第38話「お大切に」、「月が綺麗」、「あなたのために死んでもいい」 結局、お気持ちは言外で

 「ヤッフゥ! 」

 

 いも天の感動の次の日、赤面しながらつうがモニター越しに挨拶してきた。

 わたしは下まで出迎えに行った。

 一階のロビーには両手に紙袋を持ってプレスの効いていないルーズな服装の女がこちらに満面の笑みを浮かべていた。


 「お前なぁ。最近の女オタクは周りに馴染むような小ぎれいな格好をしているのに、どうしてテンプレちっくな服装なんだよ。」

 「なんかねぇ。ついさっきまで仕事してたから、急いでいたんだよ。」

 「まだ先だって言ってただろう。」

 「締め切りの日にち間違えていた。」

 

 つうを部屋まで案内しながら話を聞いていた。彼女は物珍しげに辺りを見回しながら修羅場の話をしてくれた。

 家の中に入ると首を傾げて、物がないねと言われた。


 「家主の寺田さんが生きることにあんまり興味のない社畜だったからね。それでも最近は伊織ちゃんに影響されて家具を揃えようかと考えているみたいなんだけどね。」

 「なんか言いたげな物言いだねぇ。」

 「伊織ちゃんの小悪魔が色々と仕込んでいて、気が抜けない。」

 「なるほど。」


 つうの両脇を挟んだ大きなキャラものの紙袋に目を移すと、つうも気が付いたようすで恥ずかしそうな表情を浮かべた。


 「恥ずかしながら、お風呂をお借りしようかと…… 」

 「どうしたの? 」

 「ガスの支払いを忘れていた。」

 「あ〜 通知とか見なかったんかよ? 」

 「家にいるときはほぼパソコンの前に向かってるからねぇ。最近受肉するのが忙しかったし。」

 「受肉? なにそれ。」

 「2Dなんだけど、キャラクターを作ってもらって、カメラに向かって動くとキャラが鏡写しで動いて、あたかもそのキャラが喋っているように見えるの。」

 「なんでそんなことをしてる暇がある? それだったらガスの支払いに行ってこい。」

 「ほら、ユリがさ、身バレに気をつけろとかもっと自己プロデュースしろとか言うから、わたしをモデルにキャラを作ってもらった。」

 「……わたしのせいなら仕方がない。準備してくるから待ってろ。」

 「ほーい。」


 浴槽にお湯を張り、以前に使ったバラのバスオイルの姉妹商品のラベンダーオイルを垂らした。

 実は最近気がついたんだけど、これら追加で揃えられていたバス、ボディケアの詰め合わせは寺田さんが買ってきたものだ。

 流石に男がバラの香りはないと思ったのだろうか、スパイシーな香りのものが混じっていることで気がついた。

 わたしも何回かに一回は使わせてもらっている。

 つうを呼び寄せて、色々と教えてから脱衣所を出ようとしたところで声をかけられた。振り返るとつうの足元には脱ぎ捨てられた衣服が散らばり、彼女は下着姿だった。


 「ユリ、一緒に入らない? 」

 「……自分で洗うのが面倒だからって手伝ってなんかやんないからね。」

 「……ふひひ、残念。」

 「上がったら覚悟しとけよ。わたしの詫びがわりにつうをエロエロにして寺田さんに差し出すんだからな。」

 「おっかないねぇ。」


 つうは浴室の扉を閉めた。

 わたしも脱衣所から出て、そっと扉に寄りかかった。


 たっぷりと時間をかけてお風呂をすませたつうを衣装部屋に連れ込むと、わたしはつうの長髪にヘアオイルを垂らし、ブラッシングした。みるみるうちに訪問してきた時の煤け色の髪が烏の濡れ羽色に変わった。

 メイクは眉を細くして、一重をくっきり切れ長に見せるようにちょっと濃い感じに仕上げ、日に当たっていない不健康なほおに淡くチークで赤らみを作り、ぽってりした唇には明るめのルージュを引いた。

 これで年相応の見られる顔になった。


 つうの一番の見所は豊満な体だ。バストと骨盤がでかいので、制服を校則通りに着るつうはデブと笑われていたが、食費を削って妄想の燃料を購入するような第一級妄想職人が太っているわけがない。こいつはただ運動不足でたるんでいるだけだ。

