第40話 パロールが骨折 重い話題のクッションに笑いは大事だよね。
一日置いて、仕事合間の昼休みにわたしは弟と会食することになった。
弟の外回りに合わせて、銀座のファストフード店でテイクアウトしたハンバーガーを二人で食べていた。
公園で。紫外線上等だが、曇天でいつ降ってもおかしくない。
弟はわたしから紙に包まれたハンバーガーを受け取り、その代わりに封筒を手渡した。
「なんじゃ? 」
「うちの両親に関するプロファイル。二人とも姉ちゃんが知っている時代から変わっているから、姉ちゃんも目を通しとけよ。」
「プロファイルって、お前なんの仕事をしとんじゃ? 」
「なんなんやろな? 最近疑問を覚えてきたわ。」
わたしはテリヤキハンバーグにかぶりつく弟を横に封筒をハンドバッグにしまった。
「ありがとうな。わざわざ紙に起こしてくれて。」
「気にすんなや。仕事中の時間を使った。」
「お前、何しとんねん。」
「空くときはエライ時間を持て余すんけど、忙しいときはほんまに昼食べる時間ないで。」
「だから、ここは東京やさかい。エセ関西弁やめーや。」
「姉ちゃんやて使っとるさかいに。」
「……ほんまや!? 」
あほくさい姉弟の会話は一時中断して、食べることに集中した。
いつもは週に一度は中原くんや伊織ちゃんとランチとしゃれ込むのだが、こういうファストフードの味も嫌いじゃない。ただ、あとで喉が乾くんだなぁ。
「で、どないな感じなん? 」
「まだ続くのか……そうだな。中原夫夫(ふ〜ふ)とつうをそれぞれお招きした。」
「へぇ。どうだった? 」
「ふつう。本当にふつうに三人と会話していた。なんの偏見もないな、あのひと。それからつうには男だと言い忘れて怒られた。」
「あぁ……姉ちゃんを知っていたら、普通は相手が男だとは思わないよな。ところでちづさん、元気? 」
「お前、彼女がおるんと違うか? 」
「いる。けど、初恋の人は別腹やん。消息を知りたなるやん。」
「お前が、照れ隠しや何かから逸らしたいときに関西弁になるのだな。まあ、元気だぞ。相変わらずエロい身体しているぞ。ムッチムチプリンだ」
「俺……あの人の場合、体よりもあの気性が好みなんやわ。なんでも受け入れてくれるやろ。」
「まあ……な。」
家に泊まった時のつうは弟には言うまい。
お互いに口には出さなかったが、つうはその気だったはずだ。一夜限りなら、それでもいいと思ってきていた。
つうへの感謝のハグの後、お互いにあのまま普通に眠ったが、つうがそんな覚悟して家に来たことを弟に知られると色々とまずい気がする。
話をそらせてメスガキの話題を振ろう。あれは鉄板だ。
「それから、寺田さんの姪っ子を名乗るメスザルが家出して来て、わたしのことを淫売と罵って頬を叩いた。」
「おぅ……修羅場やな。その子はいくつや。」
「高校生。いくつになるかまで聞いていない。寺田さんに怒られていたけど、親が引き取りに来る前の晩に殺されそうになった。」
「なにその斬新なドラマ。」
弟は声を上げずに大笑いしていた。
「笑うな。マジでベッドにメスザルが持っていたペンがぶっ刺さった。危うく傷物にされるところだったわ。次の日に両親が土下座して、見舞金とベッドを買ってくれた。」
「そうなるわな。」
「で、寺田さんの長兄の嫁に嫁認定された。」
「マジウケル。」
サトリ系だった弟がアスキーアートのようにプギャーをわたしに向かってしている。
成長したものだ。姉ちゃんは嬉しいよ。だからお前を蹴る。
スーツのパンツを汚さないようにパンプスを脱いで足で蹴ってあげている姉ちゃんの優しさに涙しろ。
「笑い事じゃねぇってば。」
「実際のところ、その方が姉ちゃんも楽じゃねえのか? 」
「バカなことをいうな。」
「そういう夫婦がいるらしいぞ。偽装夫婦ってのか? 」
「マジにやめて。それは寺田さんに失礼なことだって、お前だってわかりそうなものだろう?
