四、



 その翌朝、雨はきれいに止んでおり、朝焼けが広がっていた。

 平蔵が起きた時に、部屋の隅で身を寄せ合って眠っていた智次と紀代が先に起きていた。

 その顔つきは疲れがにじんではいるもののどこか晴れ晴れとしている。

 智次の虚もかすむほど小さくなっていた。

 よほど逃避行と虚が空いているというのが堪えていたのだろう。

 勤勉な質らしく、智次と紀代はささと身繕いを終えると先に出立すると挨拶をしてきた。


「ありがとうございます、その、鞘神様というのはそのように人の形をされていらっしゃるものなのですか」

「ひとにつかわれて、あいされるものだから、ひとのかたちをしてるよ」


 智次に念を押されて聞かれたが、平蔵はあいにくとそれほど多く鞘神を知らなかったが、さやが淡々と答えた。

 智次と紀代は顔を見合わせてうなずき合ったが、何かしらの覚悟を決めたような顔をしていた。


「この恩は忘れませぬ」


 そろって深々と頭を下げながら智次と紀代が寄り添って歩いて行くのを、平蔵はなんとも言えない気分で見送った。

 あれほど深く感謝を示されるような覚えがなかった。


「きよたち、だいじょうぶかな」


 身繕いを整えた平蔵が最後に刀を帯に手挟んで居れば、現れていたさやがぽつりと言った。


「後はあいつら次第だよ」


 言葉の端々から智次と紀代が故郷を追われてきたことや、それが紀代の身に虚が空いたと糾弾されたためだというのは感じられた。しかし正しい知識がないために、見えない連中が鬼をあぶり出すようにつまはじきにすることはままあることだ。