 まずは一度下着姿にさせて、ハーフカップのブラに変更させた。


 「ちょちょ、どこに手を入れてるのよぉ! 」

 「脇肉を寄せてあげるんだから我慢しなさい。」


 わたしの手はブラとお肉の間でうごめいて、彼女の胸の上のボリュームをかさ増しさせた。

 お尻は座ってばかりなので柔らかく揉み応えがあるけど、つうは補正下着を持っていないので諦めた。

 それから肩が丸出しのオフショルダーのシンプルなカットソーにハイウエストでくびれを強調したショートパンツを履かせて、サイハイ丈の薄い黒のストッキングで完成だ。


 「ニーソだなんて恥ずかしいねぇ。」

 「つうはお肉があるから太ももとストッキングの境目のぷに感が絶妙なのよ。ほら、鏡を見にゆくわよ。」

 「はいはい。」


 洗面所の大きな鏡に映し出された自分の姿を見たつうは苦笑いをした。

 ポーズをとって前かがみになるとみっちりとした谷間が想像以上な迫力を持っていた。

 

 「ユリ、攻めているわねぇ。ちょっと、前かがみができないよぉ。」

 「つうには寺田さんの前に座ってもらおう。」

 「何がしたいんだか。」


 苦笑いで胸の下に組んだ腕でさらにバストを強調させたつうを引き連れてリビングに向かった。

 代休消化のための連休中なのに、会社に呼び出された寺田さんが帰ってくるまで間がある。

 今日の夕食はつうのリクエストで冷しゃぶだ。お肉が食べたいが締め切りまでのカウントダウンで胃がすっかり弱ってしまったらしい。なのであっさり且つ多めに食べることができるものだそうだ。付け合わせの野菜はキャベツの千切りをさっと湯通しして、冷やしたものにする。

 タレはポン酢とゴマだれ、ミョウガや青ネギなどの薬味も揃えるが大根を一本分すりおろして水も切ってある。

 豚しゃぶは安い日本酒に昆布を浮かせて出汁を取り、そこに肉をくぐらせて、氷水で冷やして水気を切る。

 これをアク取りしながら、三人分、約一キログラムの肉をしゃぶしゃぶする。

 意外としんどい。

 つうも洗い物を手伝ってくれたので助かった。伊織ちゃんは洗い物すらできないので、彼がきた時は後ろで応援係に徹してもらっているのだ。

 一段落してソファに並んで話し込んでいると扉が開いて寺田さんが帰ってきた。


 「ただいま帰りました。」


 きょうの寺田さんはコットンリネンのスリーピーススーツにボタンダウンシャツ、鼠紺のリボンのついた中折れのストローハットという1930年代のコロニアル風な出で立ちだ。

 帽子を頭から下ろし、ほほ笑みながらわたしとつうの交互に目を送った。


 「おかえり。こっちがつう。千鶴っていうんだ。高校時代からの友達だよ。」

 「そうですか。はじめまして。吉屋さんとルームシェアをしている寺田と言います。」


 にっこりと笑みをつうに送った寺田さんは変わらず顔がいい。

 無言でつうは寺田さんを見つめている。

 おっ? これは脈ありなのか? 


 「ユリ! 」

 「おっ!? なに? 」

 「男だって言ってないじゃん!! 」

 「えっ? そうだったっけ? 」


 振り返ったつうはわたしが見たこともない鬼の顔をしていた。寺田さんは無表情にわたしに説明を促すように顎を上げた。

 粘度の高い眼差しが寺田さんから降り注ぐ。

 こめかみに冷や汗が垂れてきたような気がした。


 「知ってると思い込んでた。」

 「相変わらずですね。」

 「申し訳ない。」


 二人にテーブル上での上体寝土下座で反省の姿勢を見せるわたしの頭の上につうのため息がこぼれた。


 「わたしの覚悟なんだったんだろうねぇ? 」

 「えっ? 」

 「なんでもない。ユリ、お腹が空いたよ。」

 「はい。」


 謹んで急いで準備をさせていただくことにした。

 大皿に山盛りの冷しゃぶ肉とそれぞれに小さな器と箸を渡した。タレや薬味は取りやすいところにおいた。大根おろしはつうの器に山盛りで入れてやった。


 「なんで? 」

 「胃が思わしくないんだろう? 大根おろしと付け合わせのキャベツはたくさん食べなさい。」

 「ありがとう。」

 「あと寺田さんとつうはビールでいいか? 」

 

 二人が頷いた。

 つうは昨日の朝から食べていないと告白した。彼女は恐ろしい勢いで箸を動かし、用意した肉の半分は彼女の胃の腑に収まった。わたしが忠告したせいか、キャベツと大根おろしも大量に食べていた。

