『9/断片』
「エデ!」
突然呻きだした私を見て、ベルは駆け寄って来た。
頭が痛い。
断片的な映像。
断片的な声。
『大丈夫よ、手術は安全で――』
『エデ、私たちはずっと――』
『――は、ほぼない。安心しなさい』
『――なさい、エデ』
「あ……ぅ」
ざわざわと重なり合うようにしている声の中から一つ、はっきりとこう聞こえた。
『エデ、落ち着いて聞いてほしい。ベルは――』
やめて、やめて。これ以上言わなくていい――。
『死んでしまったんだ』
「エデ! エデ!!」
ベルが私の名前を呼んでいる。
私はベルを見た。ベルはここにいる。
でもベルは死んだ。四年前に。それを今思い出した。どうして私はそんなに大切なことを忘れてしまったんだろう……。
「ベル……」
「エデ、大丈夫?」
「ねえ、ベル」
私はベルの顔をしっかりと見つめてこう聞いた。
「あなたは、誰なの?」
ベルは小さく、そっかと呟いた。
「もう、気付いちゃったんだ」
その声は優しげだったが、どこか悲しそうだった。
「エデ、一体君は誰と……」
さっきいきなり現れた、ロスという男の子が困惑の表情で私を見ながら言った。ロスはわけのわからないといった様子だが、それは私も同じだ。
「ねえ、ベルは、ベルは……、死んだんだよね。なのにどうして、ベルはここにいるの……?」
「あのね、私はベルだけどベルじゃないの」
「ベルだけど、ベルじゃない……?」
ベルは頷いた。
「うん。本当のベルは四年前に死んだ」
四年前に死んだ。死んだはずのベルが私の目の前でそう言っているというのは、どこか非現実じみていた。
けど彼女の言葉を聞いて、ああ、やっぱり死んだんだな、という実感が私の胸にすとんと落っこちた。
「じゃあ私はなんなのかって話だよね。私はねエデ、あなたが生み出した『ベル』なの。四年前、あなたはベルが死んだことにショックを受けた。そのショックに幼いエデは耐えられなかったの。だからエデは全てを忘れた。私が死んだこと。私たちが結合双生児であったことを」
「結合双生児……!?」
結合双生児。
前に本で読んだことがある。繋がった双子。二人で一つの身体。
「そう、私たちは結合双生児だったんだよ。先天的に一卵性の双子の分離するはずの受精卵が、分離しないことによって、繋がったまま生まれる。ベルとエデは腰の部分で繋がっていたみたい。――それで、四年前に行われた手術は分離手術っていうの」
断片的な記憶の中で、お医者さんやママが言っていた『手術』というのは、これのことなのか。でも分離手術って、なんだろう……。
ベルはそんな私の疑問に答える。
「分離手術っていうのはね、結合双生児を二つに分けるの」
「二つに、分ける……。そんなこと、可能なの?」
「うん。――そうして本来の双子と同じ姿にする」
同じ姿に……。それはつまり、普通の人と同じに……。
「結合双生児は生まれつき身体が弱くて、長生きするのはすごくまれ。片方の身体が弱ったり、病気になったりしたらもう片方も同じようになってしまうから。けど、分離手術をすれば、片方が病気になっても、もう片方が同じようになることはない」
「だから、私たちはその手術を……?」
「うん。ママは私たちに分離手術を受けさせることにした。ママもお医者さんも私たちが受ける手術が、分離手術だっていうことは私たちには教えなかった」
私は記憶を探る。ママやお医者さんが『手術』と口にすることはあっても、なんの手術かとは言われていなかったような気がする。
分離手術は私たちが生き残るために必要なものだったはず。だとしたら、どうして私たちにそのことを伝えなかったのだろう。
「ベルとエデはね、結合双生児であることをとても幸せなことだと思っていたんだよ。だから、分離手術のことを言ったら、拒否するだろうってママは思ったんだね」
私は、何かを言おうとして口を開いた。
けれど口は一言も言葉を発しようとはしない。言おうとしていたはずの言葉たちはどこかに逃げてしまったのだ。ベルは続ける。
「手術は失敗した」
妙に淡々とした口調。
「いや、半分成功。かな? エデは成功した。けどベルは失敗した。そしてベルは死んだ。さっきも言ったけど、ショックを受けたエデは全てを忘れた。そして、偽物のベルを生み出したの。ベルはあなたにしか視えない、幻みたいな存在なんだよ」
「幻……」
でも、だとしたらどうにもおかしい。腑に落ちない点がある。
私はベルにこう聞いた。
「幻だっていうなら、変だよ。どうして幻自身が、自分が幻であるということを認識しているの?」
「幻みたいな存在であって、幻そのものじゃないの。なんていうのかな……。エデの生み出したベルはもはや、一つの独立した人格みたいになってしまった。そうなってしまうほどにエデにとってベルは、なくてはならない大切な存在だったんだね」
「二重人格みたいなもの?」
ベルは少し考えるように、黙りこんでしまった。少ししてから、ベルは首を横に振る。
「ううん。二重人格とはちょっと違うかな。二重人格は、こうやって会話をすることとかできないみたいだし。けど、ベルはエデの頭の中にいるみたいなものだから、二重人格みたいだよね。……じゃあなんなのかっていうと、それがまたはっきりとは言えないんだよね。多分、正式な名称はないと思う」
「……ねえ、ベルはどうして忘れてしまっていた私の記憶を、持っているの?」
四年前、病院で手術を受けたことなんて、私はすっかり忘れていた。でも、ベルはずっと覚えている様子だった。
それはどうして?
