第二章 銃士隊

 ヘルマ・オームは、帝都の貧民街で生まれた。

 母親は娼婦だった。父親は顔も名も知らない。おそらく、母親も誰の子を宿したのか知らなかっただろう。そういう時代で、そういう場所だった。

 母親の愛情というものを、ヘルマは知らない。貧民街の娼婦など、自分ひとりの食い扶持だけで精一杯なのだ。まして、子供など商売の邪魔でしかない。まっとうな子育てなど望むべくもない環境で、幼い少女は自分の力だけで生きていくしかなかった。

 雀の涙ほどの賃金で働いたこともあれば、盗み、殺して奪ったこともある。自分の身を守るために手にした短剣は、いつしか自分の糧を得るために使われていた。そのうち、そこいらにある武器ならばほとんど使いこなせるようになっていた。

 唯一、身体を売ろうとしたことだけはなかった。残念なことに彼女の肉体は母親に似ず、そういった商売向きには成長しなかったからだ。ヘルマが幸運だったのは、それ以外に生きる術があったことである。

 そんな生活を送っていた彼女だったが、母を恨めしく思ったことはなかった。ヘルマにとって、それが自然な環境であり、その運命も受け入れていたのだ。


 そんな自分が、今や帝国で最も重要とも言える兵器を握っている。まったく、人生とはわからないものだ。

 銃士隊結成から二ヶ月。編制当初は弾の込め方すら分からなかった兵士たちも、誇張なく帝国一銃に精通した兵士となっていた。他に銃を装備した部隊がいない以上、これは当然の話ではあったが。

 この二ヶ月の猛訓練で発生した事故により、一名が死亡、負傷者は十八名。うち、軍務の継続が不可能となった者は六名に及んだ。いずれも銃の取り扱いの誤りないし暴発によるものであった。

 こういった事故は銃という兵器そのものへの不信感にも繋がったが、技術士官のラウラは、銃の改良に良い材料だとして積極的に情報を集めて回っていた。仕事熱心で結構なことだ。

 ヘルマは、銃の取り扱いに関しては、辛うじて平均点といったところだった。基本動作はさして問題ないのだが、遠くの的を狙うという行為が苦手だったのだ。

 一方で、彼女は近接戦闘においてなら、銃士隊でも指折りの実力を持っていた。上官であるバルトルトにスカウトされたのも、生意気な帝国兵を徒手で叩きのめした所を目撃されたからだ。

 ヘルマとは対照的に、得意科目が際立っている訳でもなく、かといって極端に苦手な分野がないのは部隊長のクリストハルトだ。

 どんな武器も不可にならない程度には可、強いと言うよりは弱くはない、といった具合で、平均というより平凡な能力の男だった。ヘルマが本気で戦えば、二合と持たせずに打ち倒せる自信がある。

 クリストハルトがこの特殊な試験部隊の指揮官に就任したのは、腕っぷしによるものではなかった。彼の最たる能力は、部隊をまとめあげる手腕にあったのだ。先の事故における銃の不信感を含め、ともすれば空中分解すらしかねないほどに結束力の弱かったこの部隊に、二ヶ月の訓練で強固な信頼関係を植え付けたのも、その証明と言える。

 彼の考案した訓練内容は、まさに悪魔の考えるようなそれだった。銃士隊の兵士たちは、各方面軍から抽出された精兵たちだったが、そんな彼らですら目から輝きを失うような地獄の日々だった。

 バルトルトなどは山岳での訓練がトラウマになっているようで、蛙や蛇を見るたびに無理矢理口に詰め込んだ記憶が蘇ると眉をしかめていた。ヘルマは食べたことがあるものばかりだったのでさして抵抗はなかったのだが、貴族出身者たちには信じられない苦痛だったようだ。

 ただ、クリストハルトはただ厳しいだけではなく、徹底的に優しかった。厳しい訓練に心が折れかけた兵士には励ましの言葉をかけ、背中を押すのだ。

 それは彼らのプライドを傷つける行為だった。自分たちよりも貧弱な「平凡な男」が指示した訓練に耐えきれず、その当人に慰められるなど、屈辱以外の何物でもない。優男の部隊長に対する反感が、彼らに厳しい訓練を乗り越えさせた。それこそが彼の狙いだとヘルマが気付いたのは、訓練期間の終盤に差し掛かったころだった。

 後日、この訓練の目的についてヘルマが尋ねると、

「いや、私は性格が悪いからね。皆がひいひい言っているのを見たかっただけさ」

 金髪の青年士官は、笑ってそう言ってのけたのだった。



 帝国歴三一九年の春、銃士隊は傭兵の討伐と罪人逮捕の命令を受け、帝国東部の雑木林を進軍していた。

 帝国南東部に位置するエメルト男爵領。鉱山を有するこの領地を治めているエメルト男爵は、私兵と傭兵の混成部隊を率いて反乱を起こしたのである。

 正確に表現するならば、彼はもはや男爵ではない。多額の脱税と公金横領の罪で公職から追放され、さらに爵位を剥奪されたのである。

 エメルトは素直に罪を認め、法に裁かれるような男ではなかった。辺境貴族として競う相手のいなかったがゆえに肥大した自意識は、帝室すらも軽んじる精神を育んでいたのである。

