インペリアル・ラプソディ

眞鍋鈍平

第一章 混迷の時代

 その日は、透き通るような快晴だった。昼食時と言うには少しばかり遅い時間だったが、いくつかの家からはぽつりぽつりと炊煙も見て取れる。平和な農村の、平和な光景。つい三十年前、ここで戦が行われていたとは思えない、のんびりとした田舎の景色だった。

 村の少年テオドールは、家の農作業を手伝った後、いつもの友達と会う約束だった。いつもの、といっても、毎日会える農家の悪ガキどもではない。月に一度程度、この辺境の村にひょっこりと顔を出す兄妹だった。

 彼らはふたりとも、夕陽に照らされる小麦畑のような美しい金髪の持ち主で、まるで教会の牧師が説教の中で話す神の使い、天使のようであった。彼らを見るたび、燃え尽きた炭のような髪色の自分が、いささかみすぼらしく感じられた。

 一度、本人たちにそう話したことがあった。ふたりは鈴の音のような声で笑い、テオドールの髪の毛をやさしく撫でながら、優しい夜空のような色だ、と慰めてくれた。それ以来、テオドールは自分をこの髪色に産んでくれた両親に感謝するようになった。

 彼らが訪れるのは、決まって村の集会が行われているときだった。大人たちが集会所に集まる間は、子供たちは思い思いに好き放題に遊ぶのだ。悪ガキたちは水車に悪戯をしたり、蛙を殺したりしては集会から帰った親たちに大目玉を食らっていたが、テオドールはそういった悪戯ごとにはあまり興味がなく、金髪の兄妹と散歩に出かけたり、仲良く釣りをするのがもっぱらの過ごし方だった。

 その日も、テオドールは新しく作った釣り竿を三本、小さな身体をよろめかせながら抱えていた。父が見つけてくれた質のいい枝から作った自信作だ。きっとふたりも喜んでくれるだろう。顔をほころばせる天使の兄妹を――特に妹の笑顔は、テオドールの胸を張り割かんばかりに美しいのだ――想像するだけで、テオドールは足取りが軽くなるのを感じた。釣り竿の重さなどへっちゃらだ。

 いつもの待ち合わせ場所である、村のはずれにある小高い丘の風車には、すでに友人たちの姿があった。彼らはテオドールを見つけると、もともとの笑顔を五割増しにして駆け寄ってきた。

「ルトガー、エリーゼ!」

 負けじと満面の笑みを浮かべ、テオドールはふたりに向けて走り出した。足元をよく見なかったために、小石に躓いて盛大に転ぶ。天使たちの表情が途端に青ざめ、駆け寄る速さが一段階上がった。

 そっくりな兄妹たちに抱き起され、照れ笑いしながらもテオドールは自慢の釣り竿をふたりに差し出した。ふたりは彼の予想の一二四パーセントほど上回る笑顔でそれを受け取った。天使の妹――エリーゼの笑顔は、相変わらずテオドールの胸を締め付けるように美しかった。

 釣り竿を作ったときの苦労を喋ろうか、それよりも早くいつもの釣り場に行こうか。テオドールは自分の苦労を語って同情を誘うより、一時でもふたりと楽しい時間を共有しようと考えて、ふたりの手を引こうとした。

 しかし、ほんの一瞬前まで煌めくような笑顔だったふたりの顔は、テオドールが転んだ時よりもはるかに青ざめていた。引こうとした手も固まったまま、その場に根を張ったように動かない。ふたりの視線は、おそらく同じ場所を見つめていた。

 内心でがっかりしながらも、ふたりがあまりにも深刻そうな顔をするものだから、テオドールも気になって振り返った。蜂の群れでもいたのだろうか、だったら風車の中に隠れればいいのに――

 テオドールの呑気な考えは、その一瞬で途絶えた。

 風車は丘の上にあるため、村全体がよく見渡せる。農民たちが汗と涙を流しながら開墾し、ついには一面を覆うほどになった小麦畑も、大人たちが難しい話をしているのであろう集会所も、子供たちの遊び場も、水車小屋も。

 そのどれもが、燃え盛り、黒煙を上げていた。目を凝らせば、燃えているのが建物や麦畑だけでないことがわかった。のたうち回り、転げまわる人。その誰もが、赤々と燃え上がる炎に犯されている。

 集会所は焼け落ち、その中からも火のついた大人たちが這いずり出てくる。必死に地面を這う彼らに近づく影があることに、テオドールは気が付いた。

 軍人だ。テオドールたちの住む帝国軍の服装ではない。見たこともない軍装の兵士たちが、手にした剣で、槍で、か細い生への可能性を目指す農民たちを刺し殺している。

「お父様!」

 美しい声だった。テオドールの恋い焦がれた少女の声は、悲痛な叫びすらも芸術品のようで、突然に起こった惨劇と相まって現実感がなかった。だが、駆け出した彼女の存在は夢でもなんでもなく、彼女を追うように走り出したルトガーの姿もまた、まさしく現実のものであった。

