【完結】四年目と一年目の観覧車

空廼紡

四年目と一年目の観覧車

 とある遊園地の観覧車。


そこの四番目の箱には、幽霊がいる。




「恵理ちゃん、また来てくれたの?」




窓際のところにちょこんと可愛らしく座っている彼女は、私が入ってきたことに気が付くと、愛嬌のある笑顔で私を出迎えてくれた。




彼女の出で立ちは、肩までしかない黒髪をピンクの花が一輪咲いたヘアピンで留めただけの髪型に、青くてスカートのところがふわもこっとしたワンピースの上にカーディガンを羽織っている、いかにも精一杯おしゃれしてきましたって感じだ。




「相変わらず、ずっとそこに座っているのね」


「恵理ちゃんも相変わらず、幽霊のわたしに会いに来るなんて相変わらずだね」




なんだか申し訳ないな、と眉を八の字にして笑う彼女に、気遣わなくてもいいわ、と応えた。




「でも、死んでいるわたしなんかより、生きている人と話す方がいいと思うの。こういう遊園地だって、素敵な人と一緒に楽しんだ方が」


「残念ながら、生まれてから今まで彼氏とかいたことないし、恋愛運もとっくにないから、素敵な人と出掛けられないの。本当はね、ここは縁の遠い場所なのよ。私にとっては」


「恵理ちゃん、美人だし優しいから、すぐに出来ると思うけどなぁ」




彼女は不思議そうな顔をして首を傾げた。


私は美人でもない。むしろ醜いのに美人なんて、滑稽すぎる。


彼女は本当に素直な子だ。可愛いと思ったものは正直に可愛いと言うし、美人にはうっとりとした顔で見つめるし、逆に醜いと思ったらどう言っていいか分からず黙ってしまう。




彼女は私の事を優しいと言ったけれど、何処かだ。


私は全く優しくなんかない。優しい人というのは、他人を気遣って想い、自分のことは二の次で他人を優先して、他人の幸せを願う人だ。そう、この子のように。


私は全く逆だ。他人を気遣わないで、自分の幸せばかり。自己満足の塊みたいなものだ。


ここにいることが、それを語っている。




「そういえば縁の遠い場所なのに、どうして一年前、一人で来たの?」




一年前。それは私が初めてこの遊園地に来た日であり、彼女と初めて会った日でもあった。


とある理由でこの観覧車に入った私は、彼女と目が合い、硬直した。彼女も固まっていてしばらく私たちは見つめ合った。


そして彼女は言った。




『あなた、わたしが見えるの…?』




そこで私は彼女が幽霊になっていることに気付いた。


私は彼女の事を訊いた。だが彼女は、自分が死んだ原因はおろか、自分の事も過去も全く覚えていないというのだ。




『ここから出ようとしても、どうしても出られないの。きっとわたし、地縛霊になっちゃったのね』




そう言った彼女はどこか楽しげだったのをよく覚えている。


地縛霊ってあまり良いイメージないのに、どうして楽しそうだったのか。この子の価値観が分からないってその時思った。




無理にそんな風に笑ったのか、はたまた本当に可笑しかったから笑ったのか。聞いたことないから、今も知らないままだ。知るつもりも聞くつもりもないから、一生知らないままだろう。


あれから一年。私は毎週水曜日にここに通っている。




「よく一年とか分かったわね。ずっとここにいたんじゃ、曜日感覚とかなくなっていると思うけど」


「ほら、ここってクリスマスになるとライトアップされるし、夏になったらパレードもあるから、なんとなくどれくらい経ったか分かるの。わたしが気付いた時には、パレードがあったし、わたしの服装から推測するに…夏ぐらいに死んだのかな? 恵理ちゃんが初めて来たときもパレードやっていたから、最近パレードやり始めたし、大体一年目かなって」


