告白

「おい! いい加減、彼女誰か教えろよ!」


 授業の合間の休み時間に、クラスメートの哲也がそう声を掛けてきた。

 うんざりとした気持ちでそれを無視していると、さらに続けて捲し立ててくる。


「ウチの学校にいるんだろ!? いいよなー、彼女がいるやつは」


 ここ数日で同じ言葉を何回聞いただろう。ついこの間、昼休みの教室で彼女とのスマホでのやり取りを覗き見されてから、ずっとこの調子だった。


「それで誰なんだ? まさかこのあいだ転校してきた二年生の子じゃないよな!?」


「……シャルロットだよ?」


「いや誰だよ。外人いねーだろ、うちの学校。しかもなんで疑問形だよ」


 一人で喋って、一人で盛り上がっている哲也に、適当に思いついた名前を言ってみたら、心地いいツッコミが返ってきた。ノリの良いやつだ。アホだけど。

 ちょっとした休み時間をそんなくだらない話で費やしていると、思っていたよりも時間は早く進み、気付いたら授業の時間になっていた。チャイムの音を聞いたクラスメートが疎らに教室に入ってくる。その中には、千恵美の姿も混じっていた。







 午後の授業中。外では朝から続く雨が、しとしとと降り続けていた。空が雨雲に覆われているせいか、教室の中はいつもより暗く感じられる。

 僕は教室の一番後ろの席から千恵美の後ろ姿をぼーっと眺めながら、数ヶ月前のことを思い返していた。彼女の部屋で、レンタルショップで借りた映画を一緒に観ていたときのことだった。


 二人掛けソファの隣に座る千恵美は、学校でのきっちりとした真面目そうな雰囲気とは打って変わって、女の子らしいクリーム色の部屋着で身を包み、少しだらけた体勢でソファに身を預けていた。


「千恵美って、家の中では全然別人だよね」


「なに? いやなの?」


「いえ。滅相も無い」


 強気な視線をこっちに向けながら言葉を返されて、反射的にそう答えてしまった。付き合いが長くなっても、僕と千恵美の力関係は変わらない。むしろ差が開いていくばかりだ。指図する側とされる側。原因は僕が煮え切らない性格だから、というだけではないだろう。


 いつも若干の上から目線で接してくる彼女。でもその分たまに見せる素直で子供っぽい一面は、どうしようもなく可愛い。

 僕は夢中になって画面に見入っている彼女に、以前から密かに抱いていた気持ちを口にしてみた。


「卒業したら、一緒に暮らさない? 結婚を前提に」


 その時、彼女は一瞬だけ驚いた顔をしたけど、すぐにあきれたように、


「出来るわけないでしょ。馬鹿なこと言わないでよ」


 と答えた。そしてまた画面に向き直ってしまう。

 冗談だと思ったのだろう。まだ未成年なのだから、当然といえば当然だ。でも、本気で考えていただけに、ちょっとだけショックだった。


 その頃の僕らは、段々と受験勉強やらで忙しくなり、少しずつ疎遠になっていた。ただでさえ一緒に過ごせない日が続いているのに、高校を卒業してしまったら、今以上に千恵美とも会えなくなる。きっと彼女はもう、別れを覚悟しているんだろう。それが余計に僕を寂しい気持ちにさせた。




 授業中の静かな教室で、淡々と進んでいく授業を聞くともなしに聞いていると、黒板の方を見つめていた千恵美が突然振り向いて、一瞬だけ目が合った。やや切れ長の彼女の目は、さりげなく僕を見ると、すぐに視線を逸らして黒板の方に向き直ってしまう。

 付き合い始めの頃は、授業中にちょっと目が合うだけで照れてしまっていたのに、今ではそれが当たり前になってきている。

 ふと外を見ると、秋の雨は少しだけ勢いを増していた。濡れた窓に溜まったしずくは、一本の線のようになって、ガラスを撫でていくのだった。

 

 最後の授業が終わり、放課後になると、クラスメートのみんなは足早に教室を出ていった。ほとんどの人は、部活も引退して受験勉強に専念している。つい最近まで放課後も教室に残り、暢気にだべっていたクラスメートたちも、さすがに焦りを感じ始めたのだろう。この時期になると、意味もなく放課後の教室に居座る人はもういなかった。


 つい最近進路が決まって、焦る必要がなくなった僕は、のんびりと荷物をまとめる。途中、またもや哲也が話しかけてきて同じ質問をしつこく繰り返されたけど、もう気にすることもない。僕は適当な理由をつけて逃げるように教室を出ると、まだ学校に残っているはずの千恵美の姿を捜した。