確かにお互いに納得して、そういうことをしている人もいるし、うまくいってる人も知ってる。うちや寺田さんちなんかの周囲の人間はそれで丸く収まるような建前ができて万々歳な解決法だろうさ。
でも、本人、特に寺田さんはストレートの人なんだぞ。ちゃんと男の欲求を持っている大人の男だ。どの口でこちらから提案できるんだよ。
よしんば了承してもらっても、わたしじゃ…求めに応じることができないし、彼も自分からは絶対言わないはずだ。そんなのかわいそうだし、わたしも罪悪感やら自己嫌悪で心が病みそうだ。」
真剣に提案してきた弟にわたしも本気で答えた。
「……ごめんなさい。」
「いい。許す。」
「ありがとう。ところで、なんで姪っ子ちゃんは姉ちゃんに殺意を抱いたんだ? 」
「わたしの色気のない入浴後の普段着でいたところに思春期を発症したメスザルが勝手に家の中に入ってきやがったんだ。でわたしを見て、お金と引き換えに恋人気分を味わえる仕事の女と勘違いした。あと上京の時に家族で使っていた部屋が、いつの間にかわたしの部屋になっていたことがさらにムカついたらしい。」
「なるほど。どうせいつもの乙女でヒラヒラでスケスケでミニミニな薄着だったんだろう。……それでいつも家にいたのか? 」
「まあ……そう。多分……そう。」
「寺田さんの自制心に感動を覚えるしかない。」
「いやっ。変だと思っていたんだよ。寺田さん、いつもわたしの顔しか見ないし。」
「わかったんなら改善したよな。」
「……」
「ほんまにもう……姉ちゃんがさっき言ったこと、ことごとく自分に突き刺さっとるの自覚してはるか? あと寺田さんもうちの姉ちゃんのことを好きすぎだろう。俺が遊びに行った時もすごい当たり前な空気感が逆にすごかったわ。」
「すまぬ。」
「俺に謝られてもしょうもない。相手がちゃうわ。」
わたしは食べ終えた紙を丸めて紙袋に入れた。弟も同じように丸めてわたしの持つ袋にゴミを捨てた。
「大きな事件はそれくらいか? 」
弟が確認するように尋ねてきた。
凛のことが個人的には一番大きいことだと思ったが、弟にいうには気恥ずかしかった。
わたしはゴミの入った紙袋をさらに丸めて小さくした。
「そうだな。わたしとしては寺田さんにめっちゃ旨い天ぷら屋に連れて行ってもらった。そこで死ぬほど旨いいも天を食べさせて貰った。」
「二人で行ったんかい? 仲ええな。あといも天って。確かに旨いけど。姉ちゃんらしい。」
煽るような笑いが混じる弟の言葉に素足ローキックを入れて修正してやった。
「ルームシェアをしてどのくらいになるん? 」
「多分、二か月は過ぎたと思う。……まだそれくらいなのか? 信じられないほど濃厚だった。」
「止まってた時間が動き出したようなもんやな。ええことやないか。」
「なにそれ? 」
「言葉通り。とりあえず、寺田さんにそれ見せてな。時期については任せる。来るのは多分母さんだけだと思う。」
「そう、だろうね。」
「……親父はもういないものと考えろ。」
「えっ? そこまで影薄いの? 」
わたしの言葉に弟は大爆笑した。
喘鳴とともに過呼吸になり、むせてから立ち直った。
「いや、確かにせやけど。……一応言っとくけど、病気やないさかい、安心しとって。あれはまだ生きる。ただ……親父の中で姉ちゃんはもう、おらんことになっとる。」
「……仕方がないじゃん。客観的に考えて。親不孝だし、あの世代に理解を得ようとは思わんよ。」
「すまんかったな。母さんが一度だけ、姉ちゃんのことで喧嘩をふっかけたけど、親父は百合子なんていなかった。あいつは俺らから飯をもらっていただけで、自分で大きくなったんだ、俺らは育ててなんかいない。って取り合わなかった。それで母ちゃんが父娘に対しての自分の育て方が悪かったのかと気に病んで禿げた。」
「ハゲハゲと心をえぐること言うな。で、どうなんだ? 」
「禿げか? いまはいいウィッグがあるな。」
「まさか金髪のウィッグとか言うなよ。」
「いっそおもろいわ。そこまではっちゃけられるような性格だったら良かったのになぁ。」
「わかった。伊織ちゃんからいいウィッグをもらって、お母さんにプレゼントする。」
「やめて〜な。伊織ちゃん。……伊織か……まだ、美少女なんか、あれ? 」
弟が陰ってしまわれた。
実は伊織ちゃんは弟と同い年だ。クラスメートとか友達ではないが、近くの学校に通っていた伊織ちゃんは有名人で純真な男子が何人も騙されていたらしい。
左腕に巻いていた時計に目をやるとタイムリミットだ。
弟も気がついたようで寄りかかっていた柵から離れた。
「また連絡をする。」
「待ってる。あと家に戻るは考えなくてもいいぞ。」
わたしは空を見上げた。
雨が降りそうな重い鉛色の空の蓋はわたしをイライラさせる。
「もう自立したんだ。大丈夫さ。」
弟はせやろか、せやなと呟いて足早に会社へと戻っていった。
曇天でも雨でも気分が乗らなくても仕事は最低限こなすのが職業人だ。
だが、夕食に手を抜くは許されると思う。
いつもの商店街で穴子の蒲焼きを買ったわたしは許されるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます