第36話 贈り贈られはお財布の優劣ではなく、対象との関係であるのかもしれない  もしくは重い贈り物は人を縛り付けるよね。

 寺田さんがわたしに従属の礼をしてから数日が経った。

 いまでも心が痛む出来事だった。


 そして今日はなぜか、わたしの部屋に伊織ちゃんが見せてくれたあの天蓋をつけられる紫檀のベッドとともにカフェテーブルサイズのテーブルセットが届いた。

 深いため息とともにわたしの引き裂かれた脚付きマットレスは廃棄処分となり、その代わりに紫檀のベッドが入れられた。付属品として伊織ちゃんセレクトのレースのカーテンと薄いマットがつけられていた。

 テーブルセットは瀟洒な彫り物と象眼細工が美しい椅子が二脚にそれらと揃いの意匠を施された猫足のテーブルだった。 

 すっかりオリエンタルな魅惑に満ちたお部屋となったわたしの寝室から運送の作業員の方が去った。

 ちなみに支払いはすでに済んでいた。


 「なんだこりゃ? 」


 平日の午後、誰もわたしの問いに答える人はいない。

 ピロリンというとぼけた電子音とともに中原くんからメッセージが届いた。


 「あ〜 いまは中原くんじゃないんだよ。寺田さんか伊織ちゃんなんだよ。マジ、これ、どうすりゃいいのよ。」


 ぼやきつつ中原くんのメッセージを読むと出張から帰ってきて、お土産があるという本当にしょうもない内容だった。

 結局、寺田さんの帰宅を待つことになった。



 「で、どういうこと? いくら寺田さんにでも、ものを恵んでもらういわれはないんだけど。」


 夕食後、わたしは寺田さんを椅子に座らせて、腰に手を当てて仁王立ちをしていた。

 だが迫力不足は否めず、寺田さんは平然とビールの入ったグラスを手にした。


 「義姉さんから電話がありまして。」

 「なにそれ、わたしが出たかった。」

 「既婚女性を狙うのはやめてください。しかも彼女はわたしの兄嫁ですよ。

 ともかく、あのお見舞い金は吉屋さんの心と体に対してのお見舞いであって、棗が破壊したベッドの代金は含まれていないということでわたしにどうすべきかと尋ねられました。」

 「どうもこうも、わたしが自分で買うからいいよ。」

 「そこで伊織さんからあなたがあのベッドを欲しがっていたこととテーブルセットが欲しい理由を教えていただきました。」

 「伊織か!? 伊織が悪いんだな!? 」


 目を向いたわたしは寝室のスマホを取りにゆこうとして、寺田さんに止められた。


 「誰も悪くないって。悪いとしたら、子供じみた嫉妬を処理しきれなかった棗が悪いんです。ともかく、吉屋さんは軽く流しているけど、あの刺さりようはもし吉屋さんの体でしたら、一生跡が残るような大怪我をしていましたよ。」

 「……それに関しては見解は割と一緒だと思う。」


 その点は同意する。思い出すとちょっと背筋が寒くなる。


 「ですよね。見ず知らずの小娘が路上で行ったのでしたら、あれは殺人未遂になってもおかしくない凶行ですよ。」

 「そこまで大袈裟なことじゃないだろ。」

 「ともかく、身内から犯罪者を出さずに済んだことと、丸く飲み込んでくれた吉屋さんにうちの兄夫婦は返しきれないご恩があると感じているんです。」

 「で、あのベッドをくれたのか。でもテーブルセットは別だろう。」

 「そっちはわたしからです。」

 「も〜 寺田さんちからすれば、はした金かもしれないけど、ど庶民のわたしからすれば過剰なの。わかる?

 トゥーマッチオーバーリアクションユーアーなの。」

 「そんな表現はないですよ。あと、わたしだってそれなりな額だと思いましたよ。だからこそ吉屋さんへの誠意としてお送りさせてもらったんです。」

 「お前んちは一家そろって重いよ!! 」

 「じゃあ、この感謝の気持ちをどう表現すればよかったんですか!? 」

 

 しばらく言い合いが続いた。


 結局、二つの家具は寺田家が購入して、わたしが使わせてもらうことになった。

 わたしは月々、幾ばくかを支払うことにして、この家を出る時には使用した分だけ、家具の価値が逓減したということで、支払い終了ということになり、はれてわたしのものになるという契約となった。


 「でもこんなでかいのを置く家に引っ越しできるような気がしないでもない。」

 「思いの外、大きいですね。」


 一応の現状確認をさせるつもりで、わたしは寺田さんを寝室へと招いた。

 言い方が悪いな。

 寝室に連れて行った。

 いや。

 一緒に寝室に入った。

 ……だめだ。要はそういうことだ。ベッドとテーブルセットを見せに連れて行ったのだ。他意も深い意味もない。


 寺田さんからお借りしている部屋もそれなりに大きいが、ベッドとテーブルセットを置くと床に積み上げていた本の置き場が無くなる。

 仕方がないので雑誌は全部捨てることにして、仕事に必要な大きくて重い本は服を置いてある部屋へと移した。

 向こうの部屋は寺田さんには見せないが、たまこさんにいただいたチェストが壁の一面を支配して、シーズンオフの洋服が入れられた半透明の衣装ケースが隣の壁にブロックのように積み上げられている。

 部屋の真ん中にはいまローテーションを組んでいる通勤服やルームウェア、ナイトウェアがハンガーラックにかけられていて、その裏にはもし寺田さんが入ってきたときに目につかないように下着などの洗濯物を干すハンガーラックがある。

 そのほかに床積みの医療関係の本や小説、漫画などがタワーを築いている。

 

 「ワンルーム程度でいいやとおもっていたけど、どうしよう。」

 「もう腹をくくって、ゆっくりと考えましょう。でも確かにこういう家具もいいですね。」

 「そう思うよね。いいよ。」

 「ええ、伊織さんの企みとはべつにこのような感じで揃えてもいいかもしれませんね。」

 「そう思う時点でもう思考を侵食されているからね!? あの子、そういうのうまいから!! 」


 微笑んだ寺田さんは頷いたが、分かっているのだろうか?



