第37話 レース細工の中心にある不器用な実
とりあえず、部屋が見られるようになったところで整理を終えた。
わたしはリビングに出て、作り置きの冷たい麦茶を手にテレビをつけていた。
「吉屋さん。」
「どうした? 」
「夜は外に食べにゆきましょうか? 」
「……別に構わないけど、どういう風の吹き回しなの? 」
「休日に夕食まで作らさせてしまうのが申し訳ないと思うのと……」
そこで寺田さんは言い淀んでしまた。
「なに? 怒らないから言ってみ〜 」
「友人と食事しに行くという行事をしてみたい……と思いまして。」
思わず吹き出してしまった。
「わかったよ。じゃあ、ちょっと待っててくれ。」
わたしは寺田さんの肩を叩き、浴室へと向かった。
ちょっとと寺田さんに言いながら一時間ほど待たせて、わたしはキャミドレスと上にショールを羽織って出てきた。
寺田さんもリネンパンツに麻の被りシャツでその上にベストを合わせていた。
「おしゃれだね〜。」
「吉屋さんと並んだ時に見劣りしないようにしています。」
「がんばる必要がわからない。」
「ただでさえおじさんと並んで歩くのですから、恥ずかしい思いをさせないようにしています。」
「お、おう。じゃあ行くか。」
二人でエントランスに出るとまつりちゃんがカウンターでこちらに熱い視線を浴びせかけていた。
視線に耐えきれず、わたしたちはまつりちゃんのところまで赴いた。
まつりちゃんの笑顔は溢れんばかりになっていた。
「いってらっしゃい。」
「まつりちゃんは休みじゃないんだ。」
「連休に休みましたから。」
「あ〜 そういえば、姿が見えなかったな。遊んできた?」
「ええ。彼と一緒に草津で一泊してきました。温泉、最高でしたよ。今度、お二人で行ってみてください。」
「えっ? あっ…そ、そう。よかった、ね……」
「吉屋さんたちは今日はどちらへ? 」
「えっと、久しぶりに休みがお互いに合ったんで、夕食は外で食べようかって寺田さんが言ってくれたんだ。」
わたしの言葉を聞いたまつりちゃんは寺田さんに親指を立てた。
いい笑みで見送るまつりちゃんと真逆にテンションが下がったわたしは寺田さんと並んでマンションを出た。
「リストがどんどん細くなる。」
「ご愁傷様ですね。」
「お前、面白がってるだろ? 」
「彼女に恋人がいることは知ってましたから。」
「なんだってー!! 」
「帰宅した時、入れ違いで恋人の男性が迎えに来ていましたから。」
「どんなやつだよ。」
「そうですね。最近の若い男といった感じですね。」
「つまんねぇ奴だなぁ。」
「ひどい言いがかりですよ、それ。」
まだ時間が早いので、二人で近所の緑地公園を散歩した。
なんでも江戸時代の大名屋敷だか大旗本の屋敷の庭園跡を公園にしたらしい。
「うちのマンションの庭もモデルはここらしいですね。」
「ほう。」
梅雨の合間の夕暮れは肌をしっとりとさせる湿度を持った茜色の風が流れて、スカートの裾を揺らした。
緑の香りがむせかえるようだ。
「蒸し暑くないね。」
「ここらは緑地が多いせいでしょうか? 高い建物も少ないので風通しがいいのでしょう。」
「で、何を食べるか決まっているんだろうね。」
「いいえ。」
「はぁ? 」
「なにが食べたいですか? それに合わせますよ。」
「おう、わたしが選んでもいいんだ。……そうだ、自分でうまく作れないやつがいいな。天ぷらとか寿司がいい。」
「わかりましたよ。わたしがゆくところでもいいですか? 」
「えぇ? 寺田さんの行きつけ? 」
「なんですか? 」
「だって、寺田さんは食に興味ないじゃんか。ああ、天ぷらのファストフード店か? なら大丈夫だな」
「上司が接待に使っていて、わたしも気に入ったところですから、味は保証します。」
「そうなのか? ならいい。遠いの? 」
いいえと寺田さんは首を横に振って、古そうな腕時計を見つめた。
「いい時計だな。」
「ええ、父の遺品です。」
「そうだったか。大事にしてるのがわかるよ。」
「ありがとうございます。」
通りかかった犬を連れていたおばさんが不思議なものを見る目でわたし達の横を歩き去った。
寺田さんはスマホでその店に連絡を取るために俯いていたので気がついていなかった。
何か変なことをしたかと焦った。
「あれ? なんかやらかしたかな? 」
「どうしたんですか? 」
「いや、ちょっと。」
「そうですか。さて、このままこの公園を抜けましょう。」
寺田さんが先に進むので、わたしは彼の左腕をとった。
彼は歩きやすそうな柔らかい革靴だが、わたしはヒールのついているサンダルで彼の歩みについてゆけない。
「早い。」
「あっ…… 」
寺田さんが赤面してしまわれた。
この数ヶ月で初めてのことにわたしはホォと声をあげた。
「すみません。……なんだか楽しくて舞い上がってしまいました。」
「なんでやねん。」
「友達と遊びにゆくなんて本当に久しぶりでして……」
「おい、おっさん、男のくせにかわいいな。」
わたしは彼の左腕をとったまま、歩みはじめた。
「いいんですか? 」
「ああ、寺田さんなら許してやる。だけど勘違いはするなよ。わたしはあくまで……」
「ガールズラバー なんですよね。わかってますよ。」
