Dependnce

「 」

Dependnce

 静かな部屋に、ペンの走る音が木霊している。コンビニでも売っている安物の原稿用紙の上で、シンプルな黒のシャーペンが拙く揺れる。

 さらさらと調子よく進んだかと思えば、かつかつと立ち止まり、ごしごしと後退。その繰り返し。

「……はぁ~っ……」

 とうとうシャーペンは手を離れ、持ち主は向かっていた机に突っ伏した。

「進まない……」

 薄い胸の下敷きになった四百字詰めの原稿用紙は半分も埋まっておらず、右上にはサインペンででかでかと「1」と書いてある。繰り返し消しゴムをかけられた紙面にはシワができ、消しきれなかったシャーペンの黒がみっともなくぶちまけられていた。

 このまま眼を閉じて仮眠してしまおうかと思うのと同時に、軽快な音楽が鳴った。しばらく無視するが止まる気配がないので、仕方なくスマートフォンを手に取る。画面の表示には、「とがお」と。

「もしも~し……」

「白遅い! ワンコール以内に出る!」

「無理だよ……」

 電話をとるやけたたましく響いたボイスに思わず耳を遠ざける。

「まぁいいか。な、今度の日曜ヒマ?」

「えぇ? 何で」

 とがおこと冬雅とは、大学時代に無理やり連れて行かれた合コンで顔を合わせ、以来何かと世話を焼かれている関係だ。向こう曰く白の幸が薄そうだからとか放っておくとあぶなっかしいからだとか。

 悪い人間でないことはわかっているしそれなりに仲も良いが、きっかけがきっかけだし何かと軽いので彼の誘いとなるとやや警戒心が出る。

「聞いて驚け。日曜の昼、ウチでお前の大好きな人がサイン会を……」

「ホント!? 行く!」

「はっや」

 電話の向こうで冬雅が引いている。何を今さら。今に始まったことでもあるまい。ちなみに「ウチで」と言っていたが、冬雅は白の自宅から二駅いったところの本屋で働いている。

「んー、やっぱ持つべきは書店員の知り合いだね……」

「あー、じゃあ後で詳しい日時メールしとくわ」

「おっけー! じゃ!」

「は!? ちょっ、まっ、せめて礼の一つくらい……」

 プチッ。

 白は通話を切った。それはもう嬉々とした顔で。

 冬雅の言う「白の大好きな人」とは、とある大人気ラブコメ作家のことだ。

「こんなときは~、っと……」

 机から起き上がるなり、白は汚くなった原稿を引っ掴むと一気に丸めた。椅子から立ち上がり様にゴミ箱へスロー。縁に命中。そのままバウンドして床へ。

 黙ってゴミ箱へ歩み寄り、紙を拾い上げてゴミ箱に突っ込む。

 一息を吐き、改めて机と反対側の壁に向き直る。そこには、壁一面を覆い尽くす本棚が立ち並んでいる。見る限り本棚に空いているスペースはなく、様々な本が所狭しと、それでいて几帳面に整然と詰められていた。

 本の並べ方は人それぞれ違ったりするものだが、ここの本は作家別に纏められている。本棚に人差し指を添えて、背表紙を追っていく。一冊の本に狙いを定め、本棚から抜き出した。

 著者、「ざおりく」。

「最近この子読んでなかったなぁ……」

 大人気ラブコメ作家こと、ざおりく。長編に短編、連載に読み切りと幅広く書く有名作家だ。白は出版本全てを予約購入する程のファンで、読み返しも何度もしている。

 元より本が好きな白だったが、ファンタジーや推理物が殆どで、ラブコメに手を出すことはなかった。それ自体は今も変わらない。

 しかし、ざおりくだけは違った。ざおりくの文からは、決して仕事で書いているという気風を感じなかったのだ。あくまでも自分の好きなものを、自分の好きなように表現し、それを以て評価を得ている。それが、売れないファンタジー作家の白の目にはとても輝いて見えていた。

