【完結】『アリス』はいない

空廼紡

『アリス』はいない

『創造の魔法使い』と呼ばれていた青年、テオドールが死んだ。


 彼の正確な年齢は不詳。長く生きすぎたから、数えるのも面倒くさくなったというのは本人談である。だから本当は老人と呼ぶべきなのだろうけど、見た目はとにかく若く整った顔をしていたので青年と呼んだほうが自然だった。

 専門書がびっしりと並べられた本棚に囲まれたそこは、古びた塔の中だ。書庫と呼んでいた場所の中心にある椅子に座り、事切れている彼を見つめる一人の少女がいた。


 見た目の歳は約十四歳。黄金の髪を二つに分け高く結い上げている。肌は陶器のように白く、書庫の薄暗い灯に不気味と映える。感情が見えない、澄み切った空の瞳には光が灯っていなかった。

 まるで人形のような容姿をしている少女の名はアリス。テオドールの魔法で創られた生命体である。


「テオドール様」


 生みの親であり主である彼の名を紡いでみる。当然返ってくる言葉はなく、アリスは立ち尽くしていた。





「また失敗した」


 生まれてきたアリスを見て、テオドールは落胆した。

 生まれてきたばかりのアリスには、その言葉の意味が分からなかった。端整な顔が絶望に歪んでいるのが不思議でたまらなかった。


 失敗した、と言っていたが、今までの失敗作よりも比較的成功したから、とテオドールはアリスに名前を付け、自分の助手として失敗作を傍に置いた。

 失敗作たちがどこに消えたのか分からない。彼曰く、あるモノは風に、水に、土に、蝶に生まれ返らせたという。本当のことなのか知る術はなかったから信じるしかなかった。


 テオドールの傍に置いてもらえることを許されたアリスは、一生懸命働いた。

 家事を覚えるのに時間は掛からなかった。家事を完璧にこなせるようになった後は、テオドールの研究の手伝いをする傍、常識を学んだ。


 家事や手伝いが上手に出来た時、勉強で分からなかったことが理解できた時、テオドールはアリスの頭を撫でて褒めた。それが嬉しくて、尚励んだ。

 でも時折、彼は眉間に皺を寄せて苦々しくこう言い放った。


「やっぱり君は失敗作だな」


 一回目は聞き間違いかと思っていた。だが二回目で聞き間違いではなかったと理解し、その言葉に反応した。


「わたし、何かやらかしましたか?」

「いや。君はよく働いてくれるし、物覚えもいい。一回失敗したら、もう同じ失敗はしない。実に優秀だ。ただ」

「ただ?」

「僕の理想と違う。ただ、それだけだ」

「理想、ですか?」

「気にしないでくれ。君が悪いわけでない。僕が愚かだったんだ」


 それでも主は何回もその台詞を口にした。記憶力は良いので自分の発言を覚えていないわけがないのだが、自分に言い聞かせるように何度も繰り返し言い続けた。


(何百回も言われ続けたら、嫌でも気にしてしまいます。たとえ、作り物の心だとしても)


 いつからだっただろう。彼がアリスじゃない誰かを見ようとしていることに気づき始めたのは。

 本人に直接問いたことはない。ただ、自分に向けた眼差しが自分を映していないこと、時々名前は出なかったがどこかの誰かと比べられたこと。他にもあるが、そこは割愛してもそう思わざるを得ない出来事が多数あった。


 きっと今までの失敗作もそして自分も、その子似せようとして創られたのだろう。もしかしたら似せようとしたのではなく、その子を、恐らく『アリス』という名前だったのだろう少女を蘇らせようとしていたのかもしれない。『創造の魔法使い』の称号もその副産物でしかなかったのだ。


(ぜんぶ、わたしの憶測でしかないから確証はないけれど、きっと当たっている)


 遺言のこともそうだ。テオドールは自分が死ぬことを悟り、アリスに最後の命令を言い渡した。


「僕はもうじき死ぬ。最期は書庫の椅子に座りながら死にたいから連れて行ってくれ」


 ベッドから動けなかった主は、アリスにそう頼んだ。その時初めて、主の口から死ぬことを告げられた。驚きもしなかった。血を吐き始めた頃から覚悟をしていたことだから。


「分かりました。亡骸はどうなさいますか?」

「そのままずっと、椅子に座らせてくれ。骨が朽ちてもだ」

「どうしてですか?」

「最期くらい思い出に抱かれながら、眠りたい。ただ、それだけだ」

「思い出、ですか。思い出というものは、抱いてくれるものなのですか?」

「なに。ただの例え話だ。思い出は触れるものであり、縋りつくものだ。抱いてはくれないだろう」

「ただ縋りつきたいだけなのでは?」

「そうかもしれんな…あれから百年以上経っているというのに、頭にこびり付いて離れてくれない…まったく、死んでも僕を振り回すとははた迷惑なヤツだ」


声色は心の底からうんざりしている風なのに、顔は慈愛で緩みきっていた。


「そろそろ、移動しないと間に合わないな。頼む」

「はい」


 まともに動けない主を支えながら、書庫に向かう途中、掠れ声で主は呟いた。


「すまない、お前を独りにさすんならお前を生まなければよかった」

「…」

「最後の最後まで、お前を愛せなかった…身勝手な親で、すまない」


 アリスは驚いた。テオドールがアリスの親だと認めるような発言を初めてしたからだ。

 ぎゅっと主の服を握り締める。平然を装うと、震える喉を叱咤して、返答した。


「身勝手なのは今更ではありませんか。それとわたし自身、このまま生きていくのも悪くないと思っているので気に病むこともありませんよ」

「すまない…ありがとう」


 それっきりアリスもテオドールも黙り込んだ。それが最後に交わした会話になった。





 テオドールの亡骸を眺めながら回想し、書庫をぐるりと見回す。

 思い出に抱かれながら眠りたい、そう願った主。きっとこの部屋には、少女との思い出が詰め込まれているのだろう。

 偽物の自分がいつまでもここに居るのは駄目だ。ここに入るのはこれで最後にしよう。主がゆっくりと思い出に浸れるように。


「テオドール様」


 主の亡骸にゆっくりと歩み寄り見下ろす。


「あなたは愚か者でした」


 愛せなかった、と言った主。つまりそれは、結局『アリス』は『アリス』ではなかったという事だ。死者が蘇ることなんてあり得ない。そんなこと聡明なこの方なら分かりきっていたはずなのに。無駄に縋って足掻いて期待して。その結果がこれだ。生きた人形を生んでしまったことに後悔して、そのくせに思い出に逃げて最期まで自分勝手に生きて死んだ。


「わたしが『アリス』ではなかったら、誰なのでしょうね。いえ、それはもう過ぎたことですね。あなたの『アリス』は、もうこの世にいないのですから。わたしはただの傀儡でしかない。ただそれだけです」


 主の口癖を言ってみて、口元に弧を描く。


「ねえ、テオドール様。たとえ、あなたがわたしを見てなくても、わたしはあなたが好きでした。本物の『アリス』は、あなたのことをどう想っていたのか知りませんけど、たとえあなたが嫌な顔をしても絶対に譲りませんからね。この想いは、偽物でしかないわたしにとっての唯一の本物ですから」


 ずっと言えなかった言葉。屍になったからこそ言えた。返事はもちろんないけど、胸は不思議と満ち足りていた。


「おやすみなさい、テオドール様。あちらで『アリス』に会えるといいですね」


 笑顔で囁き、人形は踵を返す。部屋の明かりを消し、部屋を出る直前テオドールを一瞥してから、静かに扉を閉じた。

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