第41話 見出されたもの ときをうごかす

 母と弟とが訪れてきたことについては、特段何もない。

 寺田さんは弟のプロファイルを読んで、いつでも気軽にきて欲しいとわたしに話してくれた。

 それからトントンと決まり、一週間と経たずに母と弟がやってきた。


 久しぶりにスーツを着た母はわたしに昨日別れたばっかりのような表情で「元気そうね。」と言い、寺田さんには深々とお辞儀をしていた。

 わたしたちは母の持ってきた菊の最中を食べながら、お話をしばらくして、わたしの作ったラタトゥイユとナスの揚げ浸し、そして肉じゃがを食べてもらった。

 ナスの揚げ浸しは油をたくさん使うが、この季節は食べたいのだ。

 ラタトゥイユは夏野菜、トマト、ナス、玉ねぎ、ズッキーニ、パプリカ、ニンニクをとにかく刻んで鷹の爪と塩、白ワインだけで味付けをした、簡単な割に見栄えがする料理だ。

 肉じゃがは記憶の海の中の母の味を思い出しながら作った。

 弟は今回、父の小さな自動車で母を送ってきたために、寺田さんも含めてお酒抜きでの食事だった。

 寺田さんはそれでも我慢してくれた。

 母は寺田さんに深く尋ねることもせず、主に弟と寺田さんが仕事の話をしているだけだった。

 わたしが食器をキッチンに下げて、エプロンをつけていると母もやってきて、食事後の後片付けを手伝ってくれた。


 「もう、あなたの味ね。」

 「なにが? 」

 「全部よ。肉じゃがもナスもお味噌汁も。」

 「そう? 」

 「そうよ。お父さんが言う通りなのかもしれない。百合子は自分で勝手に育ってゆくのね。」

 「……」

 「仲良くね。」

 「それは、まあ。でも……ゆう……」


 わたしの言葉に母は食い気味に答えた。


 「一緒に暮らしているのだから。仲良くしなきゃダメよ。お母さんからはそれだけよ。」


 母と弟が帰って、なんとなく寂しくなった。

 寺田さんは今日はウィスキーのロックを嗜んでいた。

 荒っぽく彼のとなりに腰を下ろすも、なにも言わずネットでレンタルしたバレエの演目を見ている。プリマはわたしが紹介したカーチャ、エカテリーナ・マクシーモワというソビエト時代のボリショイバレエ団のアイドルだ。

 もっと著名な人や新しい世代の人たち、それに親しみやすい日本人のプリマも多い中、なぜこの人を勧めたかというと、この人はめっちゃ愛らしい。

 表情がくるくると変わり、演技もうまい。ダンスは全盛期のソビエト時代のボリショイバレエを背負って立ったくらいの技量を持つ。 

 しかしもったいないことにあまり日本では有名ではないのだ。そこらへんが寺田さんの好奇心をくすぐるような気がした。

 だが何より、わたし好みなのだ。愛嬌のある丸顔で、バレリーナとしてはちょっとむっちりした腰から太ももによだれが出そうになる。


 「かわいいだろ? 」

 「ええ。演技や踊りがどうといえるほど知りませんが、うまいのではないでしょうか? 音楽だけはよく耳にしますが、実際はこのように踊りの背景となっているのですね。とても興味深いです。」

 「うむ。」

 「お疲れさまでした。お母さまとはゆっくりとお話しできましたか? 」

 「……寺田さんと仲良くだってさ。」

 「でしたら、もうそのミッションはコンプリートでしょう。」

 「たいした自信だ。だが間違えてはいないぞ。」

 

 ふふっと笑みを浮かべた寺田さんは大きな画面を見続けていた。




 次の日には久しぶりに中原くんとの夕食会を開いた。

 伊織ちゃんには申し訳ないが遠慮してもらった。

 親や弟の件なので、伊織ちゃんが無自覚でする小悪魔的な言動に対してうまくリアクションすることができる自信がないのと実は私は中原くんとは大学時代からの友人なので、彼はわたしが話す家族の話の理解が早いのだ。

