Aパート3
事務所を出て駐車場についた瓶価塔は、秋津號が青い中古の軽自動車の脇にいることを確認してほっと胸をなでおろした。
彼女がこちらの話を無視していなくなってしまうということはあまり考えていなかったが、先程の出来事が全て白昼夢でないことを確信できていなかった。
ズボンの後ろのベルトに引っ掛けた硬い物を意識しながら、軽自動車の鍵を開けた。
使い古され、様々な部位が草臥れた車の中では、タバコの匂いがむっと鼻をついた。
秋津號も助手席側のドアを開け、助手席に座った。
瓶価塔も運転席に座り、鍵を車に刺そうとしたとき、ふと手を止めた。
「すまない、忘れ物をした。すぐに取ってくるから待っていてくれ」
秋津號の返事を待たず、瓶価塔は車から出て、事務所への階段の手前に来たとき、事務所の中から音がしたのを聞いた。
瓶価塔は物音を立てないように、そっと階段を登り、ドアの曇りガラスを覗き込む。
曇りガラス越しに人影が見え、一層緊張を深めた。
ズボンの後ろに差し込んだ黒鉄にそっと右手を添えて、左手で事務所のドアを開いた。
「おっ、どったの? トメローちゃん」
「……なんだお前か」
事務所の中にいたのは屋良だった。
その手にはなぜか瓶価塔のコートを掴んでいた。
「忘れ物?」
「ああ、お前が今持ってるモンだ」
「あっそ」
屋良は手に持っていたコートをほいと投げた。
瓶価塔はそれを受け止め、目を細めた。
「どうしてお前がここにいる?
さっき出たとき一緒に追い出しただろう」
「合鍵で開けた」
そう聞かれることを見越してか、ポケットから銀色の鍵を取り出し、鍵の先端を見せながら、屋良はにんまりと笑った。
瓶価塔は許可を与えずいつの間にか作られていた合鍵を奪おうと手を伸ばすも、さっと避けて自身のポケットに戻してしまう。
「まあまあ、硬いこといいっこなしよ。
トメローちゃんの留守にしても、事務所を守ってくれる頼もしい友人がいるってことで、いいじゃない」
「よくない」
屋良とまともに取り合ったとしても徒労に終わるだけだと悟った瓶価塔は、コートを受け取って、屋良の袖を引っ張って事務所の外へ引きずり出した。
合鍵を取り上げなければ、結局の所勝手に事務所の中に入られることは変わりないが、どうせ取り上げたとしても他の合鍵があるだろうと瓶価塔は思っていた。
かといって見て見ぬふりするわけにもいかず、屋良を事務所から追い出した後、自分の持っている鍵で事務所の錠をしめた。
「そういえば、俺のコートに何を……」
瓶価塔が振り返ると、屋良は階段を二段飛ばしで降りていた。
あっという間に屋良は逃げ出していた。
相変わらず、調子づいたやつだ、と小声で独り言を漏らし、瓶価塔も階段を降りた。
再び、瓶価塔は自身の車に乗り、エンジンキーを差し込んだ。
使用年数の長さと整備不良のせいか、キュルキュルと異音を発して起動した。
そのままアクセルを踏み込み、駐車場から発進した。
朝というより昼前の時間帯、車通りもさほどない道を走る。
車中には車体を通じて聞こえるエンジン音と、時折ハンドルを切る際の音のみが聞こえていた。
やがて、赤信号の交差点で止まり、方向指示器を右に出した。
ウィンカーリレーの音が聞こえる中、ちらとサイドミラーをのぞいた後、瓶価塔が口を開いた。
「途中、寄る場所があるが、問題ないか?」
しなやかな猫のように座席に座る秋津號は、まっすぐとフロントガラスを見つめていた。
ウィンカーリレーの音が、10から15程度なった後、秋津號は返事をした。
「なるべくならば、急いでほしいですが、どこへ?」
「取引材料を取ってくるんだよ」
「取引……」
初めて訝しげな表情を浮かべ、秋津號は瓶価塔の方へと顔を向けた。
「満福教団の信者達はどれもこれも金持ちだ。
それなりの地位にあって、荒事を解決するプロへのコネを持っているやつも少なくはない」
「……」
「対立したときに取引できるものがあれば有利に立てる」
「……」
秋津號は返事はしなかった。
瓶価塔は敢えて秋津號の顔を見なかったが、なんとなく「そんなものは不要だ」と言いたがっている雰囲気を感じ取っていた。
信号が赤から青に変わり、そのまま交差点を左折した。