 元男爵は密かに東方トルキアと通じると、トルキア人騎兵部隊を傭兵として雇用し、エメルト逮捕に赴いた最初の帝国軍部隊を完膚なきまでに叩きのめした。

 これは由々しき事態であった。帝国の貴族ともあろうものが、敵国と通じてその兵を入国させ、正規軍を撃滅したのだ。領内の治安活動を司る第一軍団も、トルキア人部隊の越境を許した東部方面の第三軍団も、威信と名誉をひどく傷つけられた形となったのである。

 帝国軍としては、早急に、かつ確実にこの騎兵隊を撃滅し、エメルトを捕縛する必要があった。また、これだけのことをされては、さすがに傭兵任せにするわけにもいかない。是が非でも帝国軍の手によってことを治めなければならなかった。

 しかし、国内での大規模兵力の動員には必ず教会からの干渉を受ける。第一軍団首脳部の苦悩ぶりは想像に難くなかった。この期に及んで教会の権力を守ることしか眼中にない坊主どもめ、帝国全体としての状況を考えろ! と、口にはできずとも心の中で叫んだ将兵は多かった。

 そんな中、中隊という大きすぎない規模で、かつ強力な攻撃力を誇り、また試験部隊という立場上出撃の制約が課されづらいという都合のよい部隊がいた。第一軍団准将のギルベルト・フォン・ガルバーが提唱し、設立された銃士隊である。

 ガルバー准将は軍団司令部の決定を受けると、さっそく銃士隊に出撃を命じたのであった。


 銃士隊は総勢で三一六名。五個小隊を各五〇名で構成し、さらに工兵部隊と、技術、補給、経理などを担当する者たちから成る輜重隊で編成されている。

 部隊長はクリストハルト・フォン・エーベルヴァイン。副官には第一軍団出身のハンス・フォン・リヒター。小隊長としてバルトルト・フォン・アンガーミュラー、ホルスト・フォン・ブロイヤー、ロルフ・ライナー・バール、リア・クルーガー。技術顧問としてラウラ・フィッツェンハーゲンが同行する。

 中年の副官ハンスは、戦闘指揮官としての能力にはさして光るところのない人物であったが、実務や交渉に長け、編成や行軍の調整を得意としている幕僚型の士官であった。クリストハルトは人間的な気配りや根回しはできる人間なのだが、実はこういった細かな調整は得意ではなく、新任の部隊長に足りない能力を補うのが彼の役目だった。

 小隊長のバルトルトとホルストは若いながらも有能な士官として名を馳せており、最高齢のロルフは平民からの叩き上げとして実戦経験を買われた形だ。リアは士官学校を出たばかりの若輩だが、銃の扱いは技術士官のラウラに次いで詳しい。

 ラウラは技術班のまとめ役だ。銃を実際に運用した際の長所、短所を細かく精査し、改良に繋げていく。また、彼女は工兵部隊の指揮官という立場も兼ねていた。

「まさか、最初の実戦で戦う相手が反乱軍とはね……」

 バルトルトは、馬にまたがりながら、柑子色の癖毛をかき回した。

 彼の軍服は以前の第一軍団のものではない。銃士隊用に新たにデザインされたものだ。かき乱した髪の毛の上に、黒いベレー帽を乱雑に被せる。

 後に銃士隊が「黒ベレー隊」と呼ばれることとなるのは、この特徴的な軍服によるところが大きかった。ベレー帽は、ごく一部の傭兵や私兵が軍服に取り入れてはいたものの、正規軍としては初採用であったのだ。ちなみに、士官はさらに黒いマントも着用している。

「エメルト男爵は傭兵を雇ってるって話ですし、トルキア兵も名目上は傭兵ですから、まあ間違っちゃあいませんけどね」

 バルトルトの隣に徒歩かちで並ぶヘルマは、バルトルトのものよりいささか簡素な兵卒用の軍服を着用している。男女でデザインの区別がないものだ。ベレー帽は少しサイズが大きく、ポニーテールの結び目まですっぽり収まっている。

 ちなみに、兵卒は軍服も支給されるが、士官は自分で仕立てるのが基本だ。基礎となるデザインさえ守っていれば、多少の差違にはうるさくはない。

「トルキア騎兵とは、そんなに恐ろしいものか」

 感情の起伏に乏しそうな声は、ホルストである。きっちりと刈り上げた茶髪は、几帳面そうな彼の性格を物語っている。背丈はバルトルトよりも高く、目つきの鋭さと相まって威圧感のある風貌だが、粗暴さとは無縁の寡黙で冷静な人物である。

 バルトルトのアンガーミュラー小隊、ホルストのブロイヤー小隊、リアのクルーガー小隊は、先行しているロルフのバール小隊からやや距離をとって、まとまって行軍していた。彼らのさらに後方には、クリストハルトが直接指揮する小隊が続いている。

「おれは第二軍団にいたから、ホルディックの連中とは嫌というほどやりあってきた。ただ、連中は歩兵……いや、海兵が主体だから、トルキア騎兵の恐ろしさが今一つわからない」

 バルトルトとホルストは年齢が近く、またお互い下級貴族ということで立場も似通っており、地獄の訓練期間を経て親交を深めていた。小柄で明朗なバルトルトと大柄で寡黙なホルストは容姿や性格こそ対照的であったが、それだけに互いに美点を見い出せたのかもしれない。

