青い桜と信号機

成井露丸

青い桜と信号機

 君の上空で信号機が青い光を放っている。いつもと逆方向を向いて。


 信号の青色は「安全だ」とか「進んで良い」って意味を表す。でも、それがクルリと回って逆方向を向いていたら、一体何の意味を表すのだろうか。「戻って良い」だったりするのだろうか。川沿いの道に立つ信号機は、昨日の台風でクルリと回って、見事に逆方向を向いていた。車道でも何でもない河原の上空で、青色の光を放っている。


 僕は、そんな滑稽で後ろ向きレトロスペクティブな青信号の下に、制服姿の君を見つけた。ずっと大好きだった君の横顔。耳に掛けられた栗色の長い髪。そこから覗く色の白いうなじ。河原へ下る途中、芝生の上のベンチに、君は膝の上に頬杖をついて、腰掛けていた。


 台風一過。

 僕らの街に一つだけあるその大きな河は、いつもの倍の水嵩でドゥドゥと褐色の濁流を踊らせている。昇り始めた朝の光がそんな川面に乱反射していた。

 僕は足を止めて、両耳を塞いでいたブルートゥースのヘッドホンに両手を掛けて、開く。まだ、湿気に満ちたアスファルトの上で、母の好きな徳永英明の曲――「レイニーブルー」がゆっくりとフェードアウトしていった。


「何してるの?」

 僕が声を掛けると君は頬杖のまま振り返って、複雑な表情を浮かべる。

「そっちこそ、何してるのよ?」

 首を傾げる君に、僕は肩を竦めた。桜の木を見に来たのだ。でも、理由を聞かれたら、その説明にも手間取るので「何でもないよ」と返した。


 僕は君の隣に辿り着くと「いいかな?」と尋ねて、君の返事も待たずにベンチの上に鞄を置いた。君はその身体に自身の鞄を引き寄せながら、僕の顔を上目遣いに見上げる。冗談めかした恨み顔。懐かしい君との距離感だ。


「何、聴いてたの?」

 君の視線が僕の首元、ブルートゥースの黒いヘッドホンに留まっていた。僕はその首輪を無造作に外すと、鞄の上に放り投げた。

「レイニーブルー。徳永英明。――知ってる?」

「あ〜。おばさんの好きな曲ね? 雨の日にピッタリって曲よね」

 そう言いながら君は微笑んで「雨は止んでるけどね」と両手の平を胸の前で天に広げて見せた。そういえば、君は僕の母親とも仲良しだったっけ。


 君の微笑みの向こう側。この河原の象徴だった枝垂れ桜の大木が、根本から無残に折られ、青々とした夏の葉を茂らせたまま地面の上に横たわっていた。結局、この枝垂れ桜には、僕の願いを最後まで聞いては貰えなかった訳だ。


 昨日の午後から夜中に掛けて、驚異的な風速を伴った台風がこの街を襲った。

 高校は暴風警報の発令を受けて早々に休校を決めたから、僕たちは皆、家の中に閉じこもって台風が過ぎ去るのを待った。ニュースは三十年ぶりの暴風だと警鐘を鳴らし、母親はいざという時の為にお風呂に水を貯め、妹はリュックサックに非常食とラジオを入れていた。僕は「大げさだよ」と嘲笑っていたけど、間違っていたのは僕の方だった。面目ない。

 強烈な台風は、僕の勉強部屋の窓ガラスが外れそうな程にそれをガタガタと揺らし、二階の屋根瓦を十枚ほど奪っていった。庭のヒマラヤスギは腰の辺りで無残に折られ、午後四時頃からは電気が完全に止まった。テレビの放送やツイッターのタイムラインで流れてくる情報は、もはや、世紀末さながらだった。パニック映画のような高波に、海に沈む国際空港、山は削られ、風力発電機はへし折られていた。

 台風が北の海に抜けて、今朝になってようやく、その暴力に蹂躙された世界へと僕は足を踏み入れた。道に出ると、近所の人達が、散らかった樹々や落ち葉、小石やゴミを箒で掃いて、倒れた植木鉢や、落ちた屋根瓦を回収していた。

 街に出ると、台風が連れてきた混沌が、これまた冗談のような景色を見せるのだった。道沿いの手摺は倒れ、小売店の看板が百メートル離れた駐車場まで出張し、信号機や標識は強風で向きを変えられてあらぬ方向を向いていた。