「あのね、人間は今まで体験したこととか覚えたことは、ずっと忘れないんだよ。ただ思い出さなだけ。記憶はずっと頭の中にある」
ベルは指先で自分の頭を軽くつついた。
「貴方の頭の中にいるベルは、エデの記憶を見ることができるの。だから全部知っているんだ。私が一つの自我を持ち始めた頃から、全部知ってた」
「でも、さっきのベルの話を聞いてると、私が知りえなかったはずのことまで知っていた……」
「あれはね、半分くらい私の推測」
「推測?」
ベルは小さく頷く。
「手術によってベルが死んでしまったことと、私たちが結合双生児出なくなってしまったことから考えて、分離手術以外ありえないかなって。なんの手術か説明されていなかったことも、これでつじつまが合うしね。分離手術のこととか、結合双生児のことは本を読んで知りえた知識だよ」
ベルは壁際の本棚を見つめた。そこにはぎっしりと、様々な本が詰まっている。
「手術後、ママはこの部屋の本棚から、ほぼ結合双生児に関する本は処分してしまった」
ベルはちょっとだけ寂しそうだ。私もベルも、本が大好きだったから処分されてしまったことが、悲しいのかもしれない。
「この間読んだ本はたまたま残っていただけだと思う。でも、手術前。つまりベルたちが結合双生児だったころは、結合双生児に関する様々な本があったんだよ。ベルとエデはその本を読み漁った。だから分離手術の存在も知っていた。知ってはいても、まさか四年前のあの日に受ける手術が分離手術だなんて、私たちは夢にも思わなかったわけだけど」
一瞬、ベルの身体が霞んだような気がした。
でも一瞬のことだったし、気のせいか何かだろう。そう信じたい。
「ねえベル……、私、今とても不安なの。あなたがどっかに行ってしまいそうな気がして……」
ベルは私をじっと見つめる。
「ベルはどこにも、行かないよね……?」
私の問いかけに、ベルは黙って首を横に振った。それは私にとってあまりにも残酷な答えだった。
「そんな……どうして」
「エデ、ずっと現実から目を背け続けちゃいけない」
ベルは私を射抜くように見た。彼女は本気だ。
嘘だと言って欲しかった。でもとてもじゃないが冗談を言っているようには見えない。
「エデは今、過去という鎖に縛られて、どこへも行けない状況なの。でもエデは前に進まなきゃいけないんだよ。だから私は消える必要がある」
「消えるなんて……そんな……」
私の声は震えていたが、反対にベルの声は強い意志がこもっていて、揺らがなかった。
ああ、ベルは変わらない。四年前からずっとそうだった。ベルは私よりずっと強い意志を持っていて……。
「私ね、エデに真実を私の方からいつか言おうと思ってたこともあったの。けどね、それじゃ意味がないって気づいたんだ。エデ自身が思い出すことに意味があるんだって。自分から現実に向き合う必要があるって」
ベルの声音は、小さい子をあやすように優しかった。どうしてベルがそんな風にいうのか私には理解できない。
「どうして? どうして前に進まなくちゃいけないの? ベルが消えちゃうなら、前になんか進まなくていいよ……」
前に進まなくても、ベルがいればそれでいい。ずっと同じ場所でおしゃべりして、笑っていられればそれでいい。それだけなのに……。
「エデ、ベルは死んだんだよ。ずっと目をそらしてるわけにもいかないでしょ? そうしたらきっと取り返しのつかないことになる。エデはいつか壊れちゃうの」
「やだ」
私は駄々っ子みたいに首を振った。ベルは困った顔で私を見る。私がベルを困らせてしまっているんだ。そう分かってはいても、そうせずにはいられなかった。
「エデ……」
「やだ!!」
