第6話
「わしはその時言ったんじゃ、『諦めるな、まだいける』と!!そしたらな……っておい、あんた聞いとるのか!?」
「はいはい聞いてますよ。……もう6回目なんだがな、その話……」
「んん?何か言ったか?」
「いーえ、何にも」
数日後、俺は病院の大通りで再び例の爺さんに捕まってしまった。
今回も逃げようと思ったのだが「今日は譲らんぞ!!」と言われてしまい、渋々付き合うことにしたのだ。
実は、爺さんに付き合ったのは今回だけではない。
今まで何回も長話に付き合ってるのだが、爺さんがボケているうえに、俺自体が記憶に残りにくいため、そのことを彼はすっかり忘れている。
話も戦争ばかりで、耳にタコができるくらい聞かされて、正直飽きた。
「戦争は二度と繰り返してはならんのじゃ。それをあんたのような若者に語り伝えるのが役目でな……」
爺さんはそう言いながら、戦争の悲惨さと己の武勇伝を力説する。
武勇伝はともかく、戦争については語り継いで行く必要があるだろう。
あの悲惨さを、悲しさを。
全員が全員俺のように肌で体感することはない。
いや、体感するようなことがあってはならない。
今でこそ記憶に新しい故、世界が警鐘を鳴らしているわけだが、それもいつか忘れ去られ、また繰り返されることがあるかもしれない。
それを阻止するべく、爺さんはこうして毎日誰かを捕まえては、しつこく語っているのだろう……まぁ大半は彼の武勇伝なのだが。
爺さんの話を軽く流しながら、俺は先日出会ったゲンタ達のことを思い浮かべる。
彼らは結局生き延びたのだろうか、それとも――
そこまで考えて俺は首を振った。
「何考えてるんだ、俺は……」
使者は、依頼で関わった人々に感情移入してはならない。
そういう決まりであり、俺自身『バカらしい』といっさい割りきっていたはずなのだが……。
「まだまだ未熟ってわけか……」
つくづく自分の甘さを思い知る。
そういうのは必要ないのに、持っていてもただ辛いだけなのに。
そんな感傷に浸っていると爺さんの話が少し変わった。
「年をとると、昔のことばかり懐かしく思い出す。だからじゃろうか。最近思い出したことがあってな、あれは終戦間際だった。わしは兄弟と逃げてたんじゃが、1回死にそうになったんじゃよ。」
「兄弟なんていたんですか?……それは初耳だな」
初めて聞く話に、俺はつい反応してしまった。
しめた、とばかりにニヤッと笑った爺さんは、話を続ける。
「洞窟に隠れていたところを敵軍に見つかり、殺されそうになったんじゃ。だがな、そこでわしらを助け、鼓舞してくれた人物がおった」
「え……」
俺は思わず声を漏らす。
そのシチュエーション、どこかで……。
「今となっては、姿も何も全く思い出せんのがな……でもそいつは言ったんじゃ。『手がなくても、守れるものはたくさんある。死にたくないなら、生きろ』と」
爺さんは懐かしむように遠くへ目をやる。
「わしは両手を失って、全てに絶望していた。触れることのできないこの腕で、兄弟なんか守れんと。でも、その言葉に勇気づけられた。母さんの願い通り生きようと、兄弟を守ろうと思ったんじゃよ」
「……爺さん、両手がないのか」
俺の言葉に「見せとらんかったのぉ。」と言うと、爺さんはおもむろに袖をめくった。
そこにあったのは、鈍く冷たく光る義手――
黙り込む俺を見て、爺さんは「カッカッカッ」と笑った。
「分からんかったじゃろ。義手を装着したのは手をなくしてから随分後じゃったんだが、流石に何十年も使うと慣れるもんでなぁ。わしの腕も同然よ」
「……その後、兄弟はどうなったんだ?」
「ん?兄弟か?そうだなぁ……」
爺さんは袖を戻しながら、少し悲しそうな顔をして答える。
「死んだ。わしともう一人を残してみんな。生き残ったのは、わしとショウタだけじゃった。流石に全員は守れなんだよ」
寂しそうに笑った爺さんは「でもな」と言葉を続ける。
「それでも1人守れたんじゃよ。1人の兄弟と、わしの命を。一時期は諦めて死のうと思ってたのにな……あの人の言葉がなければ、わしは今ここにおらんかったよ」
「その人の言葉がきっかけだったのか」
俺の言葉に爺さんは力強く頷く。
「あぁ。確かに手はなくなってしまったが、それでもわしは1人の兄弟を、そして自分の命を守れた。たとえ握れずとも、触れずとも守れるものがあると知った。感謝じゃよ、あの人には本当に……」
義手を見つめながら、穏やかに微笑む爺さん。
その頬にはイボのような大きなほくろが、あの時と変わらず面白おかしく居座っていた。
「なぁ爺さ……」
俺が声をかけようとしたその時、「おーい!」と遠くから誰かを呼ぶ声が聞こえた。
声のするほうを見れば30代~40代くらいの女性が手を振りながらこちらへ駆けてくる。
「ゲンタさん何やってるんですか、もう出発する時間ですよ」
「え、あぁ悪いそんな時間じゃったか」
「出発?」
首を捻る俺に爺さんが頷く。
「そう。ずっとここに住んでおったんじゃが最近ボケが酷くてのぉ。婆さんもいってしまったし1人寂しいから、息子家族と一緒に暮らすことになったんじゃよ」