 平蔵は納得いって居なさそうな顔をするさやの頭をひとなですると、見上げてきたさやは鞘に収められていた小柄を取り出してきた。


「おひげ、そって」


 無意識に無精ひげを撫でていた平蔵はさやと無言で見つめ合った後、その眼力に負けて小柄を受け取った。

 ひげくらい毎日剃らなくて良いと思うのだが、この童女は気に入らないらしい。

 適当に剃った平蔵は生乾きの合羽を肩に引っかけ、準備を終えていたさやと共に堂庵を出た。

 ぬかるんだ道を荒々しく蹴立てる音と、女の悲鳴が響いた。

 遠目に見えたのは、男達に囲まれ、先に出たはずの智次がへたり込むすがた。

 明らかにあのふたりに対する追っ手であろう。そして彼らは平蔵達に気付いていない。

 しばらくここで待機していれば、面倒ごとに巻き込まれずに済むだろう。


「へーぞー」


 くん、と着物の袖をさやに引っ張られた。

 平蔵が視線をやればその黒々とした瞳にはとがめとも付かない色が浮かんでいる。

 不本意だが言いたいことがわかってしまうのだ。


「道すがらにアレは邪魔だな」

「ん」


 こくりとうなずくさやから手を離した平蔵は、そううそぶいて一歩踏み出した。





 平蔵が近づいて行けば、全貌は把握できた。

 智次たちを阻んで居るのは、平蔵にも親しみがあるすさんだ空気をまとう男達だった。

 数は三人。下っ端の身なりの男が二人に、妙に派手な刀を差した馬乗り袴の男だ。

 馬乗り袴の男のたたずまいからして、かなりの場数を踏んでいることはよくわかる。

 智次をころがしたと思われる下っ端の男達が口々に言った。


「佐岩様が虚神に憑かれたお紀代を助けてやろうとおっしゃっていたというのに、どう言うつもりだ」

「こんなところまで逃げ出して手間をかけさせやがって。虚がなくなろうと閉じ込められるだけじゃすまねえのを覚悟しな」


 猥雑なその言葉に転がされていた智次の表情が怒りに染まる。


「やっぱり、お紀代に虚が空いたって言うのは嘘だったんだな! お紀代の両親が村八分にされたのもお前達のせいだ、」


 しかし智次は、冷然と見下ろす馬乗り袴の男の圧にひるんだ。


「虚神に取り憑かれてからでは遅いのだ。虚が空いた時点で適切に対処せねば被害が広がる。その前に眼鏡に叶ったことを幸運と思うが良いそ」

「さすが、虚神狩りの佐岩様!」


 手下の一人に佐岩と呼ばれた馬乗り袴の男が、紀代にねっとりとした視線をむけた。

「紀代、俺はそなたを助けたいのだ。そこの男よりも俺を選べばこれまでよりもずっと良い暮らしをさせてやるぞ。その美貌を生かすにふさわしい場所がある」

「ひっ」


 顔を真っ青にする紀代を、智次はけんめいに背に隠した。

 ぴくり、と佐岩がいらだたしげに眉を動かした。


「貴様が俺を邪魔するのであれば、この場でたたき切る」


 言うなり、佐岩は刀に手をかけるが、それでも智次は紀代を背にかばうことをやめなかった。

 智次は、慣れ親しんだ町を出ると決めた時にとうに覚悟を決めていたのだ。

 幼なじみで気立てが良くて、いつでものんびりしていて朗らかな紀代とは小さな頃から一緒になると誓い合っていた。

 しかしある日、佐岩が現れてすべてが崩れた。

 虚神狩りだと名乗った佐岩は、虚神を退けられるという鞘神の刃を振りかざし、町を脅かしていた魍魎を退けてくれたところまでは人々も喜んでいた。

 しかし庄屋に気に入られた佐岩は町に残ると、虚が空いているという人間を「浄化」と称して連れ去り出したのだ。

 確かに魍魎の取り憑いた人間を切ることができ、その剣の腕も並の剣術家では叶わぬ佐岩に誰も逆らうことができなかった。


 庄屋はもとより金や名誉に執着する質ではあったが、あの佐岩がきてからよりおかしくなっていたように思う。

 連れ去られた人間が誰も帰ってこない中、しかし紀代まで虚が空いていると言われて、智次はたまらなくなったのだ。

 なにより佐岩の陰鬱な目が紀代に注がれて居ることに気付いていた。

 しかし虚が空いていると宣言されてしまったことで、疑心暗鬼に駆られた住民たちによって、紀代をつまはじきにされるようになっていた。

 だからこそ智次はここまで思い切ったのだ。偶然、あの抜き手の男に出会えたのは天の采配とすら思った。唯一悩んでいた本当に虚神が憑いているかもしれないという懸念を払ってくれたからだ。