 ふたりが遠く、燃え盛る村へ消えていくのを、テオドールはただ見守ることしかできなかった。走り出したふたりが踏みつけて折れた釣り竿は、もう彼の瞳には映っていなかった。


 帝国歴三〇七年、帝国西部に存在したハルデンベルト子爵領にて、隣国ゴーラ王国軍による襲撃事件が発生。ハルデンベルト子爵とその子息をはじめ、村の主だった住人はことごとくが死亡ないし行方不明となり、事件を手引きしたとしてゴーラ系の住民が複数名処刑された。

 領主を失ったハルデンベルト領は帝国直轄領となり、帝国軍は報復としてゴーラ王国へ三十年ぶりの侵攻を開始。ついには王国を滅亡せしめ、その広大な穀倉地帯を手に入れたのだった。




 帝国。この国が特定の国名を持たないのは、この大陸においてあまりにも強大であったためである。

 「帝国と称してよい国家は他にあらず、故に帝国に名はいらず」とは、初代皇帝ユリウス一世の、過剰な自信と自負を象徴する言葉であるが、建国から三百年を経てなお、大陸に帝国の名を冠する国家が新たに誕生した例はない。

 ユリウス一世の時代から、帝国の対外姿勢は常に武力に寄る場合がほとんどで、また武力に寄れるだけの精強な軍勢を常に有していたことが、帝国を帝国たらしめていた要素のひとつであることは間違いないだろう。

 初期の帝国軍は志願兵がその大半を占めており、基本的に職業軍人の集まりであった。農民や奴隷を徴集し、傭兵を雇って編成されることがほとんどだった当時の軍隊と比較した場合、その士気や練度は段違いであり、農繁期に左右されることもない。帝国史初頭における数々の不敗神話は、この徹底した軍の専門化によるところが大きいと言える。

 また、帝国は宗教においても全く異色の姿勢をとっていた。すべての権力を皇帝に集中させるには、端的に言って宗教は邪魔な存在であったのだが、民心を得るには宗教は必要不可欠だったのだ。

 そこで、帝国は大陸で主流だった宗教を独自に解釈し、教皇を置かず皇帝が聖務を行う国教会を打ち立てた。これは特に信仰の厚い国々にとってはまず許しがたい背教的行為であったのだが、一方で皇帝を神聖視する純粋な帝国臣民たちには、この新興宗教はさして抵抗なく受け入れられた。

 その後、長らく栄光の歴史を紡いでいった帝国であったが、国家という存在である以上は衰退と無縁でいることは叶わないようであった。帝国歴二百年ごろになると、帝国は侵略による領土拡張という従来の方針から、防衛による領土維持という方針への転換を余儀なくされていたのだ。

 大きな理由としては、第十一代皇帝ジークフリート三世による北東キエルシア公国遠征軍の大敗と、それにより著しく戦力を低下させた帝国北部に狙いを定めた、北西ホルディック王国軍による掠奪の開始であった。

 滅亡の恐怖に震え上がった帝国首脳部は、伸びきっていた戦線を縮小。二大国の脅威が迫る北部を中心に軍を再編し、中央と四方の計五個軍団を編成して各方面の防備を固めた。

 この頃になると、かつては血気盛んな志願兵で構成されていた帝国軍も、徴兵に頼らざるを得なくなっていた。建国以来培ってきた練兵技術は衰えていなかったが、軍隊としての質の低下は否めなかった。

 さらに、各戦線が膠着状態となり、保有戦力に比して領内の生産性が低下していくと、帝国内部の統制にも少しずつ綻びが見え始めた。働き手を徴集されながらも重い租税を払わねばならない農民や、かつて帝国に吸収されていった国々の誇りを忘れない者たちが、今まで逆らうこともできなかった帝国に対して反抗し始めたのである。


 弱者たちはそれぞれ個別にはさほどの勢力には成り得なかったが、その存在そのものが、帝国を動揺させるのには十分すぎた。

 当初は反抗勢力を武力で抑え込んでいた帝国であったが、それは更なる反発を呼び、状況の泥沼化を招いた。そこで彼らが頼ったのは、帝国国教会であった。

 だが、宗教により反帝国勢力を丸め込もうという帝国の目論見はついに達成されることはなく、結果的に様々な特権を与えられ肥大化した国教会という、新たな勢力を開拓したに過ぎなかった。