 そんな一時の混沌も、数日もすれば、多くの人々の懸命な努力によって、全て元通りに直されるのだろう。ありがたい話だ。そして、その帰結として、また何も変わらない日常がやってくる。

 それでもどこかで、僕はこれまでの世界の秩序は破壊されたのだという印象を持たずにはいられなかったし、その印象が現実であって欲しいと思った。台風により過去の秩序は破壊され、今日から新たな秩序が創造されるのだ。それなら僕はノアの方舟に乗れるのだろうか。


 君の横に僕は腰を下ろした。頭上には逆方向を向いた信号機がずっと青色の光を点灯させている。信号制御もおかしくなっているのだ。でも、今日はそのままずっと青でいいよ。青でいい。


「なぁに? 付き合ってくれなくても良いのよ?」

 僕の方を見向きもしないで、気怠そうに君はそう漏らす。僕もまた、少し先のドゥドゥとした褐色の流れを、君の顔を見ないで眺めた。


 上流の山々から流れた水が寄り集まって、大きな河の流れをつくる。この街の中心を流れる河だ。台風が降らせた多くの雨は、色んな物を削り、色んな物を抱き込ませて、その河の水面をドゥドゥと褐色に波立てさせていた。

 君と僕が二人並んで見詰めているのはそういう大きな流れなのだ。


「別に無理に付き合うわけじゃないよ。台風一過。ちょっと僕も、アンニュイな気分に浸ってみたくなっただけさ」

 君は僕の方を見て、不本意そうに眉を顰める。

「私はアンニュイな気分に浸っていた訳じゃないわよ? ちょっと、考え事をしていただけ」

「そうなのかい?」

「そうよ」

 おどけて尋ねる僕に、君は至極真面目に答えた。


 君の向こう側、ベンチの隣、まだ雨露に濡れた草の上に、台風に薙ぎ倒された無残な青い桜の姿があった。夏の青い桜の葉は、撓垂しなだれながらも尚、微かに息を吐いて地面に臥せっていた。いつか、その雨に濡れた青い葉も、養分を失い、枯れ葉になり、この枝垂れ桜は永遠にこの世から消え去ってしまうのだろう。過去の世界は、終わりを迎える。僕達は死を悼む。


 高校に通うようになって毎日見るようになった、河原に一本立っていた思い出の枝垂れ桜だった。登下校路で何気なく僕達二人は風に揺れる枝葉を見上げたし、枝垂れる桜の木も風の中で僕達にサワサワと声を掛けた。


 一つ目の春に、その枝垂れ桜は祝福するように満開の花を広げて、僕たち二人の高校生活の始まりを見守ってくれた。入学式の日には朝からこの桜を背景に二人で陽気な自撮り写真を撮った。僕のスマートフォンのフォルダにはまだその時の写真が残っている。春に戯れ合う一年生カップルの姿。それは確かに青春のポートレートなのだ。


 中学のクラスメイトだった君と僕。気付いたら同じクラスで、出会いの瞬間なんて覚えていない。親しくなった切っ掛けは文化祭。中学三年生の文化祭、クラス対抗の合唱コンクール。クラスの男子と女子、それぞれのまとめ役として奮戦した僕達は、やんちゃでやる気の無いクラスメイト達と戦いながらも、紅萌える校舎の中、お祭りに向かう熱気の中で意気投合していった。


 文化祭が終わり、冬に近づく季節の中で、お互いの気持ちを確かめあって、クリスマスを待たずに僕達は付き合いだした。僕にとっても君にとっても、お互いが人生で初めての恋人だった。

 初めて二人で迎えた春に、僕たちは高校生になった。二人の関係はすぐに学年全体に知られるところとなり、入学当初から「おしどり夫婦」だなんて茶化されたものだった。君と僕、二人の青い春は順調な滑り出しを見せたのだ。

 でも、そんな蜜月が永遠に続くほど、思春期の日常は平穏で平坦ではない。十代の僕達は、心も体も未成熟だし、小さな愚か者なのだ。特別な事件なんか必要なくて、等身大の日常が、二人の関係を少しずつ崩していった。少しずつ、少しずつ。二人の運命の糸は絡まりあって、簡単には解きほぐせない複雑さを抱えていった。


