そっくり

中谷干

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「僕ね、アンドロイドなんですよ」


診察の途中、患者の男が、急にそんな事を言った。

胃が不調だと検査を受けに来た、どことなく不健康そうな雰囲気を漂わせた男。その男にレントゲン写真を見せながら、特に問題はなさそうだと説明していた時だった。


「えっと……?」

医師はその突然の発言に、そしてその発言の内容に戸惑い、返答に詰まる。

「ああ……やっぱり気づいてもらえなかったみたいですね。僕、アンドロイドなんですよ」

「いや……」

さて、どう答えたものか。医師はしばし考える。

確かに現在、アンドロイドは実用化されているし、中には人間の臓器を模したパーツを持つものもある。

あまり多くはないが、そんなパーツを持ったアンドロイドの治療を依頼される事はある。だが――

「どこからどう見ても人間の体なんですが……」

すぐ横のディスプレイに表示されたレントゲン写真。

そこに写し出されているのは、全く人間らしい、医師としては見飽きるほど見てきたのと同じ臓器の姿だ。

何をどう見たってこれは人間の内臓であり、アンドロイドの内部構造ではない。


「そう思うでしょう? でも違うんですよ。僕はアンドロイドなんです」

男は医師の反応をさほど意に介さない様子で続けた。


「X線でね、撮影するとね、僕の体はまるで人間のように写るようにできてるんですよ。あ、CTとかでも同じですよ。僕の体は全て人間らしく写るんです」

「いや、さすがにそんなアンドロイドは……」

「絶対にいないと言えますか?」

男はぎろりと目を剥き、首を傾げてそう言った。

絶対か、と言われれば、どうだろう。

現代の技術を組み合わせれば、可能性は確かにゼロではないのだが。


「まあ、絶対にない、とは言えないですが……」

「でしょう?」

医師の歯切れの悪い返答に、どこか勝ち誇ったような表情の男。

「でも、可能性は限りなくゼロに近いと思いますが」

「まあ、そうでしょう。そう思われるでしょうね……」

男がどこか遠いものを見るような目になる。が、すぐに視線を医師に戻し、言った。

「でも、僕はアンドロイドなんです」


「そう言われましてもね……」

はあ、これはまた厄介な患者に当たってしまったようだ。

医師は心の中で一つため息を吐き、念のため再度レントゲン写真を見てみる。

胃を中心に、腸や肝臓、肺など、全て見慣れた人間の臓器らしい臓器。

どこかに金属などのパーツがあるとかいったアンドロイドらしい特徴があるわけでもなく、体のどこかに人工物が露出している様子もない。これをアンドロイドの体だ、というのはどう考えたって無理がある。


「やはり信じてはもらえないですか」

「ええ」

男は医師のその返答に、わざとらしく大きなため息を一ついた。

「よく見てくださいよ。このX線写真、本当に人間らしいですか?」

「ええ、普段僕が見ている色々なレントゲン写真と変わらない、とても人間らしい内蔵だと思いますよ」

「人間らしすぎるとは思いませんか?」

「人間らしすぎる……?」

またよくわからない事を言い出した。

「僕みたいな人間が、そんな人間らしい体をしていて、おかしいとは思いませんか?」

「いえ、そうは思いませんが……」

「こんな、僕みたいな人間はね、内臓が薄汚れていたり、少し変な位置にあったり、そういうことがあってしかるべきだと思うんです」

「はあ」

「こんな、見るからに不健全そうな、無様な外見の生き物ですよ? それが真っ当な臓器を備えている道理がない」


確かに、この男の醸す雰囲気は、不健康そのものだ。

落ち窪んだ目に生気のない表情。どこかアンバランスな手足と、決して良いとは言えない姿勢。

医師でなくとも、この人はどこかが悪いんじゃないかと心配になる、そんな空気を強く漂わせている。

「なのに、どこにも問題がないでしょう? 見てくださいよ、教科書にでも載りそうな臓器だとは思いませんか?」

男の言うとおり、レントゲン写真に写し出されているのは、男から溢れ出す澱んだ雰囲気とはまるで正反対の、全く正常で全く非の打ち所がない、全く平凡でありふれた健全な内蔵だ。