 帝国歴三百年が近づく頃には、教会は国政にも深く関与するようになり、教会騎士団という独自の武装組織を有するまでに至った。巡礼者の護衛を名目に設立されたこの騎士団が、やがて喜々として異教徒狩りを行う殺戮集団に変貌するのには、そう時間はかからなかった。

 そして第十七代皇帝ヨーゼフ二世が病により急逝すると、時の枢機卿ミヒャエルは幼い皇女アレクシアを第十八代皇帝として擁立。枢機卿と並んで宰相を兼任し、国教会史上最大の権力を手にするに至った。

 ミヒャエルは反帝国的な言動より、反教会的な言動をより厳しく取り締まった。彼は教会騎士団から選び抜いた精鋭で聖騎士団を作り上げると、次々と「思想犯」を捕らえていった。このミヒャエル枢機卿による「掃除」は、身分を考慮されることは少なく、貴族や高級軍人であっても容赦なく逮捕、収監されていった。

 教会には裁判権そのものはなく、特に有力な貴族や軍人の処刑ともなれば皇帝の裁可が必要となったが、この時点で女帝アレクシアはすでにミヒャエルの傀儡になり切っていた。

 アレクシアは父ヨーゼフ二世が死去して以来、人間不信に陥っていたが、それが治まると、今度は盲目的に周囲の人間を信じるようになっていたのだ。そしてその周囲の人間の中には、ミヒャエルも含まれていたのである。

 こうして、真に帝国を憂い、国の行く末を案じる者から順に、帝国の最高権力者によって不当に裁かれていったのである。

 こうした教会による横暴の煽りを最も大きく受けたのは、帝都の守護と帝国領内の治安維持を任務としている帝国軍第一軍団であった。

 教会は何かにつけて軍の行動に口を挟むものだから、第一軍団にとっては煩わしいことこの上ない。しかし、教会に反発してはどうなるかわからないというのは、今の帝国人なら誰しもが知っていることであったので、結局、折れるのはいつも軍の側であった。

 この時期、帝国内の治安はかつてないほどに乱れていた。アレクシアの即位前に滅亡していたゴーラ王国の残党による襲撃事件や、重税に苦しむ農民の蜂起、そして有力貴族同士の権益争いが多発していたのだ。

 そこで、行動の自由を失った第一軍団に代わって各地の争いの鎮圧を任されたのが、流浪の傭兵たちであった。

 帝国軍は、多大な費用をかけて常備軍を維持しながら、実際の戦闘にはさらに金をかけて傭兵を用いたのである。これは後世、隣国から笑い話半分の教訓として語られることとなるのだが、この時点で当人たちは至って大真面目であり、これが事態の解決に最善であると信じていたのである。

 かくして、ここに帝国史上最大規模の、傭兵産業の発達が約束されたのだった。




 傭兵とは、金で雇われる戦闘集団であり、当時の高等神官カルステン曰く、「この世で最も非生産的な職業」である(最も、傭兵団の行動により経済が潤う場合も多くあり、この発言は後世、度々批判を受けることがある)。

 彼らは契約主の勝利のために、自己の命を懸けて他者の命を奪う。多くを殺した者が勇者と称賛され、勝利を得た陣営に属する傭兵団だけが報酬にありつく。

 傭兵は掠奪者でもある。敵対勢力に属する村落、都市、果ては城塞。補給と称し、また戦利品を獲得する正当な権利として、奪い、犯し、殺す。皮肉にも、治安を回復させるために帝国軍が雇った傭兵たちこそが、治安をより悪化させる要因となっていた。

 あまりにも行き過ぎた傭兵団はさすがに帝国軍や教会騎士団の討伐目標とされたが、基本的に傭兵の行動に制約は課せられなかった。迂闊な規制は傭兵たちからの反発を招くし、傭兵が原因の憎しみは傭兵に向けられる。帝国としては、定期的に討伐隊を派遣することで、民心を得ることもできる。要するに、都合がよかったのである。

 帝国歴三一九年、帝国西部のとある農村でも、そんな道を踏み外した傭兵たちが狼藉を働いていた。しかし、彼らを討伐したのは帝国軍でも、教会騎士団でもなかった。


 吸い込まれるような黒髪を風にゆだねながら、フォルカー・ヤンセンは、小高い丘から、燃え盛る炎に蹂躙される村落を眺めていた。ゆらめく炎の形をした死神の鎌は、屈強な戦士たちと哀れな農民たちの命を平等に刈り取っていく。

 この農村は、半ば野盗と化した傭兵たちに掠奪されていた。フォルカーが傭兵たちの輜重隊を壊滅させ、彼らを飢えさせたためだ。さらに言えば、村に火をつけたのもフォルカーたちである。掠奪をはたらいた傭兵たちもまたフォルカーの被害者であり、農民たちは被害者のさらにまた被害者といったところだ。

