第7話

 会社を辞めるべきか、それとも復帰して周囲の冷たい視線に耐えながら居座り続けるべきか。客観的に考えれば後者の方が望ましいのだろう。それでも私の中で辞めた方がいいぞと訴え続ける声がする。感情と理性的判断の板挟み。私はずっと感情と理性の間で揺れ動いていた。言葉にすると陳腐だ。他人には想像できないような地獄を抱えているのだと自分では思いながらも、いざ言葉にしてみると稚拙な表現を垂れ流しているだけ。自分の悩みなどは取るに足らないゴミくずであり、悩むだけ時間の無駄だからさっさと実社会に戻った方がいいだろう。その理屈はわかる。でも私はずっと同じような理屈を自分に言い聞かせて働いてきたのではないか。自分が抱えている悩みなどは幼稚でくだらないのだから、働くべきだと。その結果、ついに働けなくなり休職に至ったのだろう。

 堂々巡りだ。自分の思考理路はいつもぐるぐる回ってしまい、何か有効な結論を見出すまでには至らない。直線的に思考する気力と体力がもとから備わっていないのかもしれない。社会に出て働きたくない、布団の中でずっと寝ていたいという感情がいつも私の思考理路に伏流しているのだろうか。何をやっても暗くて重いものが自分の背に乗っかっている気がして苦しくなる。私はこの怠惰な感情をなんとかねじ伏せようとして、無理に勉強やスポーツをがんばってきたが最近になってツケがきたということなのか。少なくとも自分ではそう解釈しているが違うのか。

 結局どうするのか。私の心身は辞めたがっている。でもその後はどうするのだ。辞めて新しい職に就いたところで、待遇がもっと悪いとこで働かされるだけなのではないか。それに実家に戻ると両親と毎日顔をあわせないといけない。わかっているけれど、それでも辞めたい。私の心身がそう訴えていいるのだからしかたがない。常識と理性に裏付けされた客観的判断より、自分の心身から湧き上がってくる情動的判断の方を優先してしまう段階が人生の節目にはある。今がそのときと思えばいいのではないか。そういうことにして自分をごまかすしかない。例えその後の人生が厄介なものになったとしても。ただまあ情動的判断を自分らしく生きるための手段などという雑な現代ポエムとして解釈するのではなく、その判断をした責任は負っていくべきなのだろう。

 ずっと沈んだ状態でいるので、書く気力が湧いてこない。それでも書くことで自分の精神が少しずつ更新されていくと信じているので、私は書いているのだろう。

 

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言葉のない日々 @kalinka

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