最終話



【今日の放課後、屋上手前の階段で】



 差出人は書いていなかった。


 でもこの字は、間違いなく彼女のものだ。

  


 〈視覚〉で確認してみても、そうだ。



 若菜わかな香崎かざきが、僕に視線を送ってくる。


 言いたいことが伝わった僕は、2人の問いにYESと頷いた。



 隣のクラスの茜音あかねりんにも、同じように渡っているのだろう。


 この、透明な紙切れが。



「香崎、昨日はごめん」



 目的地へ向かう途中、僕は謝った。



「俺こそごめん。無神経だった」


「今日で明らかになるから。きっと」


 

 〈五感〉が全員そろったのは、何年ぶりだろう。


 生まれたときから、カミサマからの〈特性〉を生かして、生かされて、生きて、僕らはこの夏まで来た。



 僕らを繋いでくれたのは、純花すみかだった。


 

 純花が好きだった、海の見えるあの場所へ、僕らは足並みそろえて踏み出した。



「純花、」


「ちがう」



 彼女は窓の外を見ていた。海を見ていた。


 自分を連れ去った海を。



「なんで純花だと思うの? 顔?」



 反対側を向いている、かつ小さい声なのに、僕らまで届く。


 純花も、そういう声をしていた。



 心理を辿ろうにも、茜音の顔には〈分からない〉と書いてある。



 やっぱりみんな、そうだ。


 彼女には〈質〉がなくて、〈特性〉が効かない。


 僕がさっき、手紙を彼女からだと確信したのも、何もなかったからだ。 



「純花ちゃん、今日はなんで呼び出したの?」



 若菜が問うた。


〈味覚〉は発動しないから、若菜自身が焦っているようだった。



「純花ちゃんも知ってる通り、うちの学校、中高一貫でしょ?」



 若菜の話を、僕等は黙って聞いていた。

 


「転校生は、受け入れてないんだよ」



 あたるはずもない海風が、肌を逆なでするように吹いた。



「……若菜」


 

 遠くを見ていた純花の瞳が、若菜に向いた。


 憂いげで、泣き出しそうな子供だった。



「なんでお店たたんじゃったの」


「え?」


「夢は継ぐことじゃなかったの?」


「そうだったけど……」



 若菜は夢を諦めたんじゃない、やめざるを得なかった。


 夢を夢のまま綺麗にとっておこうって、笑って言っていたのを純花は知らない。



「〈味覚〉要らなかった?」


「え?」



 僕らの心中が、一緒にそれぞれ騒めいた。

 

 目を合わせることなく〈五感〉は同じことを思っていた。



「——なんで、知ってる?」



 聞いたのは、茜音だった。


 僕らは、僕らの間でしか〈五感〉を話したことがない。



 話せば奇妙な目で見られる。頭がおかしいと思われる。


 避けられる。孤立する。



 すでに孤立していた。


 でも孤立しているもの同士で仲間になった。


 それが、僕ら〈五感〉だ。



「ずっと前から知ってたよ」


「なんで! どうして……」



 〈どうして知っていた〉


 〈どうして言ってくれなかった〉

 

 〈どうして仲良くしてくれた〉



  茜音の言葉にしていない質問に純花は、ほわっと笑った。



「どうして、って、友達だからだよ」



 にぃっと、白い歯を零す笑顔が眩しくて、恋しくて、眩みそうだ。



「ぜんぶ知ってたの」



「うん。黙っててごめんね。


 菊瀬きくせ茜音あかねちゃんは〈聴覚〉。


 声を聴けば本心が分かる。


 人による楽器の音色の違いや込められた思いも分かる。


 耳栓、愛着あるの? だいぶ古いよね。



 山ノやまのべ若菜わかなは〈味覚〉。


 食べれば食材の善し悪しとか、作った人の思いが分かる。


 若菜の塩ラーメン好きだよ。


 香崎くんと茜音ちゃんが、最初に連れてきてくれて、ほんとによかった。



 青海おうみりんは〈触覚〉。


 生物に触ると感情が分かる。たまに物の気持ちも分かる。


 だから薄い特殊な手袋をしている。


 それ越しなら、文章化まではされないもんね。



 香崎かざき伊吹いぶきくんは〈嗅覚〉。


 警察犬みたい。匂い、というかオーラが分かる。


 感情とか、人となりとかが。


 夏のマスクは暑いけど、大丈夫? 