 ここで斬り殺されるだろう。それでも譲れなかったのだ。


「い、いいの、智次さんが無事なら、私は付いていきますからっ」

「き、紀代は俺の大事な人だ。渡さねえ!」


 紀代が涙ぐんで懇願するが、智次はかたくなに動かない。

 佐岩は彼らの思いなど一顧だにせず刃を抜こうとしたが、智次の背後からゆっくりと歩いてきた男、平蔵に目を留めた。

 まるでこの修羅場が目に入っていないとでも言うように悠々とした平蔵に対し、先に動いたのは手下達だった。

 佐岩の偉功を傘にきていた手下は目をつり上げて脅しにかかった。


「やいやい、なんだてめえ。今こちとら取り込み中だ、とっとと失せやがれ」


 だが平蔵は前に進み出てきた手下の手首をひっつかむと、無造作に転がした。

 手下の一人の間抜けな顔が反転し、そのままぬかるんだ地面へとたたきつけられる。 

 一瞬何が起きたかわかっていないように、その場にいる全員が一瞬止まる。


「へいぞう、さん!?」


 先ほど分かれたばかりの平蔵が割って入ったことに、紀代が驚きの声を上げた。


「やりやがったな!」


 それを皮切りにもう一人の手下が、長脇差を振りかざして平蔵へと飛び込んでくる。

 しかし平蔵は、手下の切り下げを半身にしてよけると、足を引っかけた。

 見事に転んだ手下は、持っていた長脇差しを吹っ飛ばして、泥に突っ込んだ。


「わりぃ、邪魔だった」


 悶絶していた手下に興味もわかず、無造作に言い放った平蔵は佐岩ににいと、口角を上げて見せた。


「おう、話をちょいとばかり聞かせてもらったが、ずいぶん威勢が良いじゃねえか。虚なんて空いてねえ女を閉じ込めて何をするつもりだい」


 平蔵がからかうように言えば、佐岩の表情がひくりと動いた。


「貴様には関係なかろう」

「いやあ関係あるんだなあこれが。……てめえ、虚神狩りじゃねえだろ?」


 智次と紀代は絶句した。同時にやはりとも思っていたのだ。

 紀代をはじめとした住民達に虚が空いていると糾弾した言葉を信じたのは、佐岩が曲がりなりにも虚神を狩り虚神狩りを名乗ったからだ。

 何より佐岩が魍魎や、虚神の取り憑いた人間を切ることができたからだ。


 派手な刀を持ち、虚神憑きを切ることのできる人間ではあれば、虚神狩りと考えるのは当然だろう。

 しかし、抜き手の平蔵とさやという鞘神に出会って知ったのだ。

 鞘神というのは人の姿をしていると。佐岩に付き従っている鞘神というのは。

 いつの間にか平蔵の傍らにたたずんでいたさやは、まっすぐに佐岩の腰元の刀を見つめていた。


「さやはからっぽ。でもおっきいうろ。あいてる」

「なあ、いつから虚神が憑いてんだ?」


 だめ押しのように平蔵がたたみかければ、佐岩の腹を覆い尽くすように空いていた虚は、脈動するように黒く広がった。

 だが佐岩の能面のような表情は変わらなかった。

 否、その瞳は縦に長くまるで蛇のように細められていた。

 しかし起き上がっていた手下達はそれが見えて居なかったようで、泥まみれながらも威勢良く平蔵にかみついていく。


「て、てめえいったい何様のつもりだ! そのガキいったいどこから出てきやがった!」

「別にどうでも良いと思うがなあ」


 平蔵は剃ったばかりのあごを撫でていたが、不意に空気が変わる。

 ざ、と腰を一つ落とし、左手は膝に、右手のひらを上に差し出すと朗々と延べた。

「手前、生国は北国、巡り巡って江渡に根を下ろした風来坊。が何の因果か鞘神に気に入られ抜き手となり、出会う悪党虚神を断ち斬る日々。名を平蔵と申すものにござんす」

「さやがへーぞーのさやがみだ」


 ふんす、と童女が胸をはれば、平蔵はにんやりと笑った。


「ま、短いつきあいだ、見知り置かなくて良いよな?」


 明らかな挑発に手下達が怒りをあらわにしたが、佐岩からおぞましいほどの殺気があふれたことで硬直した。


「抜き手、なれば、逃しておけぬ」


 佐岩が刀に手をかけた瞬間、ぞおぶりと腹に空いた穴から大量の汚泥のような瘴気が吹き出す。

 そして佐岩の全身を覆い尽くした瞬間、そこに居たのは一匹の大蛇であった。

 足は大の男の胴はありそうな蛇のものとなり、顔はかろうじて面影を残しているもののしゅるりと長い舌が見え隠れした。

 人の上半身に蛇の下半身がつながれたそれであるにもかかわらず、刀を構える様はいびつな執着を感じさせた。


『その女ほどの器量であれば、あの方も気に入ってくださるだろう。さすれば拙者はまた強くなれるのだ!』

「はっ、執着で蛇になるたぁ、どこの道成寺かねえ」


 平蔵が軽口をたたけば、佐岩の瞳が目がきゅうと細められ、下半身をくねらせ襲いかかる。

 泥を蹴立てて走るそれは、人などよりも不気味になめらかで、あっという間に彼我の距離は詰められる。

 だがしかし、平蔵はその前に革巻きの柄に手をかけていた。

 爛、と平蔵の瞳がどう猛に輝く。