 今思えば反省ばかりが頭を擡げる。僕は君を傷つけたし、僕も僕なりに傷ついたりもした。一つ一つは些細な出来事だったかもしれないけれど、当事者だった僕達にとっては、どれもこれもが深刻な問題だった。

 僕は君の体に触れようと性急に手を伸ばしたけれど、君は一つ一つの手順を大切にして僕の手を止めた。高校生にとって性衝動の制御は困難だ。

 君は僕に、君が何を欲しがっていて、何処に行きたがっているのか、言葉にしなくても分かって欲しかったみたいだけれど、僕にその推理問題を解くのは難し過ぎた。正直、面倒臭くなってしまうことも多々あった。男子にとって女子の心情推理は困難だ。

 僕は平日に君と一緒に居たかったけれど、君は休日に僕と一緒に居たがった。今から考えれば、これは全く問題では無かったように思えるが、そんなことさえも絡まる糸の原因だった。


 二つ目の春に、その枝垂れ桜は嘆くように満開の花を項垂れさせて、僕たち二人が別れゆくのを見届けてくれた。二人を繋いでいた糸が絡まり合って、どうしようもない塊になった末に、僕達はここのベンチに座っていた。高校一年生の終わり。三月なのに満開だった早咲きの桜の下で、僕と君は並んでこの大きな河の流れを眺めていた。


 ――クラブの先輩から告白されたの。好きだから付き合って欲しいって。

 ――そうなんだ。

 ――最近、上手く行ってないもんね、私達。このまま付き合っていて、これから良くなって行くことってあるのかな? 私、もう、あんまり自信が無いの。

 ――僕は君としか付き合ったことが無いから、わからないよ。

 ――私もよ。でも、なんだか、潮時かなって思うの。付き合い出した中学生の冬から一年生の夏まで、半年くらいは本当に楽しかった。本当よ? でも、最近は、一緒にいても、喧嘩ばかりが増えてる気がするし、そんな風に思えなくなって来たの。


 そう言う君の隣に腰掛けて、僕は君の表情も見ずに、春風に揺れる桜の花弁ばかりを見ていた。もちろん、君の言葉に関心が無かった訳でも、君の思いを無視していた訳でもない。ただ、君の顔を真っ直ぐに見ることが出来なかったのだ。


 ――もし、私が「別れて」って言ったら、泣いちゃう? 大丈夫だよね?

 ――泣くわけないだろう? そういう風に君が思うようになった理由は、僕にもあるんだと思う。区切りは――打つなら、打つべきなのかもね。

 ――じゃあ、わかった。ごめんなさい。別れて下さい。あなたとの一年ちょっとは、楽しかった。でも、これで、さようなら。


 一年ちょっと付き合った君と別れて「区切り」を打った。その晩に僕はやっぱりオイオイと泣いた。一人自室のベッドで仰向けに寝転がりながら。

 本当は「区切り」なんて打ちたくは無かったと泣いたんだ。君の事を好きな気持は変わっていなかったんだと改めて気付いた。僕はそんなに物分りのいい男子なんかじゃない。天井でシーリングライトが涙にぼやけた。


 高校生の息子の部屋から啜り泣く声が聞こえて来るという異常事態に気付いた母親が、心配そうに部屋を覗きに来てくれた。両親に対して、少し反抗していた時期だったのだけれど、この日ばかりは強がる元気も出てこなかった。珍しく泣いていた僕を、家族全員が大いに心配してくれた。


 まだ寒かった夜に、母親が入れてくれた温かいミルクティーを飲みながら、何故か手渡された徳永英明の「レイニーブルー」をCDデッキで掛けて聴いていた。古い曲だったけれど、外にシトシトと降り出した春の雨に合わさって、なんだかその曲が無性に心に染みたんだ。

 

 ――どこで間違えたんだろう? どうすれば別れずに済んだんだろう? どうすれば君と僕は一緒に歩いて行けたんだろうか?