「…クリスマスとかパレードとか、そういうのは覚えているのね」


「え?」


「記憶がないのにって」


「あ、言われてみれば確かにそうだね。まだ完全に記憶は失っていないってことかな?」


「さぁ? どうでしょうね?」


「む~。恵理ちゃんの返答が適当すぎるよ…ま、それは置いといて! 今日もお話ししよう?」




 なんて切り替えの早いこと。


両手を合わせて、首を傾げてこちらを窺う彼女は、女である私から見ても可愛いと思う。私は頷いた。


でも、女同士だからといって、会話の内容が恋バナなわけがない。




一方はほとんどの記憶を失った幽霊に、彼氏いない歴は年齢という華やかな経歴を持つ私だ。当然、そうであっても恋バナは出来る。実経験を話さなくても、案外妄想で出来るものである。


ただ私たちには恋バナという選択肢が鼻っからないというだけ。


どういう話をするのかというと。




「前に恵理ちゃんが言っていた、恋と愛の違いについて考えたんだけど」




哲学的な何かだ。


昔話一つも出来ないあの子にお題を与えて、その答えを一週間後に出すという宿題みたいなお話。


今回の題名は恋と愛だから恋バナに近いようで、あまりにも遠すぎる話題だ。




「恋は一方通行で、想いが通じ合えたら愛ってわたしは思うんだ。なんかそんな感じがするの」


「なんて一般的な考え。両片想いだったらそれは恋なの? 愛なの?」


「両片思いって?」


「友達以上恋人未満的な状況のことね」


「うーん…そう言われたらどうなんだろう? それこそ恋愛なのかな?」


「洒落たことを言うじゃない」


「恵理ちゃんはどう思っているの?」


「私? 私は、恋は相手を手に入れるために手を汚すことが出来て、愛は相手の為に手を汚すことを躊躇わない。そう思っているわ」




それが恋と愛。二つの違いだと私は思う。


それは私の体験談であり、身を以て知らされたことだ。


だから私の中で、この考えは絶対的なのだ。




「なるほど。恵理ちゃんって経験豊富なんだね」


「そりゃ、記憶がないあなたよりも経験があるでしょうよ」


「そうですね」




てへ、と彼女は舌をちょこっと出しておどけて笑った。


本当、この子は自分とは正反対の性格をしている。純粋無垢でいつも笑顔を忘れない。私なんか、汚れきっているし、この子のように愛想のある笑顔なんて出来っこない。自分がそんな笑顔を浮かべているところを想像したら、おぞましくして鳥肌が立ってしまう。


なんていうかこの子を見ていると、怒りと憎しみと愛おしさが入り混じった感情に振り回される上に、遣る瀬無い気持ちになる。




「そういえば、昨日思い出したんだけどね」


「ん?」


「恋を知るまでは女子は女性ではなく、男子も男性ではない。だから恋は男女ともに、成長するために必要なのである」


「…?」


「っていう言葉を思い出したんだけど、この言葉ってどこで覚えたんだろうなって…」


「私が知るわけ…あ」


「心当たりがあるの?」


「そういえば、名言集にそんな感じの言葉があったわね。たしかサミエル? サミュエル? そんな感じの名前の人の言葉だったような…まぁ、いいわ。それがどうしたのよ」




「恋って本当に成長する上で大切なことなのかな、って」


「唐突のような、自然な流れのような…あなたはどう思っているのよ」


「記憶がないから分からないけど…けど」


「けど?」


「なんかね、そう言われると胸が暖かくなるけど、胸がぎゅうううって締め付けられるの。不思議だね」


「……そう」


「恋って成長するものなの?」


「人によるんじゃない? 私、そこまでいい恋愛したことないし」


「良い恋愛と悪い恋愛があるの?」


「あるわよ」




私は断言した。


足を組んで、私は外を見やった。


ここの遊園地の観覧車は、とても大きい事で有名だ。しかも山の上にあるものだから、見晴らしがとても良い。今日は晴天だから、見下ろしている街の向こう側までよく見える。と、言っても街の向こう側は山だけれど。




