第6話 恋の欠片
先輩の訪問から4日が過ぎた土曜日。あれから先輩とは一度も顔を合わせていない。
それも当たり前のことで、私はいつも先輩に誘われればどこかに行くけれど、自分から先輩を誘うことは滅多にない。だから先輩から連絡が来なければ、それは会えないことと同義だった。
考えてみればなんとも希薄な関係だと思う。客観的に見て、私は先輩にとって呼ばれればいつでも飛んでいく都合の良い友達。という感じだ。勿論私にそんな意識はない。そして先輩にもそんな意識はおそらくないだろう。
だけどその関係の脆さは否定できなくて……まるで砂上の楼閣が崩れるのを、砂を足すこともなくただ眺めているだけ。そんな気分だった。
しかもその砂で作られた城は今回一冊の本という波に呑みこまれ、とうとうその原型を殆ど失ってしまった。
その原因である波……『禁断の果実』を手に取ってカーペットの上に仰向けに寝転びながらぼーっと見つめる。
もしかしたら私は心のどこかでこの本が見つかることを望んでいたのかもしれない。いくら急に先輩が来るから急いで片付けたとはいえ、あんなに物で溢れた不安定なクローゼットの中に隠すのではなく、机の裏でも他の部屋でもベットの下でももっと見つからない場所もあったのだ。
なのに私は期待してしまった。先輩がこの一冊を見つけることで、私の想いに気がついてくれることを。そしてあわよくばこの想いを受け入れてくれることを。
けれど結果は、私が無意識にしてしまっていた期待とは真逆だった。近付くどころか遠ざかってしまい、私達の間の溝は更に深まってしまった。
一つ息を吐く。
何か行動を起こさなきゃダメだ。
けれど何をすれば良いのか分からない。考えもなく下手に動けば関係は悪化していく一方に思える。
どうしたものかと考えていると、ヴーっとベッドの上に置いてあった携帯電話が震え出した。
先輩からだと思い、即座にカーペットから起き上がって携帯を取り画面を見てみると、そこには登録されていない知らない電話番号が表示されていた。
「……?」
私の電話番号を知っているのは先輩か、家族ぐらいだ。
なので間違い電話だと自分の中で結論づけ、震えたままの携帯電話をベットへ投げ捨てる。
しかし携帯電話は一度鳴り止んだかと思うと、再び鳴り始めた。引き続き無視しているとまた鳴り止み、そしてまた電話がかかってくる。
どうやら出るまで諦めないつもりのようだ。仕方が無いのでたとえ間違い電話だったとしても、一体どんな人がかけているのだろうと思い、着信画面に表示された緑の通話ボタンを押す。
「白壁!何故電話に出ない!」
あまりの声量に反射的に耳に当てていた電話を離してしまう。どうやら電話は生徒会長からだったようだ。
「水丘生徒会長……?どうして私の電話番号を……?」
色んな感情が心の中で右往左往していたが、一番最初に出てきたのはちょっとした恐怖のような感情から出てきた疑問だった。
「そりゃあ生徒会長だからに決まっているだろう?生徒全員の個人情報など閲覧し放題だ!」
「え、えぇ……」
それは……大丈夫なのでしょうか……?一介の生徒に他の生徒たちの個人情報がダダ漏れなんて、学校の信用に関わるでしょうに……
「信じるなよ……?勿論冗談だぞ」
「ですよねー」
ホッと胸をなで下ろす。如何せんこちらは生徒会長という存在の仕事も権限も知らないので、なんとも判別しがたい冗談……もっと言うならたちの悪い冗談だった。
「それで、実際は誰に聞いたんですか?」
大体予想はつくけれど……
「不破に決まっているだろう」
もう一度心の中で「ですよねー」と言っておく。私の連絡先を知っていて、かつ生徒会長と交流のある人間なんて先輩以外には存在しない。
「それでだ白壁。さっそく本題に入らせてもらうが、この前不破と生徒会室に来たときに、バイトの話をしただろう?」
「バイトの話……あぁ。生徒会長がご自身でお金を稼いでるって……」
「そうだ。それでなんだが、よかったら今日私の家に来てバイトしないか?陽奈も来てくれてるんだが人手が足りなくてな」
それはなんとも唐突なお誘いだった。生徒会長のことだからあの時の「行けたら行く(九割九分九厘行かない)」的な私の社交辞令をまともに受け取った訳じゃないだろう。
じゃあどうしてわざわざ私を誘うのか。心当たりは先輩のことしかなかった。
「どうだ?」
「分かりました。行きます」
もしかしたら私の予想は外れているかもしれない。けれど、陽奈先輩がいるということはおそらく私の予想は当たっていると思う。
こうして私の思い悩んで悶々としながら過ごしていただろう一日が、思いもよらない方向へと舵を切った。
生徒会長は果たして、どんな仕事をしているんだろうか。
─────────────────────────────────
電車に乗って二五分。学校の最寄り駅を七つほど通り過ぎ、名前は知っているが下りたことのない駅で下車する。
初めて来る駅では目的の場所に着くにも一苦労で、構内の地図を確認しながらあっちにこっちに迷いながら進んでいくと、ようやく指定された北口と書かれた場所に着く。
ここで陽奈先輩が待ってくれているはずなんだけど……
「むーくーちゃーん!」
辺りを見回していると、突然後ろから声と共に陽奈先輩に抱きしめられた。というか飛びかかられた。それと同時に香水の良い香りが私の一帯に漂う。私にはとても似合わなさそうな香りだ。
「ごめん待った?」
「いえ、私も今来たところです」
