昔のこと、今のこと、これからのこと
「え。あの猫、猫じゃないんですか」
「うん、あれでも立派な天使なんだってさー。もっとも仕事してるところなんて見たことないけど」
「そういえばあの電話は? 先ほどサーチしたところ、僕の製造社はこの世界にはないようですが」
「あれは……。なんだっけ、確か亀を助けたお礼に貰ったんだっけ。番号の分かるところなら文字通りどこにいてもどこにでも繋がる優れモノだよ」
「何故そんあ優れモノの出所を忘れるんですか……」
「しょーがないじゃん、基本酔ってる時にしか会わないんだもの」
「ここ二○十八年なんですか⁉ もう○○○○年も前……、ってなんですかこれ声が」
「時航法による制限でしょ。脳に直接ルールが叩き込まれてるなら、法に則って言語野が制限されるのも当然って感じかな」
「……ご主人、あなた何者なんです」
胡乱げな目で見つめてくる彼。悩ましげな八の字がまた可愛らしくて、これが女の子だったらなあと再び残念な気持ちが沸き上がりそうになる。
「そんなに特異なもんでもないよ。ただの寺生まれの一般人」
霊能者の間に生まれたはずのあたしは、そのじつなんの能力もなく産まれてきた。最強の霊能力者を作る予定だった両親には深く失望され、ほとんどいなかったもの扱いされながら幼少期を過ごした。もっともしがらみもなく過ごさせてくれた両親には感謝しかない、というのがあたし目線の感想。そのまま大学受験まで順調に進み、一人暮らしを始めるまで、あたしは間違いなく普通の一般人となんら変わりなかった。そこまでは。
呑み会ごとに妙な置物が増えていくのは気になってはいたけど、そんなこともあるかと過ごしていた。気づいたのは、大学二年目の、二十歳になってはじめての冬。狙いを付けていた彼女にフラれ、凍えそうな部屋で酒を入れながら一人さめざめと泣いていた時だった。部屋に置いてあったトーテム像が楽しそうにリンボーダンスを始めた。それが始まり。
そこから様々な体験をしてきた結果知ったのは。どうもあたしは、深く酔えば酔うほどに違う世界への境界線を渡る能力を持っているのだ、ということ。そりゃあ幼少期には分からないわけである。今のところそれほど大きな問題は起きていないので、両親にはこのことは報告していない。なにか起きてから泣きつけばいいか、くらいの軽い気持ちだ。
むしろ良いことはいくつかあって、例えばそれまで家には固定電話はなかったけれど前述した黒電話が手に入ったり、ミケやリンボーのような同居人が手に入ったり。それと大きな案件が起こるたびに、酒呑み相手が増えていくのだ。流石世界が違うだけあって一癖も二癖もある連中だが、酒を交わせばみないい呑み仲間である。
「しかし、んー」
「どうしたんですかご主人」
「いや、君の格好なんだけどさ。そりゃあたしは少女みたいな女性が好きだけど、自分の好みがそんなに幼かったっけなー、と思って」
最初に説明を受けたときから疑問だったのだ。幸いにも法令に引っかかりそうな相手に欲情したことは今のところない。だとすればこれはどういうことだろうか。
「ご主人の潜在的意識から抽出されている姿ですから、性差に多少の違いはあれ、大幅にズレている、ということはないと思いますが」
「んんん……」
「一応ご主人が一番好きな像なはずです」
好きな……。好きな像?
「……ああ、なるほど分かった。うん、間違ってないね。それは間違いなくあたしの望んだ姿で、君はあたしの中身から生まれたんで間違ってない」
「ならよかった」
「ところで君の名前、聞いてないわけだけど。多分商品だから、あたしがつけるんでいいんだよね?」
「一応識別番号はありますが、ご主人の手ずからつけてもらえるのであれば僕にとっても嬉しいですね」
「うんうん。じゃあ、アイってので」
「アイ、ですか。分かりました」
アイ。あるいはI。わたし。
久しぶりに実家に連絡してみようと思った。あたしの古着、まだ残ってるかな。
境界歩きの千鳥足 大村あたる @oomuraataru
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