寺田さんはわたしの歩みに合わせて歩幅を狭くしてくれた。
お店はそうと言われなかれば気がつかないほど、ひっそりとした和風の佇まいで、寺田さんが先導してくれた。
店の主人はわたしたちが入ると目を丸くしていたが、何も言わずに席を案内してくれた。
お品書きがなく、ご主人のお任せのみという都市伝説を目の当たりにしながら、わたしと寺田さんは冷やの日本酒をお銚子で二本だけ頼んだ。
天ぷらはご主人がその日に入荷した海産物や野菜を見て、順番を決めて出てくるようで、わたし達は揚がったばかりの熱を持ったレース細工のような衣に包まれた新鮮な魚介類や野菜を頬張った。
天ぷらはとても軽く、懐紙に油が染みていないくらいだった。
優しい味わいの日本酒は天ぷらの味を引き立てつつ、口の中をさっぱりとさせてくれた。
ご主人がカラになったお銚子に目を向けた。
寺田さんも気がついたようでわたしを見るが、わたしは左右に首を一度だけ振った。
そっと後ろから白い腕が伸びて、お銚子を片付けた。
振り向くとわたしよりも二つ三つ年上くらいの福々しい笑顔のかわいい女性がいた。彼女は私たちにうっすらと色のついた緑茶を運んできた。これも口をつけるととても香り高くおいしかった。
一通り出し終わったらしく、ご主人が板場の油の前から一歩下がった。
「どうでしたか? 」
「満足しました。たいがいご飯のおかずは作ってきたけど、天ぷらは無理だね。」
「そういえば、一度かき揚げを作ってからないですよね。」
「これだけのものを食べているような人に出せるようなものは作れません。もし食べたいのなら、またつれてきて。」
「わかりました。」
くすぐったそうに笑う寺田さんにちらりと目を向けたご主人の口元のしわが深くなった。
それにしてもうまかった。
しかしわたしはある一つのものが食べたくて仕方がなかった。
「お客さん、何か食べたいものはございますか?」
わたしが物足りないことに気がついたのか、塩辛声のご主人がかけた言葉に喉元までそれが出かかった。
「遠慮しないで言ってください。」
「あ〜あの、サツマイモ……ってできますか? 」
ご主人の口元のしわがまた深くなった。
「ええ。今日はいいのが入っていますよ。」
「じゃあ、わたしもください。でも、なんで遠慮なんかしたんですか? 」
わたしはジロリと寺田さんの顔を見上げた。
「旦那さん、よくいも天なんざ庶民的と言われますが、そもそも天ぷらなんて、今で言うファストフードのようなもんですよ。いつの間にか、カッコつけて食べるようになっちまいましたがね。」
「わたしもいも天は大好きですよ。お父さんのいも天でお蕎麦を食べたりするんですよ。」
「えっ? お姉さん、それこそ大贅沢ですよ!! 」
「本当にこいつは物の価値ってもんがわかってないんですよ。……はい。」
ご主人が差し出してくれたのは透き通るほど薄い衣に包まれた黄金色のいもだった。
わたしはまず何もつけずに一口齧った。衣のサクリと言う歯触りのあと、これ以上は固いとなるような芋の歯ごたえが続いた。最近流行りのねっとり系ではなく、ほくほくとした安心感のある控えめな甘味が口の中で広がった。
続いて遠慮なしに天つゆに浸してもう一度頬張った。
「ほぅ……おいしい。……お姉さん。」
「はい。」
「確かにこれはそばに乗せて食べたい。わかる。」
「そうですよね。口の中がパサパサになっちゃいますよね。」
「いや、芋のお味がそばつゆの塩気に絶対に負けない。あと、このころも、つゆを吸ってもいける。本当にどうしてだろう、こんなに衣が薄いのにつゆを吸ってもさっくりしているんだもん。」
「今日一番、語っていますね。」
「いや、これは語りたくなるって。おいしいよ。」
「ええ、本当に美味しいですね。焼酎もいけそうです。」
「芋に芋って…… 物の本にあったけど、酒が本当に美味しいのは三杯までっていうんだ。アルコールの刺激で舌が鈍くなるし、料理だってそうだよ。こんなにおいしい料理はちゃんと味わおうよ。」
「はい。」
ふと気がつくとご主人とお姉さんが何やら生温かい感じになられている。
わたしは寺田さんの左腕を拳で殴った。
「お前のせいだ。」
「はて? 」
深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
残りのいも天を噛み締めて、飲み込んだ。お腹は満足なのになんとなく寂しい。でもこれで十分なんだろう。
顔を上げるとご主人も満足そうな表情だった。
「ごちそうさまでした。」
「お粗末さまでした。」
寺田さんの手元に小さな紙がやってきた。わたしは覗き込もうか、どうしようかと迷っていると、すぐに寺田さんは紙の表をひっくり返して、カードとともにお姉さんに渡した。
「あっ、あの……」
「わたしから誘ったんですから。」
「でも天ぷらを食べたいって言ったのはわたしだし。」
「毎日美味しいものを作ってくれるお礼です。」
「わかった。もう遠慮しないことにした。寺田さんもごちそうさまでした。」
「はい。いつでもどうぞ。」
ご主人と娘さんの慈愛に満ちた笑顔に見送られながら、わたし達はお店を出た。
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