最終話

 彼女が声を上げて笑っている夢を見た。

 目を開くと彼女が僕の髪を撫でて笑っている。幸せな夢の続きを見られることに、僕は微笑む。


「おはよう。……ここは?」

 二階のベッドがあった部屋とは違う場所だ。石壁に石の床。窓には黒いカーテンが掛かっている。僕が困惑していると、彼女が笑いながらベッドから立ち上がった。


「おはよう、アーネスト。ここは私たちの牢獄よ。そして私は死刑執行人」

 舞台の上の歌姫のように、彼女は高らかに言い放った。白く裾が長い夜着がひるがえり、長い金髪が魔法灯ランプの光で輝く。


「フローラ? 何を言ってるんだ?」

 ベッドから体を起こそうとして、足の異変に気が付いた。僕の両足首には鉄の足枷あしかせまっていた。足枷からは鎖が伸びていて、石壁に穿うがたれた金具に繋がれている。


「貴方が食べた煮込み料理、とても美味しい肉だったでしょう? あれは聖別していない魔物の肉なの」

 まさか。聖別していない魔物の肉は猛毒だ。簡単には手に入らない。


 彼女の手を借りてベッドの端に座ると、彼女が壁に掛けられていた布を取り去った。

 大きな鏡に映る僕の髪は、血のような赤色に染まっている。この髪色が何を意味しているのか、この国の者なら幼い子供でも知っている。聖別していない魔物の肉を食べた証だ。

 魔物の肉を食べた者は、魔物の肉しか食べられなくなると言われている。


「コンスタットの馬車の部品が壊れるように指示をしたのは、私」

 僕は自分の耳を疑った。彼女が指示をした? どうやって? 彼女の手紙や行動はすべて把握していた筈だ。

「オーエンを刺すように指示したのも、私」

 僕の脳裏に帽子をかぶった少年の姿が掠めた。まさか。そんなことが可能な筈がない。


 彼女は昨日届いた手紙を広げた。

「コンスタットは金貨1枚。オーエンは銀貨1枚ですって。それが命の値段だそうよ? 貴方はいくらになるのかしらね」

 手紙は暗号で書かれていた。実行者に支払われた金額が、金貨1枚と銀貨1枚と書かれているらしい。彼女は娼館で便利屋を知り、僕から支払われた金を使ったと笑う。


「……今まで、僕を騙していたのか」

 彼女が僕を愛しているというのは幻想だったのか。これまで見たこともない程に、青と緑が混ざる不思議な瞳が輝いている。僕を真っすぐに見つめる瞳は、とても強くて美しい。


「……私たちは、幸せになんてなれないのよ」

 勝ち誇ったような彼女の微笑みに、僕は彼女が小さな可憐な青い花ではなかったことを知った。彼女は棘を隠し持った大輪の青い薔薇だ。


「私の本当の名前はシェリー・アルドリッジ。貴方たちが犯して捨てたアンジェラの義姉よ。他にも被害者はたくさんいたそうだから、覚えてはいないでしょうけれど」

 彼女の指摘が胸に刺さるようだった。本当に顔も名前も覚えていない。


 彼女は黒いカーテンを開け放ち、僕は日の光の眩しさに目を細める。大きな窓からは森と静かな湖が見えた。青い空には赤い月と緑の月。恐らく、ここは小さな家の裏側の部屋だ。

「義妹は、あの湖に身を投げたわ。私の父は向こう岸に領地を持っていた」

 僕は強い衝撃を受けた。まさか彼女の義妹を犯していたとは思わなかった。僕たちにとっては、遊びでしかなかった。後始末も父に任せていたから、僕たちの行為の結果を知ることもなかった。