 短編の文庫が半分まで進んだ頃。机に放ったままのスマホが音を立てた。どうせ冬雅からだろうとあたりをつけ、読書に集中したい白は、それを敢えて無視する。程なくして、着信音は勝手に切れた。

 文庫を読み終わり、次の本に行こうかと腰を上げたところで、再び着信音。今度はなかなか止まらない。

 白はスマホを手にし、受信アイコンをタップした。

「あーもう何!? 感謝してるし、売り上げ貢献するし、ギブアンドテイクでしょ! いいから早く詳細メール送ってよね!」

 と、電話口に捲し立てる。白にとって、読書の時間を邪魔される以上に不快なことはない。

「え~っと……随分、溜まってます……?」

 白の声じゃない。だが冬雅の声でもなかった。

「……」

 白は、恐る恐るスマホの画面を見直す。表示されている通話相手の名前は「冬雅」ではなく「竹宮さん」。紛れもない、白の担当編集者の名前。

「ご、ごごごっ……………めんなさいッッ!!」

 白は通話画面越しに土下座し、全力で謝罪の一言を叫んだ。

「あはは、大丈夫ですよー」

 朗らかな声が優しく応答した。外ハネのショートヘアーが特徴的な竹宮は、執筆も売り上げも伸び悩んでいる白の良き理解者だ。あまりの売れなさに社との契約を切られそうになっていた白を助けてくれた恩人でもある。

「もしかして、さっきの不在着信も……」

「あ、それたぶん私ですね」

「ごめんなさいッ!!」

「白さんのことだし読書中かと思ったので切りましたが、ご迷惑じゃなかったですか?」

「いえ全然!!」

 金銭的にも日々の生活がギリギリな白はとことん竹宮に助けられており、何かと頭が上がらないのが現実だ。不定期にでも小説を出していなければただのヒモと言っても過言ではあるまい。

「えと、それで、何かご用です?」

「っとそうだった。空白さんに、雑誌の取材依頼がきてるんです」

 空白、とは白のペンネームだ。これといった思い入れもない。信念もなしにただ盲目的に小説家になった自分を皮肉った名付けではある。

「雑誌? 私に?」

「はい」

「なんでまた私なんぞに……まぁ、どうせ暇人ですし、名前を売るチャンスならお受けしますが」

「了解しました。詳細は追ってメールさせて頂きますね。お楽しみにしていてください」

「はぁ。……楽しみに……?」

 白が聞き返すより早く、竹宮は通話を切っていた。


 竹宮から送られたメールでは、土曜の午後四時から二時間程度の取材を予定しているとのことだった。白は言われた通りの時間に言われた通りの喫茶店へと向かう。

「敷居高っ……」

 いかにもお高そうなシャレオツ喫茶に、白は思わずたじろぐ。心許ない財布のお金じゃコーヒーが限界かもしれない。

 そうも言ってられず、白は一つ深呼吸して店内へ踏み入れた。

 店内の広さはそこそこで、時間のためか客足はそう多くない。ハーフエプロンを身に付けた柔和な顔つきの男性がカウンターの奥でグラスを拭いている様子はいかにも純喫茶、という雰囲気だった。

「失礼ですが、空白様でしょうか?」

「え……あ、は、はい、そうですけど……」

 急に横から話しかけられ、少しどもりながらも答える。対人会話スキルゼロの身からすると控えめに言って心臓が破裂しそうになった。

「お待ちしておりました。お連れ様はあちらに」

 そう言って若い男性店員が示したのは、店の一番奥の四人がけのボックス席だ。既に二人が席についているのが見える。てかこんなことリアルにあるのか。ドラマとか創作の世界だけのやり取りだと思ってたよ、お連れ様はあちら、って。

 白はそそくさとボックス席に近付いた。二人の内、片方は雑誌記者と思われるラフな格好をした男。眼鏡をかけており、手元でペンを弄んでいる。もう一人はこちらに背を向けて座っているため人相はわからないが、長い黒髪からして女性だろう。

