第14話 ミツギ逃げる

 俺が降参したら、マリアはけっこうあっけなく拘束を解き、あの恐ろしい魔術で俺に制服を着せた。ずいずい距離を縮めてくるマリアに肩を組まれ、ジャンプした先はある教室の前。よばれて入っていくと見たことのある顔が二つあった。

 そのうち赤い方はこれでもかと目を見開いていた。

 赤髪の少女が急に立ち上がって、俺を指さした。一人だけ違う色の制服を身に着けたミサキが睨んでくる。俺に彼女から睨まれるようなやましい理由はないから、睨まれたってどうということはない、はずだった。キュッと胃が持ち上がり落ち着かない気持ちになる。

「ミサキちゃん?」

「なんであんたがここにいるのよ!?」

「こら、御崎。騒ぐな、座りなさい」

 ミサキはいまにも襲ってきそうな僅かな殺気を放っていた。赤毛の眉根がよってまるで炎が踊るように逆だっている。

 あの時はきっちり変装していた。しかも、今の俺は約二週間の断食でガリッガリに痩せているので、普通は同じ人間だなんて思わないはずだ。

 どうやらあのミサキという少女は俺がマリアから聞きかじった「F組の普通」には当てはまらないらしい。特にこのクラスの中でも、実力が一つ飛び抜けているふうに見えないが、なぜか制服が黒なのは彼女だけだ。騒いでも担任のマリアと明らかな友人のシエル以外に注意する生徒がいなかった。つまり、彼女は見た目通りの特別生ということだ。

「なにか言いなさいよ!この、ストーカー野郎!」

 その発言で教室に風が林を駆け抜けたようなざわめきが起こる。何人かの見覚えのある顔が、困惑に染まる。

 シエルはいきり立つミサキに釘付けでこちらをみていなかったが、ミサキの一言で俺を見た。目を見開いて、まるで信じられないという顔をしている。シエルは俺が自分を付け回していたと気がついてもおかしくない。いや、視線だけで何回か気づかれたことがあったくらいだ。気が付かなければおかしいのだが……。

「……はじめまして?」

 これからシエルに事情を訊きたいので、ばれないほうが良いだろうと思って、俺はしらばっくれる。

「御崎、落ち着いて座っていなさい」

 マリアが手を向けると、御崎は抑え込まれるように席に崩れ伏した。踏ん張っているようだが起き上がれない。

 そして俺の方を不機嫌な猫みたいな目で睨みつけてくる。

「じゃあ、ミツギ。君の席はあそこだ」

 思わず「え?」とマリアの顔を二度見してしまった。マリアが指定したのは今突っかかってきたミサキの席の一つ前。あの危険人物の近くを指定するのはおかしくないか?

「どうした、ミツギ?早く席に付きなさい」

 今の俺はマリアに文句が言える立場では無かった。


 視線の圧で背中が焼ける思いをしながら座学の授業が過ぎていく。古文の授業は普通なので、聞いている分にはあまり苦労しなかった。あの独房で暇つぶしに読んでいた参考書の知識が役に立って、言葉も理解らないという事態は避けられた。

 マリアは席の間を、巡回していく。一通り講義動画の説明文を読み切って違う科目を見ていたら頭を叩かれた。

「ちょっとあんた」

 姿勢を戻したその拍子に、背中にトゲのようなものを押し付けられた感覚がした。

「あんた、なんでシエルに付きまとうのよ」

「今日が初対面だと思うけど?」

「あんた、今年の端午祭の二日目にシエルとぶつかって尻もちついてたでしょ。髪の色は違うけど顔見ればわかるわよ」

「……端午祭?その日は用事があって、街を離れていたから、そのシエルさんとは会った記憶が無いな」

 ミサキの気が付きをなかったことにして、最初から良好な人間関係を構築できれば、俺の疑問もすんなり解消されるかも知れない。マリアは俺のことを普通の生徒として扱うつもりらしいので、要注意だが友達作りという彼女たちにとってよほどの不都合もない行動には手出ししてこないだろう。おれは、普通の学生を演じながら、シエルと仲良くなればいいのだ。