 待ち合わせのお店は前回の日暮里の居酒屋だった。

 わたしが到着すると中原くんは先にテーブル席に座っていた。


 「お待たせ。」

 「ううん。いま来たところよ。」


 わたしは席に座るとしばらく考えて焼酎のハイボールにした。

 届くまでの間に中原くんの出張土産をもらった。


 「なんで雷おこしやねん? 」

 「だって、ユリちゃんがなかなか会ってくれないから、笹かまぼこの賞味期限が来ちゃったんだもの。いおりんと美味しくいただいたわ。」

 「……すまぬ。ちょっと忙しかった。」

 「知ってる。お母さんと和解したって? 」


 わたしが口を開こうとした時に店員さんが焼酎ハイボールとビールを持って来た。

 中原くんは串を適当に頼んでくれた。


 「とりあえず、カンパ〜イ!! 」

 「はいはい、カンパーイ!! 」


 わたしは口をつけただけだったが、中原くんは中ジョッキを一気に飲み干した。


 「ップハ〜 喉が渇いていたのよねぇ。で? 」

 「……和解? 和解…というか、お母さんが全部飲み込んじゃった感じ。」

 「やっぱり母親ねぇ。」


 わたしは弟や父親の話などをとりとめもなく中原くんに話し続けた。

 途中でトリ、ねぎま、つくね、豚精、レバー、ひな皮、砂肝、鳥モツ、ししとう、ネギのイカダと串ざんまいの皿がやって来た。

 中原くんはビールと焼酎の梅割りを同時に頼んでいた。そしてわたしが一杯を飲み終わる頃には彼は次の飲み物を頼んでいた。


 「結局、お互いの家族に紹介することになっちゃったのね。」

 「まあね。予想外だよ。」

 「予想外が予想外よ。その可能性も考えていたんでしょ? 」

 「でも、寺田さんの姪からヘイトを受けるとは思わなかったよ。」

 「まあね。それはね。」

 「あれで寺田さんちから引っ越すのがさらに困難になった。」

 「なんで? 早く出た方が身の安全じゃないの? 」

 「一、家具がでかすぎてワンルームでは無理になった。二、寺田さんちの家族から認定されて、すぐに出るとそれはそれで寺田さんの立場がまずいことになるらしい。三、いまは家具のお金を支払っているからすぐに出ると気まずい。」

 「二つは納得だけど最後はなんで? 」

 「ベッドとテーブルセットのお金を支払っているけど、寺田さんちから出るとその支払い義務がなくなる契約になってる。つまり今月退去するとまるまるただになっちゃう。」

 「賠償金でしょ? もらっていいんじゃないの? 」

 「伊織ちゃんと同じことを言うな。それとは別にお見舞金をもらってんだぞ。いくらなんでも気が咎める。」

 「変なところで身持ちが固いわねぇ。結局のところ物理的にも心理的にも経済的にも絡め取られているじゃない。あんたら、このまま一緒に暮らしていた方がいいわよ。」

 「だ〜か〜ら〜 ルームシェア相手としては理想的よ? 干渉してこないし、うまいもの食べさせてくれるし、話し相手になってくれるし。寺田さんも男にしては顔がいいし。でも……」

 「それでいいじゃない。彼からしても、美味しい手料理を作ってくれるし、話し相手になってくれるし、色々と面白い経験をさせてあげているようじゃない? 」

 「おい、言い方ぁ!? 」

 「この前にいおりんとお邪魔した時に話していたわよ。確かにあんなお固いお仕事されていると私たちのような人種とは接点がないでしょうしねぇ? 」

 「それはそうだけど、中原くんが言っていることはそれだけじゃすまない話でしょ? 」

 「別に恋愛相手とか結婚すればいいとか言っているわけじゃないのよ? 」

 「でもかわいそうだろ? 色々と。」

 「……それは…ねえ。実際のところ、どうなのよ? 」

 「んな〜 お前も話せよ! 」

 「わたしのことはユリちゃんにはほぼ赤裸々よ。」

 「……」

 「……」


 そこからわたしたちはごにょごにょと話しはじめた。

 わたしも中原くんに今までしたことのない話をして、彼からも同じようにしてもらった。


 「ゼッテー誰にもいうなよ!! 伊織ちゃんにもだ!! なっ、結局、結論なんて出ないだろ? 」

 「お互いにヘンに関係性ができすぎちゃったのよ。いい? 普通の男と女どもでもあんたたちほどじゃないのよ。いくらズッコンバッコンのパッコパコでも心の中なんてわかりゃしないのよ。

 そもそもユリちゃんは結婚に夢を持ちすぎよ。男女どころか男男や女女だって好きで結婚や同棲してるやつの方が少ないわよ。一緒に暮らしちゃえば、すぐに飽きちゃうものよ。」

 「表現が古い! オヤジ臭い!! あとイヤラシイ!! ジェスチャーやめい!! 」


 わたしの魂が抜けている頃、もちベーコンとぽんじりと焼きおにぎりがやってきた。

 中原くんは親指を挟めた握りこぶしを解いて焼きおにぎりを齧りながら梅割りを飲んでいた。


 「議題2、そんな中、伊織ちゃんから合コンのお誘いがきてる件について。」

 「行ってもいいんじゃないかしら? 色々と溜まっているようだし? 」

 「なんだと? 」

 「言われなくてもわかってるでしょ? いおりんにまで手を出そうとしたんだから。」

 「ほんまにすまん。腹ぁ切って詫びるわ。気持ちだけ。」

 「いらないわよ。……そうねぇ。なんならウチといおりんの子供を産んでくれるかしら? 卵子を貸すだけで十分よ。あとは二人の遺伝子をそれに仕込むから。あっ、子宮も必要だったわね。腹切るならその時にしてちょうだい? 」

