第9話ふりそで
生活保護受給三ヶ月目、私は一つの採用通知を受け取った。
保険代理店の受付業務だった。
生まれて三十年弱、これまで医療に携わっても保険に触れたことすらなかった。
そんな私が正社員として働くことができた理由を、入社一年後に知ることとなる。
私の面接担当者、現上司によると、苦しい経験によりお金の重要性を、応募者の中で最も理解していたこと。
さらには顧客の情に触れながらも決して揺らぐことのない信念たるものを感じ取ったと言う。
初めて告げられたときは到底理解できるものではないと思っていたが、月を追うごとに上司の言葉に頷くようになった。
生活保護の制度により引っ越し費用が出たこともあり、国の補助金制度をある程度知ることができた。
「類は友を呼ぶ」というのだろうか、私が二年間担当した顧客の誰もが最低ラインの生活を送っていた。
私は言葉遣いがキツイと自覚していたので、いつ解雇されてもおかしくないと思っていた。
それが今では顧客の生活が潤い、保険の加入数までもが増えた。
終いには感謝の言葉をも受け、今では会社の住所で年賀状と暑中見舞いのハガキを送り合うほどにまで進展している。
上司が言うには、私はどんなときでも自他を客観的に見ることができる逸材らしい。
そこまで過剰評価をしたことがないが、私の過去を実際に見ていない人間の意見は正しいのかもしれない。
生活が潤ったのは、顧客だけではない。
再就職から二年、私の貯蓄は百二十万円にまで達した。
母の介護施設利用料を滞りなく支払うこともできて、今や私を苦しめる存在はないに等しい。
むしろ、毎日が色とりどりの花に見える。
明日着るこの一着のように。
翌日、私は三十四回目の誕生日を迎えた。
暖房の効いた温かい部屋で、カメラを見つめている。
「三十路でこの格好、可笑しくないですか?」
自分で選んだこととはいえ、実際この瞬間を迎えると、急に気恥ずかしくなった。
「何言っているんですか! 元が美人なんだから堂々としてくださいよ」
女性のカメラマンが鋭い声で戸惑いを叩き落とした。
「でも、この顔立ちですよ? それに普通は……」
「はい、さーん、にー、いーち!」
カシャッと切り刻む音が室内に響いた。
「もっと愛想良くしてください。撮り直しますよ。はーい……」
私と同じく媚びない声に、私は癇に障った。
意地でも「可愛い」と言わせてやる!
筋肉という筋肉に鞭を打ち、青い瞳をより曝け出した。
「ほら、やればできるでしょう? それにしても良いギャップですね。三十路の振袖なんて、新鮮じゃないですか。そこらのガキとは違う色気があるね」
「色気なんてあってもなくても良いでしょう」
「いや、カメラマンには要るんですよ」
彼女には唯我独尊という言葉がよく似合う。
もし顔も覚えていない無慈悲な男のようなガラクタが担当であれば、貯金を捨ててでも辞退しただろう。
後日、私は写真を施設にいる母に送った。
さらに一週間後、母からの電話を受け取った。
「ひーちゃん、もうそろそろ花を咲かさないと。あなただけのための人生を送ってね」
最後の会話から四年経っても、未だに覚えている。
安田柊、今日、あなたが私を産んでくれた年齢に達しました。
ふりそで 加藤ゆうき @Yuki-Kato
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