 同僚からの問いに、バルトルトは得意げに答えた。さも自分が博識であるかのような口調で語りだす。

「トルキア騎兵の恐ろしさは、何よりその機動力だな。ありゃあ並の騎兵ってもんじゃねえよ」

「騎兵ったら、機動力は高いもんでしょう?」

 小隊長の会話にヘルマが割り込む。貴族であるバルトルトたちの会話に平民のヘルマが口を挟むなど、本来ならそれだけで制裁ものの行いであるが、このふたりの士官はそういった階級的思想とは無縁であった。

「いや、トルキアは軽騎兵を主力にしているから小回りが利くんだ。帝国やゴーラの重騎兵みたいに重たい一撃をかましてくるわけじゃあないが、縦横無尽に駆け巡ってきやがる」

「第二軍団の即応部隊のようなものか」

「あれをもっと強靭に、そして柔軟にした感じってとこだな」

 帝国北部を守る第二軍団は、神出鬼没のホルディック海軍に対応するため、騎兵部隊を多く擁している。その中でも、敵襲にいち早く対応するための部隊として軽騎兵中心の即応部隊が編成されていたのである。

 元第二軍団のホルストは、自分の古巣にそれなりの愛着と誇りを持っていたので、さも簡単にそれ以上の実力者たちがいると言われてもすぐには納得はいっていない様子だ。

「そんな恐ろしい人たちが相手なんですね……」

 士官たちの会話が聞こえたのか、露骨に自信のなさそうな声が、彼らの後方から漏れてきた。小隊長のひとりであるリアだ。

 小隊長の中では、おそらくもっとも銃の性質を理解し、扱いも長けているであろうこの少女士官は、今回の任務が初陣であるという。顔色は悪いし、先ほどから頻繁に頭を抱えている。緊張と不安の連合軍に精神を侵略され、今にも白旗が上がりそうな勢いだ。

 見かねたホルストが、相変わらず抑揚のない声で励ました。

「気張りすぎてもいいことはないし、思い詰めてはもっとよくない。指揮官の不安は兵にも伝わる。とにかく落ち着くことだ」

「は、はいっ」

 ホルストの助言にそう答えはするものの、その表情から不安の色が消えることはない。とても楽観的とは言えない性格のようだ。

 彼女とてクリストハルトの訓練を乗り切った実力もあり、新兵器を任されるだけの信頼も得ているのである。まあ、誰しも初めてならば不安になるものだ、とバルトルトは同情的だ。

「まああれだな、先任将校としてひとつアドバイスをしてやるとな」

 バルトルトの珍しく真剣な声音に、リアがごくりと唾を飲み込む。ホルストとヘルマもバルトルトが何を言い出すのかと待ち構えた。バルトルトは至極真面目に、真顔で一言。

「漏らすなよ」

 その場の全員がため息をついた。




「先行しているバール小隊より、敵部隊捕捉との報告です」

 ハンスの事務的な報告を受けながら、馬上のクリストハルトは顎に手を当てて部隊配置を思案していた。

 事前の情報と偵察による結果、最も脅威とされるトルキア騎兵は七〇騎ほどとされ、さらにエメルト男爵の私兵と傭兵が合計で五〇〇人ほど確認された。これは戦闘員だけの数であるので、補助人員を含めればさらに人数は増える形となる。

「我々は数において著しく不利な状況にあります、隊長」

「ん、そうだね」

 言わなくてもわかっていることをわざわざ報告するあたりが、形式を重んじるハンスの官僚的な印象を強くする。痩せ形で目の細い彼は、十人に聞けば七人は神経質そうな印象を抱くと答えることだろう。

 そんな彼の言う通り、数だけを見れば銃士隊は不利な状況にあった。まして、相手には百戦錬磨のトルキア騎兵がいるのだ。銃の性能、性質を理解した銃士隊の兵士たちとて、それぞれの表情に絶対的な自信を見出すことはできなかった。

 彼らの銃は実戦においては前例もなく未知数であり、騎兵に有効かどうか実証されたわけではない。もし、これがただのこけおどしで終わってしまったなら――

 年若い兵士のひとりが、不安さを隠しきれずにクリストハルトにそう尋ねた。

 金髪の指揮官は、微塵も心配などしていないような、子供のような無邪気な笑顔で応じた。

「前例があるものしか勝利を得られないのなら、我々はいまだに石の斧と木製の槍で戦っていただろうさ。言ったろ、時代を拓くって」

 クリストハルトは部下にそう告げると、ハンスのほうへと向き直った。

「ハンス、ロルフに斥候を残して後退するように伝えてくれ。それと、各小隊長を招集。作戦を伝える」


 クリストハルトの足元の地面には、各部隊の布陣が木の枝で描かれていた。反乱軍を示す大きな丸の周囲に、いくつかの楕円が配置されている。

 馬から降りて他の士官たちと並ぶと、遠目にはクリストハルトは見えなくなってしまう。クリストハルトは背の高い方ではなく、大柄なホルストやロルフに隠れてしまうのだ。士官の中で彼より身長が低いのはリアくらいなもので、比較的小さいバルトルトよりも低身長だった。

「我々は数で敵に劣っているが、何のことはない。銃の実地試験としては申し分ない環境だ」

 開口一番、クリストハルトは自信たっぷりにそう語った。彼の部下たちは上官ほど楽観的でいられなかったし、リアに至ってはようやく落ち着き始めた不安が再び舞い戻ってきたようで、見るからに蒼白な顔色をしている。

