『10/病弱』

 四年前。

 

「退屈だね」


 私はベルに言った。ベルも私の言葉をそっくりそのまま反復した。


「そうだ、ちょっとこの病院を探検してみようよ」


 ベルはそう提案する。私は良い思いつきだと思った。私たちは生まれてからずっとおんなじところにいたから、病院というこの場所はとても新鮮だ。

 病室の外の世界も見てみたい。 

 外には簡単には出られないようになっているはずだから、間違って外に出ちゃって死んでしまうということもないだろう。

 私たちは病室を出た。


「……すごい! あそこからあそこまで、ずっと廊下なんだ!」


 幅の広い、直方体の白い空間がそこにはあった。私たちの部屋よりもずっとずっと広い。

 私たちは廊下を歩いた。私たちはずっと小さな部屋で生きてきたから、あまり身体を動かさない。だから廊下の端から端まで行くので、結構疲れてしまった。

 私たちは廊下の壁に寄りかかって休憩することにした。

 数分間そうしていた時、近くの病室の扉が開いて、細い管を腕から生やしてる男の子が出てきた。もしかしてあの細い管につながっている袋が、『点滴』というやつだろうか。

 男の子が私たちに気づいて驚いた顔をした。


「こんにちは」


 私は男の子にそう言った。


「こ、こんにちは……」

「あなたはなんていう名前?」

「ロス」


 ロスはか細い声で答えた。ロスは腕も脚も声も細くて、ものすごく弱そうに見える。ちょっとの衝撃で、腕が折れちゃうんじゃないだろうか。


「私はエデ」

「私はベル」


 私たちが自己紹介してるというのに、ロスはどこか上の空でじっと私たちを見ていた。ベルが不審そうにこう聞く。


「どうしたの? そんなにじろじろ見て」


 男の子はたじろぐ。


「あ、いや。ごめん。その……君たちって他の人たちとは違うなって」

「何が違うの?」

「僕は、君たちみたいに身体がつながっている人、初めて見たんだよ」


 私とベルは互いに顔を見合わせた。

 そんなに身体がつながっていることは変なのだろうか。ロスの驚きようを見てるとそうなのかもしれないという気がしている。よく分からない。

 私たちにとって、身体がつながっているということは、当たり前のことだから。


「ふーん……。ねえ、ロスはどうして病院にいるの?」

「僕は、生まれつき心臓が弱くて、このままだと長くは生きられないから手術をするんだ。もし手術が成功したら、長生きできるかもしれないし、外で遊びまわることもできるかもしれないんだって」

「そうなんだ! よかったね」

「ねえロス、私たちと友達にならない?」


 ベルはそれは良い提案だというように、笑った。ロスは顔に驚きを浮かべる。


「ど、どうして?」

「あのね、私たちお外に出たら死んじゃうから、ずっと小さな部屋で生きてきたの。だから先生と、ママと、この病院のお医者さんとしかあったことないんだ。だから友達がないの。ロスは私たち同じ子供みたいだし、友達になりたいなって、思って」


 ロスは嬉しそうにはにかんだ。


「ありがとう。僕もあまり外に出たことがないから、友達がいないんだ。だからその……よろしく」


 私たちは握手をした。ロスの手は細くて、実は骨と皮しかないんじゃないかと思った。


「私たちは友達だよ」


 私は再確認するようにそう言う。


「だから手術が終わったらまた会おう」


「……でも僕は、手術が失敗したら死んでしまうんだ。もう会えないかもしれない」


 ロスは怯えるように細い身体を自身の腕で抱きしめた。

 失敗したら死んでしまう手術。恐ろしくて当然だろう。もし私がそんな手術を受けなきゃいけなくなったとしたら、あまりの恐怖で逃げ出してしまうかもしれない。

 逃げ出さないロスはすごいと思う。

 ベルは励ますようにこう言った。


「大丈夫だよ。きっとまた会える」

「どうしてそう言えるの? 母さんは手術の成功確率はかなり低いって言ってたよ」

「あのね、上手く言えないんだけど……。私たちはね肉体とは違う、深いところでつながっているの。それは魂だとか呼ばれたりすることもあるんだけどね、それは肉体を飛び越えてくっついたり離れたりしていて、だから、私たちはたとえ死んだり、何かの理由で離れ離れになったとしても、いつかまた会えるんだよ。知ってた?」


 ロスは首を横に振った。


「そう、だから私たちはまたきっと会えるよ」

「それはつまり、輪廻転生とか、そういうこと?」


 ベルは難しそうな顔をして、否定した。私もベルの言いたいことはわかるのだけれど、それを説明するのは難しいと思う。


「うーん。ちょっと違うんだけどね」

「なんて言えばいいんだろう。難しいね」

「よくわからないけど、ありがとう。なんだかちょっと元気になったよ」


 ロスの顔からは怯えが消えていた。私たちの言葉で友達を助けられたのなら、それほど良いこともないだろう。


「ところで、君たちはどんな手術を?」

「えっとね。よくわからないの。ママは、この手術を受けないと死んじゃうから、っていうんだけど、その手術を受けたらどうなるかっていうのは教えてくれないんだよ」

「ママが言うには、手術受けた後と、今の私たちとは全く違ってしまうらしいんだけど……」

「でもきっと、手術を受けたところで私は私だし、エデはエデだよ。何も心配することない」


 ベルの言う通り私たちは私たち。それは何があっても揺らぐことのない事実だ。


「うん。そうだね。きっとそうだよ」

「……あ、もう時間だ。僕はもう行かなきゃ」


 ロスは時計を見て、名残惜しそうにそう言った。私たちは彼に手を振る。彼も、手を振り返してくれた。


「じゃあね」

「また、会える日まで」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る