 被害に合っている農民たちは、ただ、そこにいたというだけだった。それだけで、彼らは十二分に被害者になる資格を有していたのである。これが今の帝国の現状であり、そして限界であった。

 炎に取りつかれて転げまわる彼らを眺めるフォルカーの瞳は、冷静というよりも冷酷というほうがふさわしかった。失われていく命に対して、なんら価値を見出していない。彼が時おり、仲間からも恐れられることがあるとすれば、こういった場面であった。

 かつて、自分の村が焼かれたとき、彼は運命の理不尽を呪い、実行者たちを憎んだ。しかし、気が付けば自分が火を放つ側に立っている。皮肉なものだ。焼かれたことは一度だけだが、焼いた回数など二桁に達するかもしれない。

「フォルカー、みんな準備できたってよ」

 彼の背後から、明るい女性の声。彼の部下のひとり、ニーナ・ケルルだ。

 肩に届かない程度の暗い茶髪を揺らすニーナは、背中と腰に一振りずつ剣を帯びている。彼女がその二振りから織り成す剣技は、芸術的なレベルとまで言えた。少なくとも、ヤンセン傭兵団の中では最も可憐で、そして最も強力な剣技であった。

「敗残兵のそのまた残党狩りか、燃えない戦いだなあ」

「村は燃えてるけどな」

「ンッフ、今のはちょっと面白かった」

 別に冗談を言ったつもりはなかったのだが、結果的にそうなっていた。ニーナはにっと歯を見せて笑うと、彼女の後ろに控えた歴戦の強者たちへ向けて振り返った。

「よぉし、それじゃあいよいよお仕事の大詰めだ。取るに足りない相手だけど、油断して死ぬんじゃないよ! うちは人数いないんだからね!」

 おう、と戦士たちは得物を掲げ、戦意を高める。ニーナのよく通る声で発された突撃の号令で、彼らは丘から駆け下りていった。フォルカーは数名の弓兵を伴って、高台からの監視を続ける。万が一にもニーナが敵を取りこぼした際、迅速に追撃するためだ。

 ヤンセン傭兵団による直接攻撃での最初の犠牲者は、まだあどけなさの残る顔立ちの少年だった。彼は死の直前、ホルディック出身の先輩傭兵が話していた戦乙女ワルキューレの姿を見ることができた気がした。彼女の持つ二対の細身の剣が青白く煌めいたとき、彼の魂はまさに戦乙女たちの世界へと旅立っていった。

 それは戦闘というより、虐殺と言うべきであったかもしれない。飢えに苦しみ、さらに炎によって混乱状態にあった傭兵たちは、元より戦意などとうに喪失していた。抵抗はおろか、最初から立ち向かおうとする者もほとんどいなかった。微弱な抵抗も、ヤンセン傭兵団の勢いに破砕された。

 ある者は槍で胸を貫かれ、ある者は曲刀で腹を斬り割かれ、ある者は棍で頭を叩き割られる。多種多様な方法で、哀れな傭兵たちは次々と冥界へ叩き込まれていった。

 犠牲者の中には襲われた村の住人もいたが、フォルカーはもとより咎めるつもりなどなかった。乱戦の中で民間人を殺さないように注意しろ、などと部下たちに言えるはずもないし、何より「民間人に手を出す悪い傭兵」は「村を救う良い傭兵」に撃滅されるのだから、何の問題もないのだ。

 結局、フォルカーによる弓兵の備えは実行されることはなかった。敵の傭兵はその悉くが、ニーナたちによって討ち取られたのだった。農民の生存者もなく、フォルカーはわずかに焼け残った糧食を回収し、農村を後にした。


 フォルカー・ヤンセンが率いる傭兵団は、総勢七十名。人数としてはそれなりだが、この時代の傭兵団としてはかなり規模が小さい。

 傭兵産業の創成期こそ、少人数で活動する傭兵も存在していたが、現在の傭兵は組織化が進んでいる。最低でも一個中隊、およそ二百名で編成されるのが普通である。当然、商売敵との戦いでは、フォルカーたちは数の上で不利な状況での戦いを余儀なくされていた。

 それでも、ヤンセン傭兵団は常に勝者の立場にいた。彼らは精強で、ひとりひとりの戦士が並の傭兵など相手にならないような実力者揃いだったが、彼らを勝者たらしめていたのは戦士たちの腕力だけではなかった。

 フォルカーは帝国各地に密偵を放ち、ありとあらゆる情報を収集していたのだ。戦う相手の規模、構成、得意な戦法から内部事情まで、戦いに利用できそうな情報はすべて彼の頭に入っていた。

 内紛を起こさせ、敵幹部を買収し、有力人物を暗殺する。勝つためならばどんな手段も使うこの傭兵団は、雇い主すら畏怖する存在として知られていた。

 その徹底ぶりから、時には帝国軍に睨まれることもあったが、頃合いを見計らって討伐対象となっている傭兵団を討ち取ることで、自身が狙われないようにバランスを保っていた。

 今回の傭兵討伐もその一環である。もっとも、あの傭兵団は最初から進んで掠奪を行う集団ではなかった。フォルカーたちさえいなければ、至極まっとうな傭兵団として活動を続けていただろう。何から何まで哀しき連中だった。

 そんな哀しき連中を最も切り刻んだ女は、ほくほく顔で配当金の入った小袋を抱きしめていた。

「いやあ、さすが帝国正規軍。支払いが太っ腹でいいねえ」

「あんな腰抜け軍団、さっさと解散させておれたちを雇えばいいのになあ」

 他の傭兵が応じる。仕事を終えた開放感からか、笑顔の者が多い。夕食を準備する当番兵も、疲れを知らない表情だ。宿営地は和やかな雰囲気に包まれていた。

「こんなおいしい仕事なら、末永くお付き合いをお願いしたいもんだ」

「馬鹿言え、宮仕えなんて御免だぜ」

「おれもまっぴら御免だが、こんな仕事も今回限りみたいだな」

 楽観的な会話をしていた傭兵たちの声が一斉に止んだ。別にフォルカーが会話に割り込むことが珍しかったわけではない。その内容のほうが問題であった。

「どういうことなのさ、フォルカー」

「今しがた、帝都の『耳』から連絡があった。どうも今回みたいな道の外れた傭兵を討伐する専門の部隊が設立されるらしい」

 沈黙が一転、ざわめきが傭兵たちの間を支配した。

「これからはこの方法は使えなくなるってこと?」

「ああ、おれたちの他に悪者をやってもらったとしても、帝国軍が刈り取っちまうんじゃどうにもならん。やり口を考えなきゃならなくなったな」

 しかし、傭兵の討伐にすら教会の顔色を窺っていた帝国軍が、よもや対傭兵専門の部隊を立ち上げるとは。信頼する密偵からの情報とはいえ、さすがのフォルカーも驚きを隠せずにいた。

 あるいは、教会ですらその設立を認めなければならないような事情があるのかもしれない。教会に近しい人間が率いる部隊なのか、新兵器の実験か、はたまたさすがの教会も今の情勢をどうにかしようとしたのか……

 いずれにしても、自分たちの行動を変える必要があり、またより精密な情報を集める必要もある。しばらくはおとなしめの仕事をこなして時間をつぶす必要があるだろう。

 どんな部隊であれ、まずはお手並み拝見だ。三百年の伝統を誇る帝国軍の実力を、ぜひ見せてもらおうではないか。もし、自分の目的に利用できるならよし。万が一にも障害となるのなら――

 かつてテオドールという名前の少年であった男は、当番兵の持ってきた黒パンをかじりながら、自分の野望に向けて脳内で次なる算段を組み立てていった。




 帝都。かつては固有名詞のある土地であったここもまた、現在は単に帝都という飾り気のない言葉で表されていた。由来については帝国の呼称と同じく、この世にふたつと帝都は存在しない、というユリウス一世の方針からである。

 もっとも、飾り気がないのはその名称だけであり、帝都そのものは日夜活発な経済活動による派手さのカーニバルだった。一銭でも多く稼ごうとする商人と、一銭でも安く買おうとする消費者の間で、絶え間ない戦争が繰り広げられているのだ。そしてその商品とは、物質的なものだけを指す言葉ではない。

 帝都は貴族も、軍人も、聖職者も、農民も、貧民も、さらには各勢力の諜報員といった人間も集う職業や階級のるつぼといった場所である。表通りでは食料や工芸品、そして裏通りでは武器、情報といった一連の商品が、今日も合法、非合法問わず取引されていた。

 そんな路地裏を、ヘルマ・オームはふらりふらりと歩き回っていた。ボロボロの外套を羽織った身なりに似つかわしくない、とことことした愛嬌のある動き。身長の低さや童顔も相まって、一見すると物乞いの子供のようにも見えるが、その不用心を装った動きには、戦いを知る戦士のにおいが感じ取れた。

「ヘルマ、なにをふらふらしているんだ、さっさと行くぞ」

 柑子色の癖毛を短くまとめた男が、命令口調で背の低い少女を呼びつけた。

「はーい、バルトルトさま。今行きますよお」

 男は帝国軍の礼服を着ていた。第一軍団に所属する士官用の、そして貴族用の飾緒がついた、シミひとつない真新しいものだ。着慣れていないのか、時々動きづらそうに腕を回している。