「幸いなことに、敵は戦力を分散させず、騎兵と歩兵をまとめて行軍させている。そこで、私の小隊とバール小隊は中央を固め、右翼にブロイヤー小隊、左翼にクルーガー小隊が展開し、敵を半包囲する。アンガーミュラー小隊はクルーガー小隊の後方に控えて待機。遊撃の準備をしておくように」

 士官たちの間に、ほんの少しの緊張が走った。

「それで、全隊の一斉射で敵を叩き潰すわけですね」

「いや、射撃は各小隊ごとに個別で行い、時間差をつける」

 装填に腕力の必要なクロスボウほどでないにせよ、銃の次弾発射には時間がかかる。特に、今回は初の実戦運用ということもあって、訓練時ほどの装填速度は期待できないだろう。一斉に射撃して敵を大量に討ち漏らしでもすれば、地獄を見るのはこちら側だ。

「指揮官どの、意見具申」

「許可する、どうしたホルスト」

「クルーガー小隊長は経験も浅く、想定外の事態に対応しきれない恐れがあります。非常時に統率を乱さぬためにも、クルーガー小隊とバール小隊の配置を逆にすべきと考えます」

 名前を挙げられたリアはびくりと反応したが、反対にロルフは無言のまま腕を組んでいる。

 このような気遣いは侮辱ととらえる者もいるだろうが、今回に関してはむしろ正反対であった。リアはすがるような視線をクリストハルトに向けているし、バルトルトは笑いをこらえるような表情だ。クリストハルトは苦笑いを浮かべながら、ホルストの提案を採用した。

「それじゃあ、行動開始だ。落ち着いていこう」




 反乱軍、もといエメルト軍を率いているのは、ブラウアーという若い私兵隊長だった。

 軍での勤務経験もあり、若くして下士官の身にもあった。教本通りの精密な指揮を得意とする人物だった。

 最も、平民出身の彼ではよほどの事でも無ければ士官への昇進ルートなど存在せず、能力を活かしきることなく下働きで生涯を終えることとなるだろう――そう思っていた矢先、彼はエメルト男爵の目に留まり、私兵隊長としての道を歩み始めたのだ。

 それ自体はむしろ栄転とも言えた。大家族のブラウアー家を養うには金が要る。軍の下士官と大貴族の私兵隊長では給金も桁違いだ。

 ただひとつ問題だったのは、雇い主の人格だった。エメルト男爵は相手を敵だと思い込んだら二度とその考えを覆さない人物だったのだ。たとえそれが、帝国そのものだったとしても。

 彼の怒りに触れて解雇された者はまだ幸せであった。私刑にでも合おうものなら、どうあっても無事では済まないだろう。ブラウアーも男爵の悪事を知りすぎているし、無事では済まないタイプの立場だった。それさえ無ければ、部下にも気前のよい領主なのだが……

 なんにせよ、なってしまったものは仕方がない。今やれることを最大限にこなすしかないのだ。切り替えが早いのも彼の長所だった。

 ブラウアーは男爵の雇った、トルキア騎兵を含む傭兵たちを完璧に統率して(雇い主の財力にものを言わせて、であるが)、エメルト逮捕に赴いた帝国軍部隊を壊滅させた。

 そして続く第二戦である。恐らく帝国軍は兵力を増強し、圧倒的な大軍をもってこちらを殲滅しにかかるであろう。傭兵たちが逃げ出さないように苦慮しつつ、ブラウアーは偵察に出た兵士たちの報告を待った。

 だが、戻ってきた斥候たちの報告は、聞く者全員を唖然とさせた。

「たった一個中隊だと?」

 しかも、ほぼ全員が軽装で、重騎士の類いも見られないと言う。斥候が見つけた部隊はただの先発隊ではないかと疑い、より徹底した索敵を行わせたが、敵の偵察部隊と思わしき小隊を発見しただけで、周辺に軍勢は見受けられなかった。

 なんだ、敵は何を考えている。どういうことだこれは――

 疑心暗鬼に陥りながらも、彼は傭兵たちに密集陣形を取らせた。こちらの兵数はトルキア騎兵を合わせて五〇〇人近い。なら、下手に分散させずに正面から叩き潰すべきだろう。

「隊長、敵は平原にて我が方を半包囲しつつあります!」

「ええい、阿呆なのではないのか奴等は!」

 倍する敵を薄く包囲するなど、突破してくださいと言わんばかりではないか! まったく、どうしてそんな判断をする奴が指揮官になれて、自分とは言わないまでも、才能ある平民が下士官に甘んじねばならなかったのか。ブラウアーは内心で怒りの火山を噴火させつつ、口調は冷静であるよう努めた。

「敵の部隊旗は、軍装からどこの部隊かわからないのか」

「そ、それが……誰も見たことがない服で、何やら妙な木の棒を担いでいるということしか……」

「木の棒?」

「はあ、クロスボウかとも思ったのですが、目のよい者を向かわせるとどうも違うようで」

「帝国軍の新兵器か……」

 ブラウアーは警戒心を抱いた。本能的、というべきだろうか。ここまで徹底して用兵の基本から逸れた行動を続ける理由がそこにあるとするならば、それだけの自信に裏付けされたものに違いない。

