第43話 サクラムース
合コンは、伊織ちゃんの友人の女が恋愛対象の女がSNS上で運営しているコミュニティの主催だった。
わたしはわたしと同じようなガールズラバーたち の集まりには属していない。
実は昔の友人も含めて、様々なお誘いもあったのだが、凛や中原くんたちのアドバイスで心が弱っているときに安易に入会しないことにして、以前から付き合っていたオン、オフ関わらず様々なコミュニティ、さらには完全匿名の掲示板の集まりまでも全部関わらないようにしていた。
シャワーをすませ、真新しい下着を身につけ、勝負服のレースのショートパンツに淡いピンク地に黒い花の柄プリントのノースリーブ、黒の絹レースのボレロをまとった。
洗面台の鏡の前でナチュラルなメイクをし、背中まで伸びた髪にゆるいカールを作ってボリュームを出した。
左耳のピアスをアメジストに変え、首元には細いチェーンのネックレスで品良く、そしてロードクロサイトというパワーストーンのアンクレットを身につけて、真っ赤なサンドリオンを履いた。
さて、戦場がわたしを待っている。赴くことにしよう。
恵比寿のオシャレだけど気取らないという絶妙なチョイスのお店にはすでに数人が集まっていた。
もちろん、見知った人は一人もいない。主催のボーイッシュな女に伊織ちゃんの紹介だというと、笑顔で席にエスコートされた。
テーブルには主催者のようなボーイッシュな女たちとガーリーな女たちがほぼ同数そろい、みなが腰を下ろしたところで合コンがはじまった。
乾杯から一時間もしないうちにわたしはJRの電車で家に向かっていた。
真っ白に燃え尽きて、ポールに寄りかかっていたが、うちの駅のアナウンスがあり、駆け降りてすぐに伊織ちゃんに電話した。
「なに? 」
「すまん、バックれた。」
「……なにがあったのかしら? 」
「開始早々、ボーイズ二人に取り囲まれた。」
「一応聞くけど、男じゃないわよね。」
「もちのろん。一人は口と指先がタバコ臭い。あと服装が好みじゃない。もう一人はオレオレ様だった。」
「……」
「気がつくとわたしの好きな子猫ちゃんたち全員から敵視されていた。」
「で?」
「会費を払って逃げた。」
伊織ちゃんのため息が電話越しに聞こえた。
「今はどこにいるの? 」
「うちに向かってる。」
「……ああ。寺田さん、もうそろそろ帰ってくる頃じゃない? 」
「やばい。」
「なにがやばいなのよ。」
「顔を合わせられない。……すまん。一度切る。」
「必ず今日中に、もう一度連絡をちょうだい。」
「わかった。」
わたしはすぐに寺田さんのスマホに電話をかけた。彼はすぐに出てくれた。わたしは寺田さんに帰ってこないように嘘をついた。ため息が聞こえたが無視した。
マンションに着くとコンシェルジュはまだいたが、まつりちゃんじゃなく、男だったのでこれも無視してエレベーターに乗った。
家に着くなりリビングですべてを投げ捨てて、浴室へと向かった。
熱いシャワーを浴びて冷静になると寺田さんにとても悪いことをしたという罪悪感が腹の底を冷たくした。
顔を合わせたくなくて、家に女を連れ込んだなんて嘘をついて追い出したのだから極悪認定だろう。
バスタオル姿のまま、もう一度電話を入れるとしばらくコールが鳴り続けて彼が出た。あの真っ黒なクジラの車内にいて、明け方までドライブするつもりだったらしい。
罪悪感が倍プッシュでドン!!だ。
わたしは家に帰っていいと言おうとしたが、口が勝手に一緒にドライブにゆくと答えていた。
我ながらあっけにとられているとため息とともに三十分ほどで着くと答えられた。
やばい。やばい。やばい。
急いで衣装部屋に戻り、新しい下着をつけた。
先ほどの服はタバコ臭いので変えようと思ったが、違う服を着ていることに気がつかれたらと考えると背筋が寒くなり、慌てて舞妓さんの横顔がラベルの桜の香りのコロンを吹きかけてタバコの匂いを押しつぶした。
アクセサリーをつけ直そうとすると、ネックレスが見つからない。大規模店に入っているチェーン店の閉店セール投げ売りの品だから惜しくないとはいえ、困った。
