第15話 急降下するジレンマ

 後輩が、磨かれた床板に揃って額をこすりつけている。学園のカリキュラムでは午後は体力錬成の時間に割り当てられているので周りには一般の生徒も大勢いた。ここは第二校舎に隣接する体育館の一角、ロークラス専用の武道場。己を鍛える場所であり、直談判で土下座を披露する場所ではない。

 俺の正面に土下座をしていた坂本が、ずり落ちたメガネをキにもせず顔を上げて吠えた。

「お願いします武海先輩!どうか一年F組に転入してきたミツギ・遠野という野郎を倒してください!」

 衆人環視のなかで、大の男が並んで土下座をするなど、とても見ていられない。しかも、こいつらは革命者気取りの落ちこぼれに惚れているとはいえ、伝統ある武芸部の部員だ。そして、盃をかわした弟分である彼らが床に伏している理由は部活動には関係が無かった。しかし、恥を偲んで頼み込んでくる弟分の言葉を聴かずに叩き返すことなどできはしない。

 自分の力で解決できないことなど、学園ここにいればいくらでも起こる。暴力や不条理は日常茶飯じで、それに抗うために俺たちは武道を学んでいるのだ。超常の力の才能に乏しいからこそ、正しい人間であることを軽んじてはならないと俺は思う。

「とりあえず座れ、そして詳しく話せ」

 だから、汗を吸った道着を払い、あぐらをかいて坂本が何を語るのか待ち受けた。

「じつはーー」

 しかし、半分も聴かないうちに、俺は坂本をねじ伏せていた。すべてを語らなくてもわかったのだ。坂本が道理を失っているということが。血が怒りにたぎるのを感じ、認識してコントロールする。感情をなだめすかすのではなく、ねじ伏せた。

「お前たちの望みはわかった。だが、まずはその根性を叩き直してやる」

 坂本を力ずくで担ぎ上げ、開いた空間に放り投げた。ゴロゴロと転がっていく坂本を歩いて追い。構える。

「来い」

「う、うあああああああああああ」

 投げ飛ばされたダメージを感じなさせない勢いで飛び起きた坂本は、まるで獣のように飛びかかってきた。



 俺はこんなにも学生生活が忙しいものだとは思っていなかった。

「うおおらあああああ!」

 現在は午後の体育の時間。ミサキの提案で、一年F組の面々はグラウンドを専有し、クラス一同はケイドロに興じていた。

 午前中の休み時間は追いかけてくる血走った目のマッチョから逃げて、授業時間中は後ろの席の性格破綻女子からのいびりに耐え、昼休みはマッチョの巡回から隠れながら姉を騙るマリアからの賠償金お小遣いで購買で買ったおにぎりを齧りパック牛乳をちゅーちゅー吸う。ネズミにでもなった気分だった。俺は学生生活がこんなに大変なものだとは俺は露とも思っていなかったよ?

 しかも、せっかく同じ組になったのに今まで一度もシエルには話しかけることができず、悲しいことにシエルも俺には話しかけてこずじまい。シエルはミサキ以外の級友たちと、少しぎこちないが普通に、刑務所の円の中で話していた。その様子を立ちはだかる肉の壁の向こうに見てあいつも変わったんだな……と感傷に浸りながら俺は、突っ込んでくるマッチョを投げる、転ばせる、突き飛ばして、逃げる、の繰り返し。

 俺も捕まればあの輪の中に入れると最初は思っていたのだが、ミサキとその不愉快な仲間たちはシエルたちの入っている円から三十メートル離された場所に半径三メートルほどのリングを作って、『ストーカー専用刑務所』という即席看板を立てたのだ。