「そんなバレバレの嘘をついても私の目はごまかせないわよ。あんたがシエルに付きまとうせいで、シエルも私も、アニシラも危険な目にあった。その落とし前はつけてもらうから」

 あれはミサキの自業自得だろうという反論が喉から出かかった。君たちが変な気を起こさず普通に家に帰っていれば、路地裏に入ってならず者に絡まれることもなかっただろう。

「……いったい何を行っているのかさっぱりわからない」

「絶対にシエルには近づかせないから、覚悟しときなさいよ」

「まあ、そんなにツンツンシないで。とりあえず、ペンで背中を刺すのはやめてくれるかな?」

「……なめてるわ、私をバカにしてるわね」

「まあまあ」

 ツンツンがグリグリに終いにはグサグサと刺される始末。

 こいつとはわかり会えそうに無いと思いながら、ひたすら詰りに耐えていると、机に埋め込まれたスピーカーから、一斉にチャイムが鳴った。いや、なぜか俺の机だけ大音量で、慌てて音量を下げる。

 教室の一部から、鼻で笑われた。

 とりあえずミサキから離れようと席を立つと、背後でミサキが指を鳴らした。それに呼応して、ザッ。ちょっと制服のサイズが会っていない暑苦しそうな男子生徒たちが立ち上がった。

 教室の入り口付近に座ったメガネ少年がボソリとつぶやくのが聞こえた。

「御崎親衛隊の精鋭が動きますか……」

 俺はそいつらのしかめっ面を幾つか見回しながら、うろ覚えの記憶を探ったが、あの肉壁、もとい衝立て障子の中にこの顔ぶれが居たような気がしなかった。

 彼らは弱いので今の俺でもそこまで苦労せずに全滅させられるだろう。しかし、転入初日の初休み時間で、十人の見た目は屈強な男子生徒相手に喧嘩したなんて事実ができてみろ。ぼっちが確実だ。じわぁっと冷や汗が出てきた。

 駄目だ駄目だ駄目だ。

「……あ、急にもよおしてしまった。君、トイレはどこに在るのかな」

 笑顔で語りかけた隣の生徒は女子だった。俺みたいなキモい男にあろうことか便所の場所を尋ねられ、引きつる顔を無理やり笑顔にしようとしているのが感じられたので、きっと性根のいい子なのだろう。これは不幸な事故である。

「ろ、廊下を右に行って、突き当りをまた右に折れたらすぐだょ……です」

「ありがとう」

 教室を出ようとして、あの独り言メガネに左手首を掴まれた。

「逃しませんよ。御崎さんの夢を叶えるためならば、不肖坂本、鉾にも盾にも網にもなります!」

「お前もかよ!」

 立ち上がりざまに取った手首を捻り上げられて、肩関節が極まっていく。このまま決められてしまえば、俺は被害者ということになり、面倒が減るのではと頭では考えていた。しかし、体は正直だね。

 肩甲骨の動きが極められそうになる前に上体を倒し、その場で宙返りすればヒザ蹴りで反撃して、回転したあとはこちらが坂本某の腕を極められる。というのを考えずに動いていた。

 顔を下げたところで坂本の膝が顔面めがけて飛んできたので、開いている右手でガード。そしてそのまま倒立してしまう。坂本も俺が膝の上に乗ったまま片足立ちでプルプルしていた。坂本は手が一本開いていて攻撃できて有利なはずが、動かなかった。圧倒的筋力不足、開いているはずの手は椅子を掴んで開いていない。