――なるほど、つまりこう言いたいのか。

こんな、雰囲気からしてあからさまに不健康であるべき人間の内蔵が、とても真っ当で正常。

だから、そんな正常すぎる体は、作り物である、と。

「まあ、たしかに普通の内蔵ではありますが……」

しかし、教科書に載るような写真というのは、そういう内蔵を持つ人が多いからこそ選ばれるのだ。「正常すぎるから作り物だ」なんて言っていたら、世の中の多くの人の内臓が作り物になってしまう。

確かにこの男の内蔵がここまで普通で健康的なのは予想していなかったが、「作り物である」と言わなければいけないほどの違和感はない。


「ね、僕の体は人の手によって作られたもので、人造物なんです」

男は医師の言葉を肯定だと勝手に受取ったのか、言葉を続けた。

「僕はね、まるで人間そっくりに作られた、アンドロイドなんですよ」


恐らくは、強い思い込みというやつなのだろう。

何かのきっかけで自分をアンドロイドだと思い込み、その思い込みをひたすら強化し続けてしまった。

その結果として、この男は自分をアンドロイドだと信じ切っている。


どうやらある種の精神的な問題を抱えた患者だと思って接したほうがよさそうだ。

もちろん、専門外の分野の事だ。あまり余計な先入観は持つべきではないのかもしれない。だが、少なくともこの男を、普通の健全な精神を持った人間として扱うのは危険だろう。


医師はそう考えをまとめ、

「なるほど」

あまり否定しすぎないように、と意識しつつ相槌を打った。

こういった患者は、強く否定すると何をし始めるかわからない。まずは変な刺激をしないように注意しないといけない。


「どこまでも人間に似せる事に心血を注いで作り上げられたんですよ」

「何のためにそんな事を?」

「ね、ほんとに無駄ですよね。アンドロイドだったら、そんな人間らしくせずに、効率を追求した作りにするべきなのに」

医師が少し興味を持つような返答を返してきたからだろう。

男はより饒舌に語り始めた。

「どうしても作りたかったんでしょうね。自分の手で、人間そっくりな体を」

「もしそれが本当だとしたら、それはすごい技術だし、すごい作品ですね」

「ね、まさに芸術作品でしょう?」

どこか得意げな男の表情に、また不快感が増す。

どうしてこうまでこの男の姿を不快に感じるのか。

この得体のしれなさというか、人を不快にさせる存在感というか、そういうものは確かに人間離れしているかもしれない。「人を不快にするために作られたアンドロイドだ」と言われたら信じてしまいそうだ。


