十
「たったこれだけに時間取らせちゃってごめん」
十分もかからないことだった。説得力に欠けるとは言えメールとか、図書室で話してもよかったようなものだ。
「それは私が言わないと。でも、よかった。これでまた普通に帰れる」
一つ謎を解決すると、別の事がずっと気になって仕方なかった。
「一つ聞いていい?」
「ん? いいけど、何を?」
「何で子犬だって思ったの? それがなかったら僕も猫だとわからなかったわけだけど」
これは本当に僕が聞きたいことではない。返事される前に言い換える。
「昔のことで、それこそ覚えていないかも知れないけど、シロ探してた時、走る早苗ちゃん見かけたんだ。あの時何をしてたのか、謎解決したあたりから気になってて。美術館目指して走ってたから、連想ゲームみたいに今回の影を子犬だって思ったのかなって」
言いながら、説明下手だなと思う。
けれど、彼女は驚いた顔をした。それはもう見事に。こんな説明でもピンと来るくらい、彼女には印象的な出来事だったのだろうか。
「見てたの」
僕は頷いた。
「離れてたけど、追いかけた。何かに追われてたみたいだったし」
彼女はちょっと意地悪そうな顔をして、
「真広君から逃げてたの」
と言った。
「嘘だ。僕が追いかける前から逃げてたよ」
早苗ちゃんは表情を変えない。
「え、本当に?」
僕がそういうと、吹きだした。
「そんなわけないでしょ。だって、追われてなんかなかったもん」
「なんだ」
「知りたい?」
さっきより勢いよく頷く。
「結構気になってる」
「どこまで追ってたの」
「どういえばいいのかな。途中で見失ったんだけど、向日葵畑が近くにあるからって行ったら君はしゃがんでた。全部後姿だったから、何してたかはさっぱり」
「結構知ってるね」
そして、目を伏せてから話し始める。
「君のお母さんは、危ないから無理に探しに行かなくていいって言ってくれたんだけどね、どうしても探したかったの。シロちゃんのことね」
「うん」
「私ね、多分、真広君が私を見つける前。シロちゃんを見つけたの」
僕は驚いた。彼女には到底及ばないが、とても驚いている人の顔になった。
「でもね、駄目だった。車か何かに跳ねられた後だったのね。倒れたまま冷たくなってた。シロちゃんに会ったことは一度だけだけど、首輪が一緒だったからすぐ、似た子でも何でもなくシロちゃんだってわかった」
「それは……」
「もうね、どうしていいかわからなかったわ」
声がワントーン跳ね上がった。意識的なものだろう。
「だって、今でもわからない。皆が悲しむのだけはわかったからとりあえず抱き上げて、走ったの。追いかけられているって言ったの、合ってるるかもしれない。恐怖心とか、焦りとか、とにかく何とかしなきゃって。皆に言いに行こうとは考えもしなかった。絶対生きてるって信じてたから。馬鹿ね」
「……」
なんと返していいのかわからない。
「思いついたのは向日葵畑。ねえ、覚えてる?」
うっすらと、想像がついた。だって、当時の僕ならきっとそうしてる。
「……天国みたいだって言ってたね」
「うん。一人で何とかしてしまおうって思った私が思いついたのは一つ。死んだら、お墓に埋められるでしょう? でも、この子はどこに埋めたらいいんだろう。一番ぴったり来たのは向日葵畑。私はあのお庭の端っこに、シロちゃんを埋めたの。見つかったらどうしよう、とか、いろいろ考えながら必死で埋めたわ。後でわかったけど、月曜日は休みで誰もいないんだから、そんな心配いらなかったね」
彼女はまっすぐ前を向く。
「だから、あの影が、シロちゃんじゃないかと思ったの。私を恨んでいるのか家に帰りたいのかわからないけど、戻ってきたならそれでよかった」
僕は考える。恨まれるなら僕の方だ、とか、いろんな文章が思い浮かぶけど。
「……道、遠回りのままがよかった?」
彼女はしばらく首を振ってから、答えた。
「ううん。あれが、あの時の私に出来た一番良い行いだから。ずっと不安に思うのは、当時の私に悪い気がする」早苗ちゃんは息をつく。「あれ以上は無理だったよ」
僕もそうだろうか。
「名前、忘れないようにできたはずだ」
早苗ちゃんはなぜか首を振る。
「忘れないと、しんどいよ。それも、当時の真広君にとって一番の行動だったんだよ」
「でも……」
「きっと、もう忘れないでしょ? それに、今日のは、一番よかったかも。だから、大丈夫」
そうか。僕は名前を再び知ることができた。
「大人になったら、もっと良い一番が見つかりそうだな……」
「でも、私は安心したよ? 今できる一番だったなら、いいじゃない」
「そうか……そうだといいな」
あっという間に改札に着いた。景色を見ていなくても、勝手に足は動くものだ。
「じゃあ、またね」
「うん」
僕は定期を取り出す。
ひまわり畑 高野悠 @takanoyu-
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