この街の病院。彼はそこにいる。


私の幼馴染みであり、不器用な私が唯一恋し続けた男。


その恋心のせいで、私は、彼は。




「成長する恋も確かにあるわ。けど堕落してしまう恋もあるのよ」


「堕落……? 悪い方向に転がる恋?」


「ええ。取り返しがつかないことをやってしまった恋。恋ばかりが行き過ぎちゃって、愛に辿り着けなかったのよ」


「恵理ちゃん……」




彼女は私が堕落の恋をしたことを悟ったのだろう。なんて話しかければいいか分からない。どうすればいいか分からない。そんな想いを押し殺したような、とても悲しそうな顔をしていた。


もう、そんな悲しい顔しないでよ。余計に惨めになっちゃうじゃない。




「私ね、昔とある言葉が好きだったの」


「?」


「『恋と戦争には、あらゆる戦術が許される』っていう言葉。昔の劇作家の言葉なんだけどね。その時、私はその通りだわと思った。ちょっとくらい汚かろうが、彼が私のものになるのなら、たとえ他の誰かを傷付こうが構わない。こっちは人生がかかっているんだから。私は彼以外の男を愛せない。私以上に彼を想っている女なんていない。そう思っていたのよ。悪をその言葉で自分のほうが正しい、正義だ。そう思い込んでしまうことによって、自分を正当化してその言葉のせいにして、自分を守ろうしたのよ。どんなに最低最悪の事でも、私はただがむしゃらで彼の気持ちなんて考えていなかった。冷静になった時、もう何もかもが遅かったわ」


「恵理ちゃんは…大好きな人を傷付いちゃったの?」


「その人だけじゃない。その人の大切な人も傷付いちゃったの。なんとか償えないか。償う方法を色々と試してみたけど、どれも駄目だった」




そして結局償えなかった。


なんとも愚かで滑稽なのだろうか。




「何が許されるよ。許されないじゃない。そう思っていたけど、誰も傷付けない策士に私はなれなかっただけなのね。いや、恋に傷は付きものね。ただ正義の味方になりえなかった…いいえ、正義だって人を傷付けているのだから、どれが正しいのやら。だったら何て言えばいいのかしら? 化粧が落ちて顔がドロドロのピエロ? 下手な手品を見せる手品師? それとも出来損ないの道化師?」


「……」


「まぁ、どれでもいいわ。どれも同じこと。全部私が悪いのだから、何て思われようがどうでもいいわ」


「でも恵理ちゃんは…全力で恋したんだよね」


「悪い方向に全力で走っちゃったけど、そうね。フルマラソンを始終全力ダッシュしたくらい、一生分の体力を使い果たすくらいには恋をしたわね」


「その人のこと、すごく好きだったのに償わなきゃいけなかったの?」


「悪いことをしたから償う。当たり前でしょ」




「でも、好きになったこと自体は悪くないと思うよ。それで償うってなんかおかしい気がする。むしろわたしはすごいと思うな」


「なんでよ」


「そこまでその恋を手に入れたくて行動することって、良くても悪くてもすごいよ。わたし臆病だし、相手の事傷付くと考えるともうこのまま何もしないで終わっちゃおうかって、諦めると思うから恵理ちゃんは努力家だね」


「そんな、大層な物でもないわよ」




苛々を押さえつけながら、私はふんぞり返った。


努力家だったわけじゃない。むしろ私は面倒臭がりだった。


ただ単に恋に盲目だっただけなのだ。彼が一人になることで自分のものになると、そんな確証も証拠もなかったくせにそう信じて思い込んでいた。私はすごく痛かった。




馬鹿な私。




二人を引き裂くことでアイツが私のものになるなんて、なんて自意識過剰。そんなことをした私を彼が好きになってくれるわけなんてないのに。むしろ嫌われるというのに。


どうしてそんな根拠のない自信に溢れていたのか。必死だったからか他の事を考えられなかったのか、世界には彼と私しかいないと思っていたのか。当時の自分に問いだしてみたいわ。


