第二話
テストを終えた次の日の朝、全くやる気のない教室の扇風機を恨めしく思いながら、真っ黒に焼けた、友人である山岸雄大の夏の思い出を適当に聞いていた。
「ああ、なんで夏休みはこんなに短いんだ。ようやく釣りの面白さを知り始めたころに終わってしまうなんて」
「しらねえよ。釣りなら休日にできるだろ」
「宿に泊って、朝早くに海にでかけるってのがいいんだ。それで、昼間は海に入って、夜は温泉。で今度は夜釣り」
この遊び人は何がしたいんだか。
「お前、海の家にバイトしに行ったんじゃないのか」
「バイトもしたさ。でも楽しみだって重要だよ」
「山岳部員が海にうつつを抜かすとは、遺憾だな」
「いいじゃないか、釣りくらい。智は山にこもっていたんだっけ?仙人にでもなるつもりかい?」
「ほっとけ」
「山にいたって、出会いがないじゃないか。海はいいよ。水着美女が毎日やってくる」
この軟派男が。俺はお前が想像する以上に刺激的な体験をしてきたというのに。
「まあそれより、聞いたかい?今日留学生が来るらしいよ」話題の転換が著しく速いのは、昔から変わらない。
「ふーん」
「興味なさそうだね」
「そいつが、関わるに値する人間かまだ明らかでないからな」たかが外国から生徒が来るぐらいで、キャッキャうふふ騒いでいる周りの人間を、少し疎ましく思っていたが故の発言だ。それを自分の悪い癖だと自覚してはいるのだが、どうにも、人の性格というものは治すものが難しいらしい。
「うわっ、なんか嫌な感じがにじみ出ているよ。そのセリフ」自分でもよくわかっているから、余計にむっとした。
お前だって、すべての人間と平等に交際しているわけじゃなかろうと言おうとしたところ、担任が教室に入ってきて、着席を促した。
「今日は留学生を紹介する。えーっとイギリスから来たそうだ。入って」
俺は、担任に言われ、教室へと入ってきたその留学生の顔を見たとき、驚きを隠せなかった。
われわれ日本人では体現しえないような、すっとした体つきに、透き通るような白い肌、まるで、キラキラと宝玉のように輝く青い瞳、そして、彼女の美しさをより際立たせている、純粋に金色をした髪の毛。
「はじめまして。キャサリン・マーフィーです。キティって呼んでください」
そこに立っていたのは、上高地で会った、あのキティだった。
「お前、知っていたのかよ。お前の留学先が俺の学校だったって」放課後の部室で俺はキティに詰め寄るようにして尋ねた。
キティは俺にどこの学校に通っているのかと、上高地で尋ねたときは、何も言っていなかった。
「驚かせようと思ったんですよ」
今生の別れと思っていた身としては、何だか照れくさいというか、恥ずかしいというか、とにかくそんな自分が滑稽であった。
キティは俺の部活がどういうものか知りたいと言ったので、部室に来ていた。部活仲間である、山岸雄大と綿貫さやかと、鈴木瑠奈は珍しい物を見るような顔でいた。実際、キティは珍しい存在ではあったが。
俺とキティが出会った経緯を彼らに話したところで、鈴木が妙な提案をした。
「せっかくだし、日本の街を見てもらいましょうよ」
部活はどうするんだよと言ったところ、どうせ普段、てんでんばらばらなんだからいいじゃない。という返答が返ってきて、答えに窮しているうちに、キティは鈴木たちに連れ出されてしまった。仕方なく後を追う。
外国人にとっては、日本に住んでいる俺たちにとっての日常が新鮮だということを、キティは教えてくれた。
諸外国に比べ、日本は道端にゴミが少ないというのはよく聞く話であるが、特異なことはそれだけではないらしい。
道で配達物の受け取りをみたキティが、
「家の人が、持っていた短い棒状のものは何ですか?」
と言った時、はじめは何を言っているのか分からなかったが、それがハンコの事を言っているのだと気付いた時には少々驚いた。
「お前、昔日本に住んでいたんじゃないのか」
「でもハンコというのは目にしませんでしたね。いつもサインです」
そういうものなのかと、納得しかけていたところ、直ぐに、たったったと、小走りして、道端にあるものをじっと眺めて、
「これは郵便ポストですね。私の国と同じで赤色です」
「多分、日本がまねたんだろう。それで何が気になるんだ」
「このマークはなんですか?」
