花は紅、空は青

tarotaro

転校

 放課後の教室に聞き慣れたチャイムの音が鳴り響く。耳に残るその音は以前いた学校でも同じものだった。全国共通なのかな。


「香里ちゃんまた明日ね!」


 少し丸顔でセミロングの髪型をした愛らしい女の子は、そう言いながら手を振ってくる。ブレザーの袖からちらりと覗くベージュのカーディガンが、可愛さをより一層引き立たせていた。私は精一杯の笑顔を向けるとその子は満足そうに笑って教室から出て行く。


 転校してから一週間が経った。クラスメートは休み時間に積極的に話しかけたりしてくれるけど、皆どこか遠慮がちで馴染めているとは言えない。私だけ違う制服を着てるせいかも。

転校してきたばかりでまだ新しい制服を受け取っていない私は、前の学校のセーラー服を着ている。それが余計に私を悪目立ちさせているみたいだ。


 最後のホームルームを終えて、のんびり教科書をまとめていると、クラスの子達は次々と教室を出ていき、気付いたら一人きりになっていた。


「はぁ……」


 体の力を抜いてため息を吐く。

 締め切られた窓から外に目を向けると、野球部の男の子たちが掛け声を上げながら元気に走り回っているのが見えた。


 玄関で靴を履き替えて、買ったばかりの自転車を取りに行くと、自転車置き場には絶え間なく、薄ら寒い風が地面に落ちた枯れ葉を巻き上げながら吹き込んできていた。

 学校に一つだけしかない校門をくぐり、ペダルを強く踏んで一気に加速する。校門前の一本道を同じ制服姿の生徒たちが疎らになって歩いている。


 私は自分一人だけセーラー服姿であることがなんとなく恥ずかしくなって、逃げるようにその場を走り抜けた。幸い私の家はほとんどの生徒が向かう駅とは反対方向だ。ブレザーの制服の集団に背を向けて少し走ると、すぐに生徒たちの姿は見えなくなった。



 




「お風呂のお湯が出なくなっちゃった!」


 家に帰るなり、お母さんから開口一番でそんな言葉を向けられた。

 自宅のマンションに着いて玄関のドアを開けると、お母さんがすぐに廊下の奥から顔を覗かせて、冗談のように明るく言い放つ。


「嘘でしょ!? もう壊れたの?」


 今の私にとって入浴は一番の癒しの時間なのに、そんなことを言われたら私は何を楽しみに一日を過ごせばいいんだ。


「仕方ないじゃない、出なくなっちゃったんだから。悪いけどお風呂は近くの銭湯に行ってね」


「えー……面倒臭い。お母さんはいつ行くの?」


「私はさっき入ったわよ。ちょうどシャワー浴び終わったときにお湯が出なくなっちゃったのよね」


「それお母さんが壊したんじゃん! 何とかしてよー」


「明日業者の人がなんとかしてくれるから! 今日だけ我慢しなさい」


「はぁー……」


 今日一番の深いため息をついた。引っ越してからずっとついてない日が続いてる。今年って厄年だっけ? まだ高校二年生なんだけど……。

 そもそも、今どき銭湯に行く女子高生なんて全国どこを探しても私しかいないだろう。


「ご飯もうすぐ出来るけど、どうする?」


「もちろん先に食べる」


 いやなことは後で考える事にした。







 結局外に出たのは夜の七時を回った頃になった。出来たてのご飯を美味しく頂いた後、テレビを見てのんびりしてからのことだ。


 すっかり涼しくなり日が落ちるのも早くなった今は、あたりが完全に暗くなっている。マンションから住宅街を見下ろすとそれぞれの家から明かりが漏れていた。

 まだ慣れない道をゆっくり歩いていると、スーツ姿の男の人やジャージを着た女子中学生の集団とすれ違う。

 引っ越す前まではなんとも思わなかった光景も、新しい土地ではどこか特別に思えた。坂の多い住宅街を歩きながらそんなことを考えているうちに、ブロック塀の続く一角に建つ、レトロな感じを匂わせる銭湯にたどり着く。