 一回だけ捕まってみたら、マッチョとさらなる決闘を強いられてマッチョを叩き続ける無限ループが発生したから、今はルール度外視で逃げ回っている。次々襲いかかってくる御崎親衛隊員にはキリがなく、たまにみぞおちとかに一撃入れて再起不能にしないとスタミナ切れでリンチされるだろうという確信から、胃がキリキリと傷んで仕方なかった。しかも、うっかり深くはいって、同級生や先輩を殺してしまわないようにするというなれない調整に神経をすり減らしまくり。ノスタルジックに死屍累々なんてたまったもんじゃないと、思わず逃げ出したくなる無情な一日だった。

 良いことが無かった日というのは、とことんついていないものだ。

 やっと放課後を知らせるチャイムが聞こえて、互いの気力を削るチキンレースから一旦は開放された。放課後になっても保健室から出てこないアニシラが心配で見に行くも未だに面会謝絶の状態で、AI相手に押し問答をして、でも口では勝てず、力づくも最新セキュリティの前では手も足も出ず、結局アニシラの安否はわからないままになった。

 意気消沈しての帰宅途中、落ち込んでいく気分を上向かせようとスーパーマーケットによって夕食に特売のステーキを買って店を出る間際。

「ちょっとそこの、学園の制服を着た君!待ってくれるかな!」

 スーパーのエプロンを身に着けたハゲの目立つ中年オヤジに行く手を塞がれた。

「君、その制服のポケットの中になにか隠したでしょ!ちょっと事務所まで、来てくれる?」

「は?」

 おっさんにがっしりと腕を掴まれて引っぱられ、疲れ切った俺は抵抗する隙もなく、スーパーの事務所に引っ張り込まれた。

 くたびれたシャツをきしませて振り向いたその顔はどこかで見たようなきがして、それを思い出そうとシてたからだろうか。

 おっさんはいつの間にか、赤らんだ手に包丁を握りしめていて、絶叫しながら突撃してきた。

 ちゃんとレジを通ったのに万引きに間違えられ、事務所に連れ込まれた挙げ句にいきなり激昂した中年おやじの店長に柳刃包丁で襲われるという惨事。

 そして、思わず「あーあ」としか言いようのない大惨状が、現在事務所に広がっていた。

 店長は床に倒れている。

 死因は首を刃渡り十三センチのよく研がれた柳刃包丁で一突き。俺の思考が追いつく頃にはすでにおっさん店長は息絶えていた。しっかり突きこんだ獲物をひねって頚椎まで破壊していて、我ながら呆れてくる手際だった。

 なれないことをして疲れていた俺を襲ってしまったのが、なんの力もないだろうこのおっさんの不運なのか。それとも流れに流されながら、こんな事になっても平静な俺の悪徳なのか。

 事務所の流し台で髪と顔を洗い、防犯カメラのレコーダーの排熱孔に在庫の塩素系泡洗剤を注ぎ込んで証拠隠滅。頭から血飛沫をかぶって汚れた新品の学生服と一緒に買ったステーキも捨てて、頭に目出し帽代わりのビニール袋をかぶりパンツとシャツだけで裏口から出る。ばったりパートのおばちゃんに出くわしたが、いつもどおりビルの上へ。

 太陽は沈みかけ、街明かりに負けない満天の星空がベールを脱ぐ。

「空はこんなに青いのに、お先は真っ暗」

 激しく鬱。どう仕様もない結果がこびりついて、すべてのやる気は地に落ちてしまった。事故の後始末をしようにも、携帯は最初に着ていた制服もどきと一緒にマリアに灰燼?にされ、代用品で受け取ったのは市販品バニラの役立たず。デリバリーぐらいしか使いみちがない。俺が今必要なのは、蕎麦フードではなく片付け屋クリーナーの方だが、これで記憶している番号にかけても普通に蕎麦屋にかかるだけだ。

「はあ……」

 寝よう。すべて忘れて。


 翌朝、俺は携帯のけたたましい着信音で泥のような眠りから目覚めた。無視してもう一度眠ろうとすると、着信音が止む。そして、無能なはずの携帯は、勝手にスピーカーモードでしゃがれた男の声を垂れ流し始めた。