あの日、寄り添うようにして歩いていた二人。とても幸せそうな二人の姿を見て、ただ絶望して、片割れを憎んで恨んだ。けど今は、思い出してもそんな感情は湧いてこない。


どうして、浄化する前にあんな事をしてしまったのかしら。




「……」




問いだしても、仕方のないことだ。


過去の事はもうどうすることもできない。


どれだけ後悔しても。


理不尽な不幸を押しつけられても。


過去に起きた運命には抗えない。


その過去……私が犯した罪に対して、私がこの子に出来ること。


そう。私は罪滅ぼしの為にも、この子を……この子に未来を……。






「え、恵理ちゃん?」




彼女の声に私は我に返った。


落ち着かないようにもぞもぞと身体を揺らしているのを見て、私は彼女を無意識に見つめていたことに気付いた。




「あぁ、ごめんなさい。ところで」


「な、なに?」


「この遊園地、閉鎖されるって」


「え……?」




 沈黙が走る。


 彼女は目を見開いたまま、私を凝視していた。




「もうここも長いからね。遊具も建物も人も寂れちゃって……知っている? ここ、地面も罅割れているのよ。山の上だし、此処に来るまでの道のりが長いし緩やかだけどカーブ多いから、気軽に来られないのかしら? 最近は不況だしここも経営難になっちゃったのね」


「いつ……閉鎖するの?」




 動揺しながらも訊いてきた彼女に即答で応えた。




「来週」


「来週!? どうして言ってくれなったの!?」


「私だって、ついさっき知ったばっかりなのよ」




 ここに来る直前、スタッフの会話を聞いたのだ。筋が筋だから間違いない情報だ。


 ここは私が小さい頃からあったから寂しいと思うけれど、もう私には関係ないことだ。




「ということは、もう恵理ちゃんここには来られなくなるんだね……寂しいな」




 明らか様に落ち込む彼女を私は見つめた。


 そして決意を胸にある事を口にする。




「あなた、ここから出られないってことだけど…たしか大きなバリアに張られているみたいで跳ね返されるって」


「そ、そうだけど……どうしたの? 急に」




そうね。あなたにとっては、突然で私が何言っているのか分からないわよね。


でも、もう時間がないの。


私は以前から考えていた。実行は未定だったけど、もう時間が残されていない。


閉鎖と同時に、この遊園地は取り壊される。




つまりこの観覧車も壊されてしまうということで。この観覧車がなくなったら、彼女は……。


どうなるのだろう。魂も壊されてしまうのだろうか。


けど、どっちにしたってそろそろ解放してあげなくちゃ。


あなたも。私も。


過去から、そしてあなたという私という鎖を断ち切りなくちゃ、誰も救われない。




「その原因なんだけど、あなたの心が原因なんじゃないかしら」


「本当に、どうしたの?」




訳が分からない。いつもの恵理ちゃんじゃない。


彼女の目から、その言葉を読み取れた。


そんな彼女に構わず、私は言い続ける。




「あなた、ここから出たくないんでしょ?」


「出たいよ」




即答だったけど、戸惑いの表情を浮かべていた。




「もう、いきなりどうしたの。わたしだって成仏したいし、いつまでもここにいたくないよ。何故かここに入りたがる人いないけど、寂しいし一人は嫌だよ?」


「入りたがる人なんて、いるわけがないじゃない」


「え?」


「今から五年前だったかしら。この観覧車で事故が起こったのよ。観覧車から人が落ちたって。だからこの観覧車、不人気なの」


「そう、だったの」


「まあ、話を戻しましょう。どんな話だったかしら。そう、成仏したいとかここにいたくないっていう話だったわね。そうね、当たり前の事ね。でも、死ぬ直前のあなたはどうだったのかしら?」




「どういう、こと?」


「記憶がないあなたがここから出たい、と思うのは自然な事よ。けど、死ぬ直前のあなたは? もしかしたら、もう辛いから。痛いから。一人になりたいから。そう思っていたんじゃないかしら? トラウマかしら。それを心のどこかで覚えていて、無意識のうちに拒絶しちゃっているんじゃない?」