仕方がなく部屋へと戻り、アクセサリーを入れているチェストの小さな引き出しを開けると木箱が目に入った。
おばあちゃんからもらったひいばあちゃんの帯留めをリメイクしたネックレスがそこに眠っている。金の太いチェーンに大きなサファイヤのペンダントヘッドが昭和、高度成長期のデザインだが、クラシカルなところがわたしは気に入っている。ただもったいないのはつけ時と場所がないということだけだった。
ふわりと桐の箱の木の香りが鼻に届いた。心がすっと落ち着いた。
わたしは意を決して、それをつけた。
ネコの顔のおしゃれクラッチバッグを手に表に出た。
すぐに寺田さんの大きな黒い自動車がやって来た。
クジラのような大きな高級車がハザードランプを灯してわたしの前で留まった。
滑り込むように乗り込むと慌てていたのか、車内で靴が脱げた。
あっと思うまもなく、車が動きはじめて、シートベルトを促された。
シートを奥まで下げてシートベルトを止めて、素足をダッシュボードに掲げた。アンクレットが当たる音がした。
非難するようなまなざしにまたイラリと胸の奥の種火が起きた。
「なに? ちゃんとお風呂は済ませたから。臭うわけないじゃん。」
ささくれ立ったわたしの言葉に黙って寺田さんは彼の車を高速道路の海流へと向かわせた。
再度火が付いた苛立ちはわたしに寺田さんを口撃するようにせっついた。
明日の自己嫌悪など放り捨てたわたしは寺田さんに当たり散らした。
ごめんね。わかってるんだ。けど、自分の意思で抑えが効かないんだ。
近場のサービスエリアで食事をすると決まってから、少し心が落ち着いた。そういえば、合コンの時は乾杯の時に口をつけただけで、何も食べたり飲んだりしていなかった。
空腹は怒りのエッセンスだということを再確認したわたしは満腹になるべく生姜焼き定食を頼んだ。
寺田さんは珍しくラーメンを頼んでいた。
食べ物が届き、わたしは全力で立ち向かうためにシュシュで髪を束ねた。
寺田さんはネクタイやワイシャツに気を使っているのか、美味しそうにみえない。
率直に尋ねるとメンタルの問題と答えられた。
なんで、関係のないこの人を怒らせているのだろうか。罪悪感がわたしの心臓を蝕み、心膜を突き破り、胸骨へと転移しそうだ。
気分をリセットする意味もあって歯磨きを理由に彼から離れた。
見知らぬ高速道路のSAにあるトイレの水は不衛生に感じる。前もって自販機で小さなミネラルウォーターのボトルを購入して、シリコンのカップに注いでうがいをした。
閑散としたトイレのガラスの前にわたしのような武装女子がいた。彼女は鏡に向かってルージュを直していた。
あれはキスした後だ。
わたしの視線に気がついたのか、優越感丸出しの笑みを浮かべて立ち去った。でもわたし好みの女じゃないから別に気にしない。
戻ると風に吹かれた寺田さんがいた。かすかな匂いを手繰ると彼からだった。胸元にまで近寄って、猫のように鼻を動かした。
「ラーメンの匂いがするぞ。」
「コーヒーを飲んでごまかすか? 」
ごまかせるどころか、悪化するわ。
目を見開いて上の歯を見せるように上唇を鼻に寄せると猫のフレーメン反応のようだと言われた。
「そのうち慣れるからいいよ。で、もう少しゆくんで…?」
すよね……と続けそうになってやめた。寺田さんだって仕事帰りなのに不憫だ。
しかし彼はわたしの気持ちを汲んでくれて頷いた。
冷たい風が足元を通り抜けた。寺田さんがドアロックを外したので急いで乗り込んだ。
「室長?」
ドアを閉めると同時に聞いたことのない声にウィンドウ越しに見上げると、わたしとそれほど年の変わらなさそうな男が寺田さんと話していた。
よく見ると男の斜め後ろにはトイレで出会った女がいた。
寺田さんと男は話をしていたが、女はわたしを見つめていた。わたしよりも年下に見える女は一瞬驚き、そしてどこかで見たような安っぽいものを見るまなざしをわたしに向けていた。
鼻から深い息を吐き出した。
そんなにそう見えるのか?