「うぁ……?」

『おはよう。昨日は大変なことをやらかしてくれたな、ええ?』

 俺を落ちこぼれなんて呼ぶのは、泣く子も黙る女天皇陛下か、その側近だけ。そしてこの忘れづらいしゃがれ声は、側近の中でも得にあのロリババアに心酔しているカイジンという爺さんだけだ。

『お前、昨日の夕方にスーパー朝日の店長を殺しただろう。文屋メディアが騒いでいるぞ。テレビをつけてみろ』

 カイジンはザスタワナファミリーという、なんの可愛げもない裏組織やくざをまとめている。この前綿菓子をくれたジーザス(仮)もザスタワナファミリーの下っ端構成員で、俺といえばそこから仕事を請け負っていたアウトソーサーである。俺たちの間では組合といえばこのザスタワナファミリーを指す。女天皇陛下ロリババアの側近が指揮する地下組織である組合は、この東京で起こるこざこざをこっそり片付ける都会の掃除屋といっていい。さしずめ俺は掃除屋の中でも、厄介なものの駆除を専門にする、爆弾処理屋といったところか。産業廃棄物ていどの一般ごみはもっぱらジーザスとか、あの裏路地でシエルたちを襲った路上生活者とかの両分だ。

 うっかり政府に良いように使われている俺だが、師匠から盗んだ技術でそこそこの信用はあるのだった。

 けれど、それは決して盤石のものではない。

 ヘマをやらかせば簡単になくなってしまうということはわかっている。

 言われるまま、床に転がしていたリモコンを手に取りテレビに向けた。スイッチを付けると朝のニュース番組が流れ出したが、カイジンの言うような報道はされていない。

 だが、わざわざカイジンが俺に直接電話してきたことーーわざわざ携帯をハッキングしてまで文句をいうような報道のされ方をしているのだろうと、実際を見なくてもわかった。

「まあ、いろいろ事情があって、連絡できなかったんだよ」

『……学園に送る前に渡した装備はどうした』

「あれならあれだ……遠野マリアっていう頭のおかしい教師に没収されて破壊された」

 正確には消滅させられたというのが正しいのだろうけど、あれを電話ごしに、しかも魔術の常識に乏しい爺が納得できるように説明する説得力が俺には無い。俺は口下手なんだ。

『なんだと!? 遠野マリアが学園で教師をやっているというのか?』

 スピーカーモードで耳元になくても目が覚めるような怒声に俺は思わず耳を塞ぐ。

「……うるさいな。怒鳴るなよ」

『今から顔写真を送る。その遠野マリアと名乗った教師が、それと一致するか確認しろ』

 ちょうど俺がやってしまった惨状を報道しているテレビの画像が乱れて、一人の無愛想な女の顔写真が映し出された。何でもかんでもハッキングするのは、できるからと言って褒められたことじゃないと思う。

 テレビに映る金髪碧眼のむやみに整った顔はたしかに、つい最近二回も見ていた。どちらも実物と写真を比べると印象が違うが、造形は全く同じだった。

「ああ、たしかにこの顔だよ」

「……そうか」

「あと、これは俺の組の担任だよ」

『そうか。お前は本当に運がないな。……ただでさえ猛獣の檻の中にいるというのに、こんな怪物が担任教師なんて、いくら儂でも憐憫を抱かずには居られん。まあ、お前に不用意に死なれても困るから教えてやろう。この女は、逆賊の中でも最強の魔術師であり、あの魔女のクローンだと言われている。理由は、通常の魔術師が一系統、魔女に最も近づいた甲種でも三系統しか発現しないと言われている常識を覆し、この女は使える魔術の系統が十では利かず、あの魔女なみに多彩だからだ。現在は九州でと聞いていたが……学園にいたとはな。お前の目的を果たしたいなら、遠野マリアだけは怒らせるな。以上だ。代えの装備はいつもの場所に用意しておくから持っていけ』