 でも外したら、ぜんぶ分かっちゃうもんね。



 そして、紫苑しおんは、〈視覚〉。


 人の顔を見れば、感情も思考も読めちゃう。


 メガネを外したら——幽霊だって見える。」



 純花は、へらっと弱く笑った。


 天束透子はどこにもいなかった。



 細かく説明された。それが皆、合っていた。


 言葉が出ない僕らをなだめるように、純花が落ち着いて言った。



「私は〈感覚〉なの」


「か、かんかく?」


「おかしいよね。5つの感覚で五感なのに、6つ目の〈感覚〉なんて」



眉をひそめて笑った。



「……どういう〈特性〉なの?」

 

「既知感とかかな。あとは〈五感〉ぜんぶ」



 若菜も押し黙った。


 思うことも聞きたいこともあるのに、声が出ない。



「全部って言っても、みんなより弱いよ。


 凜ちゃんの〈触覚〉なら、手袋状態が私の最大、ってレベル」



 〈視覚〉があるなら、僕らの思考は丸聞こえなのか? 今。



「あ、でも今は持ってないよ。全部とられちゃったの」



 そう言って両手をパタパタさせた。


 とったのはきっと、悪魔だ。



「既知感っていうのはね」

 


 窓の外で、遠くで大きく波が起きた。

 


「映画を2回見ている気分なの」



 もうひとつ生まれた。



「1回目は本当に見ているだけ。


 2回目は組まれたシナリオの中を自分で進んでいく。


 別の方向に挑もうとしても、行動が支配されているからできない」


 

 波は、一定方向に進んでいく。



「何をしてても、既知感だけが付きまとう。


 知ってることしか世界にないみたい」



 だんだん消えていく。



「人生が私のものじゃない気がしたの。


 私がいなくても、この清水純花は誰かが生きてくれるだろうって」 



 砂に吸い込まれて、ちょっと後戻りをした。



「気づいたらあそこに立ってた。それからは覚えてない」



 消えた。



「ねぇ、紫苑」



 純花の呼び方だった。


 呼ばれた僕には、次の言葉がわかる気がした。



「本当はもう、あんまり見えてないんでしょ」



 周りの4人が、え、と息をのんだ。

 

 ……これは、せっかく僕が、隠してたのに。



「夏目、どういうことだ?」


「どうしたの? 〈視覚〉が消えたの?」



 口々に僕へ問いかける。


 答えなかった。



「そうだね」



 心配無用だ。


 僕の〈視覚〉が正常だからだ。



「思ってるとおりだよ。茶番はおしまい」


「茶番?」


「うん。既知感が私を支配してる。


 私の意志で何かしているわけじゃないもん、清水純花は茶番」



 純花が、階段を一段、もう一段、こつこつと降りてきた。


 僕らの方へ、こつ、



「……僕を好きって言ったのも」



 栓が外れた、ようだ。

 

 貯めていた泡まみれの炭酸が湧く。



「一緒に過ごした時間が、ぜんぶ純花にとっては、嘘だったのかよ!」


 

 中1で出会った最初の海も、純花だけ変えたメールの着信音も、目が合ったときの笑顔だってぜんぶ、


 僕にとっては————



「……ばかだね、紫苑は」



 僕にとっては、きらめいていたのに。



「こうでも言わないと、私のこと、忘れてくれないでしょ? 


 紫苑も、みんなも」



 顔を上げたその先には、間違いなく、僕が愛した清水純花だった。



「ばかなのは、どっちだよ」



 勝手に友達をおいて、ひとりで逝って。


 僕等を繋げたのに、自分だけ告白をしないで逝って。



 と思ったら、また出てきて、笑って、僕等をまた繋いだ。



「いいかげん、忘れてよ」



 若菜が、純花に飛びつこうとした。いつのまにかボロボロ涙を流して、でも、



「ごめんね」



 するりと、すり抜けていった。



「私がばかだった。


 飛び込むところまでは〈感覚〉で知っていたけど、そっから見えてなくて。


 半分死ぬなんて、思ってなくて……。



 目が覚めたら、体からっぽなんだもん、笑っちゃったよ。


 私は、誰が生きていたんだろうね……」



——生きるって、なんだろうね。



「人生の黄金時代を、私に使わなくていいからさ。」



 まって、ねぇ 


 行かないで



 僕には、純花が全てだったって、失ってから気づいたのに



「紫苑、新しい恋を見つけるんだよ。


 あの日、あの海で声をかけてくれたきみに、私は惚れたんだぞ。


 だからもっと自信もって、ね?」



 そう言って階段下に消えていった、


 きみは、半分透けていた。




   * * *



 この7月1日は、なんて表現したらいいんだろう。



 なんでもないこの日に、意味を付けたのは私だ。


 一般的には、清水純花の命日。



 でもその張本人にしたら、最初に消えた日、次に現れた日、


 それと、



 今日またみんなに会いに来た日。



「お花、持ってきた?」



 海崖の上へそろった仲間に、若菜が言った。



 私は一足先に、サンカヨウのお花を置いた。


 小さくて白い、1週間しか持たない儚い子だ。


 花が終わったら、ブルーベリーみたいな甘味のある実をつけるらしい。



 そして、水に濡れるとガラスのように透明になる、『幸せ』の花。



「3年だね」

 


 最後に会ってから、と凛が付け加える。

 


「きっと、純花も来てる」


「そうだな」



 茜音と香崎くんが分かり合ってるのなんて、はじめて見た!


