第四話


 

 九月の間は学校中が浮足立っている。夏休み気分が抜けないということではない。九月の最後の週は学校祭があるからだ。俺たち山岳部は偶然にもイギリス風のカフェをやるということになっていたのだが(キティが聞くとまた怒りそうだが)、キティも俺達を手伝ってくれることになった。

 学校祭に燃える、校内の雰囲気に少々酔いながら、部活の出し物と、クラスの出し物と、体育祭での出し物とをすべて準備するように方々を駆けずり回っていたら、いつの間にやら、学校祭の前日を迎えていた。

 部室で最終の準備をしていたところ、キティがやってきた。

「何か手伝うことはありませんか?」

 何かないかと少し考えたところ、鈴木がカフェの制服として、メイド服を仕立てていた(お嬢様にメイド服を着させるのはいかがなものかと俺は思ったのだが、キティが構わないというので実行されることになった)のを思い出し、それに不具合がないか、確かめてもらうことにした。着替えてもらおうと部室の外に出ようとしたとき、

「あの、美山さん。明日の午後って何か当番とかありますか?」

「午後は鈴木と綿貫と雄大が三人でやるって言ってたから空いてるぞ。俺たちは午前な」

「でしたら、一緒に出し物を見て回りませんか?」

「別に構わんぞ。じゃあ。着たら呼んでくれ」

「はい」

 しばらくして、中に呼ばれて、見たキティのメイド姿は、絶妙に似合っていてなんだかおかしかった。


 次の日の午前は、予定通り、キティと俺、そして一年の四人の計六人で、店を回した。

 キティのメイド姿を見に来たのか、やけに男の客が多かった気がする。店は大繁盛し、忙しさに目が回るようだったが、何とか午後の部につなぎ、キティと二人で校内の出し物を見て回った。

 キティの質問攻撃はこの一か月で大分収まってきたが、少し不思議に思うことを見つけると、肩を叩いては、あれは何ですか、どういうことですか、なぜですか、と俺に尋ねた。いつもならば人にこう、しつこくされれると、俺は逃げてしまうのだが、不思議と不快に思わず一つ一つ丁寧に答えて行った。

 そんなキティの疑問の中でとびきり興味深いものがあった。


「美山さん、美山さん」

「なんだ」俺は中庭でやっていた書道部のパフォーマンスに気を取られていたので、キティの呼びかけに上の空で反応した。

「そこって、確か調理室ですよね」

 ちらりと見たところ、キティが指していたのは、奥の調理室だった。

「そうだが、それがどうした」

「おかしいです。誰もいません」

「そりゃ、営業していないからだろう」

「でも変ですよ。文化祭ですよ。食事を提供する団体はいくつかありますよね。調理室を使いたいと考えるところもあるはずです。それとも調理室は使用禁止なんですか」

「いやあ、どこが使うかで言い争いになったって聞いたぞ。確かとったのは野球部だったか?」俺はまたも書道部のパフォーマンスを注視していた。あのでかい筆は自作なのだろうか?買うのだとしたら相当高そうだ。それに汎用性もかなり低い気がする。

「じゃあなんで、明かりもついていないんでしょうか?」

「それは……なんでかな」ようやくそこで、俺もキティの疑問に興味を持った。


 二人で、調理室に近づいてみた。鍵がかかっていて中に入ることはできなかった。暗くてカーテンも閉めてあるので中の様子をうかがうこともできない。

「妙だな、野球部の連中どこ行ったんだ?」

 何気なく、あたりを見回すと、調理室前にある、水場の蛇口からぽたぽたと水が垂れているのに気が付き、近づいて栓を閉めた。あたりにバケツが五、六転がっている。

 窓のほうから中をのぞけないかと思い、校舎の外に出てみたが、窓側もカーテンが閉めてあって中をのぞくことはできなかった。

 眉をひそめていたところ、野球部の何某君が通りかかったので、どういうことか訳を尋ねてみたのだが、

「いらん事を詮索するな」

「だが、お宅らが使わないのならば、生徒会に報告すべきじゃないか。調理室を使いたがっている団体はたくさんいるぞ」

「知るか。山岳部は部室でやっているんだから関係ないだろ」と随分ととげとげしい反応をされてしまった。そういって彼はそそくさと立ち去ってしまった。

「なぜ彼はあれほど気が立っているのでしょうか?」

「山岳部は嫌われているのだよ。目的なく活動している怠惰な部活だと」

「でも、山に登っているでしょう」

「ただ、登るだけじゃ、トロフィーも優勝旗ももらえないからな」

「それなら野球部だって……」とキティが爆弾発言しそうになったので、危うく口を押さえた。危ない、野球部に聞かれたら、嫌われるどころでは済まない。キティがもごもご言って、

「もう何ですか、いきなり。それより、どうして野球部は調理室の使用権を得ていながらそれを使用せず、しかも誰にもその権利を明け渡そうをしないんですか?」

 どこの部にも使わせたくないから、というのは邪推が過ぎるか。これは俺の色眼鏡を通してみた答えだ。

「そうだなあ、とりあえず、調理室を使用できないような事態が生じているのは確かだな」

「そう思います」

「それをほかの連中に伝えていないというのはどういうことだろうか」

「どうなんでしょうね」

「単なる嫌がらせというのは魅力的な解だな」

「美山さんもしかして、野球部のこと嫌いなんですか?というかなんで嫌われているんですか」

「いんや、べつにい」と言いつつ、思い出したのは今年の春の出来事。全部活の部長と副部長が参加した、生徒会の部活動総会での話だ。

「でも、もしかしたら」

「もしかしたら?」

「まあ、聞け」

 

 部活動総会でのことだ。

 俺も山岳部の副部長として綿貫と一緒にその場にいた。

 部活の部費の振り分けの話をしていた時のことである。山岳部には一年生が六人、二年生が四人、三年生が四人の計十四人の部員がいる。これはほかの部活と比較してみても特別少ないほうではない。例えばラグビー部は十五人という危機的状況で、サッカー部は十四人、野球部は二十一人、テニス部は三十人、卓球部は六人などなど。

 野球部は確かに部員が多い。ところが、山岳部の部費がたったの一万円であるのに対し、野球部の部費はなんとその五十倍あった。全部活の部費を合計すると、およそ百万円弱になるのだが、その半分以上を野球部が持っていくという不合理な状況に疑問を持ったのだ。

 何か質問はありませんか、という委員長の言葉に俺は手を挙げ、この分配の意味を問うた。

 実績を加味するのならば、人数に対して部費が多かったり少なかったりするのは納得できる。ところがわれらが野球部は地区予選の一回戦を勝ち抜くのがやっとである。それなのに、県大会や東海大会に出ている、バレー部バスケ部、そして、全国大会に出場している陸上部よりも部費が多いというのはどういうことかね?

 そういったら、委員長はあたふたと、野球部は我が校の誇りであり、OBOGの皆様方も野球部の活躍を楽しみにしておられ、何よりも我が校の象徴的存在として云々、とのたまうわけだが、どうも説得力がない。

 でもまあ、俺は野球部にけんかを売るつもりはないし、委員長を困らせるわけにもいかないので、承知したと言って座ったのだが、野球部の主将は顔を真っ赤にして食って掛かってきたわけだよ。

 ん?綿貫がその時どんな様子だったかって?うつむいて座っていたから顔は見えなかったな。

 主将君が言うには俺たち山岳部は完全に趣味なのだから、学校の金を食いつぶすわけにはいかんのだと言っていたな。

 で俺は、部費はもともと生徒一人一人から、同額ずつ徴収されたものであるので、一番平等なのは人数比で分配することなのだといったわけだよ。

 そういったら、主将君はゆでだこみたいな真っ赤な顔のまま座っていたな。

 えへん、おほん。


 という話をしたところキティは、

「山岳部が嫌われている原因がよく分かりました」と言って俺のほうをまじまじと見た。

「いや、だから。俺も少しは反省してだな、野球部にはたてつかないように努力しているのだよ」

「はいはいそうですね」最近キティもなんだか俺へのあたりがきつい気がするんだが。

「それより、お前の疑問だろ。他の部への嫌がらせでないとしたら、報告したら野球部が困るような状況だということだ」

「どんな状況ですか」

 他の部ならまだしも、野球部の問題にはあんまり首を突っ込みたくなかったんだが。

「火気を使う調理室、おそらく料理には不慣れであろう野球部の諸君、不自然に放り捨ててあった複数のバケツ」

「……もしかして美山さん、野球部の皆さんが」

「盛大に燃やしたみたいだな。熱い体育会系らしく」


 どうせ本当のことは後でわかるのだから、放っておくべきだと俺は言ったのだが、キティは確かめるべきだと言って、仕方がないので、執行委員である雄大に頼んで、調理室を開けてもらうことにした。

 今店が忙しいのに一体何の真似だよ、と雄大は言っていたのだが、調理室に入るなり、黒く焦げた天井を見て、顔色を変え、走って執行部の委員長と生徒会長、そして教師に報告し、野球部一同は一か月の活動停止処分となった。


「どうして野球部の皆さんはすぐに報告しなかったんでしょうか?」

翌日の午後、文化祭の二日目だが、初日同様に、午前の仕事を終え、キティと二人で店を回っている途中で、俺たちと同じようなカフェをやっているところがあったので、入っていた。客観的に見てもうちのほうが上等だな。

 キティの質問に答える。

「そうしていたら、一か月も活動停止にならなかったかもな。……多分体裁のせいだろうな」

「てーさいですか?」

「そ、言ったろ。部活動総会での話」

「ああ、美山さんが暴走した」おい。

「違うよ。部費の半分を持っていく部活だ。どの部活よりもまして模範的でなければならない。そんな部活がボヤ騒ぎをしたとなれば、大問題なのさ。他の部活からも疎まれがちな状況であって、委員長も言ったように、卒業生がみんな野球部に注目している。だから問題が起きたことを隠さずにはいられなかったんだろう」

「結局ばれるのにですか?」

「ああそうだよ」これは日本人の良くない癖かもしれないが。

「でも聞きましたよ。野球部の皆さん、ケーキを配ろうとしていたそうですよ。無料で。そのために調理室を借りたと。だから執行委員長も野球部に使用許可を与えたそうです」あまり、うまそうじゃないなと思ったことは口にしない。

「なんだか、かわいそうな奴らだな」

「ですね」

 運のいいことなのかはわからないが、ボヤ騒ぎの隠ぺいを一番初めに見つけたのが山岳部の美山智であることは一部の人間を除き誰も知らない。


 まずくもないが、うまくもない紅茶をすすりながら、下品な衣装をしている店員のほうを見ないように、窓の外を眺めていた。もうそろそろ、文化祭二日目も終了するなあと思っていた時に、キティは口を開いた。

「私、火は怖いんですよね」急に何を言い出すんだと思ったが、話題に合わせる。

「……俺も好きではないが、使わざるを得ないだろ」暖かいご飯と、風呂は人類に与えられた最上の喜びであると俺は思っている。

「それはそうなんですが。……美山さんって私の国のことどれくらい知っていますか?」

「UKの国の一つってことぐらいかな」

「ですよね。こっちに来てから、日本がとても平和であることがとても羨ましく思っています」

「お前の国だって十分平和だろう」

「……やっぱりご存じないですか。今私の国はとても平和であるとは言えない状況です。各地で爆発テロが頻発し、多くの市民が犠牲となっています」

 俺は突然の話題に、言葉を失った。キティの国がそんな状況にあることを知らなかったのだ。

「なんで、そんなことが」そういってから、北アイルランドがどういう国であったかを思い出した。

 連合王国に支配され、その後に独立を果たしたアイルランド南部と連合王国に止まることにした北アイルランド。北が連合王国に帰属する決意をしたのはそもそも北部にはブリテン島の人間が多かったからだ。

 現在まで少数派であるカトリック系の元アイルランド人は差別的な扱いを受けている。

 目の前にいる少女が、俺が日本で過ごしてきた日々ほど弛緩した日常を送ってきたはずがないのだ。

「私の国では、アイルランド共和軍、IRAがプロテスタント系の私兵団と政府とを相手取り、闘争を仕掛けています。美山さんは銃声を聞いたことがありますか」

「テレビでしかないな」

「あれってかなり大きな音なんですよ」

 そういうキティの声は震えていて、とても儚く聞こえた。

 俺の想像する以上にキティは辛いものを見てきたのかもしれない。

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