 だが、ここ数百年、既存の兵種に対抗するための新戦術は数多に生み出されてきたが、新兵器などは火薬を使う大砲とやらが開発されたくらいで、それもろくに狙いをつけることのできない木偶の坊だと聞いている。結局、数に勝る武器などない。

 あるいは、あえて愚かしい行動をとることで、こちらを混乱させるのが狙いか。であれば、その術中にあえてはまる必要もない。

 あくまで常識的な判断を下し、ブラウアーは敵部隊に対する突撃の準備を始めた。




 反乱軍動くの報は、銃士隊の各員に一層の緊張を与えた。

 帝国軍の各方面から抽出された精兵たちとはいえ、たった二ヶ月、鬼のような基礎訓練と銃の扱い方だけを叩き込まれたにわかづくりの試験部隊である。リアでなくとも、緊張するなと言うほうが無理な話である。

「敵は戦力を集中し、中央を打ち崩して分断を狙っているものと思われます」

「フム、妥当な判断といったところかな。まあ普通そうするよな……各隊、ちゃんと火縄に着火していったよね」

「万全です。戦闘開始までの時間を考慮しても、まず燃え尽きることはないでしょう。しかし、火をつけたまま持ち歩くとは、フィッツェンハーゲン女史の構想には驚かされますな」

「まったくだ、火種の運搬には苦労させられたがね……しかしこの方法だと、急な戦闘にはちょっと苦しいかもしれないな。初動が遅い」

 さて、と頭を切り替えたクリストハルトは、眼前に展開した直属の部下たちと、リアが率いる小隊へ向けて声を張り上げた。

「手はず通り、我が隊及びクルーガー隊の射撃を基準に、ブロイヤー隊、バール隊と順次射撃を行う。アンガーミュラー隊は射撃効果の薄い、あるいは戦意の維持されている部隊に目掛けて攻撃する。横隊の間隔はちゃんと空けておくように、また訓練のときみたく引火するぞ」

 すでに展開を終えているホルスト、ロルフもまた、部下を整列させ、火薬も火縄も準備させていつでも射撃ができるように整えていた。

 すでに彼らの前方にはエメルト軍が進撃中であった。両翼の小隊には見向きもせず、一直線に中央部隊を狙っている。

「思い切りがいいな。我々がせいぜいクロスボウ部隊なら、間違った戦法ではないが」

「ま、予想しろというほうが無理な話であろうよ」

 ホルストとロルフはそれぞれ会話のような独り言をつぶやきつつ、同時に号令を発した。

「構え!」

 きびきびとした動きで、銃士隊の兵士たちが銃を構える。彼らの持つ銃は、クリストハルトが結成式で披露した銃から多少の改良が施されていた。

 重量軽減のために削られていた肩当が復活し、銃弾を装填する槊杖カルカには、先端に銃口内に残った火薬を清掃するための綿が追加された。また、集団で使用する際に火薬が飛散して爆発する事故もあり、火皿に火蓋が設置された。 

 たった二か月でこれだけの改良を施せたのは、クリストハルトの脇で高みの見物と洒落込んでいるラウラの行動力の高さによるものだった。また、いずれも銃の再生産を必要としない、パーツ単位の改良で済ませているあたりが、予算の兼ね合いまで考えられる彼女の手腕と言えるだろう。

「綿はうまくいくか知らんけどね、突貫でくっつけたから試してないし」

「……」

 あっけらかんと言い放つラウラに、隊員たちはあからさまにげんなりした表情だ。豊満な肉体を持つこの技術士官は、どこか狂科学者じみた部分がある。訓練中に事故があったと聞いて「改良点が見つかる!」と喜ぶのは彼女くらいのものだ。自分たちなど生きた部品程度の扱いなのかもしれない。

「火蓋開放!」

 クリストハルトの号令のもと、火蓋をずらし、火皿を露出させる。ここまでくれば、あとは引き金を引いて火縄を火皿に打ち付けて、火薬を爆発させるだけだ。

「焦って撃つなよ、よく引き付けるんだ……」

 エメルト軍はすでに行進から駆け足の段階に入りつつある。武装した兵士が全力で駆けられる時間は限られているから、突撃を開始するまでの距離も重要なのだ。

 ブラウアーはトルキア騎兵を両翼に配置して、必要であれば三つに分散している銃士隊の間隙を抜け、背面に回り込んで攻撃するよう指示を出していた。最初から外側に大きく回り込んでは、包囲の狙いが悟られてしまう。

 トルキア騎兵の隊長は、祖国で銃を見たことのある人物であったが、銃士隊の構えるそれが銃だとは認識できていなかった。トルキアの銃はもっと大型で、形状も構え方も似ても似つかないものであったのだ。また、まさか帝国に銃があるなどと考えてもいなかった。

 ついに、両軍の兵士たちが互いの表情を読み取れる距離にまで近づいた。

突撃アングリフ!」

 ブラウアーは声を張り上げた。戦意旺盛な傭兵たちが、返り血を求めて雄叫びと共に走り出す。奴等は剣も抜いていない、殺してもよい相手が殺してくださいと言っているようなものだ。

 銃士隊のひとりが、恐怖から引き金に指をかけたが、リアが諌める。

「まだ! まだ撃たないで、この距離じゃあ早い!」

 ひとりが先走って発砲してしまうと、周囲もつられてしまい収拾がつかなくなる。その声に不安の色はもはや無く、年少の上官の声を聞いて、兵士も落ち着きを取り戻したようだった。