 ボックス席へたどり着いた白に、男性が女性の隣に座るようジェスチャーした。おとなしくそれに従い、白はソファ席に腰かける。

 やっと落ち着いた白は、なんとなく気になって隣に座る女性の顔を窺った。

「って……」

 直後。

「えぇぇぇぇぇぇッ!!?」

 ようやっと落ち着いたばかりの腰を再び持ち上げ、ボックス席から飛び上がっていた。

 何故なら、窺ったその顔に見覚えがあったから。いや、見覚えなんてレベルではない。だって、それは、憧れの人そのものなのだから。

「ざ……ざおりく……さん……?」

「はい。初めまして……ではないですよね、空白さん」

 バレてる……!

 超がつく程の売れっ子たるざおりくは至るところでサイン会やら握手会やらと露出が多い。全部とは言えないが極力参加するようにしている白は、至近距離での接触はこれで十二度目くらい。流石に顔を覚えられてしまっているようだった。

「ひ、人違いじゃないデスカネ」

「じゃあ、明日のサイン会ではあなたの顔が見れないみたいですね」

「い、いえ、行きます! ……あ」

 自分から認めてどうする。

「時間もないですし、取材、済ませちゃいましょう」

 くすくすと笑ったざおりくが白を席に促した。

 白が席に座り直すと、にこにこと様子を見守っていた記者の男性がボイスレコーダーと思わしきものを取り出し始めた。

「それじゃ取材の方、始めさせて頂きます。いくつか質問しますので、どうぞ気楽に、ご自由にお答えください。記事にするために録音もしますが、ご了承ください」

「あ、ま、待ってください!」

「どうかしましたか?」

「えと、なんで私なんでしょうか? こんな売れてない作家のインタビューなんて、誰も興味ないと思うんですけど……」

 素直な疑問だった。竹宮にはあまり気にするなと言われていた白だったが、憧れのざおりくが同席となるともう訊かずにはいられなかった。

「私が頼んだんです。取材するなら空白さんと一緒がいい、って」

「え、えぇ? どうして……」

「後でわかりますよ」

 丸め込まれた白は、もう何を言うこともできなかった。男性が、では、と切り出す。

「まず最初にお二方が作家を目指した理由を聞かせて頂けますか?」

 と白を見て言うので、白は精一杯「空白」になりながら答えた。

「これといった理由は、ないです。昔から本を読むのは好きだったんですけど、本当にそれだけで。特に信念とか目標とかもなくて、ただ字を書いていたいな、って思って作家になりました」

 白の独白に、男性は興味深そうに頷いた。

「私には、何もない。気概も何も。だから“空白”なんです。私の文は薄っぺらくて、何も籠ってない」

「そんなことないですよ」

 そう遮ったのは、ざおりくだった。

「私が作家を目指したのは、空白さんの作品を読んでからなんです。本は嫌いじゃなかったけど、沢山読む方ではなくて……でも、空白さんの書くファンタジーを読んで感動しました。キャラクター一人一人がきちんと生きていて、こう……本当に別の世界に来ちゃったみたいな感覚までして」

 眼を爛々と輝かせてそう語る姿は、白にはいっそ子供のようにも見えていた。あまりの語り様に、自分のことを言われているなどという感覚は消え失せていたが。

「この人みたいになりたい。この人みたいな文を書きたい。そういう……憧れ? それが、私が作家を目指した理由です。最初は私もファンタジーを書こうとしてたんですけど、どうも苦手で、こうしてラブコメばっかり書いちゃってますけどね」

