第一話 人が消える話 13


 〇


 獲物がかかるまでじっくりと時間をかけて待つ。

 もしかしたら、獲物がかからない可能性だってあるが、それを考えてしまったら釣りなんて出来るわけがないと俺は思う。

 こうしてちゃんとしたポイントにいれば、その内に獲物はちゃんとかかってくれる。

 けど、早く来て欲しい。

 これから気温はどんどん上昇していくんだ。

 一応、夏美が気を利かせたのか分からないが、パラソルをどこからか調達してくれて車の脇に置いていってくれていた。だから、調度良く使わせてもらっている。直射日光はなんとか防げるが、暑さまでは防ぐことが出来ない。

 ハァと周囲に響くほど大きく溜息を吐く。

 かれこれここで待って、一時間。

 もしかして、もうあれは消えてしまったのか。

 昨日の感じからして、もうリミットも大分近くなっていた。

 それはそれで面倒な事態だ。

 夏美の奴が、あの女がここに来なかったことを知ったらどう行動する?

「探しに行きましょう……!」

 あぁ、絶対に言うな。

 探しに行くなんて一軒一軒虱潰しに探していくのか。狭い町だから、まだマシだが、それでも骨が折れる。この暑い中、探して回るなんて気が滅入ってしょうがない。

 こんな辺鄙な港町寄ろうと思った過去の自分を殴って、行き先を変えてやりたい。

 頼むから、早く来てくれ。

 そう祈りながら、釣り針を垂らす。

 獲物はまだかからない。

 あと一時間もしたら、移動してみるか。

 そう思っていると、背後から地面を削るような足音が聞こえた。

「夏美ちゃんはいないの?」

「あぁ」

 ようやくかかってくれた。

 探しに行く手間が省けて安心した。

「じゃあ、変な音がしてたから、あれは夏美ちゃんだった?」

 見つからないようにとは一応言っておいたつもりだったが、簡単にバレてるな。

 やり方が下手糞だと心の中で詰っておく。

「隣、いいかしら?」

「好きにしろ」

 隣に皐月が座る。

 だが、しかし、話すことはない。

 会話をしたいわけでもない。

 俺はただこいつの最後を見届けに来ていただけなのだから。

「あの子を大事にしているようだったから、ずっと手元に置いてるのかと思ってたわ」

 この女の目に俺たちの関係はどんなふうに映っているのか想像はつくが、見当違いだと思う。

「ずっと手元に置いてるのなら、昨日だって一人で釣りに行かねぇだろ」

「そうね、けど、なら何であの子と一緒にいるの? あなたは積極的に人助けをするタイプでもないだろうし、どこか適当なところに置いていきそうに見えるけど」

 遠慮がないのか知らないが、ずいぶんな言いようだ。失礼だという概念がないのか。

 それでも間違っていないところはあるのだが。

「嫁さんとの約束だからな、反故には出来ん」

「どういう約束かしら?」

 自分のことを話すのは好きじゃない。

 いや、嫌いな方だ。

 だが、どうせすぐに消えてしまう人間だから、話してしまってもいいだろう。

「助けてって俺に言った奴、一人でいいから助けてあげて。そう約束したんだ」

 そのあとには、『彰君の手は大きいけど、両手に抱えちゃうと持てなくなっちゃうから、両手でしっかりとその人のこと助けてあげてね』と続くがそこまで言う義理はない。

「それで夏美ちゃんを?」

「あぁ、難儀な約束しちまったと思ってるよ」

 助けた奴があまり手がかからないぐらいまで成長してくれたのは助かる限りではある。

 けど、歪な成長な仕方をしてしまった。

「それで夏美ちゃんにはずいぶん甘くて、優しいのね」

「そんなつもりはねぇよ」

 ここで足止めされるのが嫌なだけだ。

「けど、あの子をこと大事にしたくなるのも良く分かるわ……あの子はこんな風に世界がなっても優しい心を忘れてない。だから、ちょっとだけ眩しく思うわ」

 優しさは大事だ。

 だけど、それも時と場所による。

 今だと悪いときだ。

「優しいわけじゃない、ただのお人好しでお節介だ。この時代でお節介なのがどれだけ危険かも分かってない甘ちゃんなんだよ」

「あの子は分かってるわよ。分かってやってるわよ」

 尚更質が悪い。

「あ、そうだわ。一つ受け取ってほしいものがあるのだけどいい?」

「嵩張らないものならな」

 横目で皐月の様子を見ると、ポケットから手紙のような物を取り出していた。

「読み終わったら火種に使ってもいいわ」

 皐月が手紙を差し出してきたので、受け取った。

 これぐらいなら頼まれてやるか。

「直接渡せなかったのが残念ね。最後の挨拶もね」

 最後の挨拶、か。

 どちらの意味で受け取ればいいのかふと考える。

 まだ俺たちはこいつにいつ出て行くのか言ってないはずだ。

 だから、考えられる最後というのは一つ。

「お前、もしかして」

「分かってるわよ。多くの人を、彼が消えるのも間近で見たんだもん。それに――」

 隣で寝転ぶ気配がした。

「毎日鏡は見ているから変化ぐらい分かるわ」

 自分が消えることに恐怖がなく、ようやく解放されたような清々しいような気配さえする。

「消えることが怖くはないのか?」

「ええ、全くね。やっとみんなのところ、彼の元に行けるんだもの」

 消えるとなって気が触れたわけでもない様子だ。

「貴方だってそうじゃない?」

「さぁな」

 最初は早く消えたいと思っていた。

 けど、今はどうだろうか。

 はっきりとした答えを今は持ち合わせてない。

「消えちまう最後だから、余計なお節介なのか知らんがな、あんまりあいつのことからかってやるな」

 隣で寝ていた奴が起き上がった。

「あら、どうしてかしら?」

 消えていく人間は厄介だな。

「あいつは見た目よりも子供なんだよ」

 前を向いたままだから隣の奴がどんな顔をしているのかは分からないが、きっと口元にでも笑いを浮かべていると勝手に思っている。

「そうかしら? ずいぶん大人びているようだけど」

 この女は俺までからかってきているのか。

「お前、自分で言ってんじゃねぇかよ。大人びているのがそもそもまだ子供なんだよ」

 クスクスと隣から笑い声が聞こえる。

「貴方、本当にあの子には甘いぐらい優しいわね。過保護なぐらい」

「だから、そんなんじゃねぇよ」

 どこからどう聞いたらそう聞こえるんだ。

 もう既に頭の中が消えかけてるんじゃないかと思い始めてきた。

 隣から笑い声が消えて、静かになった。

「ねぇ」

「何だ」

 女の言葉の代わりに、波の音や海鳥の声が響く。

 話しかけてきてなかなか放置かと呆れていると、

「ここに来てくれてあ――」

 言葉が途切れた。

 そして、隣で大量の水が弾ける音がした。

「やっとかよ……最後まで迷惑な女だ」

 ポケットにしまっていたホイッスルを取り出して、強く吹いた。

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