私の頬をつうっと涙が伝った。さらに、両目からはぽろぽろと涙が溢れて落ちて、弾けた。
私はベルに触れようと手を伸ばす。けれどそれはできなかった。指先はベルの身体を通り抜けた。
「エデ、あなたが私を幻だと認識したから、もう私に触れることはできないの。前は私のことを幻じゃないって思っていたから、触っているように感じていたんだけどね」
「そんな……。やだよ。お願いだから、どこにも行かないで……! 私、ベルがいなくなっちゃったら、ずっとひとりぼっちで……生きていかなきゃいけないんだよ……?」
私はベルにそう懇願した。でもベルの表情から、ベルの気持ちは変わらないように見える。
……わかっていた。ベルは強い。こんな弱い私の言葉で意志を変えることなんてできっこない。
「あのね、エデ」
ベルは私に優しく微笑みかけた。
「私、とっても楽しかったよ」
それは私も同じだ。でも過去形で言うのはやめてほしい。
「偽物だけど、ベルとして生まれて、エデと一緒に生きることができて。エデが私に向ける気持ちは本当は私じゃなくて、本物のベルに向けられているものって分かってはいても、それで良いって思った。私は幸せだったから。だから、ありがとう」
ベルの存在が、だんだんと薄くなっていくように感じた。このままベルの存在は薄くなって、そして最後には消えてしまうのだろうか。
「ありがとう、なんて言わないでよ……。まるでもう会えないみたいじゃない……」
「……そうだね」
「本当にもう、お別れなの? 会えないの?」
ベルは小さくかぶりを振る。私は一縷の希望を見つけた気がして、それにすがろうとした。
「また、会えるの?」
「会えるよ。あのね、上手く言えないんだけど……」
ベルはそう前置きする。
「私たちはね肉体とは違う、深いところでつながっているの。それは魂だとか呼ばれたりすることもあるんだけどね、それは肉体を飛び越えてくっついたり離れたりしていて、だから、私たちはたとえ死んだり、何かの理由で離れ離れになったとしても、いつかまた会えるんだよ。知ってた?」
「知ってる……。ベルが、よく言っていたから」
「そうだね」
ベルの存在はさらに薄くなっていった。もうちょっとの衝撃で消えてしまいそうなほどに。
「いつ……いつ会えるの?」
「わからない。一年後か、十年後か、百年後か、二百年後か……。もしかしたら明日かもしれない。でも必ず会えるから。一緒におしゃべりしたり、笑ったりできないかもしれないけど、それでも会えるから。それまで待っていて」
ベルはもう、ほとんど見えないくらい存在が薄くなってしまった。声もかなり遠のいて、聞こえづらい。私は無理に笑顔を作って叫んだ。
「待ってるよ!! ずっとずっと、ずっと! 待ってるから!」
「うん。……じゃあ、ばいばい」
ベルはすうっと消えた。
ベルは最初からそこにいなかったみたいだった。
けどベルは確かにいた。消えてしまったけれど彼女は私と喋って、笑って、一緒に過ごしたのだ。
ベルが消えてしまってもその事実が消えてしまうことはない。
「エデ……」
背後から声がした。ロスが呆然とした、何が起きたのかわからないと言った様子で私を見ていた。
「ベルは、ベルは消えちゃった」
ぽつり。私は呟いた。
「え?」
「でもね、また会えるんだ。何年後かはわからないけど。私たちとロスがまた出会えたように、また会えるんだよ。だから私は寂しくないし、ひとりぼっちじゃないの」
「……そっか、そうだね」
ロスは多分、今何が起きたのかわかっていなかったと思う。けど、それでも彼は何かを感じ取ったのか、そう呟いた。
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