣いちゃダメだ。今度こそ私は向き合わなくちゃいけない。先輩に、私に、そして……
「今までのお話で用件は大体理解しました。続編を出すにあたって、禁断の果実の先輩と後輩。つまり先輩と私の関係について、更に踏み込んだ部分を話して欲しいということでよろしいでしょうか」
「ああ。だが無理強いするつもりは毛頭ない。話せるどころだけ話して欲しい」
「ほんっっっっとうに、無理しなくて大丈夫だからね?」
陽奈先輩が私の手を握って優しく、諭すようにそう言ってくれる。
「はい。でもやっぱり……いつまでも目を背けたままではいられませんから」
思い出すのは禁断の果実が先輩に見つかったあの日。
私と先輩の関係はもう……限界に近い。
だから本当の手遅れになる前に、私は向き合わなければならない。中学生時代の過去に。
「私が初めて先輩と出会ったのは──」
もうこれ以上、私と先輩の間に後悔を重ねたくはないから。
私と先輩。小さな世界。 ~少女二人の百合物語~ まるしかく @playplay
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