第42話 重々無尽に相連関して
「寺田さん。」
「はい。なんですか? 」
次の日の朝、ダイニングで差し向かいになり、わたしは頭を下げた。
「申し訳ない。」
「何のことか、わかりかねますね。わたしがわかっていないということは、吉屋さんが謝るほどのことではないということですよ。どうぞお気になさらないでください。」
「ずいぶんと迂遠な言い回しをしやがって、話をそらそうとしているがすまなかった。」
「いいですよ。」
「あと、伊織ちゃんから話があった合コンにゆくつもりだ。」
わたしの覚悟の言葉に寺田さんは素っ気なく頷いた。
「そうですか。頑張ってください。」
「あれだったら、家を出てゆくことができるかもしれない。」
「そう焦らないでもいいですよ。さて、わたしはそろそろゆきます。」
「うん、朝からすまなかった。」
わたしは玄関まで寺田さんの後ろをついていった。
「いってらっしゃい。」
「はい。」
いつもはわたしに振り返って答える寺田さんは、そのままカバンを持って出ていった。
早出といってもサラリーマンや学生たちの出勤、通学時間よりも遅いので、余裕のある車内で伊織ちゃんに出席をする旨のメッセージを送った。それから凛からお姉様と呼ばれる美容師さんに連絡を入れようと名刺を取り出した。
「ネット予約なんだ。あっ、明日の午後ならいいな。」
わたしは指定されたアドレスからホームページを開き、空いている時間と自分のスケジュールの都合があった日に予約を入れた。
真面目に仕事をこなしたわたしは次の日の午後、髪を切りに銀座に向かった。
「仕事場の近所じゃねぇか。」
わたしは通勤中によく見る古いビルの入り口前に立っていた。覚悟を決めて真鍮の取っ手を掴み、急な薄暗い階段を上ると古い書体でルミ美容室と書かれていた。
「こんにちは〜 」
「いらっしゃい。」
わたしを迎えてくれたのは白髪頭の老婆だった。
かくしゃくとした様子の彼女は手際良くわたしの準備を整えた。
椅子に腰を下ろし、ポンチョをつけると一瞬不思議そうな表情を浮かべた。
「お客さんはここら辺の人? 」
「ええ、実はこの近所で働いてますよ。」
「ああ、やっぱり。でもこの長さの髪でゆうことができないねぇ。いつもはカツラかい? 」
「えっ? 」
どうやら誤解していたらしいお店のおかみさんに近くのビルのサロンで働いているというとびっくりされた。
「えぇ? どう見ても芸妓にいそうな顔立ちなのにねぇ。」
「あはは。うちの曽祖母がよく言われてたそうですよ。わたしによく似ていて、日舞の先生をしていたのでいつも和服を着ていたんです。」
「なるほどねぇ。で、今日はどうするんだい? 」
「ええっと、凛から戻るまで髪を長くしていなさいと言われてるんで、そんな感じで整えてください。」
「ああ、そうかい。お嬢さんは凛のお友達だったんだね。わかったよ。」
「お願いします。」
チョキチョキと凛よりも手早い切り方は目がさめるようだった。
「凛がお姉さまと呼んでいましたけど? 」
「あの子は面白いね。美容師になってはじめて勤めたのがうちだったのさ。しばらくうちで学んで、お金を貯めてから神楽坂に移ったんだよ。ハナっから腕が立ってね。みるみるうちに追い抜かされちゃったのに、いまだにお姉さまと慕ってくれるんだよ。こんなババァにお姉さまもあったもんじゃないのにさ。」
髪を洗ってまた椅子に戻ると急に扉が開いた。
「あら、まだだったのね。待たせてもらっていいかしら。」
「玉すずかい? 本当にもう、好き勝手だねぇ。」
鏡の向こうに柳腰でまだなんとなく寝ぼけ眼のお姉さんが入ってきた。
彼女と鏡ごしで目があった。よく見るとどこかでお会いしたような気がするので、軽く頭を下げた。
「おや? どこかで見た子だね。」
「わたしもそう思います。」
わたしの言葉にお姉さんが柳眉を逆立てた。
「どこの子だい? 」
「えぇ……? 」
「玉すず。この人はお前たちの後輩じゃないよ。そこのマッサージ屋の先生だよ。」
「ええっ!? 」
「あの、マッサージというとちょっと語弊がありまして、整体とかボディメンテナンスとかと言ってくれる方が……」
「あら、まあ、それはごめんなさい!! 本当に失礼いたしました。」
慌てて頭をあげる玉すずさんに手を振って気にしていないことを教えた。玉すずさんはやっぱりうちのお客さんだった。お互いに見覚えがあったわけである。
「でも、先生。こうやっていらっしゃってると本当にご同業のように見えます。」
「あはは。さっきもここのおかみさんと話してたんだけど、わたしによく似た曽祖母が日舞の先生でよく間違われていたと話してました。」
「さいでしたか。……あれ? んん? ……おかあさん、前に見せてもらったアルバムをもう一度見せてもらってもよろしいですか? 」
