Gothic

稲岸ゆうき

第1話

 コッ、コッ、コッ……。


 ガス灯のおぼろげな光に照らされた石畳の路地裏に、規則正しい靴音が響く。機械的ですらあるその足音の持ち主は全身黒ずくめの少女だった。


 黒を基調として襟元に白いレースの縁取りがなされた修道服。夜の帳そのままのように滑らかな光沢を放つ腰まで届く黒髪。陶磁器のように透き通る白い肌。しかしその表情は武骨な金属製のバイザーによって伺えない。


 しばらくすると少女は足を止め、周囲に漂う嗅ぎ慣れた匂いに整った眉をしかめた。


「カトー、また勤務中にタバコ吸ってるの」

「固いこと言うなよ、サラ。一本だけだ」


 路地の暗がりにかすかな明かりが灯り、紫煙を吹きながら少女と同じく黒ずくめの青年が現れる。黒い詰襟の修道服に短く刈り上げたトビ色の髪と、同じ色の瞳は気だるげに細められ、少女よりも頭二つほど高い長身を窮屈そうにかがめていた。


 カトーと呼ばれた青年の言葉に、サラと呼ばれた少女は呆れたように鼻を鳴らす。


「ついに数も数えられなくなったのかしら? 私の世界じゃその本数は一本とは数えないのだけれど」


 言いつつ、腰に提げた剣の柄頭でカトーの足元に散らばった吸殻を指し示す。


「お前、絶対見えてるだろ」

「カマをかけたら馬鹿が一人引っかかっただけよ――早く拾いなさい。仕事の時間だわ」


 カトーは肩を竦めつつ足元の吸い殻を拾い、ついでに咥えていたタバコを未練たらしくたっぷりと吸い込んで揉み消す。そして、サラと同じように腰に提げた剣の柄を軽く撫でて空を見上げた。


「今夜は月もない。こんな夜はろくでもない予感がするぜ」

「あら、絶好の魔女狩り日和だわ」


 そう呟くと、サラはその淑やかな背格好に似合わない凶暴な笑みを口元に浮かべた。


 ・   ・   ・


 ここ――聖都において帯剣している修道士は特別な意味合いを持つ。


 かつて人々が手に入れたすべての物質を分解して再構築する技術・魔法。現在では禁止されているこの禁忌に手を染めた『魔女』を殲滅し、人々の平穏を守る異端審問会に所属する審問官。


 審問官が夜の街を歩く時、それは魔女狩りを意味する。


 人々はとばっちりを受けぬよう、ただぴったりと戸締りし、息を潜めて全てが過ぎ去る時を祈りながら待つことしかできない。どうか己の身に災禍が降りかからぬように。


 サラとカトーは情報部から魔女の居場所を突き止めたという報告を受け、すぐさま狩りへと乗り出した。魔女の存在は一切看過することができない。可及的速やかに発見し、殲滅するのが鉄則だ。


 カトーの前を歩いていたサラは足を止め、後ろのカトーに手振りで警戒するように促した。カトーは何も言わずに剣の柄に手をかけると、素早く周囲に視線を巡らせる。


 ひと気のない路地裏は静まり返っていて、ガス灯の頼りない明かりだけが揺らめきながら二人の周囲を照らしていた。あちこちに暗がりがあり、そのどこに敵が潜んでいてもおかしくはない。


「この臭い……情報部の連中、話が違うじゃない」


 憎々しげに呟いたサラは、不快そうに鼻を擦る。


「マジか。あー、連中いっつも面倒な仕事ばっか押し付けやがって」


 カトーはサラの死角をカバーするように回り込み、静まり返った路地裏へと耳を澄ます。




 ……カサ。




 右手側から微かな物音が聞こえ、二人は同時にそちらを向く。しかし、既に目標の気配は消えていた。




 ……カサ……カサ。




 今度は反対から。


「早いな」


 カトーは浮かんできた冷たい汗を拭った。二人にまったく気配を悟らせず、尋常ではない速度で移動している。


 耳が痛いほどの静寂。突然首筋に刃物を当てられるような悪寒を感じ、サラは咄嗟にカトーの頭を掴んでもんどりうつように倒れ込んだ。その頭上を何かが飛来し、逃げ遅れたサラの髪がひと房宙に舞う。


