お弁当の思い出

神原 遊

第1話 お弁当の思い出

 もしかすると、一番古いお弁当の記憶かもしれない。私は3才か4才で、保育園に通っていた。


 理由は思い出せないが、お弁当が必要だった日の朝、母にそれを伝えた。その日がお弁当の日だとは知らなかったらしい母は慌てたようだった。


 冷蔵庫をのぞき込み、母は困った様子だった。でも母は頑張って作ってくれた。お弁当箱の中身は白いご飯と、おかずの部分には卵焼きと、魚肉ソーセージをななめに切ったものを詰めてくれた。


 なんとかお弁当ができたのでほっとした。母もほっとしたことだろう。うまく切り抜けたはずだった。


 その日、保育園でお弁当を食べる時間になった。なぜその日、お弁当が必要だったのかいまだに思い出せない。私たちは園の教室の中でお弁当を食べていた。


 私は自分のお弁当が周りのそれとは違っていることを目の当たりにしていた。他の子のお弁当は、もっとたくさんのおかずが入っていた。私のおかずは卵焼きと魚肉ソーセージのみだったが、他の子達のお弁当にはたくさんの色とりどりの食材が見てとれた。


 私のお弁当をばかにする子はいなかった。でもやはり、子供ながらに劣等感を覚えずにはいられなかった。


 なぜそうなったか謎だけれど、担任の先生がみんなのお弁当から1つずつ、何かを下さいと言った。先生は自分のお弁当を忘れてしまったのだろうか。


 先生はみんなのお弁当からおかずを1つずつ食べてまわっていた。私はどきどきした。先生は、このお弁当を見てどう思うだろうか。どきどきというか、びくびくしていた。


 先生が私のところに来て、私のお弁当を見たとき、やはり一瞬あれっという顔をした。でもすぐに何事もなかったように、「ソーセージをひとつちょうだい。」と言って私のお弁当からソーセージを食べてくれた。


 ちゃんと食べてくれて良かった、と秘かに安堵した。卵焼きとソーセージしかないものだから、先生がなにかひとつでも取るのは申し訳ないと思われて、遠慮などされてしまっていたら、私は立ち直れなかったかもしれない。


 この時からだろうか。私は自分の家が貧乏なのだと確信した。それは誤解だったことは間もなく知るようになった。その後母の作るお弁当には、ちゃんと何種類ものおかずが入っていたから。他の子と比べて恥ずかしいようなお弁当は、以降食べたことはなかった。


 私はよくわかっている。誰も悪くない。母はいきなりお弁当が必要なことを知って、焦って困っていた。きっと時間もなかったはずだ。きっとあの子は、あの小さかった私は、お弁当がいることをあらかじめ伝えていなかったのだ。


 そもそも3才か4才の子が、何日にお弁当が必要だという連絡をきちんと伝えられるとも考えにくい。だから保育園からの連絡帳とか、プリントなどでお知らせはあったのかもしれないが、母は忘れてしまったのかもしれない。


 母があの時がんばって、なんとかお弁当を作ってくれたのもわかっている。まだ若くて料理もそれほどできなかった母は、その時あるもので、時間のない中で精いっぱいのものを作ってくれたのもよくわかっている。3才か4才の子供でも、誰も悪くないことがよくわかっていた。


 だけど私はこの思い出を人に語ることはできない。思い出しただけで泣けてしまってどうしようもなくなるからだ。そう、私は泣きながらこれを書いているのです。


 母にもこの時の思いを話したことはない。そんな必要は一切ない。母は何も悪くないし、すばらしい、優しい人だから。ちょっと無頓着なところはあるけれど、あんな優しい人はいないと思う。今も伝える必要はなく、当時の私も母に言わなかった。私のお弁当のおかずは少なかったとか、他の子のお弁当はもっとずっと立派だったとか、言おうとはしなかった。


 だけどいまだに、私はこの時のことを思い出すと、泣けてしまって仕方ないのだ。


 今ではちゃんとわかっている。私の家は貧乏なんかじゃなかった。普通だった。父は田舎にしては大手の勤め先で働いていた。でも30歳近い年齢の頃に転職をしたから、一時的に家計の厳しい時期があったようだ。


 その後まもなく私達一家は引っ越しをした。新築の一軒家だった。4LDKで、二人の子供の部屋もひとつずつあった。父は少々無理をしながら建てたようだった。子供ながらに、自分の家は貧乏ではないようだと安堵した。


 そんな事実をふまえても、私は心のどこかで自分の家は貧しいに違いないという思い込みを捨てきれなかった。親に欲しい物をねだることはほとんどなかった。家族で外食をする時は、値段を気にしてなるべく安いものを注文する子供だった。お小遣いをもらっても、ほとんど使わず貯金をするようになった。


 のちの私は、お金に関する思い込みで素直になれない時期が続いた。欲しいものを素直に欲しいと言えなかった。やりたいことを素直にやりたいと言えなかった。伝えても、聞いてもらえるとは思えなかった。ほとんどわがままを言わない、親にとって都合の良い子供だった気がする。


 お弁当の話からずれてしまった。お金に関することは、その後の余波的なものであり、他にもさまざまな要因があってのことだ。もう触れないでおく。


 小さな頃のお弁当の記憶が蘇ったのも最近だった。数年前からだった。それまでは、心の片隅に忘れられているような他愛ない記憶にすぎなかった。


 でも今は気付いている。やはりあの子供は不憫だったように思う。本当は恥ずかしくて、立場のない思いをしながら誰にも言えなかった。誰も悪くないとわかっていて、誰も困らせたくなくて、ショックを受けていたこともなかったことにしようとした。あの時の3才か4才の子供のことを思うと、私は涙が止まらなくなる。


 それが私の、お弁当の思い出なのです。

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お弁当の思い出 神原 遊 @kamibara

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