「さやっ! ”我が魂を刃となせ!”」

「あいっ」


 あどけなくも弾んだ声が響き、赤い振り袖が翻り消える。

 金の朱雀が飛ぶ鞘から抜き放たれたのは、先ぞりの豪壮な刃だった。

 丁字の浮かぶ刃文も華やかなそれを手に、平蔵は変貌した蛇を迎え撃つ。

 上段から振り下ろされた佐岩の刀を、平蔵は擦り上げるようにいなした。

 だが虚神に呑まれた佐岩は平蔵よりも体一つ分は大きい。

 その差だけでなく、虚神によって増幅された力は常人の数倍は重い一撃となっていた。

 たった一撃、それもまともに受けて居ないにもかかわらず手がしびれていた。まともに受ければまず間違いなく腕が使い物にならなくなるだろう。


 しかし、佐岩は方向転換すると蛇の緒を振り回し平蔵をなぎ払おうとする。

 平蔵は泥を浴びながらも跳躍してよけると、反転して蛇の尾を切りつけた。

 ざくりと尾は縦に裂けた。


『キシャアア!!』

「おうおう、舌と一緒になったな」


 痛みに雄叫びを上げる佐岩が再び刃を振り抜いたが、残念ながら平蔵にはかすりもしない。

 背が高いと言うことは、その差分だけ合わせて刀を振るわねばならないと言うことだ。

 それだけ体をかがめることになった佐岩に、平蔵はにい、と口角を上げて見せた。


「てめえの虚、見えたぜ」


 蛇と人の体の間に空いている虚に刃を突き立てなぎ払う。

 佐岩は持っていたとっさに刀をかざしたが、平蔵の先ぞりの刃は、それごと虚を真っ二つにした。


『シャアアァァァァ!!!!』


 断末魔を上げて身をよじる佐岩の尾が、黒い塵のようにほどけ消えてゆく。

 支えていた足がなくなり泥の地面に倒れ込んだ佐岩は、げっそりとやせ細っていた。あれほど威風を放っていたそれは見る影もなく、刀身は真っ二つにされていた。

 完全に沈黙しているのを確認した平蔵は抜き身の刀を無造作に担ぐと、手下達を見やる。


「よお、やるかい?」

「う、うわああ!!!」


 金縛りがほどけたほどけたように手下の二人は泥に足を取られながらも必死に逃げ出していったのだった。

 あっけにとられて見送った智次と紀代は、刃を鞘に納めた平蔵が振り返ったことで緊張を帯びる。


「おい、故郷に帰れるんなら、何よこす」

「は、い?」

「てめえら、好きで出てきたわけじゃねえんだろ?」

「そ、そりゃそうですが」

「ならよ、ちょいと出すもんを……」

「てりゃー」

「あだっ」


 混乱している智次に平蔵が下世話な顔で迫ろうとしたとたん、頭に小さな手刀が落ちた。

 いい音がして少々衝撃を覚えた平蔵が振り返ればさやがむっととがめる表情をしていた。


「あんだよ」

「きよたちに、ごはんもらったよ」


 言外に受けた恩をそのままにしておくのか、と言うさやに平蔵は息を吐いた。


「わかったよ。……おい、智次。てめえの故郷、どこにあるよ」 

「へ?」


 平蔵は間抜けな顔をしている智次に、せいぜいあくどく笑ってやった。


「まあ、俺に虚神狩りの矜持はねえが、虚仮にされてるとむかつくんでな。庄屋どのとやらの面拝んできてやるよ」

「よいのですか……!」


 どうやら紀代のほうが先に理解が及んだらしい。涙ぐむ紀代の頭を、さやがなでた。


「ごはんありがと」


 感極まって顔を覆う紀代を、智次が訳がわからないまでも、なだめるように背を撫でた。


「ありがとうございます、ありがとうございます。虚神狩り様! いつか故郷へ帰れると思えるだけでどんなに心が救われるか!」

「へーぞーはうろがみがりじゃなくて、うろぎりなんだよ」

「おい」


 平蔵がとがめるように呼んでもさやはどこ吹く風だ。むしろ不思議そうに見上げられた。

 それを耳ざとく聞きつけたのは智次だった。


「虚斬り様ですか」

「様付けされるようなもんじゃねえよ」


 顔をしかめて平蔵が言えば、智次の隣で聞いていた紀代は、くす、と笑った。


「はい、ありがとうございました、虚斬りさん」

「この恩は、いつか必ずお返しします」


 二人の言葉に、さやは少々自慢げに平蔵はうっとうしそうに片手を振ったのだった。



 その後、とある町に「虚斬り」と名乗る男と童女の鞘神が現れ、虚神憑きとなっていた庄屋を奉行所に突き出した。

 しかし虚神も虚すでに斬られていたにも関わらず生きている庄屋に、奉行所付きの虚神狩りは仰天し詳しい話を聞こうと男を留め置こうとした。

 しかし本物の虚神狩り免状を持っていたその男は、いつのまにか風のように去っていたという。


平蔵、駆け落ち夫婦に出会うこと。完


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虚斬り平蔵 おっさんと幼女の魍魎退治記 道草家守 @mitikusa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