「射撃は敵の黒目が見えてからだ、訓練を思い出せ! ちゃんと案山子と並んで測ったろうが!」

「お嬢ちゃん隊長が気張ってんのに、おれたちがあたふたしてどうするよ」

「ここでやっちまうような早漏野郎はいねえな!」

 男たちが口々に自らと仲間を鼓舞する。やや下品な表現は、少数の女性隊員の眉をひそめさせた。

 やがて、エメルト軍の傭兵たちの瞳が、はっきりと確認できる距離となった。誰もが、勝利を疑わない貪欲な表情であった。その瞬間を、クリストハルトは逃さなかった。

撃てフォイア!」

 クリストハルトとリアの部隊が、一斉に銃を放った。銃声と硝煙を率いて銃口から飛び出した弾丸は、鉛のカーテンとなって、エメルト軍の傭兵たちへと飛び込む。

 銃弾は傭兵の頭蓋骨を粉砕し、その中身を飛び散らせる。顔面をえぐりとり、腕を叩き折り、足を吹き飛ばす。内臓をかき乱し、細胞を破砕する。エメルト軍の前衛部隊は一挙に崩れ去り、血だまりを作り上げた。

「なッ……なんだ、これは……!」

 苦痛にうめき、血の池でのたうち回る傭兵たちを見て、ブラウアーは息をのんだ。これが、連中の武器の威力だというのか。まるでハンマーで殴りつけられたかのような破壊力ではないか。

 何が木の棒だ、あれはとんだ悪魔の武器だ。まるで小さな大砲ではないか。ブラウアーは偵察隊の報告を容易に信じた自分を呪った。未確認の武器であるならば、もっと入念に情報を集めるべきであった!

 たった一度の攻撃で、エメルト軍の足は完全に止まってしまった。彼らが今までに経験したことのない死に様を目の前で、しかも大量に見せつけられては、動転するのも当然である。

 一方、銃士隊の武器を理解した者もいる。トルキア騎兵の隊長である。

「これは……銃か! しかし、あんな小型化に成功しているとは!」

 トルキア兵たちの馬は、初めて聞く銃声にひどく驚いているようで、騎手の思い通りに動いてはいないようだ。軽騎兵たちの快速は活かしきれず、中には右往左往している者もいる。

 これはすぐにでも引き返し、本国に報告せねばならない。隊長は現在率いている半数の騎兵たちに、直ちに撤退を命じた。

 しかし、その行動を予期していた者たちがいた。

 乾いた銃声が連続して発生し、あたかもひとつの音が長く鳴り響いているかのようにこだまする。ほとんど同時に、トルキア騎兵やその愛馬たちが、次々となぎ倒された。銃士隊右翼、ホルストらの射撃であった。

「銃を知るトルキア軍なら、すぐに秩序を取り戻すだろうとは思ったが、存外たいしたことはないな」

 トルキア騎兵と言えど、全員が銃を知っていたわけではないし、まして自分たちに向けられるなど考えたこともない。暴れる馬の制御にかかりきりで、迅速な撤退行動など望むべくもなかった。

 これは反対側に展開していた騎兵隊も同様であった。ロルフ指揮の小隊による一斉射が、伝統ある軽騎兵を粉砕する。

「これが新しい時代の武器、か……」

 ロルフは白い髭をなでながら、どこか寂しそうにつぶやいた。

「我々の知る戦争が過去のものになる。なかなかどうして、寂しいものだな」

 四個小隊、約二〇〇名の射撃を受けて、エメルト軍は崩壊を始めていた。あの乾いた破裂音が鳴り響くたび、目の前に、隣に立つ戦友が砕け散るのだ。彼らの目には、銃士隊は魔法使いの集団にすら見えていた。

 指揮官のブラウアーは左足に銃弾を受けて落馬していた。彼は声の限り部隊の立て直しを図ったが、傭兵たちの士気の低下はもはや防ぎようもなかった。

 そんな中、生き残ったトルキア騎兵たちが後方で集結し、撤退を開始した。一〇人ほどにまで減らされた彼らであったが、恐怖に駆られる馬を辛うじて制御し、エメルト軍から離脱したのだ。

「いかん、トルキア兵を逃がすな! 彼らに情報を持ち帰らせてはいけない!」

 銃士隊結成以来、初めて発されたクリストハルトの余裕のない声。しかし、それに聞き入っていられるだけの余裕のある者はこの場にはいなかった。

「ブロイヤー隊、次弾装填間に合いません!」

「バール隊、同じく!」

「クルーガー隊、攻撃不能!」

「くっ……」

 予想通り、ほとんどの兵士たちは銃の装填にかなり手間取っていた。訓練とは違う緊張から、手元が狂い、弾丸を取りこぼす。悪いことに、ブロイヤー隊で火薬をぶちまけた者がおり、引火して爆発。死者は出なかったものの、混乱は極限に達していた。

 この状況で唯一動くことができる部隊は、たった一隊だけであった。

「追撃する! 構わんから、走りながら撃て!」

 バルトルトは部下たちにそう怒鳴り付けると、自身も手にしていた銃を馬上から放った。銃弾はトルキア騎兵のひとりに命中したようで、不幸な騎兵は愛馬から勢いよく落馬し、永久に動かなくなった。