そういって、なじみ深い、Tの上に横棒を一本足したようなあの郵便記号を指している。こいつは本当に日本に住んでいたのか?と疑いたくなるが、
「郵便局のマークだ」
「そんなことは知っていますよ」
と一蹴される。なぜか、鼻で笑われているような気がするんだが。
「全ての記号には意味があるはずです。このマークにも何か意味が」
そんなことは考えたこともない。そんなこと別にいいじゃないかともいいたくなるが、また馬鹿にされそうだったので、何も言わなかった。すると雄大が、
「きっと、郵便局に関係あることだよね」
まあ、そりゃそうだろうが。
鈴木が、
「手紙の『テ』じゃない?」という。どうなんだろうか。
「郵便で運ばれるのは手紙だけじゃないぞ」
「そこ気にするとこ?」
雄大が口を挟んで言うには、
「手紙のテかどうかは分からないけど、テから来ているのは多分あっていると思うよ」
手紙しかなくない?と鈴木がぶつくさ言っているが、綿貫がおずおずとした口調で言った。
「もしかしたらと思うんですけど、郵便局の前身って確か逓信省でしたよね」
そうだっけか?と思ったが、自分の無知を曝す気にならなかったので、何も言わないでおいた。
「逓信省のテか。なんかそれっぽいね」雄大が賛成する。
別に手紙でも良くない?と諦めの悪い、鈴木がいる。
キティはそんな俺たちのやり取りを楽しそうに見て、俺にこう囁いた。
「立ち止まって街を見るって楽しいでしょう。こんなに会話が広がるんですよ」
会話が広がったことには同意せざるを得なかった。
とりあえず、大須の商店街に行こうということになり、キティにつられてちょくちょく寄り道しては、様々なものに関して、ああでもないこうでもないと議論を繰り返し、大須につくころには、それまで知らなかったことをいくつか頭に蓄えることができていた。
そろそろ商店街に入る頃、という時にキティが興奮した様子で言った。
「見て下さい!」
指差す先には、信号機が。ただの信号機だったのならば、こいつは何を言っているんだと思っただろうが、その信号は、東西南北の自動車用と歩行車用の信号が一体となったものだった。確かにめずらしいと言えば珍しいが。
「場所が狭いから、合理的な作り方だと思うぞ」という俺。
「あの信号いつも思っていたんだけど、見にくいのよね」と言う鈴木。
「大須で信号なんて見ないからな、今気づいたよ」という問題発言の雄大。
「もうなれちゃいました」と言う綿貫。
「珍しい物を見ました。感動です」と嬉しそうな、キティである。
毎度毎度のことだが、大須に来るといつでも、アニメから出てきたような格好の人間がうろついている。そんな彼らを、物珍しそうにキティは見ている。
コスプレイヤーがいる上、ここは、外国からの観光客も多いから、純然たる北アイルランド人であるキティもそんなには目立たなかった。
カフェでしばらく休憩した後、鈴木と綿貫が先導になって、珍妙な服ばかりが売ってある店に行ったのだが、キティはそこで俺に話しかけてきて、
「先ほどのカフェでのことなんですが、変な人がいたんです」と言った。
「ここじゃ珍しくない」コスプレイヤーたちを変な人と言うには気が引けるが。
「えっと、そうかもしれませんが、そういう『変』とはまた違った異質さなんです」
キティ曰く、そのカフェにいた御仁というのは、中学生くらいの男子で、コーヒーを注文していたらしいのだが、そのコーヒーに砂糖を入れた上に、板チョコを一枚入れたらしい。
話を聞いて特別変だと思うところはない。
「何かおかしなところがあったか?強いて言えばこのくそ暑いのに、ホットコーヒーを頼んでいるのが変といえば変だが」
「私、ホットっていいましたっけ?」
「じゃなきゃチョコレートは溶けないだろう」
「そうですね。……ではなくて、おかしいのはそこじゃありません。板チョコ一枚ですよ!なんでそんなことを」
「そういう飲み物もあるじゃないか」
「カフェモカを作りたかったって言いたいんでしょう。そのくらいは知っていますよ。ならばどうして最初から注文しなかったのでしょうか。メニューにはちゃんと載っていました」
俺はようやくその男子の行動の不可解な点に気づいた。
キティが疑問に思ったのは、要はなんでそんな面倒なことをする必要があったのか、ということだ。
「可能性を考えてみるか。
一つ、コーヒーの味を整えたかったから。だがカフェモカを最初に注文しなかったのはなぜかという疑問が残る」