 サプライズ曲芸に傍観する生徒たちから僅かな拍手が湧いた。

 均衡が崩れたのはたっぷり十秒後。俺は前転して足から着地し、ねじれて掴んでいられなくなった坂本は、逆に投げられたように肩から倒れ込んでうめいている。

「この!」

「やるな転校生、だがサッちゃんは我ら御崎親衛隊の中でも最弱!次はーー

「あ、すいません。ほんと漏れそうなんで失礼します」

 俺は疾風のごとく逃げだした。

 後ろから「待てやぁ!」と野太い怒声が複数飛んできて、隣の教室からでてきていた生徒たちがぎょっとしていた。固まった少女に窓際に逃げた青年、皆同じような制服を着ているが僅かな違いがあった。上着の肩に縫われたF組を示すエンブレムの枠線が二重、三重線になっている生徒がいた。

 これは学園は純実力主義を表している。世間一般の学校は学年で各組をまとめるが、ここでは各組が学年をまたいでまとめられていた。

 トイレを通り過ぎ、「なにかお困りですか?」と行く手を塞いだ二人組の先輩たちの間をすり抜け、開いていた窓から飛び降りた。

 二階の窓のレールに指を引っ掛けて勢いを削ぎ、植え込みに着地、開いていた窓から室内に再侵入する。

 そこは、白い光に満たされて、すこし薬草臭い部屋。

 保健室だった。

 F組からD組までが詰め込まれたこの第二校舎は全体的に茶色かった。廊下は年季の入った板張りで、床から一メートルほどの高さまで、飾り板で壁が装飾されている。照明は発光部がLED化されただけの後付式で、各教室の入り口は原始的な引き戸だ。

 ここはそんな建物の装いからずれた、現代的な医療施設になっていた。

 天上に埋め込まれたレールを走る自動走行式のカーテンが、五つあるうち真ん中のベッドを隠している。その白い布の上を標識が滑る。そしてアナウンスが流れた。

『侵入者を確認。顔照合……一年F組ミツギ・昴・遠野と一致。目的確認のため質問、あなたは一年F組真瑠之日アニシラの面会希望者ですか?そうでない場合は、直ちに退室してください。体調不良者の場合は一度退室の後、正規の入室要領で端末を操作し、休養・治療の申請をしてください。繰り返しますーー』

 少し考え、天井の四隅につけられた監視カメラの一つに向かって、俺は言った。

「……アニシラ様の面会を希望する」

 三階ていどの距離をショートカットしたって、あの親衛隊とやらはすぐに追いついてきそうな気はしている。でも、ここで命の恩人のアニシラの安否を確認するのはあんなチンピラから逃げることの百倍大事……いや、比べものにならない。

『申し訳ありません。放課後まで面会謝絶となっております』

 力んでいた肩から力が抜けた。

「はあ……、質問、アニシラ様は健康なのか?」

『面会希望者一年F組ミツギ・昴・遠野からの質問を受け付けました。命に別状はありません』

「邪魔をしたね」

『お帰りはこちらです』

 ウィンーーと出入り口のドアが勝手に開く。窓から出ていこうとしていた俺の行く手を自動で引かれたカーテンから投影された通行禁止のホログラムが塞いでいた。

『以降、衛生状態を保つため、出入り口からの来室をお願いします』

 アナウンスから確かな圧力を感じながら俺は回れ右をして、正規の出入り口をくぐり、廊下に立った。背後でピシャリとドアが閉じられた。

 右を見て、左を見る。左右に一匹居たら三十匹はいると思えとうたわれるあいつみたいに数を揃えた、御崎親衛隊のマッチョメンがいた。

「もう、逃げられないわよ」

 右の通路を塞ぐマッチョメンが道を開けると、その奥からミサキがゆっくり登場した。こういうのをうまく言い表した古語が会った気がする。……そうだ、オタサーの姫だ。

「一つ質問。ミサキさんは俺を捕まえてどうするつもりなのかな?」

 ミサキは獰猛に笑って言う。

「叩きのめして、二度とシエルに近づけないようにしてやるわ」

「……そうか」

「それが嫌なら、私の下僕になりなーー」

「じゃあね」

 とりあえず、目の前の窓を突破しよう。鬼ごっこは、弱った体を鍛え直すための、良いトレーニングになりそうだ。

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