「来た!」

「わかってる!」


 転がりながら素早く身を起こしたカトーは剣を引き抜き、傍らのサラを片手で軽々と引き起こした。


 サラも抜剣すると、今しがた影が飛び込んだ暗がりへと神経を研ぎ澄ます。


 ひたり。と、石造りの壁に黒い手が張り付く。次いでもう片方の手も同じ壁に張り付き、爬虫類じみた黒い顔が巨大な眼球をうごめかせながら姿を現す。耳まで裂けたそこだけ異様に真っ赤な口を開けると、先端が鋭い刃のようにぎらつく舌がだらりと垂れ下がった。その姿を端的に表現するなら黒いカメレオン。


「遅かったか」

「魔法の制御を失った魔女の成れの果て、アーティファクト。どうして人はこうも欲深いのかしら。自分の能力に見合わない成果を求めるからそうなるのよ」


 幾分かの憐みがこもった口調で呟いたサラは、ゆったりとした仕草で剣を顔の横に掲げた。その様は祈りを捧げるようにも見える。


「私欲に溺れ、人々の眠りを妨げる罪深き者よ。我ら異端審問会の名のもとに汝を魔女と断定する。祈れ、せめて安らかに逝けるように」

「ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”アアアア!!!」


 アーティファクトが全身を震わせ、耳をつんざくような雄叫びをあげる。


「それがお前さんの最期の言葉で良いのかい?」


 素早く走り込んで距離を詰めたカトーが舌から剣を振り上げてアーティファクトの首を狙う。しかし、その一撃はアーティファクトが伸ばした舌によって受け止められる。


 カトーは剣を翻し、上から舌を押さえつける。その背後からカトーの肩を蹴ってサラが跳躍すると、柄頭に手を添えて力を集中した切っ先をアーティファクトの脳天めがけて突き下ろした。


 アーティファクトが巨大な目玉を動かしてサラの姿を捉えると、暗がりの中から鞭のようにしなる尻尾が飛び出し、虫を払うようにサラの華奢な体を叩き落した。


「サラ!」

「馬鹿ッ! 私のことは良い!」


 吹き飛ばされたサラに視線をやるカトーに、サラの叱責が飛ぶ。


 カトーの意識が逸れた瞬間をアーティファクトは見逃さず、素早く引き抜いた舌でカトーの首を刎ねようと薙ぎ払う。


「くッ、おッ」


 咄嗟に剣で軌道を逸らしながら身を捻り、恐るべき斬撃から身をかわす。それでも首の皮が弾け、赤い血が首筋を伝った。


「シュゥウウウ」


 あざ笑うように甲高い鳴き声をあげながらアーティファクトが暗がりに姿をくらませる。本物のカメレオンのように夜闇に溶け込み、三次元的な動きをする獲物を捕らえるのは非常に難しい。