「あんたに敢えて説明する必要もないだろうが、満福教団の集会の様子は異常だった。
違法な薬物を服用しているわけでも何でも無いのに、理性を失った信者達が異常な行動を取っていた」
瓶価塔の脳裏に、実際に自身が見た光景が蘇った。
「後ろめたいことは何もしていなかったが、あの狂乱した様子を写した写真をばらまけば、相当なイメージダウンに繋がるはずだ。
その写真を取引材料として使う」
「……あまり効果があるとは思えませんが」
瓶価塔は運転席に深く座り直し、バックミラーを見た。
「秋津號さん、俺はあんたが何をしようとしているか知らない。
だけど、俺は俺の身を守る必要がある。そのために、取引の材料は絶対に必要だ」
車は街の中を走り続けていた。
前方に踏切が見えたところで、瓶価塔はハザードランプを灯して、車を路肩に駐車した。
「……」
どうかしたのか、という風に秋津號は顔を向けた。
ズボンのポケットから瓶価塔は携帯電話を取り出して見せた。
「すまん、連絡を入れさせてもらう」
折りたたみ式の携帯電話を開き、電源を入れる。
何度かキーを入力し、携帯電話を耳に当てた。
駐車した車の横を後方から迫ってきた車が走るのを見ながら、携帯電話を耳に当てたまま、待機していた。
「ああ、そうだ……今何処にいる? そうか、こっちは今、踏切の手前にいる……」
瓶価塔は車の空調を切った。
よりはっきりとした声で、話し続ける。
「わかった、引き返す。いつものバーで会おう」
瓶価塔は携帯電話を耳から離した。
再度、空調を入れ、ハンドルを握り、運転席に深く座り直した。
「戻るのですか?」
「ああ、悪いな、手間をかけさせて」
「……いえ」
瓶価塔は横目で秋津號を見た。
特にこれといって気にしている素振りもない。
そのまま、瓶価塔はじっと待っていた。
「……どうかしましたか?」
「気にするな、すぐに出る」
前方の踏切が明滅し、横断禁止用のポールが降りてきた。
反対車線では、ポールが降りかけてきているのにスピードを上げて侵入してくる車が見えた。
「……?」
秋津號は自身の重みを助手席で横向きに感じた。
瓶価塔は唐突にギアをパーキングからドライブに切り替え、思いっきりアクセルを踏みつけていた。
途中まで降りかけてきたポールがフロントガラスの上部を叩き、あっという間に通過していく。
対向車線の車が動揺してか、わずかに進行方向をそらす脇を、一気に通過した。
「な、何を……」
瓶価塔はスピードが乗ったまますばやくハンドルを切り、角を曲がる。
その後もジグザグと右折と左折を繰り返して、街の中を半ば暴走するような運転をした。
黙ったまま10分ほど運転を続けた後、ようやく瓶価塔は口を開いた。
「すまないな、秋津號さん。つけられていた」
「つけられていた……?」
「そうだ。多分、満福教団の信者の子飼いの連中だろう」
「いつ、気づいたのですか?」
瓶価塔は秋津號を見た。
この少女はこういった荒事にまだ慣れていないのではないか? という疑問が胸の中から芽生え始めていた。
「踏切前で止まる直前、交差点で信号に捕まったよな」
「はい」
「その時、ウィンカーを右に出して、左に曲がった」
「……?」
秋津號はきょとんとした表情で瓶価塔を見た。
まだ理解していないようなので、瓶価塔は更に詳しく説明した。
「普通、ウィンカーを右に出したら右折する。
が、俺は敢えて反対の方向に曲がった。
そして、後ろについていた車も、全く同じように、『ウィンカーを右に出して、左折した』」
「……なるほど」
「偶然、俺の後ろのやつが運転が致命的なまでに下手くそだったという可能性もあったさ。
だから念の為、一時的に停車して、先に行かせた。
そしてしばらく待っていたら、同じ車が戻ってきた。
二度も怪しい挙動をしたなら、流石に偶然じゃ済まない」
あの車も、踏切内でUターンはできない。
ただ、踏切を出てUターンしたとしても、既に踏切は閉まっていて、追うことは難しい、と瓶価塔は補足した。
「……取引材料を取りに戻るのはやめたのですか?」
瓶価塔は再度空調を切った。
「写真はあるさ。だが取引現場に写真が入ったSDカードを直接、持っていくわけじゃない。