「分からないよ……」




とうとう彼女は俯いてしまった。心なしが震えている気がする。


私は外を見やった。地上が近付いてくる。そろそろ降りる時間だ。悠長はしてやれない。




「拒絶するのも無理もないわ。けど、いつまでも逃げないでくれる? 周りの人たちが迷惑しているわよ」


「……? わたしがここにいるから、遊園地の人に迷惑かかっているの…? だから閉鎖しちゃうの…?」


「閉鎖はあなたのせいじゃないわ。ここの経営者とか立地条件が悪かったのよ。そっちじゃなくて、あなたの大切な人たちが」


「え……」


「ほら、私も手伝うから。さっさと降りる準備をしなさい」


「手伝うって」


「一回でもいいから、降りてみたら? 私が手を引いてあげるから」


「恵理ちゃん、強引なんじゃ」


「私からのお願いよ」




お願い、と言われ、彼女は渋々といか動揺しながら、というか顕著しながらというか。とりあえず、立って私の手を握った。


私は知っている。彼女は「お願い」という言葉に弱いのだ。




ガタン、ゴトン




次々と前に乗っていた人たちが降りていく。




「ねぇ、恵理ちゃん」


「ん?」




彼女は私の手を強く握り締めた。


その手はすごく震えていた。


弾かれるのが怖いのか。


それともトラウマからなのか。


私には分からない。


分かろうとも思わない。




「もし、ここから出られたら、わたし成仏するかな?」


「あなたは成仏じゃなくて、戻るのよ」


「どこに?」


「それは戻ってからのお楽しみ」


「分からないや、恵理ちゃんの言っていること」


「戻ったら分かるわ」




私もその手を強く握り返した。


私は知っていた。


これが彼女との最初で最後の触れ合いだということを。


その冷たくもどこか暖かい手の感触を、味わうかのように私は強く握り返した。


もう地上だ。




「ねぇ、恵理ちゃん」


「なに?」


「もしわたしが戻って全部思い出したら、わたしの名前呼んでくれる? わたし、恵理ちゃんを探してわたしの名前教えるから」


「……嫌よ。呼んであげない」


「むう、いじわる」




扉が開かれる。


その言葉の先を言いたくなくて、私は彼女の手を強く引いた。


外に出た。


同時に彼女の手の感触が消えた。


さっきまで乗っていた箱を振り返ると、そこにはもう彼女の姿はない。


箱が空に上がって行くのを見送って、私は空を仰ぎ見た。


雲一つもない、青海の空。吸い込まれそうで、空を飛べそう。




(飛べそう、だなんて。あの子の影響かしら)




くすりとわざと笑って、私は大きく息を吸い込んだ。


気持ちいい。


心が気持ちいい。


こんな晴れやかな気持ちになったのは、実に五年以上ぶりだ。


後から降りてきたカップルが私を通り過ぎる。いや、私の体を透けて行く。


カップルも観覧車の係も私の存在に気付かない。無理もないことだ。


太陽が眩しくて、手を翳して私は気付いた。


私の体が半透明になっていることを。




(嗚呼、私、やっと逝けるのね)




彼女は自分の事を死んでいるって思い込んでいたけど、それは違う。


本当に死んでいたのは、私のほうだ。




(これで、罪滅ぼしになったのかしら)




目を閉じる。


浮かんだのはアイツの顔じゃなくて、さっきの彼女の言葉だった。




『もしわたしが戻って全部思い出したら、わたしの名前呼んでくれる?』




呼んであげるものか。


私にとってあなたは、もう会わない存在で、私がずっと欲しかったものを手に入れたのに、それを手放そうとした、憎々しくて名前を思い出すだけでも苛々する、けどとても可愛い子。




意地でも呼びたくない。


だから呼んであげない。


意地っ張りとも何とも言うがいいわ。


これが最後の悪足掻き。私のプライドなんだから。




だんだんと意識が遠くなっていく。


あぁ、もうすぐ。私はいなくなるのね。


私が往く先は分からない。


地獄? 天国? 三途の川?


行った事ないし実際にあるかどうか分からないけど、どれにせよ私は構わない。


思い残すことはもう、なくなった。




「アイツを幸せにしなきゃ、末裔まで呪ってやるんだからね」




そしてあなたも幸せになりなさいよ。


意識が闇に沈む中、アイツの泣き声とあの子の涙染みた笑い声が聞こえたような気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】四年目と一年目の観覧車 空廼紡 @tumgi-sorano

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