 時間を巻き戻せるなら、過去に向かって走り出せるならば、やり直したいことは一杯あった。でも、もう進めない。過去はやり直せない。君は過去になっていて、逆方向に振り返っても、そこには赤信号が光っている。「過去には戻れない」し、「進入禁止」だって。


 しばらくして、君がその先輩と付き合いだしたという噂を聞いた。君のことは忘れないといけない。乗り越えないといけない。滔々と流れゆく時間の中で、堅牢なる世界の秩序は、僕に身動きを許してはくれない。

 息継ぎに苦しみながら、春から夏にかけての海を僕は藻掻くように泳いだ。君にもう一度手を伸ばしたくても、煌々と輝く逆方向の赤信号が僕の過去への進入を許さなかった。せめて穏やかな青さを感じていたい僕の海は、ただ血の色で薄っすらと染められたように赤かった。


 新しい君の毎日を遠くから眺めながら、色々なことを考えた。

 僕の心には、その先輩へのわだかまりは不思議と殆ど無かった。一年間を振り返る中で、少しずつ僕の問題点、二人の正しい在り方が見えてきた気がした。逆方向に光る赤信号の前で進めなくても、君を遠目に見詰めながら、考えることは出来るのだ。

 僕が駄目だったのは、君の君らしさよりも、僕の僕らしさよりも、彼氏彼女という理想の姿を優先していたこと。それに焦ってしまっていたこと。

 君に何かの理想を押し付けて、二人の関係を雁字搦めにしていたのは僕だった。僕がすべきだったのは、君の幸せと、それに伴う僕の幸せを願うこと。自分達らしさを第一にすること。そういうことだったんじゃないかな。

 僕と二人で居なくなって、屈託なく笑う大好きな君の姿を見れなくなって、寂しさばかりが胸に広がった。

 ちょっと気付くのが遅かったのだけれど、仕方ない。僕は赤信号の前で立ち止まり、せめて君の幸せを願うことにした。それが、僕の償いであり、精一杯の背伸びでもあったのだ。君が君らしく、そして幸せであれば、今はそれで良い。


 一学期の梅雨が明けた頃。僕は嫌な噂を耳にした。その先輩、つまり、君の今の彼氏には別の彼女が居るっていう噂。隣の学校の三年生。いわゆる二股。無性に腹が立ったけれど、僕は何も出来ずに握り拳を作りながら立ち竦んだ。

 忸怩じくちたる思いはあるけれど、そもそも君と僕が別れたのは先輩の存在のせいではなくて、僕の不甲斐なさのせいだったのだから、僕が君の恋愛に対して何かを言う権利なんて、そもそもこの世界の何処にも無いのだ。

 夏休みに入り、学校に行かない時間の中で、風の噂に、君が先輩と別れたという話を聞いた。最近では、風の噂もスマートフォンの電波に乗ってやってくる。学校の友人達のSNSでは、人の別れ話は蜜の味を垂らしながら高速で拡散される。恐ろしいほど軽やかに。


 夏休みの間、僕は何度か君にSNSでメッセージを送ろうとした。でも、今更、僕が出ていって何を言うっていうのだろう。クーラーを強く効かせても湿度は高い部屋の中で、スマートフォンを握っては頭を垂れて、タオルケットがクシャクシャになったベッドの上に、メッセージを途中まで打ったスマートフォンを放り投げては、シーツに自分の体を沈み込ませた。フカフカの枕に顔を埋めて、ふと昔、君から聞いた話を思い出した。


 ――この桜の木の伝説って知ってる?


 一年前。まだ僕と君が彼氏と彼女だった時に、君が教えてくれた話だ。


 ――日の出の時に桜の木に恋の願い事をするの。それを一ヶ月の間、続けるの。そうすると、その恋の願い事は叶うんだって。


 「君もそんな女の子っポイこと言うんだね」って僕は笑った。勝ち気な君はそういう迷信を信じないタイプかと思っていた。でも、君は「私だって、女の子なんだよ」って唇を尖らせた。それもまた可愛いらしくて、どうしようもなかった。


 そんな出来事を思い出して、お盆明けから僕は新しい日課を始めた。毎朝五時に起きて、この街に一つだけあるその大きな河までの道程を歩いた。毎朝、まだ暗い中、踏切りを渡り、横断歩道を渡り、河原の芝生上のベンチに座り、青々と葉を茂らせた枝垂れ桜の木の下で、毎日毎日、日の出を待った。

 そして、桜の木に願ったのだ。君と再び同じ時間を過ごせますようにって。二人でまた歩き出せますようにって。

 昨日で丁度、二十九日目だった。だから、今日で丁度一ヶ月になる筈だったんだけどな。

 この街を突如襲った前代未聞の台風は、僕たちの枝垂れ桜を根本から無残に薙ぎ倒し、何食わぬ顔で日本海に去って行った。この小さな街で、その枝垂れ桜に毎日こんな細やかな願い事をしていた奴が居るなんて、台風は知る由もなかっただろう。僕は昨夜、SNS上に流れてきた画像で、その枝垂れ桜が倒れた事実を知って、愕然とした。僕の願い事の完成まで、あと一日だったのだ。