 中の様子も想像通りの昭和感漂う作りだった。浴槽の壁には富士山が描かれている。

 ラッキーなことに私以外にはお客さんはいない。こういう場所はおばあちゃんくらいの人が脱衣所の椅子で談笑してるイメージだったけど、そんなこともないらしい。




 中に入ると、浴室内は想像以上に静かだった。小さな水滴が落ちる音が大きく感じるほど、静寂が隅々の方まで広がる。


 体を洗い終わって湯船に浸かったところで、やっと男湯の方から人の声が聞こえてきた。さっきまで静かだった浴室内に若い声が二人分、こちら側まで響き渡る。

 ちょうどいい温度のお湯に浸かりながらその声を、軽く聞き流していると、だんだんと声に聞き覚えがあることに気が付いた。そしてすぐに私の興味を一気に引き込んでいく。


「コーイチ、最近転校してきた香里ちゃんのことどう思う?」


「どうって……それどういう意味だよ」


「そんなの言われなくても分かんだろ!」


 ドクン、と心臓が跳ね上がる。


「分かんねーよ」


「またまたー」


 からかうような口調で話す男の子がいやらしそうに笑っているのが想像できた。なのに、もう一人の方はそれきり黙ってしまい、どんな表情をしているのか分からない。


「コーイチ、お前あの子のこと好きなんだろ!」


「うるせーな、なんでそうなんだよ!」


 バシャバシャと水が弾ける音が浴室内に響く。

 声を荒げた『コーイチ』に、「分かった分かった」と笑いながら答える声。それからあっさりと、話題は教師の愚痴に変わっていった。それでも私は、顔も分からない男の子たちの話の内容に胸を波打たせていた。







 それから五分もしないうちにお風呂を上がった。ぼーっと湯船で一人考え事をしているうちにのぼせちゃったみたいだ。

 新しい下着と、家からそのまま着て来た部屋着を身につけてから、扇風機の前で火照った体を冷ます。意識しなくてもさっきの二人の会話を思い返してしまい、また心臓が跳ねた。

 前の学校では恋愛なんて無関係のものだと思ってたけど、今ならもしかしたら……

 男湯の方から、引き戸が開く音と同時に二人分の話し声が聞こえてくる。


 そうだ、二人が銭湯を出るタイミングで私も出よう。二人の運命的な出会い。それをきっかけに充実した学校生活をスタートさせるんだ–––––!

 今までしたことがなかった一大決心に、メラメラと炎のようなものが心の中で燃え上がる。


 恋人と過ごす日々って、どんな感じだろう。近いイベントは、ハロウィンにクリスマス。年が明けたら初詣もある……

 これから始まるかもしれない幸せな日々を思い浮かべてさらに胸が高鳴った。


 ひっそりと聞き耳を立てていると、男の子は着替えが早いのかその瞬間はすぐに訪れた。そっと自分の胸に手を当てて深呼吸。目の前に垂れ下がる真っ赤な暖簾が新たな人生への扉のように思えた。


 真ん中でぱっくりと裂けた布の切れ目に、制服姿の男子二人が見えるのを確かめると、私は息を止めて一気に玄関に躍り出た。


「あっ–––––!」


「えっ………」


 三人がお互いに顔を見合わせてその場に固まる。


「や、やあ。君も来てたんだね。ここにはよく来るの?」


「ううん……今日は家のお風呂が壊れちゃって。明日には直るらしいんだけど……」


 玄関で鉢合わせたクラスメートの二人に交互に目をやりながら答える。

 私のそんな返事を聞いて嬉しそうに笑う彼のメガネは、お風呂から上がったばかりの火照った、痩せ細った体から出る湯気で白く曇っている。


「実は僕ら、よくここの銭湯使ってるんだ。なんだか奇遇だね……」


「そうだね……」


 そんな話をしている私達を、玄関から一歩外に出ていた、またもやメガネをかけている小太りな男の子がニヤニヤと笑いながらこちらを見ている。

 クラスの女子から煙たがられている二人は、なにやら互いにアイコンタクトを取ると私の方に向き直った。


「じゃ、じゃあ僕達はもう行くね! また明日学校で!」


「うん」


 照れたように顔を真っ赤にした『コーイチ』君は細い腕を上げて小さく手を振ると、外の道路に出て行った。


「……はぁ」


 二つの頼りない後ろ姿を見えなくなるまで見届けてから、本日三度目の深いため息をつく。

 どうやらやっぱり、今年は厄年らしい。

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