 彼の部下たちも懸命にトルキア騎兵を追いかけながら、次々と銃を撃つ。煙が視界を奪い、先頭の者に後続の兵士がぶつかって転倒した。味方同士の誤射が無かったのは奇跡と言っていいだろう。

 このままでは取り逃がしてしまう――バルトルトは焦り、銃を放り捨てると手綱を強く叩いて速度を上げた。部下たちを置き去りにしてでも、とにかく敵の頭を押さえなければ。

 さすがに銃声に慣れさせられたバルトルトの馬は自慢の脚力を存分に発揮し、ふたりのトルキア騎兵を斬り伏せつつ、先頭へと躍り出た。たった一騎とはいえ、目の前に敵を迎えたトルキア兵たちは一瞬だけ足を止める。

 その一瞬だけで充分だった。同時に、まるで突風のような速度で、ひとりの剣士がトルキア騎兵たちの中央へと降り立った。愛嬌ある子顔に好戦的な笑顔を携えたヘルマである。

「はいっ、ヘルマさん参上ですよ!」

 ヘルマはやや細身の剣を腰から引き抜くと、馬上のトルキア兵に臆することなく飛びかかった。

 トルキア兵とて烏合の衆ではなく、むしろ傭兵に扮して敵国に潜入するという任務を帯びただけの実力者であったはずだが、ヘルマはただの一閃でその首を叩き落した。頭部を失った騎兵は愛馬の上で態勢を維持していたが、しばらくしてゆっくりと地面に受け止められた。

 ヘルマは間髪を入れず、トルキア兵の中で最も派手な軍装の者――つまりは指揮官に狙いを定めて、弾丸のように突撃した。ふたりのトルキア兵が指揮官を守るためにその進路を阻もうとしたが、前に出たものから順に血煙をあげて倒れる。

 ヘルマの剣技は、野性的で獣の様な印象を抱かせる。トルキア兵たちの間に驚嘆と憎悪の声が沸いた。こんな年端もいかぬ小娘相手にいいようにされるとは、なんたることか!

 トルキアの隊長はさすがに強者であった。ヘルマの鋭い剣を弾き返すと、馬上の利を活かして攻勢に転じた。一進一退の攻防を続ける。

 ヘルマのインパクトに隠れているが、バルトルトもふたりの騎兵を相手に渡り合える猛者であった。

 バルトルトは斃した騎兵の槍をひったくると、ひとりのトルキア騎兵に投げつけた。その勢いは凄まじく、トルキア兵は背後の木に縫い付けられ、空馬だけが空しく雑木林に消えていった。一方の騎兵は、同僚の悲惨な最期に怯んだ隙に、サーベルの一撃を受けて絶命した。

 既にバルトルトの部下たちの中で足の早い者が合流し始めており、三人のトルキア兵が馬から引きずり下ろされ、袋だたきに合っている。ヘルマが戦う指揮官以外、活動可能な敵はいなくなった。

 その指揮官も、部下の騎兵たちより数分長生きしただけだった。数十合に及ぶ剣戟の末、由緒正しき血統の騎兵将校は、貧民街生まれの兵卒に討ち取られたのだった。

 その戦いを見届けたバルトルトは、満面の笑みで叫んだ。

「っしゃ、勝鬨をあげろ!」

「オォッ!!」

 威勢のよい兵士たちの声が、周囲に響き渡った。銃士隊結成後初めての戦闘で完勝したのだ。意気が高揚し、踊り出す者までいる始末だったが、バルトルトは止めはしなかった。ヘルマと顔を見合わせて笑いあう。

 あるいは、彼らふたりもこの勝利に酔っていたのかもしれない。バルトルトの背後で、息も絶え絶えながら立ち上がった戦士に気が付かなかった。

 踊ってはしゃぐ兵士からバルトルトへ視線を戻したヘルマが、一瞬でその目付きを変えた。瞬時に剣に手をかける。バルトルトもこの刹那に自身に迫る危機を察知したが、反応は遅れに遅れていた。

 満身創痍のトルキア兵は、今にも曲刀を振り下ろさんとしていた。ヘルマの目が見開かれる。だめだ、この距離では間に合わない――

 次の瞬間、トルキア兵の頭部が、かち割られた西瓜のように弾け飛んだ。


 その一撃は、彼らの遥か後方から放たれたものだった。

 哀れな被害者は、脳漿をまき散らしながら勢いよく倒れ伏す。頭部は原形を留めておらず、下顎に残った舌がだらしなく地面に伸びた。

 いま正に自分の命を奪わんとしていた者の亡骸を見たバルトルトは、すぐに状況を飲み込んだ。自分の命の恩人を目を凝らして探す。

 少しして、ヘルマが雑木林の中に一筋の硝煙を発見した。恐ろしく目のいい奴だ、なんでそれで銃を当てられないのだろうか。

 その狙撃手は、初陣の小隊長リアであった。銃の扱いに長けた彼女は、部隊を引き連れて救援に赴くよりも、ひとりで向かったほうが早く追いつけると判断し、小隊をクリストハルトに預けて単身で援護に来たのだ。