 土日、休日出勤が多い寺田さんもお休みとなった。

 

 「労基署が怖いからお前、まとまった休みを取れと脅されました。」

 「笑って言ってるけど、寺田さん、代休が溜まってたんだろう? 休もうよ。」

 「ですから、今日から数日ほど連休です。どうしたらいいんですかね? 」

 「わたしにきくな。自分で考えろ。ああ、あれだったら実家に帰ればいいじゃないか。」

 「前にも言いましたが、吉屋さんは堀を埋めるのが好きですね。何がしたいんですか?

 実家に戻ったら兄夫婦からどうして吉屋さんを連れて帰ってこなかったんだと責められ、ここのオーナーから根掘り葉掘り聞かれるに決まっているじゃないですか。 」

 

 言葉に詰まったわたしはナスの浅漬けをかじった。


 「そういえば、違うご友人が遊びに来たいと言ってましたね。わたしが休みの間でいいですよ。もしいない方がよろしければ、どこかに行ってます。」

 「家主を追い出すような真似はしないよ。つうに連絡を入れておく。でも、わたしの友人ばかり連れて来て寺田さんは大丈夫なの? 」

 「特に気にしたことはないですよ。もともと人と会うのは好きですからこそ、今の仕事をしているわけです。特に吉屋さんのお友達は世代的なもの以上に刺激的な方が多いですから、お会いしても楽しいですね。」

 「喜んでもらえて何よりだけど、寺田さんのお友だちは……そうだったね。すまんかった。」

 「ははは。わたしの以前の友人を招くとすれば、その前に相手との連絡方法をどうにかして入手する必要がありますね。すでに年賀状すら来ませんので、どこで何をしているものやら、わたしにはさっぱりですよ。いやはや。」


 やばい。寺田さんが病んでしまわれた。

 リアルで「いやはや」なんていう人をはじめて見た。


 「すまない。つ、つうをめちゃめちゃ寺田さん好みにして来させるから。なんでもリクエストして。あいつ、体だけは無駄にいいから。」

 「友だちをそういう風に扱うものではありませんよ。それよりも今日はどうしましょうか? 」

 「えっ? ああ、ちょっと衣装部屋の方を片付けたい。あれはちょっとひどい。」

 「いえ、昼食と夕食ですよ。お互いお休みですから、それぞれで食べても構いませんよ。」

 「あぁ…… いや、作る。昼はパスタの予定だ。夜は……そうだなぁ、買い物にいかないと。」

 「わかりました。いつもありがとうございます。」


 寺田さんはわたしに感謝の言葉を告げて、二度寝をすると部屋に戻った。

 わたしは午前いっぱいをかけて部屋の整理整頓をしていたが、圧倒的に収納が足りない。

 手つかずの見舞金があるものの、それは寺田家への支払いに充てるものだ。

 しかしそれとボーナスを組み合わせるとなんとか手に届きそうだ。

 スマホの画面を見ながら、思考がよからぬ欲望へと流れてゆく。


 「でも、ワードローブやタンスのようなものになると、象眼細工がすごくって一気に仏壇っぽいんだよなぁ。」


 迷う迷う。

 一旦、流れを断ち切るつもりで部屋を出た。

 休みなんだし、手抜き料理でお茶を濁すか。


 キッチンに入る。カーキ色のカットソーの上にエプロンを締めて、お湯を沸かす。

 ニンニクを潰してオリーブオイルを入れたフライパンに投入、次いで鷹の爪もタネを抜いて入れる。

 じくじくと泡が上がるのを見て、焦げる前に取り出して、トマト缶の中身を入れる。


 「休みの日なんて手抜きでいいと言いつつ、いっつも手抜き料理だよな、わたし。」


 お湯が沸いたので乾燥パスタを入れて、菜箸でくっつかないようにかき回す。

 トマトソースはこれだけでも美味しいが、アンチョビを刻んで入れる。

 茹で上がったパスタを湯切りも適当にソースの入ったフライパンに入れた。火を止めてソースを絡めるだけで出来上がりだ。


 「寺田さん!! 」


 大きな声で呼んでも起きてこない。部屋をノックしても物音一つしないので、仕方がなく扉を開ける。

 ベッドの上で寝転がる彼をどうしようかと考える。

 蹴ってみようか? それとも鼻を摘んでみるか?

 結局、肩を揺さぶってはバックステップで離れるを何度も繰り返すと目を開いた。


 「……すみません。熟睡していました。」

 「長時間睡眠ができるってことは若いって証拠らしいよ。よかったね。」


 深いため息の後、彼は腹筋だけで上体を起こした。

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