第44話 マッコウクジラ
「えっ?」
わたしは右手を口元に当てて驚いた。
寺田さんはわたしに向かって深々と首を垂らしていた。
「大丈夫。こんなことで怒っていたら、とっくにルームシェアを解消している。謝るのはこちらの方だ。時折やる癖みたいなもんなんだ。こんなところでやるには不適切なアクションだったな。すまなかった。」
そして寺田さんはわたしが男に潜在的な恐怖心を持っていることに対して理解しているふりをしたと再度謝った。
なんで、彼が頭をわたしに向かって下げなくてはいけないのか?
つまんない子供じみたことをしたのはわたしの方なのに、なんで彼はそんなに気を使ってくれるのか。
「何度もあやまんなくっていい。過剰に繊細ぶっているのはこっちだ。」
わたしたちは二人がはじめて出会ったときのことを話しだした。
いまにしてみれば、出会えてよかったと素直に思える。でもはじめからお互いのことを知っていれば、ルームシェアどころか、出会うことはなかった。
ちょっとした手抜きと思い込みでできた友情がわたしの大事なものの一つになっている。
深夜、高速道路の誰もこないパーキングエリアで昔語りをする男女。
なんだこれは?
「いや。自分からするとそんなにもパートナーが欲しいもんかと思うことがある。単に吉屋さんが肉食なだけかも知れんが、自分は一人でいることがそれほど嫌いじゃない。」
わたしにとってはじめて寺田さんの内面を教えてもらったような気がする。
男であることははじめのうちにきいていたから、積極的にパートナーや恋人を作ることに興味がない人なのかもしれない。
そういうタイプって、何かあったような気がするけど、思い出せないな。
ただ、そう話した時の寺田さんは嘘はついていないと思うけど、何かが違うような気がした。
「車に戻りましょうか? 」
「うん。」
寺田さんの言葉遣いがいつもに戻った。わたしも安心して彼の横に座ることができた。
ふと彼の顔を見ると彼もリラックスしている様子がわかる。
また深夜の海流のような高速道路で寺田さんはこのクジラのような大きな車を走らせている。
大型のトレーラーが横を抜けるたびに風に煽られるのか、ゆったりとした横揺れのようなものを感じる。
「これが苦手なんだよね。」
「ああ、そう言われると独特ですよね。」
面白そうに答えるが昔、嵐の中で乗った船を思い出すから勘弁してほしい。
揺れに意識を集中すると酔いそうなので、話をすることにした。
「で、さっきのことなんだけど。」
「はい。」
「たぶんね、承認欲求みたいなのがあると思う。誰かに欲してもらいたい。一緒にいてもらいたい。必要にされたい。そんな欲求があるんだ。」
「なるほど。」
「だって両親からわたしは自分で勝手に育ったと言われた時、なんとも言えない寂しさをすごく感じた。ずっと一人で生きてきたみたいじゃない。すっごく切なかった。」
「そういうつもりではないのでは? 吉屋さんが自分で成長する努力を認めてくれているのではないでしょうか? 」
「あ〜 う〜ん……どうだろう? なるほどね。そういう捉え方もあるのかあ…… でも、そこまでポジティブな話じゃない気がする。それにそれだけじゃないとも思う。具合的には言えないけど。」
「なるほど。」
「で、寺田さんはどうなの? 」
「わたしは承認されたいという気持ちは…… 実のところ、よくわからないんですよ。必要なことを必要に応じてするだけと捉えるから、そこに他人の価値観や自分がどう見られたいというのは、わたしの行動原理の中に入りませんね。」
「それだけ聞くとずいぶんなエゴイストだね。」
「でしょうね。自覚はありますよ。あと恋愛関係についていえば、そもそも焦ってどうにかなるような年齢はとうに過ぎてしまいましたよ。」
「いや、まだまだでしょ? 」
「そういう人に限って、誰も紹介なんかしてくれないんですよ。そう言えば一度も女性を紹介されたことなどなかったですね。」
残念そうに語る寺田さんに思わず笑ってしまった。
「寺田さんに紹介できる人なんか、知り合いにはいない。そもそも紹介しようという発想が思い浮かばない。今も考えると変な笑いが出て困る。どうして? 」
「いや、自分が知りたいですよ。」
耐えきれずに吹き出したわたしは過呼吸になるまで笑い転げた。
それを横目に眺める寺田さんはわたしのことをまったく心配してくれなかった。
「でも寺田さんはそれでも構わないんでしょ? 」
「ええ。かえって迷惑です。」
「答え出てんじゃん。」
笑い疲れたわたしはシートのもたれながら、おおきく伸びをした。
「きょう実はね。二人の人に誘われたの。二人ともベリーショートカットで前髪を垂らして、イケメンホスト風な感じ。でも一人はタバコ臭いし、もう一人はリードすることとオレサマを勘違いしたような人だった。でもね、わたしはね、女の子が好きなの。女扱いされて甘やかされるのが好きなわけじゃないの。だから、逃げてきちゃった。
自分もね、本当はゆるふあのロングヘアが好き。お洋服もちょっとクラシカルで品があって、甘くて、柔らかいラインの出るものが好き。さらさらした薄い布地が肌に当たるのが好きだから、部屋着や寝巻きはあんな感じなの。靴はヒールがあるものやこのバレエシューズのようなのが好き。
結局、いわゆる女の子っぽいのが好きなの。身を包んでいるだけでテンションが上がる。アクセサリーもごついシルバーやプラチナじゃなくって、キラキラした上品なものがいいの。
でも、そういう女が女らしい女にアプローチしても需要がないのも知ってる。
今日のコンパなんて、子猫ちゃんがたに逆に敵視されちゃったし。だから合コン逃げ出しちゃった。」
「随分と語りますね。」
「うん。寺田さんのことを思いっきり笑っちゃったし、嘘をついて家から追い出したし、謝る必要もないのに頭を下げさせちゃったし、おあいこというか、罪滅ぼし的な告白。」
「わたしのことは気にしなくてもいい。」
「そういうわけにはいかない。周りみんなから、寺田さんとは仲良くしなさいといわれるし。」
「言われているから? 」
「面倒くさいな。わたしもそう思ってるよ。友達だからね。」
「ありがとう。」
わたしたちはそれきりまたしばらく黙り込んでいた。
髪に手をやると、生姜焼き定食を食べた時につけたシュシュがつけっぱなしだったことに気がついた。
滑り落ちるように解けたそれをクラッチバッグに戻して、癖がつかないように髪を広げた。
自分でもわかるくらいに髪の香りが車内に広がった。
恥ずかしくなり、俯き加減に寺田さんを見上げると耳が赤くなっていた。
「どうしました? 」
「ううん。ただ、お互い、顔はいいのにな、って思っていた。」
「吉屋さんはきれいな顔ですよ。」
「寺田さんも男にしては顔がいいよ。」
「お互い褒めあってますけど、どちらも需要がなさすぎて困りますね。」
わたしたちは思わず吹き出した。
「ねえ、寺田さん……」
「なんですか? 」
「……このクジラはどこまでゆくのかな? 」
「どこまでゆきたいですか? 」
「ずっと。」
サクラムースとマッコウクジラ ヒグマのおやつ @berettam1938
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