後ろから抱きしめられたまま、顔の横で陽奈先輩が喋ってくるおかげで耳の辺りをゾワゾワとした感覚に襲われる。
それにしても香水以外にもシャンプーの匂いやボディーソープの匂いがしてくるからなのか、もう陽奈先輩の全身から良い香りが溢れ出していた。
「あれ……陽奈先輩お風呂入ってました……?」
「あっ!やっぱり分かる?」
そう言って陽奈先輩は私の首に回していた手を引っ込めて、私から離れると一回転して唇の端に人さし指を当てながら「てへっ!」ッと舌を出した。
陽奈先輩がかわいすぎて最早眩しい……
それにくっつかれていた時は分からなかったが、陽奈先輩はジャージを着ていて、もう少しで下着が見えてしまうんじゃないかってぐらい胸元のファスナーを開けていた。よく見れば通行人の方々が匂いにつられてか、陽奈先輩の格好につられてかチラチラとこっちを見ている。
「陽奈先輩……もう少しファスナー上げた方がいいんじゃ……」
「……え?これぐらい普通じゃない?」
普通じゃないです。軽く痴女です。と言いたかったが、陽奈先輩がそれで問題ないならこちらとしてはもう何も言うまい……
「じゃ、そろそろ行こっか!椋ちゃんきっとビックリすると思うよ!」
「何がですか?」
「それは秘密」
人さし指を口元に当ててウインクしながらそう答える陽奈先輩。
ギャルなのにあざといかわいさも持ち合わせているなんて反則だ。
何か良いことでもあったのか、軽くスキップのような足取りで前をゆく陽奈先輩の後に着いていく。
私が思うに、陽奈先輩のかわいさ満天の笑顔や行動には恋の欠片が、水丘生徒会長存在が確かに垣間見える。陽奈先輩にとって水丘生徒会長の存在はきっと彼女の人生の端々に垣間見える程に大きいんだろう。そしてそれはきっと水丘生徒会長の方も同じで、水丘生徒会長の人生に陽奈先輩は影響を与えているに違いなくて……
────あぁ、またこの気持ちだ。
自分の理想を体現する目の前の女の子に、私はまた同じ感情を抱く。胸を締め付けられるような感覚と共に、醜い感情が私の心を蝕んでいく。
羨ましい。そして少し妬ましい。この感情は嫉妬と呼ぶに相応しい物だった。
けれどそれは口には出せない。顔にも出せない。一つ飲み込んで、自分の中でゆっくりと消化していくしかない。
濁りそうになる視界を必死に抑えながら、先を行く陽奈先輩の後に続く。でも、どうしてもいらないことを考えてしまう。
私の中にも先輩の存在は確かにあるけど、それは独りよがりなものに過ぎない。陽奈先輩と水丘生徒会長が二人の色んな好きで作った恋の結晶を分かち合っているのだとすれば、私のは先輩への恋心と、ある種の執着や妄信、そして淡い期待を一人で詰め込んだガラクタ箱のようなものでしかなかった……
考えれば考えるほど自分が嫌になる。恋をするってどうしてこんなに苦しいんだろう。
「椋ちゃん?大丈夫?」
私の様子がおかしいと思ったのか、俯いていた私の顔を陽奈先輩が覗き込んでくる。
「いえ……はい。大丈夫です」
陽奈先輩から見て、今の私はどう映っているんだろう。私は今上手く笑えているんだろうか。泣きそうな顔をしているんだろうか。どちらにせよ、情緒不安定な人間に見られているに違いなかった。
「椋ちゃん……」
いつの間にか陽奈先輩の方が何故か悲しそう顔になりながら、その言葉と共に私はそっと彼女に抱き寄せられた。
「大丈夫。大丈夫だよ」
抱きしめられたまま、優しく頭を撫でられる。その瞬間一筋の涙が私の頬を伝った。
それを皮切りに、抑えていた感情が一気に漏れ出してしまう。
「うっ……うぁぁっ……!」
どんなに頑張っても涙が流れてくるのを抑えることができない。無数の涙が私の瞳から滲み出て、頬を濡らしていく。
「椋ちゃん……」
「……っ……ごめん……なざい……ごめんなさい……こんな醜い感情をもってじ……しまって……色んな……人に、迷惑をかけて……」
苦しい。辛い。心が痛くてはち切れそうで。ひび割れた心の隙間からダラダラと血が溢れてくるように胸の奥が熱くて、ズキズキと痛む。
溢れ出てくる言葉は私の懺悔で、贖いを求める哀哭だった。
「女の子なのに……女の子を好き……になって……ごめ……ぅ……なさい……先輩を好きになって……ごめんなさい……ごめんなさい……」
陽奈先輩がより一層強く私を抱きしめて、優しく頭を撫でてくれる。
「うん。分かるよ。不安だったよね。女の子なのに女の子を好きになっちゃうなんて……こんな気持ち受け入れて貰えないって……思っちゃうよね……」
陽奈先輩も何か覚えがあるのか、独り言のように言葉を紡ぐ。
「だってこの世界は女の子は男の子と恋愛するものだから。もしかして自分はおかしいんじゃないかって……好きな人のことを考えると、申し訳ない気持ちとか不安とかそんなのがもうどうしようもなくなっちゃっていっぱいいっぱいになって、まるで何か自分が罪を犯したみたいな気持ちになっちゃうんだよね……」
分かるよ。大丈夫だよ。
陽奈先輩は言葉を紡ぎながら、ひたすらそう言ってくれているように思えた。
「あのね……私には椋ちゃんの恋が絶対に成功するなんて……無責任なことは言えないけど、それでも……それでもこれだけは言えるよ」
陽奈先輩が頭を撫でていた手をゆっくり私の背中に廻すと、今度は優しく抱きしめてくれる。
「椋ちゃんは、一人じゃないよ」
その言葉に私は声にならない声を上げ、頬からは何かが決壊したかのように涙が溢れ出した。
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