Sunday
7月15日
今日は朝起きたら、パパの顔が目の前にあった。
大きな手でぼくの頭を撫でながら”おはよう”って。
ぼくは”おはよう”って答えた。
そして一緒にリビングに行った。
朝ごはんはベリルだった。
真っ赤な口で細く笑うベリルの顔はとても不気味だったけど、殺さなきゃって強く思ったんだ。
フォークでベリルを切り取って食べたら、やっぱりおいしい。すごく甘い。
ママが”昨日言ったでしょ、美味しいものをあげるって”と言った。
ぼくは口の周りや手の周りをベタベタにしながら殺した。
パパとママもベリルを殺した。
みんなで仲良くベリルを分け合った。
食べ終わった後、ママが”今日はいい子でいるのよ”って言ったんだ。
今日は誰に会えるんだろう。
もしかしたら誰かと新しく友達になれるかも。
そしたら殺すんだ。
―『ジャックの日記』より
――――――――――――――――――――――――――――――――――
今日も気持ちが良い天気ではあるが、家の中から少年が駆け出してくる事はなかった。まだ温かい布団から出られずにいるのだ。
体調が悪いわけではない。しかし、昨日の出来事があったからか気分はあまり良くないらしい。
少年が布団に包まったままでいると、父親が部屋に入ってきた。昨日の出来事を母親から聞いたのか、少し神妙な顔をしている。
ベッドに腰掛けた父親は、布団に埋もれている少年に優しく声をかけた。
「ジャック、起きてるか?」
暫くすると布団の中から声が聞こえる。
「起きたよ」
その声の後に布団がモゾモゾと動き、寝癖頭の少年が顔を出した。大きな欠伸をしたり、瞼を擦って目を覚まそうとしている。
父親はようやく起きた少年の頭を撫でて言った。
「おはよう、体調はどうかな?」
「おはよう。元気だよ」
「そうか、それじゃあ朝ご飯を食べよう」
「うん」
まだ寝惚けているのだろう、返事をする少年の目は半分も開いていない。
その様子を見て思わず笑みを溢したが、すぐに少年を抱き上げリビングへ向かった。
リビングでは既に母親が朝食の支度を終わらせており、三人分の食事が準備されていた。椅子には少し緊張した表情の母親が座っている。
恐らく、昨日の出来事に関しての責任や叱りすぎた事を悔いているのだろう。手を組み、親指を落ち着きなく回している。
暫くして、父親と少年が降りてきた。二人ともパジャマ姿で寝癖がついたままだ。そのままの足取りでリビングまで来た二人に、母親は何でもないような素振りで挨拶した。
「おはよう、お寝坊さんたち」
寝坊助の二人は揃って欠伸混じりに言った。
「おはよう」
そんな二人を見た母親は自然と笑顔になり、明るい声色で二人にこう言った。
「ほら、早く座って」
父親は少年を椅子に座らせ、自分も椅子に座る。そして、テーブルに置かれた朝食に二人は驚いた。
少年は大きな瞳をパチパチと開いて驚いている。勿論、すぐに笑顔となった。
テーブルの中央には大きな皿に乗せられたベリーパイがあり、それぞれのお皿に一切れずつ置かれている。
「凄く美味しそうだなぁ、こんな朝食は初めてだ」
父親は嬉しそうに笑う。
「たまには良いでしょう?自信作なの」
と母親は自慢気に話す。それから続けてこう言った。
「さぁ、食べましょう」
少年はとても嬉しかった。家族でベリーパイを分け合って食べる事で、昨日の行動は間違っていなかったと認められたと思ったからだ。
彼の目には“ベリル”という友達をナイフで切り分け、フォークで一口分を突き刺して口に運び、真っ赤なその身をよく味わう両親が写っている。
少年も両親を見習ってベリーパイにフォークを突き立て、口一杯に友達を頬張る。噛む度に甘さがどんどん広がり、少年の欲求は満たされていった。