 あはは、と自嘲気味の笑いを溢したざおりく。白はその言葉たちを頭で整理するのでいっぱいいっぱいになっていた。

「なるほど。では、今回の取材で空白さんを指名したのも?」

「恩返し……とは違いますけど、こんなファンもいるんですよー、って知って欲しかったのが一つです」

「そ、そんな畏れ多いですよ!」

 白が顔の前で手をぶんぶんと振ると、記者の矛先が今度は白に向かった。

「空白さんは、誰か目標にしてたり、憧れてる作家さんはいらっしゃらないんですか?」

「ッ!?」

 この流れでそれを聞くか。ざおりくはにこにこと白の顔を見る。

「……その……ざおりくさんです」

「ほう! お二方両想いじゃないですか!」

 女同士だから。その表現は語弊が起こるから。

「憧れっていうか、ぶっちゃけファンで……サイン会とかよく行かせてもらってます」

「先ほど『初めましてではない』って言ってたのはそういうことだったんですねぇ」

 なんかこの記者、ちょっとムカついてきたな。

「空白さんは以前一度だけラブコメを書いたことがありますよね? もしかして、その動機って……」

「あ、はい、ざおりくさんです。やっぱ、憧れ、ですし……同じ題で書けば、近付ける気がして」

「なにそれ私知らないです」

 書店員の知り合いがいる白の方が情報力では上だった。

「どこに行けば! どこに行けばありますかそれ!」

「いや、あまりにも売れないもんだからもう絶版でどこにも置いてないと思いますよ……」

「うっそぉ……」

 ごつん、とテーブルに額をぶつけて一言。

 雑誌取材は、その後も滞りなく行われた。


 予定通り二時間取材を受け、午後六時に白は帰路につこうとした。しかしざおりくは、足早に立ち去ろうとする白を呼び止める。

「時間も時間ですし、もしよかったらご飯食べに行きません?」

「え、いやぁ……」

「私も金持ちじゃないんで、高いとこには行きませんよ。ラーメンとかどうです?」

「じゃあ……行きます」

 いやいやお金はあるでしょ。と思いつつ、白はざおりくの横に並び立つのであった。


 女二人、カウンター席で並んでラーメンを啜るという絵面は言わずもがな風情に欠けるもので。店主の反応を見るにざおりくはそれなりに常連らしく、普段食事はインスタントか栄養補助食品か竹宮のまかないでしか取らない白はガヤガヤと騒がしい店内でも萎縮気味だった。

「あの……」

 切り出したのは白だ。

「はい?」

「ざおりくさんが作家を目指したのは私の小説が理由、って……」

「本当ですよ」

 きっぱりと、ざおりくは答えた。

「やっぱ……実感沸かないです」

「どうして?」

 メンマを二つ口に放り込む白にざおりくが問うた。

「そりゃ……あのざおりくさんが私なんかを」

「ミコト」

「へっ?」

「命、って書いてミコト。私の名前です。ペンネーム呼びはちょっと気恥ずかしいので」

「あ……あ、えと、私は、シロ……色の、白です。呼び方は……好きに呼んでください」

「わかりました、白さん」

 そう楽しそうに自分の名前を呼ぶ憧れの人に、白は表現の難しい気恥ずかしさを感じ、勢いよく麺を啜って誤魔化そうとした。

「あっつ!!」

 尚、白は猫舌である。

「おもしろい人ですね、白さんって」

「えぇ?」

「小説読みながら、ずっと思ってたんです。こんなおもしろい世界を頭の中に浮かべられるんだから、すごくおもしろい人なんだろうなぁって」

「何ですかその解釈のしかた」

 白は、(震え声、と語尾に付けて返した。

「とにかく、白さんがいなかったら私は書き手してませんからね。白さんいてこその私なんで、私は白さんから離れられませんよ」

 朗らかに言い、中太の縮れ麺を持ち上げる命。

「私も、ざおり……命さんがいなかったら、今も書き手は続けてなかったと思います」

 白の言葉に、命はレンゲに乗せて口に運びかけた味玉の動きを止めた。白の顔を見て、無言で続きを促している。

「何度も言っているように、私の小説は全然売れてなくて、出版社や担当さんにはいつも迷惑をかけてばかりなんです。絵描きの方が有志で挿し絵なんかを描いてくださるときもあるんですが、それも使わず仕舞いで申し訳ないし」