 3年越しの5人の仲間に、笑っちゃいそうだ。



 みんな、変わっていた。


 人も、物も、いろんなことが。



 前を向いて歩いて、ときどき後ろ振り返る。ほら、今みたいに。



「純花、久しぶり」


「みんなで集まったよ、3年ぶり」


「大学2年生になったよ。香崎くん以外は」


「うるせぇ!」



 香崎くんだけ浪人したそうだ。

 

 頑張るところはトコトン頑張る。香崎くんらしい。



 3年で、みんなそれぞれ人生を彩っていた。


 あの日、海の見える踊り場で集った日から、それぞれ道ができた。



 6人の高校生は、透明だった。



 高校生って広い自由の中にいる、と見せかけてそんなことない。


 枠がある。やらなきゃいけないことも山積み。


 何かに囚われるのは、苦しい悲しい、辛い。



 なのにその中で、一縷の希望を見つけたら、ぜんぶ浄化される。


 

 濡れた、透明のサンカヨウみたいに。


 きっとそのあとは、甘い実がつくんだろう。



 透明人間の私は、たった1週間の高校生活を満喫して、そう思った。




 最初にお花をくれたのは、茜音ちゃんだった。



「『ニチニチソウ』 楽しい思い出」



 赤い花が、3つ咲いている。


 5枚の花弁が、笑ってるみたいで、きっと笑った茜音ちゃんだ。



「『ブロワリア』 あなたは魅力に富んでいる」



 ちょっと形が歪んでいるみたいな、鮮やかな青いお花だった。


 凛、花言葉かっこいい。



「『サンダーソニア』 祈り」


 

 ベルみたいに咲いた、黄色の花だ。


 今にもカランと、声がしそう。


 チャラ香崎くんの選ぶ花言葉がシンプルだなんて!

 


「『アガパンサス』……」


 

 紫苑だった。


 放射状に咲いている、紫色のお花。


 花火、みたいだ。



「夏目くん、花言葉も言わなきゃだめだよ~」


「むり」


「なんで!」



 問い詰める若菜の横で、茜音と香崎が笑った。



 本当は、私も一緒に笑ってるの。

 


「私は『フウセンカズラ』。一緒に飛びたい、とか、永遠にあなたと共に」



 ぴょんと飛んで、崖のいちばん高いところ——今の私のそばへ、若菜が上った。



「ありがとう、純花」



 若菜の横に並んだ凛が、茜音が、海に向かって、私へ叫んだ。


 隣にいるんだけど……。 



「3年前に純花ちゃんが来てくれたから、私たち前に進めたよ」



 3年前の7月1日は、突然神様から与えられたバカンスだった。


 皆の中の、停止した純花を成仏させるため、私はもう一度、純花になった。



 条件は3つ。



「私、またラーメン屋はじめたの」


 

 清水純花とバレたら終わり。


 清水純花とバラしたら終わり。


 もう一度、死んだら——本当に死ぬ。

 


「若菜の手伝いしてるよ。塩ラーメン、純花の好きな味だからね!」



 死んだ人間は死んだままだ。


 でも半死の、魂だけが強奪された私は、もう一度生きた。



「俺は、警察犬になろうと思う!


 〈嗅覚〉を人の役に立てるから」



 生まれた瞬間、〈既知感〉が暴走して、私は自分が死ぬことが分かった。



 悪魔が、私の中の〈なにか〉を欲した。


 だからいつか私を殺す。


 『死』なんて、全く分からなかったけれど、既に分かっていたことだった。



 生まれたての私は、怖くなって、同じ誕生日のみんなに〈五感〉を分けたんだ。



「また曲、創るから」



 だからごめんね。


 みんなが思っているカミサマは、私だよ。



 本当のカミサマと、みんな自信のカミサマと、その次に私がみんなのカミサマ。



「また歌ってね」



 高校2年生の夏は、半分死んでいる私の、もう半分の生きた物語だった。



「ほら、夏目くんも」


「僕は、」



 紫苑。


 私が大好きだった、最初で最後の人だ。



 いまさら涙でいっぱいになった瞳を気にして、眼鏡をはずす。



「愛してるよ、純花」



 その瞬間、こっちを見た紫苑と目が、










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カミサマNO.3 ぽんちゃ 🍟 @tomuraponkotsu

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