第39話 午後8時45分ジュネーブ発パリ行きの列車 話す言葉は同じでも意味が以前と違うこと

 「痛いです。」


 お客さんが声をあげた。といっても力を入れた訳でもない。仰向けに寝てもらったところで膝を伸ばした足を軽く上にあげただけだ。 


 「どこらへんが痛かったですか? 」

 「背骨よ。腰あたり。」


 四十がらみのメガネのお姉さまが腰に手をあてた。


 「あ〜 最近腰を打ったり、重たいものを持ったり、怪我をしたりはありませんか? 」

 「そんなことはないけど、仕事で腰が痛みはじめていたのよね。」

 「そうだったんですね。」

 「じゃあ、お願いできるかしら?」

 「申し訳ありません。」

 「えっ? 」


 わたしは脊柱に問題がある可能性が高いこと、それはマッサージやそれに類する行為をすることで悪化する可能性がとても高く、できればすぐに病院に行かれるのが一番であることを説明した。


 「えぇ〜? 」

 「はい。」

 「でも、病院かぁ……」

 「敷居が高いですか? 」

 「まあねぇ。」


 わたしは女医さんがいたり、きちんと触診してくれる良心的な病院を口頭で紹介した。これらの情報は大学時代からの友人たちや中原くん伝手の情報だ。

 気落ちしながら着替えをすませて、お姉さまが帰った。すぐにでも診てもらったらいいのになあと念を込めておいた。

 ちなみにこういった場合、インディさんの方針でお金は取らない。

 というか取れない。なんとも無いという可能性だってあるわけだからだ。


 時間が空いたわたしはスタッフルームに戻ってスマホをチェックした。

 唸り声が漏れてしまった。


 「伊織ちゃん、何を考えているんだろう? 」


 つぶやきごとは誰にも聞かれずにすんだ。

 


 弟からもメッセージが来ていた。どうやら母を抑えきれなくなっているそうだ。父は特に何も無い。元から影が薄い人だったが、わたしが家族にカムアウトしてからほぼ接触が無くなってしまった。

 寺田さんに相談事が二つもできてしまった。


 今日は遅出だったために、帰り道のスーパーで大きなアジのフライに出はじめたきゅうりの一本漬けを買い求めた。

 家に着くとすぐにシャワーを浴びて着替えをすませたら、寺田さんが帰って来た。

 最近は忙しく無いとのことで早めに帰宅を心がけているそうだ。最近寺田さんは社畜からの脱却を図っているようで、わたしとしてもホッとしている。

 まあそれでも遅出のわたしよりも遅く帰ってくるのだから、なんとも言えない表情になってしまう。

 わたしは彼が身支度を整えている間にキャベツの千切りを作りながらアジのフライをグリルで軽く炙った。

 きゅうりの一本漬けは割り箸にぶっ刺して、焼き魚のための長い角皿に載せた。

 寺田さんがテーブルに着く頃、夕食がテーブルに乗せ終えた。

 彼はビールの缶を開けて、冷たいグラスに手酌で注いだ。金色の液体に白い泡がうまそうだ。


 「ビールが飲みてぇ。」

 「飲めばいいじゃ無いですか? 」

 「今日は相談事が二つある。」

 「……ご飯を食べながら、聴きましょう。」


 わたしたちはテーブルを挟んで差し向かいになった。


 「そろそろ、母が襲来しそうな件について。どうしよう? 」

 「懸案事項でしたね。現状ならお招きしてもいいんじゃ無いでしょうか? 弟さんと一緒ならストッパーをお願いできますでしょうし。」

 「なるほどな。それは考えていなかった。」

 「吉屋さんのお父上がどうでられるか。」

 「父のことは考えなくてもいいと思う。カムしてから、一切わたしと交渉を持たなくなった人だし。」

 「それでも一応、お二人のことを教えてください。白紙の状況よりよっぽどよいでしょう。」

 「うん。……良くも悪くも普通の中流家庭だね。母は父と職場結婚して、家庭に入ってそのまま専業主婦をしていた。パートはちょっとしていたことがあったような気がする。考え方も普通。だからわたしのことについては女子高時代からのその、愛情のあり方を女子校特有の行き過ぎた友情? 百合とかエスとかっていう、ほのかに甘酸っぱい考え方が抜けない程度に思われている。……いや、いたかな? わたしが家を飛び出してから弟ともう少しわたしのことについて理解すればよかったと反省したと聞いている。

 父は家庭では影の薄い人だね。わたしや弟のことは母にお任せの人。進路もお前たちの好きなようにしろって方針だった。それでも弟には多少でも期待してたのかな? 京都の大学にゆく時、母が遠いと反対したけど、説得したから。

 どちらももう二年半以上離れているから、今はどう考えているか、わからないよ。

 あっ、弟に寺田さんが今の情報を知りたがっているって聞いておくね。」

 「そこはわたしよりも吉屋さんの方が興味を持ってください。どうあっても血縁からは逃れられませんよ。」

 「おい、おどろおどろしいように言うな。……でもなぁ。」


 わたしはそこで口を閉じた。

 寺田さんは目をそらせてフライを箸でつつきだした。

 わたしは中座してビールを取りに行った。冷蔵庫を開くと冷気が顔に当たり心地よい。でも電気代がもったいないからすぐに閉めた。 

 グラスは面倒なので缶のままで口をつけた。アルミの冷たい感じが唇にあたり、ビールの味を損なっている気がしておいしく感じさせなかった。


 「そこは男と女で考えがやっぱり違うと思うよ。わたしは男に恋して結婚することはないけど、やっぱり家を出てゆくものだと頭のどこかで感じている。寺田さんたち男はやっぱり家を興すって思うんだろう。」

 「いまはそこまでじゃないですよ。男女で苗字に対してのこだわりは違うと聞きますが、どちらも自立すると考えるのは一緒じゃないでしょうか? 」

 「んん〜 やめよ。よくわからん。」

 「そうですね。いまのは本筋と違いますから。わたしが言いたかったのは両親や兄弟なのですから、もう少し関心を持って欲しいということです。」 

 「そういえば、バカなわたしだって分かるだろ!? 」

 「言葉が出ませんでした。」

 「まあ、いいや。弟にいまの様子を聞いて、寺田さんと相談するってことでいい? 」

 「結構ですよ。」


 わたしはため息をひとつついて、また缶ビールに口をつけた。


 「次は寺田さんには関係ない……いや、状況が転がれば関係するというか……」

 「今度は歯切れが悪いですね。」

 「ああ……実は伊織ちゃんから合コンに誘われた。」

 「ガールズラバー と男の娘ですか? 斬新ですね。」

 「おい! いや、まあ、そうも聞こえるか。……女女だ。」

 「出会いがないとかリストが薄くなるとかおっしゃられていたんだから、いいじゃないですか。」

 「そう、なんだよね。そうなんだけど、あんまり気乗りしない。なんでか、わからないけど……」


 寺田さんはいいとも悪いとも言わず、沈黙したわたしに付き合ってくれた。

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