 ヘルマも外套を脱ぐ。兵卒用の軍服が、ようやく陽の光を浴びた。

「まったく、せっかく東方でもっと武勲を挙げられると思ったのになあ」

 男は頭を掻きまわしながら、ため息交じりに愚痴を吐いた。ヘルマは少しだけ眉を八の字にしながらも、笑顔を返す。

「バルトルトさまは第三軍団の所属でしたっけ。あそこの司令官って、すごい猪突猛進だって聞きましたよ」

「いやあ、いい人だったよ。突撃したいときにちゃんと突撃の指示をくれるいい人だ」

 この人の中の「いい人」の基準はちょっとどうかしていると思う。ヘルマは愛想よく笑いながらそう考えた。

「今度の指揮官はどうかなあ……元第二軍団だっていう話だし、戦場の経験は申し分なさそうだが、どうも聞く限りだと慎重そうな人なんだよな」

「バルトルトさまより若いらしいですしね」

「そうだよな、おれより若いのに特殊部隊の指揮官だもんな……ってやかましいわ。悪かったな、年上のおれのほうが出世してなくて」

 二五歳のバルトルト・フォン・アンガーミュラーは、帝国東方で異教のトルキア王国軍と幾度もの戦いを経験した歴戦の士官であった。中隊長から大隊長への昇進も確実視された有望な若者だったのだが、突然の辞令により、いまや各方面軍の実戦経験者たちに「中央のモグラ」と嘲笑される対象にまでなっていた第一軍団へ転属を命じられたのである。

 落ち込むとは言わないまでも、残念であった。攻勢、特に突撃を命じれば右に出る者なしと言われてきた彼にとって、第三軍団司令官のヘルフリート・フォン・レーベンドルフ将軍の猛将ぶりは、まさに理想の上司であったのだ。

「まったく、お前さんみたいな新人にはうってつけかもしれんがなあ……」

 愚痴を言いつつ歩くうちに、バルトルトとヘルマは軍団の司令本部に到着した。衛兵の誰何を抜け、自分たちの新たな上官が待つ部屋へと向かう。

「バルトルト・フォン・アンガーミュラー、入ります!」

「ああ、どうぞ」

 やけに気の抜けたというか、朗らかな声が返ってきたものだから、バルトルトは張っていた肩肘を大きく落としてしまった。声音だけで、レーベンドルフ将軍のような方ではないとわかってしまう。

 なるべく失望を顔に表さないよう、それなりの努力を伴いつつ、バルトルトは入室した。まだ用意されたばかりなのだろう、部屋は余計な家具が一切なく、帝国軍旗と新たな部隊章の入った旗が立てられている以外は、事務作業用の机があるだけだった。

 その机に、小奇麗な顔立ちの青年が腰かけている。椅子にではなく、机にである。何かの解説書のような分厚い本を手に、空いた手で紅茶を啜っている。

 青年士官は両手の本とティーカップを手放すことなく、ふたりに視線を移した。

「やあ、はじめまして。私はクリストハルト・フォン・エーベルヴァイン。今後、君たちの上官となる人間だ」

 まあよろしく、と、透き通るような金髪の青年は微笑をたたえながら軽く会釈をした。バルトルトとヘルマは帝国式の敬礼を返す。バルトルトの顔を見て、クリストハルトはやや困ったように笑った。

「がっかりしている、という表情だね」

「い、いえ、そのようなことは」

 図星を指され、あからさまにバルトルトはたじろいだ。嘘の下手な人だ、建前と嘘で塗り固められた宮廷などではとてもやっていけないだろう、とヘルマは軍人という正しい職業選択をした上官を見やった。

「まあ、無理もないか。まだ人生の半分も経験していない若造を、いきなり上官だ、なんて言われても納得もできないよなあ」

 聞けばクリストハルトは十九歳だという。バルトルトとて軍全体から見ればまだまだ若造の部類だが、それにしても若い。平均寿命が五〇歳、戦死を除けば六〇半ばとされるこの時代においてさえ、彼の年齢に対する軍人としての立場は高いものだった。

 しかしそんなに威厳がないかな、とクリストハルトは気にしているようであった。バルトルトもそれなりに整った顔立ちだが、クリストハルトのそれは人形のような愛らしさと気品を兼ね備えていた。たぶん、そのあたりが原因だろう。

「この金髪もいけないか。やっぱり黒髪みたいな落ち着いた色のほうが、ずっと頼りになる見た目なのかなあ」

「えー? 私は好きですよ、エーベルヴァインさまの髪。すごく綺麗じゃないですか」

 唐突に、それもさらりと褒めるものだから、クリストハルトは思わず目を点にして発言者の少女を眺めた。ヘルマはにこにこしながら、クリストハルトに視線を合わせている。

 世辞だろうか、とにかく褒めてくれたことには変わりはないし、このヘルマという少女はそれなりに好印象を抱いてくれているらしい。ひとまず安堵したクリストハルトは、軽く咳払いをして話を元に戻した。