信頼している相手に預けてある」
秋津號は軽く頷いた。
自身で深く聞いてみたのものの、それ以上の興味はなかったらしい。
瓶価塔は不自然にならないように、続きを考えた。
「秋津號さん。
あんたに必要になるかはわからないが、もし俺があいつらに捕まったとして、あいつらと取引をするとするなら、写真の場所も知っておいた方がいいだろう」
「……いえ、いりません」
「そう言わないでくれ。あんたを疑っているわけじゃないが、俺は念には念を入れるタチなんだ」
独り言のように瓶価塔は喋り続けた。
写真の入ったSDカードは、昔から通っている食堂の知り合いに預けていること、その知り合いに特別なメニューの頼み方をすることでSDカードを受け取れること。
秋津號は何一つ返事をしなかったが、ただただ瓶価塔は語り続けた。
一通り話し終えると、再度、空調を入れた。
段々と車の外の光景が、緑の多いものに変化していった。
街の中心地から緑の多い山道を進んでいく。
周囲に建物が見えなくなった頃合いに、瓶価塔は舗装のされていない細い道に入り、主要な道路から見えない位置で車を止めた。
「さて、ここからは歩く」
秋津號は何も言わず、白く細い指でシートベルトを外し、車から降りた。
瓶価塔は自身のシートベルトを外した後、車の灰皿の蓋を開け、そこに手を突っ込んだ。
灰がぽろぽろと溢れるのを無視したまま、中から黒い機械を取り出すと、それをそのまま森の中へと投げ捨てた。
「何をしているのですか?」
「車に盗聴器が仕掛けられてた」
瓶価塔は両手を上げ、そのまま山道を歩きながら話した。
「タバコを吸うのを辞めてから数ヶ月経ってる。
車の中の灰皿の匂いも落ち着いていたが、入ったとき特に強く感じられた。
蓋も心なしか以前よりも動いているように見えたし、数日前から監視されていることも気づいてた」
瓶価塔は盗聴されていることを逆に利用して、電話をするフリをしたり、食堂の知り合いという架空の話をした、と語った。
「俺たちの後をツケられて、不意を突かれて襲われるのが一番最悪のケースだった。
が、満福教団じゃなくて信者の子飼いの連中なら、雇い主にとって不利になるものを優先するだろう?
だから、あんな取引材料なんて話をしたんだよ」
「……」
瓶価塔は秋津號が目を丸くして自分を見ていることに気がついた。
驚きの色は隠せておらず、また、秋津號がここまで人間らしい驚きを見せるというのも予想外に感じていた。
妙な照れくささを感じ、秋津號に背を向けたまま、山道を歩むペースを少し上げた。
「写真は……一応撮っていたんだがな」
「慧眼かと」
「いや……そんなことはなかった。
撮った写真の大半がなんだかよくわからないモヤが出ていて、役に立たなかった。
わずかだが、ちゃんと映っていたものもあったが……」
「ええ、慧眼です。すぐに捨てたのでしょう?」
「……」
瓶価塔の口の中で苦い唾が出てきた。
「ああ、映っちゃいけないものが映ってたから、すぐにデータを消して、SDカードを叩き割って捨てた」
どんどんと山の奥へ奥へと進んでいくにつれ、道はなくなった。
木々の密度は進むに連れて大きくなり、視界が狭まっていく。
瓶価塔は背後をちらと見て、秋津號がついてきていることを確認した。
大人の自分ですら少々辛くなってくる山道だが、秋津號は特に苦にした様子もなく付いてきている。
「もうそろそろだ」
更に進むと、周囲よりも高台になっているところに到着した。
木々の隙間から空を見上げると、森のなかに白い建築物が見えた。
「観光地化に失敗して、十年以上前に破産した観光ホテルだ。
そこを買い取って、改装して……いまや、怪しげな宗教施設に変わってる」
白を基調とし、太陽の光を反射した明るいホテルだったが、瓶価塔にはホテルは薄暗さを周囲にまとっているように見えた。
中で行われていることを知っているから、心理的にそう見えるのだろうと、そう考えながら、瓶価塔は観光ホテルに向かって再び歩み始めた。
怪奇探偵秋津號 kyun @kyun_kaiun
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