 幸い彼女が放課後にいく場所は限られている。僕と同様に進路の心配とは無縁の彼女は、いつも授業が終わると部活に顔を出しているのだ。おかげで見つけるのに、そんなに苦労することはなかった。







 僕は別棟にある文芸部の部室前で、彼女が出てくるのを待っていた。部活以外では立ち寄ることのないこの校舎は、暖房が効いていない上に、人気も少ないせいか、妙に寒々しく感じる。

 僕は待っている間に、何度もブレザーの内ポケットに手を当てて、彼女に見せたかったものが入っていることを確認した。


「こっちに気付かないかなー……」


 部室を覗き込んでみると、ちょうど千恵美は一年生の女の子と作文用紙を挟んで話し込んでいるようだった。なにを話しているのか分からないけど、熱心に喋っている彼女の表情は、僕といる時と少し違って見えて、なんだか新鮮に思えた……


 どのくらいそうしていたのだろう。女の子との話を終えて顔を上げた千恵美は、僕が扉の窓から覗き込んできているのに気がついて近付いてきた。僕は慌てて扉から離れる。


「……どうかしたの?」


「いや、ちょっと見せたいものがあってさ」


「今度じゃダメ? いま忙しいんだけど」


「出来れば今日中に見せたいなって……」


「……分かった、教室で待ってて。部活終わったら行くから」


 そう言ってすぐに部室の中に戻ってしまった。どうやら部活の邪魔をしたせいで機嫌を損ねてしまったらしい……







 放課後の誰もいない教室で、ここ数日で考えてきた言葉を何度も頭の中で繰り返していると、あっという間に時間は過ぎていった。ぱらぱらと外から雨音が聞こえてくる教室で待っていると、廊下の方から徐々に足音が聞こえてきた。音が大きくなるにつれて、僕の胸の鼓動も高まっていく。


 扉が開く音に振り向くと、彼女の表情はさっきよりいくらか穏やかになっているようだった。どうやらもう機嫌は直っているらしい。


「千恵美……」


「学校では名前で呼ばないでって、何回言わせるつもりなの?」


 千恵美は持っていたバッグを教卓の上に置きながらそう言うと、もの言いたげな目でこちらを見つめてくる。


「それで見せたいものってなに?」


 黒板に残っていたチョークの跡を綺麗に消しながら何気なくそう聞いてくる彼女に、僕は意を決して言葉を口にした。


「……前に、一緒に暮らそうって話したの覚えてる?」


 言いながら内ポケットに入れていた一通の封筒を取り出して千恵美に差し出す。僕の言葉を聞いて怪訝そうな顔をした彼女は、中身を見てさらに驚いた表情を見せた。


「これって……」


 中身は、地元の市役所の職員採用通知だ。大学の受験勉強をしながら、親にも内緒でこっそり受験した。


「前から決めてたんだ。もし受かったら大学に行くのやめて、就職しようって」


「……本気なの?」


「もちろん。あの時からずっと」


 千恵美は僕の返事を聞くと、渡したばかりの採用通知の紙をぎゅっと握りしめた。

 僕が言いたかったことを察したのか、千恵美は信じられないといった顔をして、目の回りを真っ赤にしながら必死に涙を堪えている。直前まで、振られるんじゃないかとずっと不安になってたけど、それも杞憂だったみたいだ。


「僕、大学に行くのやめて、働くことにしたから。だから……卒業したら一緒に暮らさな

い? 結婚を前提に」


「……後悔しない?」


「絶対にしないよ。ちえ……」


 また名前を言いそうになって、慌てて言葉を飲み込む。学校では呼び捨てしないって約束だった。僕は一度閉じた口をもう一度開いて、ゆっくりと言い直した。


「一緒に暮らそう。千恵美先生」


 僕のその言葉を合図についに堪え切れなくなったのか、千恵美はぽろぽろと涙をこぼしながら教卓のそばでうずくまってしまう。

 その拍子に教卓に置いた通勤用のバッグも床に落ちて、中に入っていた書類が散らばってしまった。その中には抜き打ちテストの原稿みたいなものもあった。


 まずは泣いている彼女を落ち着かせて。そのあとで、ほんのちょっとだけ、テストの原稿を見せてもらおう。

 いいかな……? いいよね。

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花は紅、空は青 tarotaro @tarotaro2921

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