なんだか泣けてきそうで、伊織ちゃんにメッセージを送った。
『寺田さんと泣いとくrーず』
『?????』
『ナイトクルーズ 高速道路でドライブ中』
『大丈夫?』
『生姜焼き定食を食べて満足 偶然SAで会った寺田さんの部下の女に売女扱いされている』
『嫉妬よ 気にするんじゃない』
『向こうはどう?』
『気にすることないわ あいつらはだれもユリちゃんの連絡先を知らないから大丈夫』
『怖いんですけど』
『顔はいいけど……って感じで収まったみたいね。無様よ。ユリには埋め合わせするわ』
メッセージでも直接口でも伊織ちゃんはわたしのことをユリと呼び捨てたことがない。珍しい。まったくどうしたのだろう。
ふと視線を感じて、二人に笑顔で会釈した。寺田さんと男の会話は耳に入っていたが、女のまったく信じていない様子で笑いそうになった。
寺田さんが運転席についた。
「会社の人だよね?」
「ああ、去年まで部下で、今は大阪で仕事している。すまんな。」
「謝ることはないさ。それよりも誤解されて困るんじゃない? 姪って言い訳してたけど、寺田さんとは似ているところないし。」
「多分大丈夫だろう。実物も似ていない。まあ、本物の姪と吉屋さんは似ても似つかないけどな。」
わたしの知る寺田さんの姪はあのサイコパスメスザルだけだ。あれと似てると言われても困るが、どうやらあれの姉らしい。寺田さんの義姉は一姫二太郎三姫と年子で産んだらしい。
それであの体型とは驚きである。
「キレイ?」
「いや、顔がいいのは吉屋さんの方だ。姪はなんていうか、子供っぽい顔をしてる。」
わたしは唐突に褒められて、やり場のない気持ちを右足の第二趾でフロントウィンドウに丸を描くことで発散した。
一番上の姪はもう恋人がいるらしい。しかも幼馴染からのランクアップという反則技を使っているらしく、地味にむかついた。
フロントウィンドウ越しに見える先行していたチョロチョロと動くスポーツカーとトレーラーが気になりだした。寺田さんの表情も硬い。
路上のトラブルに巻き込まれそうになり、寺田さんは加速をつけて、二台から離れた。そしてわたしのスマホから警察に連絡を入れた。
緊張感が解けて副交感神経が優位になったのか、生姜焼き定食の消化にために胃への血液集中からか、眠くなってきた。
寺田さんと話してパーキングエリアで少し休むことになった。
取り残されたような人気のないパーキングエリアは古い建物とその脇に日本中どこにでもある清涼飲料水メーカーの自動販売機が並んでいる。
その奥は迫ってくるような黒い影の塊があり、そこから虫の音が聞こえた。
白い街灯と点滅する自販機の明かりが、夜の闇と背後の影の塊の進行を食い止める結界のように感じて、訳もなく背筋が寒くなる。
「ちょっと怖いな。」
寺田さんには聞こえないように呟いたが、小首を傾げてものといたげな表情をされた。
「ともかく、姪御さんには会ってみたいかも。」
「うん。」
「長続きする秘訣を知りたい。」
「確かに。いつも、すぐにルームシェアを解消するから待ってろと言われているからなあ。」
「返す言葉がない。そもそも男とルームシェアしている段階で信じられないと友達にも言われているし。」
「自分に言われてもとしか。」
「わたしは男に対して思うところが多いんだ。あと、信用できない。」
苦み走った表情で缶コーヒーをあおる寺田さんだったが、彼からするとわたしとルームシェアをしていることを今はどう思っているのだろうかという疑問が浮かんだ。
時計の針が十二時を指し示そうとしている。
肌寒さを感じて寺田さんの横に並んだ。ひんやりとした滑らかな鉄の感触がお尻に当たる。
「寺田さんがそういうわけじゃない。だけど……わかる、でしょ? 」
自分の言葉が耳に入り、いままで胃に集中していた血流が逆流をはじめ、頭頂に向かってポロロッカだ。
「なんとなく。」
「寺田さんはそれでいいよ。っていうかさぁ、なんでヘテロなのに、わたしとつるんでるわけ?」
「クラッチバックの中のスマートフォンを取り出して、SNSで全世界に発信した自分と吉屋さんのやりとりをいちから読み直して、うちに来たときを思い出せばいい。」
拗ねたような寺田さんの言葉に本当に可愛いおじさんだなと思っていると、彼は思いっきり握っていた缶を潰しだした。
ジャケット越しからでもわかる僧帽筋上部繊維など肩甲帯周囲筋の盛り上がりは寺田さんの男をわたしに感じさせた。そして品のいいローファーのかかとの下に置いてさらに潰しだしたところでわたしの唇が勝手に痙攣しだした。
寺田さんは鉄塊と化した空き缶をゴミ箱に捨てに行った。
そして戻ってくるとわたしの前に立った。
いつもと変わらない彼がとても怖い。
「お、怒っちゃった? ご、ごめんなさい。わたし、寺田さんを傷つけてしまった?」
反射的に出てきた言葉に寺田さんは右手で両目をおおい深いため息をついた。そして彼は眉間に深いしわを寄せて、右の親指と人差し指で鼻を何度もこすった。
寺田さんはわたしからゆっくりと離れてゆき、街灯の下で足を止めた。
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