「何のためにそんなものを作ったんですか?」

「さあねぇ、作られておいてなんですけど、変人の考えなんてわかりませんよ。いっひっひ」

「まあ、わかりました、あなたがアンドロイドだというのは」

あまり議論をしてもしょうがない。

ここは肯定して受け入れて、早々にお引取り願うのが賢明だろう。

「あ、僕のこと、気狂いか何かだと思ってるでしょう?」

「……」

当たり前だ、と言いたいが、そんなことを言ったらこの男は一体どんな行動を取ってくるのか予想もつかない。医師が答えられずにいると、

「普通はそうですよね。えぇえぇ。よくわかります」

沈黙を肯定と受け取ったのか、男は何かを噛みしめるように深く頷き、

「じゃあ、仕方ない。お見せしてしまおうかな」

そう言った。


「もし、もしも、ですよ?」

その瞳がぎろり、と医師を見据える。

「証拠があったら、信じます?」

その言葉は、まるでぬめぬめとした蛞蝓のような、まとわりつくような感じがあって、医師の胸の奥から不快感がぞわりとこみ上げてくる。

「……え、ええ、証拠があれば……」

医師がそう答えると、男は「そうですか。では」と言って、くるりと椅子を回して背を向けた。

そして、首筋のあたりを指差し、言った。


「ほら、ここに丸いのあるでしょう?」

指のさされた先を見る。

首筋の後ろ、肩のラインと交差するあたりに、何やら親指の先くらいの大きさの円がある。

それは入れ墨などで入れられた円の模様……ではないようだ。

ナイフを突き立ててぐるりと円形に一周させたような、肌に深く掘られた線で描かれた円。

それはまるで機械で作られたような、恐ろしく綺麗で正確な正円で、人間の肌の上にあるものとしては、おおよそ奇妙なものだった。


「これは……?」

「何だと思います?」

なんだろう。円の中央部分が軽く凹んでいて、押してみたくなる形状ではあるのだが。

「これ、ボタンなんですよ」

「ボタン……?」

「何のボタンだと思います?」

「えっと……」

「ここを押すとね、僕、死んじゃうんですよ」

「……は?」

「いわゆる機能停止ボタンっていうんですか。いや、機能停止、っていうとまた再開できそうだし違いますね。完全停止のボタンなんです」

「いや、そんな……」

「あ、もちろんこれまで押したことはないんで、本当にそういうボタンなのかはわからないんですけどね」

男はそれだけ言うと、何がおかしいのか、「くっくっく」と肩を震わせて笑った。

「でも、これは停止ボタンです。僕にはわかるんですよ。だってアンドロイドですから。自分の体の機能くらいはね」

「何でそんなものが……」

「ほんと、なんでこんなものをこんな押しやすそうなところに作ったんでしょうね」

男は、医師の頭に浮かぶ疑問を先回りして答えてくる。

もしかしたらこんなやり取りを、これまでも他の誰かと何度もしてきたのかもしれない。

「僕、普段はもうすごい気をつけてないといけないんですよ。何かの拍子で間違って押されたりしたら、死んじゃうから。だから似合いもしないネクタイをしたり、スカーフ巻いたりしてね、ほんと大変で……」


絡みつくようにぬめっとした男の言葉を聞きながら、医師は考える。

確かに、これは人間の肌にあるものとしてはおかしい。明らかに工業的な方法で作られた、正確無比な円と深い切れ込み。こんなものが人間の肌の上にある事はあり得ない。

もしかして、この部分だけが何か人工的な素材になっているのだろうか。あるいは何かの特殊メイクの類か?

自分をアンドロイドだと信じ込むためにこんなものまで作り込んでいるとしたら、それは相当に深く信じ込んでいるということになりそうだが――


それにしても、なぜいきなりそんな事を話し始めたのだろう。

この人工物のようなものが肌にある事、それには確かに驚いた。だが、これだけでは男がアンドロイドである証拠とは言えない。

医師がそんな事を考えていると――男はぐるりと首を回して振り返り、

「押してみます?」

そう、言った。

その顔が、また一段と不気味歪んでいる。

それが笑顔だ、という事に気づくのに、少し時間がかかった。

不気味で不快な、いやらしい笑い。

誘っているのだ。


「いいですよ? 押しても」

「……いや……」

「気にすることはないですよ。だって僕はアンドロイドです。アンドロイドっていうのは、人に奉仕するものでしょう?」

「……ええ、まあ」

「あなたの疑念を晴らすことだって、立派な奉仕だと思うんです。だから、あなたがこのボタンを押して、それで僕が死んだとしても、それはアンドロイドとしては幸せな死だと、僕は思うんですよ」

男の笑顔が、またさらに一段と不気味さを増す。

その表情を見ながら、医師はまた、しばし考える。


正直に言えば――押したい。

ここを押せば、何もかもはっきりするのだ。

こいつがただの気狂いなのか、本当にアンドロイドなのか。


いや、どう考えたってこれは単なる気の狂った人間で、アンドロイドなどであるはずがない。

この首筋の円形の部分を押したところで、きっと何も起こらない。


だが……と考える。

ここまで自分をアンドロイドだと信じ切っている男だ。

このボタンを押した瞬間に、舌を噛んで自殺のような事をしないとも限らない。

そんな危険性のある事を、やっていいものだろうか? 医師として。人として。


そんな医師の考えを見透かしたかのように、男は駄目押すように

「何も気にすることなんてないんですよ。あなたがボタンを押したところで、無様で醜い、かわいそうなアンドロイドがひとつ活動停止するだけなんですから」

そう言うと、顔の方向を戻し、「さあどうぞ」とばかりに首筋の丸いボタンを医師に向けた。


押すべきか、押さざるべきか――

恐らくは、これは押さずに、お引き取り願うのが、医師としては正しい。

だが――ここで押さずに帰したとして、また他の誰かと同じ事をするのではないか?

幸いここは病院だ。もし何かがあればすぐに処置をすればいい。

それに、患者の症状を正しく把握し、適切な処置へ導くもの、医師の役目だ。

なら――


いいさ、そこまで言うのなら押してやる。

医師は、恐る恐る指を男の首筋に伸ばし――


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