「……自爆装置とかついてないよな?」

『なぜそんなものが必要だと思った?自爆なんてさせるものか。笑わせるな』

 声だけでわかる。この爺はちっとも笑っていない。

「おっかない遠野マリア先生曰く……最初にもらったやつにはついていたらしいよ」

『……あれを用意したのは甲口だ、儂らではない。あれはお前が大嫌いだからな。まあ、命拾いをしたのだから、数少ない幸運を喜んでおけ。次はないかもしれんからな』


 朝から憂鬱な話を聞いてやる気のでない頭のまま、駅のコインロッカーに入れられていた荷物を取り出してトイレで着替えてから登校したが……。

「やっと来たな、遠野ミツギ!」

 正門をまた肉の壁が塞いでいた。他の生徒はそれを避けていく。俺もその流れに乗って素通りしようとした。学園の門は人が十数人並んだだけでは塞げない大きさでは在る。しかし、俺が避けて通ろうとしてもアイツらは巣をまもるカニみたいに両手を振り上げておれの行く手を遮ってきた。ついでに邪魔された生徒は嫌な顔をしながら小走りに避けていく。俺だけが、そいつらに捕まりたくないので、通れない状態だ。

「……あの、邪魔なんだけど?」

「お前だけはここを通さん!通りたければ、俺たちを倒していけ!」

 こいつらをいくら倒しても切りがないのは昨日一日でわかっている。真面目に相手をしても損ばかり。昨日みたいに疲れてうっかり人を殺してしまうことも、在るかも知れない。

「……そlですか。相手してやるから死なないように気をつけて、一斉にかかってこい。死んでも俺は知らないから、責任は持てないからな!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 いくら脳筋な親衛隊員でも昨日散々蹴散らされたことを反省したのか、一列で一斉に俺を囲い込むように距離を詰めてきた。包囲が完成して徒手空拳の間合いに入ってしまったら、俺でも素手ではどうしようも無いかも知れないが、やりようはある。

 俺は列の真ん中、坂本に向かってダッシュした。他は無駄な筋肉の鎧で、一撃離脱できないかも知れない。だが坂本は筋力にものを言わせる戦い方ができないと昨日の数合でもわかっている。包囲戦において一番薄い場所を狙うのは鉄則。坂本を崩して、さっさと校舎に駆け込もうと、俺は拳を固く握った。

「来たなミツギ!昨日の僕とは違うぞ!」

 返す言葉もない。人は一朝一夕で強くなれはしないのだ。

 しかし、死なない程度に本気で顔面に向けて放った拳は、坂本の包帯に包まれた両手で受け止められていた。

「昨日までとは違うと言っただろ!」

「脇が甘い」

 上下のコンビネーションには気をつけましょう。顔を殴るだけが格闘ではないのだから。ほら、右の垂直蹴りが顎を狙って跳ね上がる。坂本は慌ててのけぞって明後日の方を向き蹴りを避けた。しかし、ヒジか肩が痛んだのか、顔をしかめている。平を俺に向けたまま交差した両手を俺に掴まれている状態で後ろに移動すれば、俺が緩めない限り関節に無理が出ることになる。

「関節が硬すぎる」

 触れられるものはだいたいつかめるのが人間です。俺は蹴り足の踵を坂本の脳天に落とした。

「基礎が足りない」

 昏倒した坂本を飛び越えて包囲網を突破する。しかし、たとえ中に入ったとしても延々と追いかけてくるからな。少なくともシエルから答えを聞くまでの安全を手に入れるにはどうしたら良いだろうか。

「ここは通さないぞ一年生」

 肉の壁を突破した先には、もっと分厚い壁があった。

「三年F組、武芸部部長、武海カカリが相手だ」

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デッドエントリーズ はいきぞく @kurihati

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