「どうやら、暇潰しにここで待ち構えては長話をする、名物お爺さんになっていたようで。すみませんねぇ迷惑かけちゃって」
謝る女性に俺は手を振る。
「そんなことないです。じゃあもうここには来ないんですね」
正直なところ、かなり迷惑被っていたので、もう長話に付き合わなくて済むというのはありがたい。
しかし開放された嬉しさとは裏腹に、心のどこかでそれを寂しく思う自分がいた。
「これがわしの最後の語りじゃ。聞いてくれてありがとうな」
ペコッとお辞儀した爺さんは「そうじゃ」と、おもむろにポケットから何かを取り出した。
「あんた、ちょっと腕を出してくれ」
「腕?どうして……」
「いいからいいから」
爺さんに急かされて、俺は不審に思いながら袖を捲って腕を出す。
すると、爺さんはポケットから出したそれを、俺の腕に巻きつけ始めた。
「それは……」
「ハンカチじゃ。わしを助けた人が腕に巻いてくれた、ハンカチ」
義手を器用に使いながら、クルクルとハンカチを腕に巻く爺さん。
「戦時中の心の支え……宝物だったんじゃよ、このハンカチは。戦争が終わったあと返しに行こうと思ったんじゃが、結局会うことは叶わんかったなぁ。まぁ名前は聞き忘れたし、肝心の顔も覚えてない段階で最初から無理だったか」
爺さんは楽しげに言葉を続ける。
巻いてやってる目の前の人物が、張本人だとも知らずに。
「えらい『いけめん』だった気がするから、いけめん爺さんを片っ端から捕まえれば、見つけられるんじゃないかと待ってたんだがなぁ。わしがこの年じゃから、彼はもう爺さんどころか死んどるな」
カッカッカッと笑った爺さんはハンカチを巻き終えると、俺の腕をバシッと叩いた。
「しっかし細い腕よのぉ。男子たるものもっと食わねばならんぞ、青年よ」
「……余計なお世話です」
俺は叩かれた腕をさする。
腕に巻かれたハンカチは、間違いなく俺があの時、ゲンタに巻いてやったものだった。
「もうきっと本人には返せないから、それをあんたにやるよ。話を最後まで聞いてくれた餞別じゃ。わしにしてくれたように、このハンカチがあんたに勇気をくれますよう」
冷たい義手で腕に巻かれたハンカチにそっと触れると、爺さんは「それにしても」と首を傾げた。
「あんたとは、昔何処かで会ったことがあるような気がするんじゃよ。はて、何でじゃろうなぁ?」
「さぁ……気のせいじゃないですか?」
俺は曖昧に微笑む。
思い出さなくていい、それでいい――
女性に手を引かれ、大通りの向こう側へ歩く爺さん。
そしていなくなる刹那、爺さんが振り返って訊ねた。
「そういやあんた、名前なんていうんじゃ?」
「……アヤメ。菖蒲の花の、アヤメ」
「そうかそうか、いい名じゃな。あの人にも、こうやって名前を聞いておくんじゃったなぁ」
教えたぞ爺さん。
たった今、数十年越しにな。
俺の考えていることに気づくことなく、爺さんがぶんぶんと手を振る。
「アヤメ君、達者でやれよ」
俺も軽く手を振る。
「あぁ。……じゃあな、『イボ兄さん』」
爺さん――ゲンタは幸せそうな笑顔を残して通りの向こうへ姿を消した。
ほぅと息をついた俺は、ゲンタの消えた通りを見つめる。
「そんな熱い意味を込めたつもりはなかったんだがなぁ……言葉にせよ、ハンカチにせよ」
俺は苦々しく笑う。
俺の行動や言葉はともかく、あの戦争からゲンタはここまで生きてきたのだ。
それまでの人生がどうだったのか、俺には知る由もない。
ただ、あのカチカチだったゲンタがよく笑い、若者に説教をするくらい朗らかになった。
そして立ち去る時の幸せに溢れたあの笑顔。
彼は確かに守ったのだ。
その見えない手で兄弟の命を、
自分の命を、
かけがえのない幸せと未来の家族を。
「よかったな、ゲンタ」
幸せそうに歩いていったゲンタを思い浮かべ、呟く。
いつも思う、人との繋がりは面倒だ。
それは人の人生の片鱗に関わるという使者の仕事柄、よく知っている。
死者が俺に託してくる伝言や気持ちは様々だ。
嘆き、憎しみ、怒り、感謝、祈り、願い――
そして、それらを伝えたからといって必ずしもハッピーエンドになるとは限らない。
人によっては一生の傷にだってなる、ある意味恐ろしい最期の贈り物だ。
でも、それでも――
彼らは皆、何かしら人との繋がりを持っている。
繋がりは時に身を滅ぼし、己を救う大事な宝物になる。
欲しいとは思わんが、俺にはたまに眩しく見えるんだ。
それはキラキラと綺麗に、眩しく、温かく――
「見えない手でも守れるものはある、か……」
俺には両手がある。
でも、守るべき対象はない。
いつか来るのだろうか。
大切にしたいと思うものができる時が、そのために必死になろうとする時が。
「フフッ……まさかな」
自分の考えがおかしくて、独りでに笑った俺は腕に巻かれたハンカチを見る。
ハンカチはまるで、誰かが俺の手を握っているかのように、ほんのりと優しく温かかった。
――Fin――
無き手が守るのは 有里 ソルト @saltyflower
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