 今日は、薙ぎ倒された桜の木の姿を、ちゃんとこの目で見ようと、朝早くから確認しに来た。この早朝の散歩は、もう日課になっていたから自然と目は覚めて、自然と足はこの河原へと向かった。台風一過。街を早足で駆け抜けて。


 そうしたら君がベンチに座っていたものだから、僕はビックリしてしまった。だから「何してるの?」って、思わず君に声を掛けてしまったんだ。


「桜、折れちゃったね」

 僕が君の肩越しにその倒れた巨木に目を遣ると、君も同じ方向に目を遣ってポツリとそう呟いた。「そうだね」と僕も呟いた。


「覚えているかい? 去年の入学式に、この桜の下で、一緒に撮った写真のこと」

「もちろん、覚えているわ。あの頃は楽しかったもの」

 君は、頬杖を付いて、倒れた桜の木をじっと見詰めている。風が一つ吹いて、君の背中で栗毛の長い髪が少しだけ踊った。


「別れたんだってね。先輩と」

 僕が言うと、背を向けたまま、君はコクリと頷いた。急に振ったこの話題は、君の機嫌を損ねるんじゃないだろうかと僕はビクビクしていたけれど、そうでも無かった。君の中ではもう終わったことなのかな。


「どうしてかな。あんまり悲しく無いんだぁ〜。むしろ今は清々しているの。あなたにこんなこと言うのは、本当に無神経だし、私って悪い女の子だな、なんて思うんだけどね」

「なんで?」

 そういう僕に、君は振り返って、不思議そうに首を傾けた。

「怒ってないの? 春に私があなたのことを振ったんじゃない? 先輩に告白されたからって、自分勝手に」

「怒るも何も無いよ。そこに至るまでの過程では、僕にもたくさん非はあったしさ。それに、一応、僕が振られたんじゃなくて、二人の合意の上で別れたってことだと、僕は思っていたんだけどな?」

「そうなの?」

 驚いたように微かに目を開いて、君は僕の顔を覗き込んだ。「そうだよ」と、その視線を僕は受け止める。格好はつけていない。これが今の僕の本心。本当にそう思っているのだ。


「だから、君が先輩と付き合ったのと、君が僕と別れたことは別問題なんだよ?」

 僕は君の瞳を見詰める。君の栗色の髪が肩口から背中に流れ、形の良い唇が、小さく開いて息を漏らした。「そっか」と漏れた溜息で、ほんの少しだけ君の表情が和らぐのが分かった。


「ちょっと、いいかな?」

「なぁに?」

 僕は意を決して、君の瞳を見詰める。君はなんだろうと首を傾げた。


「君が先輩と別れたからとか、そういう理由じゃないんだけどさ。もちろん。大きな台風が来たから心が浮足立ってとか、そういう理由でもないんだけどさ――」

 君に向けて、僕はゆっくりと右手の平を差し出した。


「半年前に別れ話をしたこの場所で、もう一度、君と始めたいんだ」

 君は少しばかりの驚きの光を瞳に浮かべる。


 僕は別れ話をした時と同じように君の隣でベンチに座り、言葉を紡ぐ。一時停止していた動画の再生ボタンを、また押すように。二人の時間を動かし始める。


「急に何を言うんだって思うかもしれないけれど。この半年間、ずっと、そう思っていたんだ。もう一度、君の手を取って、二人で一緒に歩くはずだった道を進んで行きたいんだ」

 君は、中空に浮かんだ僕の右手の平を見詰める。

 アンニュイだった君の瞳に嬉しそうな光が浮かぶ。それは興奮よりも安心感で。


 君はそっと僕の右手の平の上に白い右手の平を重ねると、「そうね。また、始めましょうか」とゆっくりと微笑んだ。


 台風に倒されてしまった枝垂れ桜が青い葉を茂らせながら、最後の祝福をしてくれる。台風に回されて逆方向を向いた青信号が僕たちの頭上で、戻って良いのだと光を放つ。


 僕は君の右手を引いて、その唇にそっと唇を押し当てた。

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