「まあ、いずれ部隊の中核となる隊員が集まるだろうから、それまでゆっくりしていてくれ。全員が集合したら、結成式を始めるから」

 何もない部屋だけど、と事実をその通りに伝えられたふたりは、残りの隊員が集まるまでの間を、実時間以上に長く感じながら待つこととなった。


「全員揃ったようなので、これから我が部隊の結成式を始めようか」

 まるで食事にでも誘うような気軽さで、クリストハルトは部屋に集まった面々を見渡した。

 老若男女とはよく言ったもので、その顔触れは年齢から性別までまさに多種多様であった。見るからに堅物そうな老人から、実戦経験もなさそうな小娘まで。互いに無言で、若干重苦しい空気が部屋を支配していた。変に明るいのは新たな部隊長だけだ。

「結成式といっても、そう仰々しいことはしない。一応、祝いのワインだけは用意したから、それでも飲みながら気楽に話を聞いてくれ」

 それぞれの従卒がワインの注がれたグラスを士官に手渡す。相変わらずにこにことしたヘルマからワイングラスを受け取ったバルトルトは、とてもではないがめでたい気分に浸ることはできなかった。

 これが自分の新しい同僚たち。なんとまあ、命を預けあう気の湧かない連中であろう。

 まず、あのふたりの老兵。神経質そうな見た目の士官は、第一軍団の出身だという。軍人というよりは軍官僚のような雰囲気だが、出身というのだから頷ける。もうひとりのほうは融通の利かなそうな、頑固爺といった風体だ。こういう手合いは年齢をかさに威張り散らしてくることが多い。面倒なタイプだ。

 そしてあの少女。片目を髪の毛で隠した変わった髪型をしているが、あれで本当に軍人なのだろうか。

 帝国軍は他国と比べても、女性軍人の割合が高い。だが、たいていは生まれる性別を間違えたような女がほとんどで、この女性士官のようにおとなしそうな見た目の女軍人は珍しい。

 珍しさで言えばヘルマも同様だが、彼女の剣の腕は一度目の当たりにしているし、スカウトしたのも自分だ。しかしあの士官からは、戦士としての覇気のようなものは感じられない。とても戦場で背中を任せる気にはならないのが正直なところだ。

 もうひとりの女性士官は、一気にワインを飲み干していた。豪快そうな姉御肌、といった様子だが、胸元の徽章は技師のものだ。工兵だろうか。それでも、あの少女よりは強そうに見える。

 唯一、バルトルトと同年代の士官がいる。濃い茶髪を刈り上げた、武骨な見た目の男だ。あまり口上手な印象は抱けないものの、なんとか心許せる人間であることを願うばかりである。

「……つまり、我々の存在は、傭兵たちの悪行を抑制するだけでなく、帝国軍の威信、名誉をも背負っているということだ。そして、それと同時に……」

 おっといかん。バルトルトは意識を指揮官の言葉へと引き戻した。同僚についてはおいおいなんとかするとして、自分が所属する部隊についてはしっかりと把握しておかなければならない。

「トルキア王国ではすでに実戦配備が始まっているという新兵器。これを完全に使いこなすことのできる国こそが、次の時代の覇者となるだろう。我々は、時代を開拓する尖兵だ。誇りをもって、任務を遂行してくれ」

 長ったらしい話はこのあたりにしよう。若い部隊長はそう言うと、自分のワイングラスを机の上に置いた。奥の窓から入る光に照らされ、美しく輝く。

「リア! ラウラ!」

「はっ!」

 ふたりの女性士官が同時に姿勢を正した。そのまま部屋を後にする。何が始まるのか知らされているのはふたりだけのようで、残りの士官や従卒はぽかんと突っ立ったままだ。

 しばらくして、頼りないほうの女性士官が、なにやら筒状のものを手に部屋へ戻ってきた。弩のような引き金がついているが、弦のようなものは見受けられない。よく見れば、部品のひとつには紐がついており、しかも火までついている。

「リア、みんなに新兵器のお披露目をしてやってくれ」

 リアと呼ばれた士官は力強く頷くと、筒の先端をワイングラスへ向けた。矢でも出てくるのだろうか、士官たちは興味半分、冷やかし半分といった様子でそれを眺めた。

 経験のある兵士ほど、新たな技術や戦術というものは信用しづらい。実績に裏打ちされた存在こそ信ずるに値する、と考えるのは当然の思考といえる。この場にいる軍人たちの希薄なリアクションも、まっとうなものだろう。

