『11/再会』

 翌日、先生がやってきた。ちょうど前回から三日経ったのだ。


「先生」

「おはよう、エデ。調子はどうだい?」


 先生の質問を無視して、私は先生、と呼びかけた。


「何だい?」

「先生。私、全部思い出したんだよ」

「思い出した?」


 先生は、何を? と目で問いかけた。私は口を開く。


「ベルが四年前に死んだこと。私たちが、結合双生児だったこと」


 先生は息を飲んだ。それから目を伏せてすまないと辛そうに謝った。

 私は、先生も辛い思いをしてきたんだな、と少し申し訳ない気持ちになる。


「先生が謝ることはないよ」

「けど、私は君に本当のことを言わなかった」

「先生は、もし本当のこと……ベルが死んで、私が見ているのは幻だってことを伝えたら、ショックを受けちゃうって思ってのことなんでしょ。先生の優しさなんだから、謝る必要なんてない。仕方のないことだったんだよ」

「違うんだエデ……。それだけじゃないんだ」


 先生は呟いた。違う? 一体、何が……。


「身体が弱くて外に出たら死んでしまう……あれは嘘なんだ」

「嘘……?」

「ああ。実はもう覚えていないかもしれないが、君たちは物心つく前は、外に出て遊ばせていた。さすがに見た目のせいで、村の方に連れて行くことはできなかったけれど、君たちのお母さんの見ている前では遊んでいたんだよ」


 小さい頃は私たちはお外で遊んでいた。それはなんて素晴らしいことなのだろう。手を伸ばしても届かないと思っていた。

 けれど、私たちは昔はそれを手にしていたと言うのだ。ただ、それを忘れてしまっていた。


「じゃあ、今はどうして……」

「ある日のことだ。君たちはいつものように家の周りで遊んでいた。ここら辺は滅多に人が来ないから、お母さんも安心だと思っていたんだよ」


 先生は懐かしむように遠くの方を見た。

 そして、先生はいつもとは違う、低い声で続ける。今まで聞いたこともない声のトーンに、私はどきりとした。


「……けれど、その日は違った。村の男の子たちが探検と称して、遊びに来ていたんだ。男の子たちは君たちの姿を見つけると、悲鳴をあげ、『バケモノ』と罵り、身を守るためにと石を投げた……。君たちは無害な女の子で、彼らに危害なんて加えないと言うのにね。幸い、石は当たらなかったから大丈夫だったが、この家はバケモノ住む家だと村中に知れ渡ってしまうこととなった。お母さんはそれに危機をかんじ、君たちは身体が弱くて外に出たら死んでしまう。そう信じ込ませることにして、地下のこの部屋に閉じ込めた……」


 先生の声は苦しそうだった。先生は苦しんできたのだろうか。そんな先生の苦しみも知らず、私は呑気にお外に出たいだなんて言ってしまった。

 ごめんなさい、先生。私は悪い子だ。


「先生……」

「エデは手術を受けた後は、見た目は普通の女の子となんら変わらなくなった。けれど、お母さんは怖かったんだろうね。君を外に出すことが。トラウマになってしまったんだろう。それに嘘をつき続けて、収拾がつかなくなってしまったんだと思う。だから、嘘をつき続け、君を地下に閉じ込め続けた」


 私はこの時ようやく合点した。ママが私と接している時、辛そうな表情をしていたのは、本来閉じ込めるべきはずではない私を閉じ込めていたことによる、罪悪感からくるものだったのだ。


「でも先生、それを私に言わないほうがよかったんじゃないの? ママはきっと先生のこと怒るよ」

「ああ、きっとそうだろうね。けれど私はもう耐えられないんだ。それに君がこのまま外を知らずに生きて行くだなんて、そんなのあんまりだと思うんだよ。エデ、ついてきて」


 先生は立ち上がると扉に手をかけた。私は驚いて先生に聞く。


「もしかして……、お外に出してくれるの?」

「ああ」

「でも、ママは許してくれるかな」

「大丈夫、私が説得するよ」


 私は先生の後に続いた。扉を開けると、そこには階段があった。私と先生は階段を登る。

 十数段分階段を登ると、そこは広い部屋だった。木の床と壁に、テーブルと机。ソファ。これらの調度品は、本で読んで特徴を知っているだけなので、もしかしたら間違っているかもしれない。