嬉しそうにベリーパイを食べる少年を見て両親は安心し、少年にもっと食べるように促した。口の周りを赤くして食べる姿は行儀が悪いが、注意する者はいなかった。
「昨日言ったでしょ、美味しい物をあげるって」
「うん、すっごく美味しいよ!」
「それはよかった。ママ嬉しいわ」
そして二人は食事に戻る。少年の頭は食べる事だけを考えていた。
ベリーパイを食べ終えた頃、父親の携帯電話が鳴り足早にリビングから離れた。父親が電話をしている間、母親が少年に言った。
「ジャック、昨日は怒りすぎてごめんなさいね」
「いいんだよ。ぼくがわるい子だったから」
「そうね……今日は良い子でいるのよ?」
「うん!」
母親は元気に返事する少年の口の周りを丁寧に拭い、布巾は真っ赤に汚れた。とても鮮やかな赤だ。
少年が綺麗な顔になる頃、電話を終えた父親が戻ってきた。リビングを出る時とは一転して悲しそうな顔をしている事から、何かあったのだろうと母親は察した。
「すまないジャック。パパはちょっとお仕事してくるよ」
「そっか……」
「すぐに終わらせて帰ってくるから、良い子で待っててくれ」
「うん」
寂しそうな少年を見かねて、母親が口を開いた。
「……パパを見送ってきたら?」
「いいの?」
「あぁ、もちろん!来てくれたら嬉しいよ」
その返事を聞いて少年は嬉しさで顔を輝かせた。父親を見送れる事ではなく、ガレージに入れる事に喜んでいるのだ。
少年がそんな事を考えているとは思うわけもなく、父親は急いでパジャマを着替えに行く。その間、少年は今日の日記を書きに行った。
忘れない内に朝の出来事を書こうと思ったのだ。
当然ながら、少年はあまり文字を書くのが早くない為、準備を終えたのは父親が先だった。
少年の部屋まで父親が行き、それから一緒にガレージへ行った。
ガレージに着くと、少年は忙しなく周りを見渡した。知らないもので溢れていたからだ。
しかし、残念な事に友達の姿を見つける事は出来ない。工具や様々な道具類は全て収納されていた。
少年が友達を見つけられずにいると、父親から声を掛けられた。荷物を載せ、後は出勤するだけの状態だ。
「それじゃあ、また後で」
「うん。いってらっしゃい」
「良い子にしてるんだよ」
と言って返事を待たず、足早に車へ乗り込んだ。少年はガレージの後方、車とは充分な距離があるからだ。
エンジン音がしてから間もなく、車は走り去っていく。少年は車の後ろ姿に小さく手を振った。
車の姿が見えなくなった頃、何処からともなく声が聞こえた。今まで聞いたことのない高く尖った声だ。
「おい、そこのお前」
少年は周りを見渡したが、何も見つけられなかった。すると、また同じ声が聞こえる。
「こっちだ、お前の足元!」
声を頼りに足元を見ると、金属製の棚の一番下にその声の主はいた。声の通り、鋭い目が少年をじっと見ていたのだ。
にたにたと笑う口許から覗く歯もまた、性格を表すように鋭く尖っていた。彼の笑みはまるで悪魔の嘲笑にも見える。
「なぁ、お前。初めて会うよな!」
「うん……はじめまして」
少年は今までこんな態度の人間に会った事がなく、どう接するべきか分からず戸惑った。しかし、少年は同時にこうも考えた。
“友達なら彼も食べなきゃいけない”
少年にはそうする事しか知らない。医師に言われた事より、今朝褒めてくれた両親を信じるのだ。
暫く考え込んでいる少年に彼は話しかける。
「そんな事よりさ、オレの頼みを聞いてくれよ」
「頼み……?」
その言葉を聞いて少年の表情は固まった。少年自身にも頼みがあるからだ。
少年の考えなどお構い無しに鋭い目付きの子供は話す。
「あの石っころみたいにさ、オレを食べてくれないか?」
少年は自分の耳を疑った。友達から“食べてくれ”と頼まれるのは記憶に新しいが、ここ数日は寧ろ止められる程だったからだ。