 白は、コップのぬるい水をぐいと飲み干した。

「やめちゃおっかな、って、何度も考えました。趣味の延長くらいの気持ちで携わってちゃいけないんだ、って」

 厚切りのチャーシューにかぶりつく。

「そんなときに、命さんの作品を知ったんです。私書店員の知り合いがいるんですけど、その人が、これオススメだから読んでみろ、って。正直ラブコメとか興味なくて……本人の前で失礼ですが、時間潰しくらいの感覚で読んだんです。けど、そんな考えすぐに吹っ飛びました」

 命がポットからコップに水を注ぐので、白はありがたくそれを受けとる。

「こう……なんていうか……一文字一文字がキラキラして見えて、読んでてすごく楽しかったです。今まで読んだ、どんなファンタジーの、どんな世界観よりも。どんなサスペンスの、どんなトリックよりも。おもしろいっていうより、とにかく楽しかったんです」

 そう言って白は命を見るが、当の命は肩を竦めて頭を掻いていた。

「やー、そこまで言われると恥ずかしいですね……」

「お互い様です」

 喫茶店で記者相手に語られた恥ずかしさを忘れてはいなかった。ちょっとした復讐である。

「まぁ、なんというか……私こそ、命さんがいてこその私なんです。命さんがいなかったら今の私はありません。私も、命さんからは離れられそうにないです」

 そう語りかけた白に、命はにこりと笑い返した。

「案外、似た者同士かもですね、私たち」

「ですね」

 交わし、一頻り笑い合う。いつの間にやら気が楽になっていた白は、思いきって口を開いた。

「あのっ、命さん」

「はい?」

「その……もし、よろしかったら……これからも、こうしてお話させて頂けませんか?」

「それって……」

「えと……だから……と、友達! ……に、なって、ください、ません……か……?」

 尻すぼみになっていく言葉を、命は真っ正面から受け止めた。

 箸を置き、白の手を取り――

「いいんですか!? むしろ私からお願いしたいです!」

「へっ、あっ、えっ?」

 急な勢いに、白は思わずたじろぐ。

「連絡できないと何かと不便ですし、メアドと番号……あ、ツイッターってやってないんですか?」

「えと、趣味用のアカウントなら……」

「教えてください! フォローするんで!」

「は、はいっ」

 命の勢いに気圧された白は、わたわたとスマホを取り出して操作する。その慌ただしさの中にも確かな楽しさを感じ、白の頬は自然と緩んでいた。


 翌日曜日の命のサイン会はつつがなく開催され、白は命の謎のサービス精神により握手までされていた。続く数週間の内でも、二人は時間を見付けては会い、一緒に出かけた。

 半ば強引に相互フォローしたツイッターでもよくやりとりをし、白としては売れっ子作家の公式アカウントで特定の人物と会話を続けていて大丈夫なのか心配になったのだが、よくよく見てみると命は他にも沢山の作家とよくやりとりをしていたようで、その心配は杞憂に終わった。

 しかし、そんな命を見て、白の胸の内には安堵とは違う、何かもやついた感情が少しずつ残っていった。

 一ヵ月と半月ほどが経過したある日。白は命の誘いでとある居酒屋にいた。命曰く、新刊の執筆に行き詰まっているから相談に乗ってほしいとのことであった。

 最初こそ表現方法や文法、熟語の取捨選択に花を咲かせた真面目な作家同士の論争だったが徐々に酒が入るとそうもいかなくなり、二時間もすると徐々に店員の視線が痛くなり始めたので二人は店を後にした。

「お、ざおりくさんじゃないですか!」

 聞こえたのは、男性の声だ。

「あ、坪井さん」

「坪井……?」

 視線をやった白が見たのは、三十代半ばほどのメガネをかけた男性だった。

「え……坪井、って……あの坪井さん……?」

 白の記憶が正しければ、目の前の男性は坪井亮太朗。実写ドラマ化もされている推理ラブストーリー作家の代表格である。

「奇偶ですねぇ。ん、そちらは?」

「あ、この人は……」

 坪井と命に視線を向けられ、白の心拍は急激に上昇した。

「え、あ、あの、私っ、く……うはく、って言いま、す」

「空白さん……? あぁ、ざおりくさんのお気に入りの!」

「ちょっ、坪井さん! 本人前にしてそう言います!?」

 止めに入る命に、坪井は軽く笑って返す。どうやら二人は仲が良いようだった。そういえば、と白は思い出す。命がやり取りしていた有名作家の中に、坪井のアカウントもあったのだ。