 ソファには、ママが腰掛けていた。

 ママは私がこの場にいるのを見ると、驚愕に目を見開き、勢いよく立ち上がると先生に詰め寄った。


「一体全体なんのつもりだと言うのですか?」


 ママは今まで見たことない、怖い表情をしていた。私は反射的に先生の後ろに隠れた。


「エデを外に連れていきます」


 先生は冷静に答える。


「そんなことをしたらエデは死にます!」

「死にません」

「何を――」

「エデは、全てを思い出したのです。だから私は、エデに全てを話しました。エデは本当は外に出たら死んだりしないってことを」


 ママは鋭く息を飲んだ。私は先生の体の横から顔を出すと聞いた。ママの目をしっかり見ながら。


「ママ、本当なの?」

「……」


 ママは答えない。私は、私の意思を端的に伝えた。


「私、お外に出たい」

「……でも」


 ママは迷っているみたいだった。また私が、以前のようにバケモノ扱いされるかもしれないと、そう恐れているのかもしれない。


「どうしてもお外に出たいの。お外の世界は素晴らしいところなんでしょう?」


 ママは小さく首を振って言った。その声は微かに震えているように聞こえる。


「エデ……、あなたが思っているほど外は素晴らしいところなんかじゃないわ。人々は普通と違うと言うだけで排除しようとするし、石を投げてくる。平気で騙し合うし奪い合うし、殺したってするのよ。何も知らないほうがきっと幸せだわ」


 ママの言うことももっともなのかもしれない。知らないほうが良いこともある。たまに本の登場人物もそんなことを言う。でも――。


「でも、それ以上に素敵なところだってあるんでしょ? 本で読んだもん。人々は愛し合って、助け合って、時に泣いたり笑ったりして、辛いこともあるけれど、でもそれでも立ち上がって生きているの。違う?」

「……違わない」


 ママは絞り出すように言う。ママの頰を一筋の涙が、静かに流れ落ちた。とても綺麗な涙だった。


「じゃあ私はお外を知りたい。本の中でしかありえなかった世界を、この目でみて見たい」

「……」


 ママはもう何も言わなかった。その代わり、一つのドアを開けた。

 その向こうに広がる光景を、心の内側から湧き出る感情を、うまく言葉にできない。

 真っ先に私の目に飛び込んで来たのは、鮮やかな色彩達。

 一面に広がる緑。上の方には際限のない青。そこに浮かぶ白。


「……ああ」


 私の頰が静かに涙で濡れた。

 なんだろう、この胸の高鳴りは。

 私が今まで知っていた世界はなんと狭かったのだろう。

 私は、あんなに『青』や『緑』、『白』という色が鮮やかで美しいだなんて知らなかった。私が知っているそれらの色たちは、もっと単調で、つまらないものだったのだと知った。

 それに、穏やかに吹いてくる『風』がこんなに心地よいものだったなんて、思いもしなかった。

 世界はこんなにも広い。こんなにも……。

 私は、足を踏み出した。お外へと。

 私の足が地面を踏みしめる。風で揺れる草が素足に当たってくすぐったい。

 足の裏の感覚。これが、土……。私が今までいた部屋の床とは違う。柔らかくて、でこぼこしていて不思議。

 私は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。部屋の中の空気とは違う。なんだか、不思議な匂いがする。これが外の世界の匂いなのだろうか。


「エデ、連れていきたいところがあるんだ」


 私の後ろについて来た先生が言った。


「連れていきたいところ?」

「ああ。ついておいで」


 私は先生の後に続いた。

 一歩踏み出すごとに、景色は変わっていく。一つとして同じ景色はなかった。雲の形も、空の色合いも、地面に生えている植物も。全てが違っていた。私は夢中で歩いた。こんなにも夢中になったのは初めてのような気がする。


「ここだ」


 先生は家を半周すると足を止めた。地面から平たい灰色の石が生えている。そしてその石の前には、花束があった。

 その石の横に、ロスがいた。


「ロス!」

「あ、エデ……」


 ロスは複雑な笑みを浮かべた。

 昨日、ベルが消えた後ロスには全てを話した。

 ロスは全てを知り、まるで自分のことのように悲しんでくれた。そして、その日は一旦お別れをし、また会うことを約束したのだ。

 まさかこんなに早くまた会うことができるとは、思いもしなかったけれど……。ベルのよく言っていたことは本当だ。


 『離れ離れになってもまた会える』。


「どうしてここに?」

「また君に会おうと思って朝早くに来たんだ。それで、どうしてだかわからないんだけど、この家の裏の方に行かなきゃいけない気がして……。来てみたんだ。来て正解だったよ。……これはベルのお墓だね?」


 『お墓』。これがお墓なのか。たしかに、私が知識として持っている『お墓』の特徴と、目の前の石は一致する。


「ああ、そうだ。……ところで、彼は誰なんだい?」


 先生が不審そうな目でロスを見る。そういえば先生はロスのことを知らない。

 私だって昨日思い出したばかりなのだから、先生が知らないのは当然と言えば当然だ。


「私の友達」

「友達……?」

「うん」


 先生は私の言葉で、彼が不審な人物でないことを、なんとなく理解したみたいだった。


「きっと、ベルがエデに会いたがっているじゃないかと思ってね。ここに連れて来たんだ」

「ベル……」


 私はお墓に触れた。冷たくも温かくもなかった。どこかベルの手に似ている。


「また、会えたね」


 ――了――

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彼女の夢に終止符を。 鴉羽 都雨 @karasuba-tou

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