「ああ、そこの棚にあるよ。勝手に見な。」
玉すずさんは棚にあった古そうなアルバムを持ってきて、手早くめくっていたが、あるページで手を止めた。
「あったあった。先生、この方って、見覚えがないですかね? 」
彼女はわたしの目の前にアルバムを持ってきた。そこにはセピア色になった白黒写真が数枚貼られていた。その中に一人の見覚えある女がいた。三十がらみの脂の乗り切ったいなせな感じの大年増で、後方斜め四五度から顎を引くようにレンズを見るようなポーズをとっていた。
「あれ? これ、ひいばあちゃん…曽祖母ですよ。わっかいなぁ。わたしが知ってるのは本当におばあちゃんの時代だったもんなぁ。」
「あ〜 あんた、踊りのお師匠さんのお孫さんだったかい。なるほどねぇ。」
「いえ、孫じゃなくてひ孫ですけど。曽祖母って、おかみさんとこに通ってたんですか。……奇遇ってこういうことをいうんだな。なんでおかみさんとこに写真が残ってるんですか? それもこれ、どこかの写真館で撮ったような感じですよ。」
「いや。本当にびっくりだねぇ。お師匠さんはよくいらしてくれたねぇ。芸には厳しい人だったって聞いてるよ。これはねぇ、芸者さんや和服でお仕事をする人たちのために髪型の見本さ。内職代わりに頼んでたんだよ。」
「そうなんですか? あと、芸に厳しいですか? わたしの発表会を見るといつもめちゃくちゃ褒めてくれた思い出しかない。」
「そりゃあんた、お師匠さんのお孫さんだもの、筋が違うってなもんだよ。」
「いや、ただのひいきの引き倒しでしょう。あとひ孫っす。でも…ふぅん……今の職場のそばにねぇ。縁ですかね。」
「ああ、そうだねぇ。もうお師匠さんにお稽古を見てもらった芸妓なんて、おおきな姉さん達くらいかね。」
おかみさんは大きなブラシでパッパッと切った髪を払い落して終わった。
「ありがとうございました。」
「いや、あたしこそ、懐かしかったよ。ちょくちょく贔屓にしてくださいな。」
「ええ、凛が戻るまで、お姉さまに頼れと言われてますんで。お願いしますね。」
「あの子も鉄砲玉みたく、すぐにどっかに飛んでっちまうねぇ。あたしはもうそんな馬力はないから、遊びに来てちょうだい。」
「はい。」
玉すずさんがモジモジとこちらに近寄って来た。
粋筋のお姉さま達は本当にプロ意識がすごい。キレイは努力だと思う。才能があっても研ぎ澄まさないとなまくらだ。
わたしは小さな名刺を玉すずさんにお渡しした。
「基本予約制なので、お願いしますね。玉すずさん達ならサービスしますよ。」
「お嬢ちゃん、わたしには無しなのかい? 」
「もちろんどうぞ。凛がお世話になっているなら、もっとサービスしますよ。」
「ありがたいねぇ。」
わたしは二人に手を振ってお店を出た。
夕食どき、今日の偶然を寺田さんに教えたら、感銘を受けた表情でハンバーグを口に運んでいた。
「行為は重々無尽に相関連するといいますが、偶然にしては出来過ぎですよね。」
「……初めの言葉はわからないけど、確かに出来過ぎだね。」
「そうですね。何かふとした行いが池に広がる波紋のようにどんどん広がってお互いに影響しあって、さらに広がるといった意味合いですが、ひいおばあさまのお仕事が回り回って、吉屋さんのいまに繋がっているという縁はちょっとゾクゾクしますね。」
「まあね。実は日舞はひいばあちゃんの娘だったばあちゃんからやめときなって言われていたんだ。でバレエを選んだんだけど、ひいばあちゃんはすごく喜んでくれてたなぁ。最後の方は見に来てくれることができないからビデオにとってそれを一緒に見てたんだ。いつも褒めてくれてたけど、姿勢や体の芯についてはひいばあちゃんはしっかりと注意してくれたな。」
「一芸に秀でると通じるものがあるのかもしれませんね。」
「寺田さんもそういうことはあるの? 」
「わたしは実家が山の方なので、海をあまり見たことがなくって、いまの会社に入れば海に出れると思ったこともあるのですが、結局、陸(おか)の仕事ばかりですね。」
ほのかに苦い笑いをビールとともに流し込み、寺田さんは椅子の背もたれに寄りかかった。
わたしはお付き合いのビールで口の中の牛脂を洗い流した。
「寺田さんとわたしがいま一緒……ルームシェアしてることもこの先に何かの縁を作ることになるのかな? 」
「忘れないでくださいね。いま現在、波紋は広がってますよ。」
その言葉にわたしはどう返していいか、わからなかった。弟や中原くんのアドバイスを彼に教えることはできなかった。
本当は馬鹿話として彼にぶっちゃけて、一緒に笑いたかった。
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