 「おい、勘弁してください。冗談にしても辛すぎます。自然出産なんて想像ができん上に強制的に帝王切開ですかい。恐ろしすぎるわ。」

 「で、気乗りしないのはなんでかしら? 」

 「わかんない。彼女とはこの前にあって、吹っ切れたような気がするし、なんだろう? 」

 「行ってみりゃわかるわよ。うじうじ考えても仕方がないわよ。」

 「……うん。」


 心の中になんの気持ちも感想も想像も浮かばない。ただただ気乗りしないだけだ。


 その後も牛すじ、手羽先、軟骨の唐揚げを頼み、わたしは焼酎ハイボールをもう一杯、中原くんはヂョカで前割り焼酎のお燗を頼んだ。

 わたしも一口もらったが、まろやかでなかなか美味しい。法律上、普通は飲食店で出すことができないらしいが、このお店はこれを出すためだけにちゃんと税務署に書類を提出して認可済みなんだそうだ。

 山手線の駅まで送ってもらい、そこからわたしは一人で帰ってきた。

 家に戻ると寺田さんがキッチンから出てきた。きちんと夕食を食べてくれたらしい。後片付けをし終えたところだったそうだ。


 「おかえりなさい。」

 「ただいま。


 なんということもない挨拶だったが、わたしは息を吐いて肩の力を抜くことができた。


 「ちゃんとご飯を食べてくれたみたいだね。」

 「用意してもらってありがとう。おいしかったですよ。」

 「たいしたもんは用意できなかったけどな。」

 「そんなことはないですよ。それよりも楽しかったですか? 」

 「まあ、ね。前割り焼酎っておいしかったよ。」

 「そう言いますね。残念ながらまだ飲んだことがないんですよ。」


 本当に、残念そうな表情で話す寺田さんの背中を叩いた。

 

 「今度一緒に飲みに行こうか。一応作り方も教わったけど、色々とお店の秘密もあるそうだ。」

 「ぜひにでも。」


 嬉しそうな寺田さんの表情を見つめたわたしに寺田さんは首を傾げて見返してきた。


 「なんでもない。シャワーを浴びてくる。」

 「わかりました。」


 わたしは部屋に戻り、着替えとタオルを手に浴室へと向かった。

 熱いシャワーを浴びてアルコールを抜いた。

 胃が重い。久しぶりの肉祭りだった。満腹中枢は満足しているが、胃や肝臓、胆嚢、十二指腸がフル稼働で血流がそちらに集中しているのがわかる。

 その結果、中枢神経に血流が上がらない状態のまま、脱衣所から出て洗面台の大きな鏡に自分を映した。

 

 「髪、すこしのびて来たかな? 」


 濡れた毛先をつまみながら鏡を覗き込んだ。

 そういえば凛がわたしの顔は女らしすぎると言った意味合いのことを言ってたな。

 むかし、合コンで出会って何度かデートした関西の女がわたしの顔を見つめて、宝塚でいうと娘役やなというセリフで喧嘩になって別れたことが急に思い出された。


 実のところ、自分の顔はあまり好みではない。母似の縄文顔の弟のようにもっとくっきりしてシャープな顔立ちの方がよかった。

 わたしの顔は亡くなった父方の曽祖母に生き写しのようにそっくりで、柳のように細い眉で目はぱっちり二重なのに瓜実顔である。

 曽祖母の写真は若い頃から残っていて、そのほとんどが和装の日本髪だ。よく新橋あたりの粋筋と間違われたらしいが、ただの日本舞踊の先生だ。髪も黒の素直なロングでそこはうらやましい。わたしの髪質だけは母方に似ていて、天然茶髪のふわふわした猫っ毛だ。母もそうだった。本気で気をつけよう。

 下着にナイトウェアを身につけてドライヤーで髪を乾かした。

 一通り終わったところで使い捨てのフローリングクリーナーで床の髪を集めてゴミ箱に投げた。


 もう一度鏡に姿を映した。

 淡いピンクの花柄プリントのシフォンキャミソール 姿の細い女が立っていた。

 細い肩レースにV字に開いたキャミソールはふわふわした乙女なシルエットだけど、自慢の美脚が堪能できるように裾がかなり短い。 


 「い、いまさらスウェットやパジャマに変えると逆に意識していますという非言語的メッセージにしかならないような気がする。貫ぬき通すか? 」

 

 濡れたバスタオルや着替えたものを持って洗面所を出た。衣装部屋で濡れたものは一旦干すためにハンガーラックにかけて、それ以外は洗濯物を入れるカゴに突っ込んで、部屋を出ると廊下で寺田さんとかち合った。


 「どどどどど、どうし、どうしたの? 」

 「あっ……い、いえ、洗面所を使いたいと思ったが、ホワイトボードはそのままなのに、行ってみたら気配はないし、部屋にいるかと思って様子を見に来たんだ。」

 「あっ…… ごめんなさい。消し忘れた。」

 「いえ、不幸な事故に至らずにすんだから、問題ないですよ。」


 わたしの同様につられたのか、寺田さんも言葉に詰まりがちに答えた。一息をついた彼はふと目線を下ろして、すぐに背けた。

 

 「あっ……」

 「じゃあ、歯を磨いて来ます。」

 「お、おう。す、すまなかった。」


 今日着ている夏物のナイトウェア は肩レースが長くデコルテラインが広い。背の高い寺田さんからは谷間ができない小さな丘の間の影の部分が覗けただろう。


 「うわぁ…… また謝罪案件じゃん。」

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