 今までで一番の罪悪感で彼女を見ていることができなかった。視線を外した僕はサイドテーブルの上に青い煌めきを見つけた。青玉のタイピンだ。

「……そのタイピンは?」

「これ? 魔物の肉の包みと一緒に入っていたの。贈物ですって」

 僕はその言葉で理解した。これは貴族たちによる、僕たちへの復讐だ。


 僕は絶望に頭を抱えた。彼女を巻き込んだのは僕だ。無邪気に笑う彼女は気が付いていないだろうが、裏で動いているのは貴族たちだ。


 便利屋がどの程度の者なのかは知らないが、公爵家の馬車の部品を壊し、人を刺す行為は簡単に依頼できるものではないし、実行できるものでもない。

 何よりも、聖別していない魔物の肉が一般国民の手に入る訳がない。


 おそらく貴族たちが彼女の復讐心を利用して、彼女の計画を手伝い、成功に導いている。彼女の手を汚させたのは僕だ。発覚すれば彼女が首謀者となってしまう。

「これは私が計画した復讐よ」

 彼女はそう言って、声を上げて笑っていた。


 その日から、ベッドのある部屋と浴室だけが僕の世界のすべてになった。足枷も鎖も手ではびくともしない。鍵は湖に投げ捨てたと彼女は言った。


 季節外れのイチゴを彼女が僕の口に運ぶ。美味そうな赤い実を一噛みすると、その予想に反して生臭い泥のような酷い味がする。僕は耐え切れずに吐き出した。

「あら。口に合わなかったのね。ごめんなさい」

 彼女が僕の両頬を手で押さえ、僕の口の周りを舐めて拭う。赤い舌が艶めかしい。


 彼女は僕の目の前でイチゴを数粒食べると厨房へと片付けに向かった。

 ぼんやりと窓から湖を眺めていて気が付いた。季節外れのイチゴを籠いっぱいに入れていた夫人を僕たちは犯したことがある。……馬を貸してくれた男は、南に領地を持つ侯爵だ。


 恐ろしい。僕は一体どれだけの人々に恨まれているのか。がたがたと歯が鳴る程に体が震える。十八歳で成人してから二十四歳になる六年程で、数えきれない程の女たちを犯してきた。女たちには家族がいて、友人がいて、親族がいる。そんな当たり前のことに、今まで気が付かなかった。


「アーネスト? どうしたの?」

 戻ってきた彼女は、震える僕を抱きしめる。その腕は温かくて優しい。僕を殺そうとしている彼女だけが、僕の味方だ。僕は縋るように彼女を強く抱きしめた。


 何も食べられない僕の体は急速に力を失っていく。字が書けなくなる前に書き残しておきたいことがあった。

 手紙を書きたいと告げると、彼女は僕を支えて椅子に座らせ、テーブルに紙とペン、インク壺を用意してくれた。礼を告げてから、父の公爵宛ての手紙を書く。


 僕は自分が近いうちに迎えるであろう死を、自分の意思であると書いた。誰にも責任はないと書いた途端に、彼女にペンと手紙を取り上げられた。

「これは要らないわ。貴方が死ぬのは、私のせいよ」

 彼女は手紙を破り捨てて微笑む。


「僕が死んだら、君はどうするんだ?」

「安心して。私も死ぬわ。公爵家の息子を三人手に掛けたのだもの。死刑に決まっているわ」

 覚悟を決めて微笑む彼女は女神のような神々しさだ。


「コンスタットもオーエンも事故だ。君に責任はない」

「貴方を殺すのは私よ。責任を取って死ぬわ」

 彼女の笑顔に、僕は何も言えなくなった。父の公爵と老伯爵に彼女の保護を求めるつもりだった。父は恐らく彼女のことを調べて知っていた。老伯爵は僕のことを嫌っていたけれど、彼女のことは気に入っていた。


「どうして、僕なんかの為に死ぬんだ?」

「……どうしてかしら。……私にも、わからないの」

 微笑む彼女に優しく口づけられる。彼女は僕を騙してはいなかった。彼女は僕を愛してくれている。僕が馬鹿なことをしていなければ、きっと彼女と幸せになれたと後悔しかない。


「アーネスト、美味しそうな桃が届いたわ」

 二日に一度、さまざまな果物が届く。日替わりで口にする珍しい果物は、おそらくは僕たちが犯した女たちに関わる物だ。思い出せということなのだろう。


 熟れた桃が切られて口に入れられたが、生臭さを感じて吐き出すしかない。口を閉ざして食べないという選択もあるが、彼女の舌で口周りを舐められることが密かに嬉しくてやめられない。


