合理的な男

エフ

第1話

男は窓の外を見ている。


趣味のために入った喫茶店で、いつものランチセットを飲食しながら。


30半ば。

平日の昼間。

着の身着のまま。

しかし、自由業ではない。


男は働いていない。

働く必要性を感じないから、働いていない。


両親に寄生して、ダラダラと、ただ生きている。

親からの“最終勧告”は、もはや恒例行事だ。

それをのらりくらり、かわしながら、様々な方法で小遣いを貰い、こうして趣味に費やしている。


喫茶店巡りが趣味なのではない。

飲食への関心も希薄だ。






男は窓の外を見ている。

そこからは、暑い中外回りをするスーツ姿のサラリーマンが見える。

涼しい喫茶店の中からそれを見て冷笑するのが、男の数少ない娯楽だった。


「気の毒に。あんなに汗をかきながら働いちゃって。」


「どこかの成功者が昔言ってたな。働く必要が無ければ、働かなくていいと。」


「同感だ。働く必要が無いのだから、俺は働かなくていい。それが合理的だ。」


男は自分の合理性を信じていた。

正確に言えば、様々な著名人の話を継ぎ接ぎして、自らの心に合理の城を築いていた。


男は気づいていない。

男が老い死ぬまでの金を、両親は持っていないということに。

合理の城が砂上の楼閣であることに。


気づいていないので、今日も窓の外を見て、労働を冷笑している。






「ゴホッ・・・」


3つ離れた席からの臭いに、男は不機嫌な咳をした。


分煙の曖昧な店。

それを口にする人間を、男は心底馬鹿にしている。


「わざわざ金を払って、肩身の狭い思いをしながら身体に悪いもん吸って、馬鹿なんじゃないのか。合理性の欠片も無い。」


窓に映る喫煙者を睨んだ男は、その腕につけられている時計も気に入らなかった。


「スマホでいいだろ。時間なんて。腕時計なんて格好付け以外の何でも無い。あんなもの、仮に100万しても俺にとってはゴミだ。まるで「私は非合理です」と言ってるようなものだな。」


窓に映る非合理な喫煙者にケチをつけた男は、その奥の酒棚に気づいた。


「そういえばこの喫茶店、夜はバーになるんだったか。」


「考えてみれば、煙草も馬鹿だが飲酒も馬鹿だ。害ばかりで何の合理性も無い。」


「そもそも、そんなものを提供しているこの喫茶店は、世の中に必要無い。人が生きていく事と直接関係しない商売なのだから、虚業だ。」


新たな非合理を発見し、男は益々良い気分になった。

その調子でまた窓の外を眺めると、今度は道路を挟んだ先の公園で、母親と子供が遊んでいるのを見つけた。


「くだらない・・・。」


「結婚ほど非合理なものがあるだろうか。支出も責任も大きくなり、自分の時間も奪われる。しかも離婚する確率の高さも無視できない。」


「子孫を残すことが生物の目的と言う奴もいるが、動物と人間は別だ。理性ある人間は、よっぽど条件が揃わない限り結婚なんてしない。非合理だ。」


男は新たな非合理を見つけ、今度は不機嫌にそう思った。

そして窓に映る不機嫌そうな自分を見て考えた。




「考えてみれば、俺のこの服装は、合理的だろうか。俺にとって服などというのは、要するに、警察に捕まらなければ何でもいいはずだ。」


「では色は?サイズは?デザインは?」


「そんなもの一切気にする必要無いはずだ。合理的ではない。」




男はさらに合理性を追求した。




「この髪型・・・合理的だろうか。」


「こんなもの、もし邪魔なら坊主でいいはずだ。」




男はさらに合理性を追求した。




「考えてみれば、俺はなぜアイスコーヒーを飲んでいるのか。水分が欲しいなら水でいいはずだ。」


「俺はさっきサンドイッチを食べたが、もっと効率よく腹を満たし栄養を摂取する方法があるはずだ。」


「合理的ではない。」


ある面で合理的、また別の面で非合理的な存在が人間であることを理解するには、

男は人生経験も知力も足りていなかった。




極端な男は、さらに合理性を追求した。




「そもそも、生きることの合理性とは何だ。人は何のために生きている。」


「もし生きることに意味が無いのだとしたら、せめて楽しく生きていきたいものだ。」


「俺の今後の人生は、「苦」と「楽」、どちらの方が大きいのだろう。」


複雑な現実を無理やり2つに分けて考えようとするのは男の思考癖だった。

蟻が2次元までしか認識できないように、この癖が、男の思考をいつも平面的にしていた。


「「楽」について考えてみれば、まぁこうして社畜観察をしているのは楽しい。自宅に帰れば、ネットで様々な娯楽を享受できる。」




「それ以外は?」







「・・・何も無い。意外なほど無い。」







「では「苦」はどうか。これについては心当たりが多すぎる。」


「もしかしたら、俺の今後の人生は、「楽」より「苦」の方が大きいかもしれない。」


「もしそうだとしたら、生きることそのものが非合理ということにならないだろうか。プラスよりもマイナスが大きいのだから。」


「合理性を追求すれば、そういうことになる。」









「もしそうなったら、もう全て止めてしまおうか。つまり、自分の命を絶ってしまおうか。」





「いや・・・。」






「それは、死に伴う「苦」を過小評価しすぎかもしれない。」


「もし何の痛みも無く、一瞬で、消え去るようにこの世をあとにできる装置が使用できるのだとしたら、俺は迷わずそれを使うだろう。現実にそうはいかないから、困るのだ。」


「つまり、自分の命を絶つことに伴う「苦」よりも、今後の人生で訪れる「苦」の方がまだマシだと、俺は考えているのだろうか。」







「いや待て。「苦」だけを考えるから救いが無くなるんだ。何かしら、今後の人生に「楽」もあるんじゃないか?」


「ではその「楽」とは?どんな楽しみが?どんな安らぎが?」










男は気づき、考えるのを止めた。

それ以上は、先ほど非合理と切り捨てた数々の行為を肯定することに繋がるかもしれないから。






氷が鳴った。

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