風
いすみ 静江
風
「俺の爪って、こんなに綺麗だったかな……」
俺は、
だが、
すると、指の間からこぼれるきらめきが眩しかった。
よくよく見れば、爪をほんのりとオレンジに寄せたカラーで彩ってある。
「これって、マニュキュアか?」
マニュキュアを見るのも触れるのも初めてだ。
母一人子一人で、化粧水一つ持たなかった母さんを思い浮かべた。
俺は、グリーンのフェンスに背をつけ、指先に語る。
「母さんにあげられたら、さぞかし喜ばれると思うのに」
強い潮風が俺の頬をついたかと思うと、美しい亜麻色の髪が海に逆らった。
俺の辞書に涙などないと言うのに、雫を散らしてしまった。
「母さん……。あの日に帰りたいよ」
それも無理な話だ。
母さんは、遠い空へ行ってしまっていたからだ。
十五にもなれば、俺も割り切って考えられそうだが、母さんを亡くしたのは一昨日だ。
それも酷だろう。
「それで、このふくよかなバスト様は母さんには内緒だな」
俺にはちょっと勇気がないが、多分Dカップはあると思う。
ここで、ブレザーを脱いでブラを外してもいいのだが、いかんせん無理だっ。
その時、鈍い音を立てて、屋上の扉が開く。
驚いたことに、俺が駆けてくる。
黒ぶちメガネの綾城創が。
「やっぱり! ここにいると思ったぞ。創くん」
その口の前でバツを作るしぐさは、同じ図書委員の
島袋さんが、クラスを代表して母さんの葬儀に来てくれた時、ありがたくて、心の中で泣いていた。
誰にも大切な母さんへの涙を見せたくなかったから。
「げー。もしかして島袋か? かわいくしても何もでないからな」
うおお?
何だ?
あのばいんばいんの島袋さんと俺が?
「私のバスト、返してよ」
「バスト様を返したら俺が風邪引くだろう?」
俺は、恥ずかしさで、すっとんきょうなことを口走ってしまった。
傷付けないようにか、島袋さんは笑ってくれた。
「あは。何それ」
あの、俺の体で、きゃっきゃされても困るんだけどな。
「島袋、メガネ外して……」
「ん……。いいよ」
うおお!
俺なのに、頬を染めたりして何か可愛い。
どきどきして、俺の顔が見られない。
何てバカなことがあるんだ!
島袋さんの両手をそっと包むと、とくん、とくん、とくんと鼓動が痛いほどに伝わる。
島袋さんが目をつむる。
「お。チャンス到来?」
がーんだ。
俺がそんなナンパな訳ないよ。
まだ、誰にもこの唇を預けたことはないのだよ。
すると、屋上に突風が吹いた。
「いやーん!」
叫んだのは、俺の方だ。
スカートってヤツは!
スカートってヤツは!
「きょ、今日の――を見せないで! 創くん」
島袋さんが、慌てて俺のスカートを押さえに来たが、よろけてしまった。
俺のふくよかなバスト様に乗り、顔が急接近だ。
そろそろ、昼休みも終わる。
どうする俺?
どうする島袋さんを。
いたずらに風に吹かれていても仕方がない。
俺が、決めないと。
「島袋。こんな形なんて、何の想い出にもならないよな」
「そうよね。今日は、風のいたずらかも知れないわね」
俺は、頬にかかった美しい髪にくすぐられた。
そうだ。
キッチンの母さんも結った髪が綺麗だった。
想い出を抱え込み、しんみりする。
『お弁当、忘れないのよ。創さん』
『あー。分かっている』
母さんは、バイクのひったくり犯に三千円の入った鞄を盗まれ、はじけるように倒れたという。
たった三千円の為に打ちどころが悪く、一週間後に亡くなった。
菊の花に囲まれた優しい母さんの白い顔を忘れられない。
俺は、胸があつくなり、喉も吸い上がるようだ。
「……俺、泣いてもいいかな」
瞳がもう潤んでいた。
島袋さんなら、母さんへの大切な涙を見せてもいいと思う。
「いいかな。島袋……さん」
母さんの葬儀の時、島袋さんは、寄り添ってくれていた。
以前から友達だったけれども、とても大切な友達になったと感じられた。
「哀しいって。寂しいって気持ち、創くんから、伝わってくる。この胸に」
「うん、俺も。この胸に」
お互いに体は別々だけれどもシンクロしていると思う。
「いいよ、泣いても。私も泣いちゃうから」
俺の頬を伝う涙に、島袋さんが優しく甘い唇でなぐさめる。
昼休みが終わるとチャイムがこだまする。
俺達は手を繋ぎながらゆっくりと立ち上がると、青い空にこのひとときの終わりを告げられた。
「あ、島袋さん。おおお、俺? 島袋さん?」
俺は、自分の体をあちらこちら叩いた。
あのバスト様とマニュキュアはどうしたのか。
「どうしたの?」
二人で重なっているのも恥ずかしい。
島袋さんに、俺の顔が赤いのに気が付かれたら困る。
俺は、そっと立ち上がった。
そして、お互いの体を確かめる。
「元に戻っているな!」
「元に戻っているね!」
島袋さんも俺も哀しみの時を越えたのか。
優しい面差しになっている。
「涙は、乗り越えた者にだけ与えられる世界をもたらす。よく分かったよ。ありがとう、島袋さん」
また、突風が吹いた。
「くしゃん。風邪引いたかなあ。だって、スカートがすうすうするから」
俺は、島袋さんにコツンと頭を叩かれた。
「さあ、教室に戻ろうか」
俺達二人は、階段へと向かう。
俺の何気ない台詞に、島袋さんが涙している。
これからは、俺が彼女を守りたい。
風が強いな。
それはきっと、笑顔を絶やさなかった母さんへの手紙だ。
ああ、毎朝お弁当を欠かさなかった母さん。
もっと大切にすればよかった。
もっと母さんと話していれば。
その思いはずっと巡っていた。
けれども、これからは、今を見据えて生きていきたい。
切ない風。
甘い風。
今、追い風の時。
こんな、風の吹く日は――。
母さんに似た優しい島袋さんを大切に想うよ。
Fin.
風 いすみ 静江 @uhi_cna
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