「……薔薇が欲しいな」

「薔薇? 食べたいの?」

 僕の髪を撫でていた彼女が首を傾げる。


「いや。君に贈りたい。白い薔薇を」

 この国で男が女性に白い薔薇を贈るのは、永遠の愛を誓うという意味を持っている。

「アーネスト、嘘はつかないで」

 彼女は一瞬驚いた後、苦い微笑みを浮かべて頭を振った。僕は本心から彼女に白い薔薇を贈りたい。愛しているという言葉は、今の僕が口にしても彼女に受け取ってもらえないのはわかっている。


 こうして一日中鎖に繋がれていると、考える時間だけが与えられる。多くの女の尊厳を傷つけてきたことを思い出し、ようやく自分のしてきたことを理解した。僕は本当に馬鹿だった。


 復讐だと言いながらも、彼女の手は優しい。体が動かなくなっていく僕の床擦れや足枷での傷を心配し、シーツを替え、体を拭き、髪を洗う。何もできない赤子のように胸に抱かれることが心地良い。


 毎晩、彼女は口移しで僕に酒を飲ませて、体を重ねる。魔物の肉を食べてから、まともに口にできるのは酒と水だけだ。

「……やめてくれ……」

 これ以上、手を汚す必要はない。僕はこのまま捨てておけばいい。そう言うべきだと思いながらも、本当に捨てられたらと考えると怖い。

「貴方たちが犯した女も、やめてと言わなかった?」

 僕の気持ちは正しく伝わらなかった。彼女は僕を捨てることはないと安堵する一方で、彼女の言葉が心に刺さる。助けを求める女たちを、僕たちは笑いながら犯していた。

 彼女は優しく僕を導く。その微笑みは、薔薇のように美しい。


「アーネスト。死にたいのなら枕元に毒薬を置いておくから、いつでも飲んでいいわよ」

 彼女は小さな小瓶を振って、僕の枕元に置いた。どうせ死ぬのなら潔くと思う瞬間もあるが、少しでも長く生きたい。


 多くの罪を重ねてきた僕は、彼女の伴侶には相応しくない。生きている価値もないと思いながらも、僕が死ねば彼女も死ぬ。


 彼女が少しでも長く生きられるように、最期の瞬間に彼女を本当に愛していることを伝えられるようにと僕は願い、見苦しく足掻き続けることしかできなかった。


  ■


 私は毎晩、アーネストにお酒を飲ませたあと、無理矢理に体を重ねる。体のすべてを使って、娼館で習った技術を実践する。どちらかの体力が尽きるまで行為は続く。

 やめてくれと言われても、やめることはできなかった。


 その日も私はアーネストの上に乗っていた。

「口づけてくれないか」

 苦しい息の中で、アーネストが搾り出すような声を出す。アーネストは私の舌を噛むつもりだろうか。それでもいい。私はアーネストに口づけて、求められるままに深く深く口付ける。


「……酒より美味いな」

 混ざりあった唾液をごくりと飲み干して、アーネストが満足気な息を吐く。私はその言葉を疑問に思った。魔物の肉を食べた者は、水とお酒の味しかわからない筈だ。


 震える手が伸ばされ、私の髪を撫でて、落ちた。

「……シェリー……愛してる……」

 目を見開いたまま、アーネストの息が止まった。心臓も動いていない。


「最期に嘘をつくなんて、酷い人ね」

 視界が涙で滲んでいく。私は毒薬の瓶を掴んで飲み干して、アーネストに口づける。繋がったままというのも悪くない。


 私の復讐が終わった。

 私が最期に見たものは、アーネストの見開いた目から零れる涙だった。


  ■


 薄れていく意識の中で、微笑む彼女が僕に口づけた。

 僕のくだらない退屈しのぎは、数多の花々を踏みにじり、愛する花を道連れにしてしまった。


 彼女の青と緑が混じる瞳の中で、赤い月と緑の月が輝いている。

 それが、僕が最期に見た光景だった。

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残花は輪縄を手にして微笑む -R15版- ヴィルヘルミナ @Wilhelmina

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