 吹っ飛ばされたサラは身を起こし、軽い眩暈を覚える頭を押さえる。その指先にぬるりとした感触があり、鉄錆の臭いが鼻をつく。


「自由自在に動く両目のせいで死角は無し。伸縮自在の舌に加えて尻尾まで。はあ、厄介だわ」

「大丈夫か」

「これが大丈夫に見えるわけ?」

「よし、大丈夫だな」


 あっさりと返され、サラは何か言おうとして口を噤んだ。無駄な労力を割けるほど呑気な状況でもない。


「カトー」


 サラの呼びかけにカトーは頷く。


「わかってる。対象をクラスBの脅威として認定。監督官の権限において丙式拘束封印の解除を許可する」

「待ってました」


 カトーがサラのバイザーに手を触れると、後頭部の留め具が外れる。


 サラは両手でゆっくりとバイザーを外し、解放された喜びを全身で示すように大きく頭を振る。滑らかな黒髪がさながら翼のように広がり、深紅の双眸に爛々とした光が灯った。


「どうも久しぶり。ちょっと老けた?」

「そんなすぐに老けねぇよ……」


 呆れたように言うカトーにサラはバイザーを投げ渡すと、両手の指を組んで鳴らしながら、足元に転がっていた剣を爪先で蹴り上げてその柄を握る。


「ゆっくりと久しぶりの視界を楽しみたいところだけれど、まあ、そうも言ってられないわ。早く戻ってシャワーを浴びたいし」


 血で固まりかけた髪をいじりながら言うなり、サラは地面を蹴って暗がりに向かって切っ先を突き出す。


 アーティファクトは奇声をあげながら舌で剣を薙ぎ払うが、サラはそれを意に介した様子もなく、素手で舌を鷲掴みにした。これにはアーティファクトも驚いたらしく、サラを振りほどこうと身を捩るがサラはその細腕からは想像もつかない膂力でアーティファクトの舌を引き千切った。


「ギャアアア」


 どす黒い体液をまき散らしながらアーティファクトはのたうち回る。


 サラはねばつく粘液にまみれた舌を傍らに捨てると、爛々と輝く双眸を細めた。


「自分だけが特別だとでも思っていたの? そんな姿にまで成り果てて、なお脅威に晒される今の気分はどう? それが貴様の罪よ」


 アーティファクトはじりじりと後ろに下がりながら、音もなくサラの背後に伸ばしていた尻尾でサラの頸椎を狙う。しかし、サラはそちらを見もせずに剣を払ってその尻尾を切り落とした。


 次の瞬間、アーティファクトの判断は早かった。サラとカトーに背中を向けると、一目散に逃げだした。


 そのアーティファクトの耳に届いた囁きは、果たして微かに残った知性のようなものにどれだけの絶望を与えただろうか。


「対象は断罪中に逃走を図ったため、磔刑に処す」


 這う這うの体で逃走するアーティファクトの四肢に、石筍が降り注ぐ。両手足を釘づけにされて標本のようになったアーティファクトは、その目玉で自らに終わりをもたらす者の姿をはっきりと捉えた。


 サラは空中に浮かべた石筍を振りかぶり、アーティファクトの脳天に振り下ろす。卵が潰れるような音が響き、周囲にどす黒い体液がまき散らされた。なまじ構造が単純なだけに即死に至らなかったアーティファクトも痙攣を繰り返し、やがて動かなくなる。


「来世はせいぜい身の程を弁えて生きることね」


 石筍の上に音もなく着地したサラは静かに呟きながら両目を閉じる。


「カトー、早く」

「わかってる」


 追い付いたカトーはサラの後ろに回り、髪を挟んでしまわないよう慎重にバイザーの留め具を固定した。


「どうだ?」

「ん、平気。ありがとう」


 バイザーの具合を確かめながらサラは礼を言う。


 カトーはそんなサラの様子を見ながら、おもむろにその頭に手を乗せた。


「ちょ! いきなり何してんのよバカトー!」


 泡を食って手を払うサラに構わず、カトーはその頭を乱暴に撫でた。


「まあまあ。ほら、アーティファクト討伐のご褒美は何が良い? なんでも申請してやるぞ」

「新しいレコードが欲しい。あと、休み」

「レコードは何とかする。休みはどうだろうな、ぶっちゃけそれは俺も欲しい」

「なら、カトーが私の分まで働きなさいよ。あと手! いい加減にしないとへし折るわよ!」

「お前、俺に対してホント容赦ないのな……」


 つい今しがたまで血生臭い戦闘をしていたとは思えない歳相応のやり取りをするサラ。そんな二人のやり取りを遠巻きに眺めながら、処理班による浄化作業が始まろうとしていた。


 異端審問官サラ。


 魔女の殲滅を使命としながら、正教会の管理下に置かれる最強の魔女。

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Gothic 稲岸ゆうき @inagishi

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