 そのことに気付いた白は、胸の内に何やら黒い靄がかかるのを感じた。

「お二人がご一緒のときに会えたのも何かの縁です。近くにオススメの店があるんですけど、ご一緒して頂けませんか?」

「あ、いいですね! 坪井さんのオススメ、興味あります!」

 和やかに勧める坪井に、命が首を縦に振った。

「あのっ!」

 急に大きな声を出した白に、命と坪井はぎょっと目を剥いて白を見た。その二人の様子に更に萎縮しながら、白はそっと控えめに命の腕を掴んだ。

「その……今はっ、私が……みこ……ざおりくさん、を、借りてる、ので……。できれば、私は……ざおりくさんと、二人が、いい……で、す」

 声は小さく、たどたどしい言葉だった。だがそれを聞いた坪井は、困ったように、それでいておもしろそうに笑った。

「いやぁ、敵いませんね。自分も一度空白さんとお話してみたかったんですが、それはまた今度にすることにします」

 坪井は命の傍に寄ると、恐らくわざと白に聞こえるように、

「良かったですね」

 と呟いた。

「ちょっ、からかわないでくださいよー!」

「では、自分はこれで」

 掴みかかろうとする命の腕をすり抜け、坪井は軽い足取りでその場を去っていった。嘆息しながら頭を掻く命の頬は、ほんのりと赤くなっていた。

「えと……すいません……」

「ん?」

「私の勝手でお邪魔……しちゃって。ごめんなさい」

 今更になって恐怖が勝り、白は謝罪を口にした。それを受けて、命はくすくすと笑う。

「いいんですよ。私は、白さん最優先ですから。気にしないでください」

「でもぉ……」

「大丈夫ですって。私も内心断ろうか迷ってましたし」

「えっ? 仲……よろしくないんですか?」

「んー、良い方だとは思いますよ。でもそれより、今は私も、白さんと二人きりがよかったんで」

 にこりと微笑みかける命に、白は何故か顔が熱くなるのを感じた。ややつっかえながらも、白は懸命に言葉を探す。

「やっぱり……まだ、実感湧かないです。あの命さんが……あのざおりくさんが、私なんかとこうしてお話してくれるなんて。ずっと……雲の上の存在だと思ってたから……」

 明るい夜道を歩きながら、白はぽつぽつと言葉を溢した。

「私が、こうして関わってていいのかな……とか。命さんの邪魔になってないかな……とか。いろいろ考えちゃって」

 不意に白の手に何かが触れるのを感じた。驚いて見てみると、命が労るように白の手をとっている。

「白さん、私たちズッ友ですよ! もっと寄り添いましょ? 私に」

 ズッ友はもう死語ではないのか。

 そう思った白だったが、それ以上に命の優しさに胸を打たれていた。

 白は命の手をとり返し、

「ズッ友……寄り添うぅ……」

 と弱々しく呟きながら命の腕にぴったりとくっついた。

 白の様子を見た命が小さく笑いながら口を開く。

「前にも言いましたが、白さんあっての私です。私は白さんから離れません。だからもっと、遠慮なく求めてもらって大丈夫ですよ。むしろその方が嬉しいです」

「……私の方が年上のはずなんだけど……。そこまで言われたら、もう離しませんよ? 後悔しても知りませんから」

「はいっ。ちゃんと掴まえて、離さないでくださいね」

「命さんこそ、勝手に離れていかないでくださいよ」

 手を繋いだ二人は、どちらからともなく歩き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dependnce 「 」 @mhcp002

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る