 その分彼女はお酒は控えめにしていた。

 寺田さんはいつものように気がつくと日本酒に変わっていた。それでもちろりに一回分の量ですませていたのでにっこりと笑って頷いてあげた。

 つうは寺田さんのお仕事の話をかなり掘り下げて尋ねていた。

 止めようかと袖を引いたら、寺田さんは微笑んで左手をあげたから、きっと大丈夫な範囲だけですませているのだろうと思い、わたしはキッチンに食べ終えた食器を片付けに向かった。


 洗い物をしていると寺田さんがキッチンに入ってきた。


 「どうしたの? 」

 「千鶴さんが日本酒を飲みたいとのことで、グラスと……」

 「わかったよ。でもつうがあんなに食べるところ見たことないから、ほんの少しだけにしてあげてね。」

 「はい。」


 寺田さんは自分の手で先ほどまで飲んでいたのと同じ高知の銘柄の日本酒をちろりに注いだ。

 わたしはキッチンの戸棚から寺田さんと同じグラスを一つ取り出した。


 「吉屋さんも終わったらいかがですか? 」

 「わたしはいい。お風呂に入っていないし。」

 「残念ですね。」

 「気にしない。あと、つうは紹介した通り、小説家だからネタにされちゃうよ。」

 「大丈夫ですよ。調べればわかることしか、お話ししていません。」

 「ならいい。……つう? 」


 キッチンとリビングをつなぐ入り口につうの姿があった。


 「ごめん、おトイレ。」

 「ああ、洗面所のとなりだ。いま一緒に行ってやる。」


 わたしは手についた泡を流して、エプロンでぬぐいながら、つうにトイレの位置を教えた。




 「ごめんねぇ。」


 つうがわたしの寝室の椅子に座りながら、両手を合わせて謝っていた。

 あのあと、つうはアルコールが入ったから今日は泊まりたいと言いはじめ、寺田さんの了解も得て、わたしの寝室へと招いた。

 わたしが入浴中、つうはメイクを落として、ノートPCにすごい勢いで何かを打ち込んでいたようだった。

 寝室に戻り、かろうじて肩まである白いレースのナイトウェア に着替えたわたしとキャミソールとアンダーの上にボクサーパンツのようなボーイズレッグのパンツを履いた姿のつうがテーブルをはさんで会話していた。


 「寝巻きまで持ってきて、よく言うよ。はなから泊まる気だったんだろ? 」

 「うん。この前に飲んだ時、なんか寂しそうだったし。」

 「そう? そんなんでもなかったと思うよ。」

 「わたしのことをあんな風に言うなんて、よっぽどだったと思った。」 

 「あぁ…… そうか。あれかぁ……あれは失言だったなぁ。ヘテロのつうに言ってはいけない言葉だったよ。確かにあれの前にはちょっとあれな飲み方して、みんなに迷惑をかけたなぁ。」

 

 わたしが謝るとつうは首を振って気にしていないと言ってくれた。そして彼女は自分のキャラクターをわたしに見せた。

 パソコンに付属しているカメラと連動させると表情がその通りに変化する。


 「ほほう、かな〜り美化されておりますなぁ。」

 「えぇ? こんなもんでしょ。」

 「動画は残っているの? 」

 「生が主体だから残していないよぉ。暇ができれば、作者本人による作品解説動画を投稿してもいいかなとは担当さんから提案されている。」 

 「担当も知っているんだったら、いいけど。……さて、わたし、明日は早出なんだ。もう寝るよ。」

 「……うん。」


 わたしたちはレースをくぐって、ベッドに入った。これを使うようになってから、いつもベッドじゃなくて寝台という言い方が似つかわしいなぁと思っている。

 薄いマットの上で女二人が横になった。つうのまくらは寺田さんの客間から借りた。


 「電気消すよ。」

 「うん。」


 しおらしいつうの言葉にわたしはちょっとどきっとさせられながら、照明の明かりを落とした。

 ここのマンションはいまの季節なら窓を開けても十分に夜は涼しいと教えてもらったので窓を開けている。

 庭園の池にいるカエルの合唱が聞こえる。


 「ユリが寺田さんとあんなに仲良しだとは思わなかった。」

 「みんなそういう。たしかに仲はいいが、友情で結ばれていることを勘違いしてもらっては困る。」

 「それは分かっているよ。でも安心したよ。」

 「うん。ありがとう。つうはわたしの一番の友達だよ。」


 わたしは横になったまま、つうの体の下に腕を回した。そして胸が触れるか触れないかの軽いハグをした。

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