「それに、それなら、添えられていたミルクも入れることもできたと思いますよ」
「なるほどな。じゃあ二つ、早急にチョコレートを消費する必要があったから」
「それは、もったいないかもしれませんけど、捨てればよかったのでは。一枚丸ごとコーヒーに入れるなんておいしくないと思うんですが」
「うーん、そうなんだろうか。……じゃあ、三つ、店のカフェモカが好きで、味の再現がしたかったから」
「でしたら、飲み比べするために、カフェモカを横に置くと思います。彼は一杯しか飲んでいなかったですよ。パフェはテーブルに置いてありましたけど。それに、いきなり一枚を入れるのは変です。普通少しずつ入れると思います」
理由なんてすぐに思いつくと思ったんだが、意外に手ごわい。その中学生が単に変わっていたというのでもいい気がするが、多分キティは納得しないだろうな。
俺たちがそんな話をしているのに気付いた、雄大、鈴木、綿貫がこちらに来た。どういう話か彼らに話してみたのだが、誰も納得のいく答えをだせない。
その中学生が少しおかしかったのではという結論になりかかったときに、キティが小さく声を上げた。
「あっ、彼ですよ」
見ると、確かに中学生らしき、男子がいて、そのとなりには同じ年頃の女子がいた。一緒になって服を見ている。ませたやつらだ。
「美山、今、リア充爆発しろ、とか思ったでしょ」
鈴木に中らずと雖も遠からずであることを言われてしまう。
「誰が、中学生に嫉妬するかよ」
「ふーん」
それはそれとして。
その男子が女子と一緒であったのならば何となく理由も分かる気がした。
「キティ、多分一つ目の可能性だ」
「えっと、コーヒーの味を整えたかったから、ですか?カフェモカを頼まなかった理由は?」
「あの男子はデート中だろ。それも多分一回目か、二回目くらいの」
「どうしてわかるんですか?」
「あんなぎこちないカップルがいるかよ」
その男子は、女子と少し手がぶつかっただけで顔が真っ赤っかになっている。
「うーん。そうとして、それでもよく理由がわかりません」
「言うなれば、格好つけだよ。女子がいる手前、甘いものしか飲めないと思われるのは恥ずかしいから、ブラックコーヒーを頼んでみた。でも予想外に苦くて飲めないから、砂糖を入れてみたんだが、それでも口に合わなくて、チョコを入れたって感じじゃないか。ミルクを入れなかったのは、味を整えたのがばれないようにするためだ」そういうと、キティも納得してくれたようだ。
「ふふっ、何となくわかりました。そういうの中二病っていうんですよね」
すると、鈴木がいやに、にやにやしているのに気が付いた。
「お前は何笑っているんだよ」
「だって、あんたがそれにすぐ気が付いたってことは、あんたにもそういう気持ちがあったってことでしょ。元中二病患者さん」
「まさか」馬鹿め、俺はそんな子供じみたことはしない。なぜなら今でもコーヒーはミルクと砂糖をたっぷりと入れたものしか飲まないのだから。
意中の女子が目の前にいようといなかろうと。
ぷらりぷらりと商店街を歩き、大須観音をお参りして(極めて形式的ではあったが)、帰途に就いた。
「ところで、日本にいる間はどこに泊まるの?」帰りの電車の中で、鈴木がキティに尋ねた。
「二か月だけですけど、アパートを借りることにしたんです」
「ジェームズも一緒なのか?」俺は上高地でキティの守護霊のごとく立ちまわっていた、ジェームズの姿を思い出しながら、尋ねる。
「ええ」
ジェームズを知らないほかの三人はぽかんとしている。
あれが一緒ならば、強盗も怖くて近づけんだろうな。そんなことを、ジェームズが誰なのかを三人に適当に説明しながら、ぼんやりと考えていると、
「せっかくですので、良かったら、うちに来ませんか」
ということなので、部員全員お言葉に甘えて、キティの家にお邪魔することになった。
キティは驚いたことに、鈴木と同じマンションの一室を日本での滞在先としていた。
キティの家の玄関を入ると、さっそくジェームズが俺達を迎えた。かなりの威圧感を放ちながら。キティと俺を除く、部員がひるんでいたのは言うまでもない。
それから、三十分ほど、お茶を飲みながら、他愛もない話をして、解散した。
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