足りない1枚


「やっとだ。なあ、岩澤」


 カツカツと音を鳴らして蒼志は男に近づいた。最大限の警戒を怠ることなく、それでいて全くと言って良い程、無警戒を装って。


「俺の事は知らねーかも知れないな。だが、和要奏は知ってるだろう?」


 岩澤は少し目を見開いたがすぐに先程と変わらない態度に戻った。周りに従えている男達が襲いかかってくるがいなしている。それでも敵は減ることはない。岩澤はそれもあってか余裕、といったように蒼志を見ている。隣に控えていた黒のフードの男がすっと前に出た。そしてその全身を覆っているマントに手をかけている。


 こいつは…。


 蒼志の直感が嫌な警告音を響かせる。


 やめろ。

 そのマントを取らないでくれ…っ


「丁度良かった。お前が相手しろ」


 ふわりとフードを落とすと同時にマントも落ちる。そこから現れる姿に蒼志が目を見開く番だった。そこにあったのは蒼志が何度も何度も隣でたくさんの事を話した男だった。幼き日に同じ志を持ち、同じ敵と共に戦っている筈の男の姿だった。少しの憂いを含むような、それでいて大きな正義を掲げていた瞳は今では何を間違ったのか暗い底無しの闇を抱えている。


 嘘、だろ…


 声にならない声が空気を溢す。喉の奥に言葉が張り付いたように紡げずにいるようだった。


「その男を殺せ」


 まるで虫螻を見るように人の心を捨て去ったかのような岩澤の言葉に陽祐は御意に、と短く答え蒼志に襲い掛かった。蒼志は陽祐が敵側にいることが未だに受け入れられないのか茫然としている。蒼志は何の受け身を取ることもできずに壁まで吹っ飛ばされた。埃っぽい倉庫内は少しの事で視界が遮られる。


「なんで…」

「いいか黙って聞いてくれ。今の俺は新堂理一だ。蒼との関係性は変わってない。暫く付き合ってくれ」


 蒼志は仕方ない、という顔をしているが次は自分の番だと言わんばかりに陽祐をぶっ飛ばした。壁まで飛ばされる前に踏ん張り蒼志に殴りかかった。だがそれは避けられ蒼志の足払いが決まる。


「テメーどういう了見だっ!奏を殺したやつを守るってのかっ!」

「だからどうしたってんだっ」


 これでいいのか?

 ああ、十分だ


 昔と同じ様に目だけで会話をしている。岩澤は二人の偽りのいがみ合いをニヤニヤと心底愉しそうに眺めている。蒼志が陽祐に殺されることを確信しているようだった。


「そう言えばお前らは親友だったらしいな。心の底から信頼していた友に殺される、最高だな」


 蒼志がギリっと奥歯を噛み締めた。


「まあ、親友に殺されるのならば本望だろうな」


 余裕を咬ましている岩澤は気付いていない。少しずつ、少しずつ二人が近づいてきていることに。


 今だ


 どちらからともなく二人の目線が交わる。

 そこからは一瞬の事だった。

 岩澤を挟むように回り込み蒼志は心臓に、陽祐は後頭部に拳銃を突き付けた。


「どういう事だ」


 漸く焦った声を出す。


「どうもこうもないな」

「見たまんまだろ。俺らがお前に銃を突き付けてる。そんだけだ」


 遠くから闇を切り裂く鋭い正義の音が聞こえてくる。


 漸く来たか、結構前に呼んだんだけどな


「俺たちはテメーが思ってる程安っぽい関係じゃねーんだわ」


 残念だったな


 ニヤリと悪党も真っ青になるような笑みを溢している。

 周りに控えていた男達はどさくさに紛れて逃げ出したらしい。だが岩澤が焦っていたのは先程の一瞬だけだった。そこからは恐れ戦慄おののくどころか平然としている。二人は怪訝そうに眉を寄せている。これぐらいの小者なら命乞いでも始めるかと考えていたのだった。無論二人はこの男を殺すつもりはなかった。そんなことをしたところで奏が喜ぶとも思えなかったからだ。だがその事を岩澤が読めているとは思わなかった。だからこそ、この男のこの落ち着きようは理解できなかった。


「俺が死んでも俺たちは死ぬことはない。俺たちの正義は永久不滅だ」


 ダン

 言葉が終わるや否や何処からともなく聞こえてきた銃声と共に岩澤が倒れた。二人の目の前で。咄嗟に近くにある柱の影に隠れる。追撃が来ない事を確認し蒼志よりも一足早く我に返った陽祐が駆け寄る。脈や呼吸を確認しているが脳天を貫かれ即死のようだった。


「どういう事なんだ、どうなってやがんだっ」

「邪魔になったから口封じの為に消されたんだろう」

「こいつが黒幕じゃなかったのかよっ」

「そうらしいな」


 蒼志はくっそ、と冷たく固いコンクリートの壁を殴っている。


「捕まえたやつらは末端だ。蒼は蜥蜴とかげの尻尾を掴まされたんだ」


 淡々と一切の顔色を変えずに事実だけを述べるように陽祐は言った。


「俺はもう行く。後の事は適当に言ってくれ。俺はまだ警察に顔を出すわけにはいけないんだ」

「どういう事だよっ」

「時期が来たら必ず話す。だから今は何も言わずに行かせてくれ」


 頼む


 漸く表情を変えた陽祐は必死な苦しそうな顔で蒼志が思わず口をつぐむとマントを羽織り直しフードを目深に被った。


「また連絡する」


 蒼志は苦しそうに呟いた言葉と共に去っていく陽祐の姿をただただ見つめることしかできなかった。

 大きくなったサイレンの音が止まった。不意に蒼志は陽祐が中学校の時に言った正義の話を思い出した。その後に続けた奏の言葉も。


 だってね、私達はね、きっとこのクローバーみたいに三位一体なんだよ


 道のわきに咲いていたクローバーを摘み蒼志達に見せた。蒼志はなんだよ、それ、と聞く。


 私達は三人で一つなんだよ?誰か一人でも欠けちゃダメなんだよ、きっと


 蒼志も陽祐もあの時は確かに誰かが欠ければ寂しいがそこまでではないと思っていた。だが今ならわかる。


 奏が俺らを見たらどう思うかな


 冷たい倉庫に警官の駆け付ける足音が響き渡る。蒼志は動こうともせずただそこに立ち尽くすだけだ。


 それとね二人がコインだって言うのは対になってるみたいじゃない?でも真逆に見えるかもだけど確かに本質は同じでしょ?


 今だってそうだと、奏は言うのだろうか。陽よりも何も知らなかった俺を、アイツの後ろに居させてくれるのか?それでもまだ同じだって言ってくれるのか?


 秋から冬へと変わる特有の風が蒼志一人の髪を揺らす。蒼志の大切なものたからもの、全てを掌から浚っていったのはいつものこの風だった。

 とっぷりと灯りの落ちた暗闇は薄気味悪くわらっている。まるで蒼志に此方側に来いと言うかのようだった。

 蒼志は悪魔に魅いられたように陽祐の消えていった方にある“何か”に囚われているように見えたがその“何か”から目を反らすように頭を振った。


 大丈夫、俺には陽がいる。離れてたって理解わかり合えているアイツがいるんだ。きっとまた会える。その時までに俺も追い続けよう。あの時に約束した真実を手に入れるために。


 事情を聞こうと蒼志の元にやってきた後輩に後日説明するとお座なりに答え陽祐とは反対の扉へと歩いていった。

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コインとクローバー @natu-okita

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