 それでも先行していたアンガーミュラー隊にはとうてい追いつかなかったが、バルトルトとヘルマの戦闘地域を彼女の射程に収めるだけならばそう時間はかからなかった。

 バルトルトは部下をすり抜けてリアに駆け寄ると、満面の笑みで自分より一回り年下の士官の肩を叩いた。

「リア! いやあ本当に助かったぜ、よくあの距離で当てられたもんだ!」

 リアは照れくさそうに、そして少しだけ誇らしそうに笑っていた。戦闘前の極度に不安そうな表情が嘘のようである。

 ふと、バルトルトの鼻孔が血と硝煙以外に嗅ぎ慣れた、日常的なにおいを探知した。そのにおいの主は自分ではなく、そしてこの場にはバルトルトとリアのふたりしかいない。

「リア、お前もしかして」

 バルトルトの表情に諸々と察したリアは、半泣きのまま真っ赤になって、内股になりながら大声で否定した。

「も、漏らしてません!! 本当ですよ!!」

 この戦闘における、銃以外で唯一の暴発であった。




 投降した傭兵たちの武装解除を行っている最中、ハンスは報告書を作成しながら、クリストハルトには口頭で損害の報告を行った。

「射撃後の視界不良の中で走り転倒した者が二十八名、あれだけ言っておきながら隣の者と近づきすぎた為、火薬に引火させて爆発した者が七名、力みすぎて槊杖をへし折った者が八名、清掃用の綿に引火した者が十六名、銃身が破裂した者が三名……」

「最後のふたつは技術面での失態なので、情緒酌量の余地ありだなあ」

 笑いながらも、クリストハルトは真剣に聞いていた。

 今回の戦闘で起きた事故では、幸い今後の軍務に支障の出る怪我を負った者はいなかったが、一歩間違えば死人が出ていてもおかしくない事故ばかりだ。

「戦法にせよ銃そのものにせよ、改良点は尽きないな。まあ、ラウラは楽しそうだが……」

「今回の勝利で、少しは予算を回してもらえますかな」

「どうだろうね、この一戦で使った鉛と火薬の総額を考えれば、むしろ減額されても不思議じゃないかもしれないなあ」

 帝国では、今のところ火薬の大量生産に関する技術がないため、銃を運用するうえで欠かせないこれが非常に高価であった。この事情はトルキアとて同様で、それゆえにお互い銃の大量配備がなされていない状況だったのだ。

「まあ、金銭面はともかくとしても、たった二ヶ月訓練しただけの部隊が、同数以上の部隊に勝利したんだ。それだけでも、この戦いはいいデモンストレーションになったろうさ」

 軍の上層部は、当然ながら銃に対する信頼感など欠片もなく、むしろその存在に懐疑的な者も多い。銃士隊を部隊として存続させるには、一定以上の実績を示し続けなければならないのだ。

 銃が弓矢に勝る点。それは何より、技術習得の簡易さにある。

 今の銃士隊はいわば精兵が集められたエリート部隊であるから、二ヶ月間の訓練でもそれなりの水準に達することができた。徴兵されたばかりの素人でも、四、五ヶ月程度も訓練を重ねればそれなりのサマにはなるだろうとクリストハルトは予想している。実際はもっと早いかもしれない。

 兵士の教習時間というものは重要だ。敵が一年間かけて兵士を育てている間に、こちらは一ヶ月で兵士を育てきり、戦線に投入できるとすれば、まず数の上で敵に対して優位に立つことができる。軍を率いるものなら、その意味するところを理解できないはずはない。

 しかし、クリストハルトは埋葬作業中の部下たちを見やった。傍らに積まれている死体は、どれも身体の欠損が目立つ。

「銃が浸透すれば、今度は我々がああなるかもしれないと言うことか。恐ろしい話だな……」

 今回の戦いで、銃士隊側の損害は負傷者四二名。それに対し、エメルト軍は二〇〇名近い死者、負傷者を出し、トルキア騎兵はその実力を発揮することなく壊滅した。

 投降した傭兵の処遇は国教会が決める。再教育だなんだと洗脳されるか、反逆者として処刑されるか……いずれにしても、気分のよい話ではなかった。

「それじゃあ、残りを片づけるとしよう。この戦いの結果だけを流布すれば、残りの私兵は降伏してくれるかもしれないしね」

 クリストハルトの予想通り、エメルト軍の残存兵力は次々と降伏した。もともと忠誠心でエメルトに仕えていた者は多くはない。五〇〇人の傭兵を完膚なきまでに叩き潰すような連中を相手に、わざわざ好んで立ち向かう物好きはいなかったのだ。

 銃士隊は捕虜の後送をブロイヤー小隊に任せてエメルト男爵の館へと進軍したが、道中ではもはや抵抗らしき抵抗は存在しなかった。

 しかし、銃士隊は主任務を完遂することはできなかった。銃士隊が到着したとき、エメルト男爵の館は紅蓮の炎に包まれ、人の立ち入りを拒んでいたのだ。そしてその炎が仕事を終えたとき、そこには焼け死んだ召使いたちの死体しか残されておらず、エメルト男爵の生死は確認できなかったのである。

 なお、エメルト軍の指揮官ブラウアーは、護送され処刑が決定したものの、刑の執行を待つことなく没した。銃創からの感染症であったという。

 かくして、解決というにはすっきりとしないまでも、エメルト男爵反乱事件は終息し、銃士隊はその初任務を人的損失なく終えることができたのだった。

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インペリアル・ラプソディ 眞鍋鈍平 @guraguraghost

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