驚く少年をケタケタと嘲笑いながら説得を続ける。
「実はさ、昨日お前が庭でやってるの見ちゃってさぁ!突然石を飲み込み始めるんだから驚いた!」
そのままどんどんと話を進めていく。勿論、少年は理解が追い付かない状態だ。
「だからオレ思ったんだよ。あのクソ不味い石を食べれるくらいだ、きっとオレも食べられるんじゃねぇかって!」
嬉々として語っているようにも見えるが、言動からして信じ難い話振りだ。しかし、少年にとって事の真偽は必要ない。
彼には“友達を食べれば褒められる”という空想が深く根付いているからだ。
「……いいよ、君を食べてあげる。殺してあげる」
少年は少し怖かった。昨日と同じようにまた怒られるんじゃないか、両親や医師といった周囲の大人たちに迷惑をかけるんじゃないか、数分前まではそればかり考えていた。
だが、そんな心配よりも自分の感情を優先した。幼い子供の止めどない好奇心の前に、大人の価値観や常識が介入出来る隙はない。
「嬉しいなぁ。あ、そうそう。オレも弟がたくさんいるからよ、石っころの時と同じように皆飲み込んでくれよな」
後から付け足された事実はとても重要な事だが、少年は気にも留めず小さく頷いた。
そして小さな手を尖った彼へと伸ばし、最初の一口を食べた。
少年は今まで食べたことのない食感に出会った。柔らかさなど欠片もない、釘を食べているのだから仕方がないだろう。
口に一人目の“友達”を頬張っていたが、少年の口は動きを止めた。彼が口内のどこかを傷を付けてしまったらしい。
少年の口の端から一滴だけ血液が流れ出した。しかし、少年は一言も声を上げなかった。
それからずっと口の中で噛み砕こうとしたものの、幼い少年の歯で噛めるはずもなかった。
しかし、少年は口に頬張るのをやめない。
言ってしまえば、少年には彼を食べない理由など存在しないのだ。何が何でも“これ”は自分が食べる。という強い熱意の表れとも言うのだろうか。
先程まで減らず口を叩いていた声の主は、今となっては少年の口内で大人しくしている。とは言え、少年が噛む度に口内を傷つけているため、大人しくはしていないかもしれない。
静かに口を動かす少年は、ある事を思い出した。数分程前に彼が言った言葉だ。
「オレも弟がたくさんいる」
そして、彼が元いた場所を見た。するとそこには、彼とそっくりの鋭い目や白い歯がたくさん見えた。
少年は彼らを一人ずつ掴み、順番に口へ運んだ。そしてガリガリと口内は赤く、赤く削られた。
口を少しでも開けるとすぐに血が零れ出た。
彼らを噛むことも出来そうにないと分かった少年は、昨日と同じように飲み込んでしまおうと考えた。
しかし、それは阻止されてしまった。ガレージに車が戻ってきたのだ。
車が駐車されるのを黙って見つめる少年を、父親はサイドミラーで見た。
最初は絵の具かペンキだと思っていたのかもしれないが、すぐに血相を変えて車を飛び降りた。少年の口から流れる赤色は水色のパジャマを汚し、両手にはそれぞれ小さな錆びた釘が握られている。
「ジャック!何をしているんだ!」
父親は半狂乱で少年の肩を掴んで呼びかけた。少年はそれに答えようとしたが、開いた口からは言葉ではなく血に濡れた釘がボタボタと落ちてくるだけだった。
「あぁ、ジャック……どうして」
父親の声を聞いて駆けつけた母親は、少年の姿を見て嘆くように呟き地面にへたり込んだ。蒼白した母親の顔は、今にも気を失ってしまいそうだった。
そんな両親の心中を知ってか知らずか、少年は言った。
「ぼく、良い子にしてたよ」
父親は目の前の“息子”を理解出来なかった。
そして金曜日は終わった。
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