Monday again
7月16日
起きたら、真っ白な部屋にいた。
口が動かない。
誰も呼べないのがとても怖かった。
なんで、どうして。ママ、パパ、どこにいるの。
ベッドから出ようとしたけど、手も足も自由に動かせなかった。
黒い紐が巻き付いていたんだ。
しばらくすると知らない女の人が来て”いい子でいたらすぐに良くなるから”って言った。
部屋を見渡したけど、友達はいないみたい。
淋しいな、悲しいな。
ひとりぼっちだとこんなに悲しいんだね。
口が塞がれてて何もできない。
神様、ぼくのお願い聞いて。
早く治りますように。
早く殺せますように。
―『ジャックの日記』より
――――――――――――――――――――――――――――――――――
少年が目を覚ますと、そこはいつもの寝室ではなかった。
白い壁と天井の部屋で、明らかに少年の部屋とは大違いだ。
玩具も何もない殺風景な部屋、白いベッドに寝かされている少年の横には白い机がある。しかし、机の上には日記と筆記用具があるのみで、他には何もない。
少年の体は管に繋がれ、手足をベッドに繋がれている状態だ。安静にしなければならないのだが、幼い脳ではそれが理解できなかった。
少年は驚いて声を上げようとした。
”パパ、ママ”
”ここはどこ”
”誰か助けて”
今にも泣き出しそうな少年の声は誰にも届かず、訴えは全て唸り声に変わった。少年の口は塞がれているのだ。
口を覆っている物を取り外そうと手を伸ばすと、もう少しの所で手が届かない。足と比べて余裕のある手の拘束だが、必要最低限に動かせるだけの長さしかないのだ。
少年の心拍数はトクトクと早く鳴った。
すると、白い扉の向こうから音が聞こえてきた。誰かが近付いてくる足音だ。
少年はこの足音が両親のどちらか、若しくは両方である事を願った。こんな部屋から出たかったのだ。
しかし、少年の願いは砕かれてしまう。部屋に入ってきたのは看護師だったのだ。
看護師は少年に優しく笑いかけ、軽く挨拶をして話し始めた。少年は起き上がる事も出来ないので、頭だけ看護師に向けている。
「はじめまして、これからよろしくね」
「君は良くない事をしたからここへ連れて来られたんだけど……よく分かってなさそうだね」
困ったように笑う看護師は、机の上に置かれた日記を指して続ける。
「あれ、君の大切な日記なんでしょ?お母さんから聞いたよ。ここに来る原因もあの日記だけどね」
少年は全く理解出来ていないのか、身じろぎ一つせず話を聞いている。とは言え、口を塞がれているので反論も質問も出来ない。彼の心情は誰にも理解されないだろう。
「あ、そうそう。君はその怪我が治るまでは話せないから、私を呼ぶときはそのボタンを押してね」
と、言ってベッドの枕元に置かれた一つのボタンを指差し、少年は小さく頷く。
看護師は少年に対して親し気に話しかけるものの、二人の距離は決して近くない。少年がこの部屋に運ばれた理由を知っているのなら、彼の底知れぬ不気味さを感じているだろう。
「その怪我が治るまで顔には触らないでね、口の中は酷い状態だから食事は出来ないよ。痛いだろうけど暫くは点滴で我慢してね」
それを聞いて少年は悲しそうな顔をした。それと同時に、この部屋で彼が友達を見つけられないのも納得できる。少年にとって”友達に見えてしまう物”の定義が確立されていない今、治療の為にもこの部屋には必要な物だけが置かれている状態だ。
「それじゃあ、私は行くね。痛かったり何かあったらボタン押して」
と言って、足早に部屋を出て行った。扉がゆっくり閉められると、部屋は静寂に包まれる。少年は今までにない程寂しくなった。
しかし、その寂しさも束の間、扉の外から話し声が聞こえてくる。
廊下にいるのは主治医と父親だが、少年の意識が回復している事は知らない。
「妻も私も、もうどうしていいか分からないんです」
と言って、大きなため息を吐いて話を続けた。
「あの子を自分の子供だと信じられない。今まで良い子だったのも気のせいだと思えてくるのです。私たちは何も間違っていませんし、様々な指南書を読みながらあの子を育てたのですよ?
近所の意地汚い子供なんかと遊ばせては頭が悪くなって、学校に行かせては大怪我をするらしいですね。教育に悪い物は全てあの子から遠ざけて、虫歯を予防するためにこの間まで甘いものを与えなかった!私たちは―――いや、私は最善の尽くしたというのに!それなのに……!!」
早口で語る父親の勢いに圧倒され、主治医は何も言えなくなった。
冷静になったのだろう。荒くなった息を整え平静を装ってこう付け加えた。
「そういう訳ですので、あの子はそちらへ託します。正直、私たち夫婦ではもう手に負えませんので」
疲労感のある父親の声から、あの出来事で精神的な影響を受けたのだと分かる。父親の嘆きにも近い訴えを聞き、一呼吸おいて主治医が答えた。
「……分かりました、手続きに必要な書類は後日郵送します。それらが全て認可されればジャックくんとは面会不可能となりますが―――」
「それで結構です」
「そ、そうですか……では彼を一目見てから帰られますか?」
「いいえ。アレはもう私の息子ではないので。それでは失礼します」
言葉が切れるのと同時に、一つの足音が遠ざかっていく。足音が消えた頃、大きなため息が聞こえた後に主治医が呟いた。
「厄介払い、か」
そしてゆっくりともう一つの足音も遠ざかっていった。辺りは再び静寂に包まれる。
こうして、とある少年の平穏な生活は1週間で幕を閉じた。
おかしな友達 柊 撫子 @nadsiko
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