 リアは緊張した様子で、引き金にかけた指を引き絞った。


 衝撃。


 そう表現するほかなかった。乾いた音、と言うべきだろうか。とにかく大きく鋭い音が鳴り響いた。そして、何かが焦げたような、言い表しようのないにおいが部屋中に充満した。

 遠くで人々が騒ぎ出す声が、そして足音が聞こえる。だが、現場にいる人間たちは騒ぐどころか、一言も言葉を発することができなかった。

 みな茫然と立ち尽くしている。手にしたワインは衝撃の振動で小さな波を作っているが、手にした本人たちは微動だにできずにいた。

 しばしの沈黙を味わうように黙り込んでいたクリストハルトは、大きく息を吸い込むと、自信たっぷりに宣言した。

「今ここに、銃士隊の設立を宣言する。さあ、我々の手で時代を拓くぞ!」


 余談だが、発砲する旨を事前に通告しておかなかったために、クリストハルトは軍団長から大目玉を食らった。




 銃士隊結成初日は、顔合わせと銃のお披露目だけで解散となった。

 軍団長の稲妻を受け止めきったおかげで予定より遅くなってしまったものの、クリストハルトは届け出を出して、帝都近くの屋敷へと帰ってきた。

 活版印刷の発明以降、帝国軍は書類の手続きがかなり徹底されている。勝手に任地を出ようものなら、脱走扱いになりかねないのだ。当然ではあるが。

 帰路の馬車で、新たな部下たちの、銃の威力を目の当たりにしたときの顔を思い返す。少しばかり口元がほころびそうになり、慌てて頬を叩いた。

 彼らはまだ、クリストハルトを部隊長と認めてはいないだろう。今日集まった士官の中で、クリストハルトより年下なのは銃を撃ったリアだけだ。年齢ひとつとっても彼らのほうが自分より先んじているのだから、そう簡単に認められるわけがない。

 彼らの信頼を勝ち取り、かつ銃を兵器として完成形にしなければならない。今後、クリストハルトの歩む道のりは長く険しいものになるだろう。

 今日の銃は、基軸となる機構に関してはトルキア王国から得た情報で完成していたが、それ以外の部分に関しては大まかな設計で作られているに過ぎない、実際に運用してデータを集積し、実戦に耐えうる形へ改良していかなければならないのだ。

 だが、この試験部隊の実績次第では、今後の栄達はぐっと早くなることだろう。クリストハルトは地位とか名誉にさして執着のある男ではなかったが、彼の目的を果たす為には地位も名誉も必要なものだった。

 やがて馬車は目的の屋敷に到着した。警護の私兵に挨拶をしてから、使用人が明けてくれたドアを通り抜ける。

「おかえりなさい、お兄さま」

 出迎えてくれたのは、兄よりも幾分か手入れの行き届いた金髪を持つの少女だった。クリストハルトは王に忠誠を誓う騎士のように、片膝をついて少女の手を取った。ちょうど、頭の高さが同じくらいになる。

 少女は立ってはいなかった。車椅子に座り、メイドに押してもらってここまで来たのだ。彼女の両目は静かに閉じられていた。彼女の瞳は、光を受け入れることができなくなっていた。

「ただいま、エリーゼ」

 クリストハルトの声はこの上なく優しい。バルトルトたちと会話をしていた時も柔らかな口調であったが、比較にもならない。

「もう、クリストハルトお兄さまったら。私の名前はイレーネだって、いつも言っているでしょう?」

「ああ、うん……だめだな、どうもまだその呼び名に慣れてない」

「もう、お兄さまはいつもそう言ってごまかす。あれから一〇年もこの名前なのに、出会って最初にはエリーゼって呼ぶんだから」

 イリーネの何気ない一言に、クリストハルトは一瞬だけ眉をひそめた。

 正確には一二年前、彼ら兄妹は両親も、家も、何もかもを失った。ただ領地を巡察し、領民たちの声を聴いて回っていただけの善良な両親は、ゴーラ王国のタカ派部隊に殺害されたのだ。

 クリストハルト――ルトガー・フォン・ハルデンベルトと、その妹であるエリーゼ・フォン・ハルデンベルトは、辛うじて生き永らえた。世間では行方不明とされていたが、幼い子供たちが物乞いにまで身をやつして、それでも彼らは生き続けていたのだ。

「大丈夫、大丈夫だよ、イレーネ」

 クリストハルトの声は優しい。だが、最初に発した声よりも、ほんの少しだけ強張っていたことに、耳のよい妹は気が付いていた。

「もうあんな思いはさせない。二度と、君にあんな悲しい思いはさせないし、僕たちの他にもさせやしないから……」

 そう口にしたクリストハルトの瞳には、固い決意の炎が揺らいでいた。

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