ベビースパイダー嬢は青春ブタ野郎に夢を見る

紺野咲良

職業、占い師。

 秦野はだの綾音あやねはサッカー部を見学する振りをする。

 本日の依頼主は、現在隣を歩いている加西かさい先輩。

「あれがくだん岡崎おかざき先輩ですか?」

「うん。ど……どうかな?」

「ん~、もう少し近くに……」

「も、もっとぉ?」

 今では距離も伸びたが、それでも三メートル程度。対象同士がその範囲内に近づいてくれないと、のだ。

 幸い岡崎はベンチに座って背中を向けたまま。極力不自然にならないよう、じりじりと距離を詰めていく。


 ――見えた。

 二人を結ぶ、赤い糸。


 綾音は静かに親指を立てる。作戦完了。

 そのまま少し歩き、ある程度離れた辺りで口を開いた。

「ちゃーんと結ばれてます、問題なっしんです」

「はぁ~……よ、よかったぁ……」

 ずっと呼吸もまともにできなかったのだろう。加西は安心した様子でため息をついた。

「ただ慢心はしないでくださいね。これはあくまで『占い』でしかないので」

 加西がこくりと頷く。

「十分だよ、ちゃんと勇気もらえたから」

「なら良し、です。健闘を祈ってます」

「今日は本当にありがと。うまくいったら改めてお礼しにいくね!」

 流石にこの後すぐという訳ではないだろうが、加西は近い内に踏み切るのだろう。

 ――告白に。


 綾音は校内で近頃評判の『占い師』だった。主には恋愛がらみの依頼が多く、仕事内容はとても簡単。依頼主と相手を結ぶ『赤い糸』さえ見えてしまえば、まず両想いなのだから。

 最初に糸が見えたのは高校に上がる少し前、街をぶらぶらしている時だった。

 道行くカップル。握り合う手。……そして二人を結ぶ、ぼんやりとした赤い糸。

 始めはマフラーを共有でもしてるのかと思い「お熱いですね」とさほど気に留めなかったが、その後すれ違う多くの人達も、様々な色の糸で繋がっていた。

 これはおかしい。そう感じた綾音は、すぐに一つの可能性に思い至る。

 ――『思春期ししゅんき症候群しょうこうぐん』かもしれない。

 大多数がこの現象に否定的な中、噂や伝説等をこよなく愛する綾音は肯定派だった。

 しかしそれにしても妙だと首を傾げる。何らかのストレスが起因であると聞いたはずなのに、自分はある日突然、何の前触れも無く発症した。

 大分後になるが、原因となった出来事はこれまた前触れ無く急に思い当たった。


 中学時代、とても仲の良い二人がいた。しかしどうも不穏な噂が流れていた。実は裏ではいがみ合っているのだと。

 それを知った綾音が渦中かちゅうの二人をしばらく注視するも、やはり仲が良さそう見える。それも親友と呼べる程に。

 だが、事件は起こった。

 休み時間の教室に音が鳴り響いた。頬を引っ叩いたらしい。溜めに溜めた鬱憤うっぷんが爆発したのだろう、と周囲の誰かが言ってた。

 そのまま二人は絶交し、仲直りする事なく卒業を迎えてしまった。

 ――あんなにも仲が良さそうだったのに。

 時期も一致したし、人同士の繋がりに対する衝撃から『糸』という症状に発展するのは納得もできる。しかし自分はそんなにもショックだったのだろうかと、またも首を傾げる。綾音はどこまでも冷静……否、楽観的だった。


 糸が可視できるようになる距離は伸び、数も増えてきたように思う。人が密集する地帯ではなかなかわずらわしい事になってきた。

 そんな状況でも綾音はこんな事を考える。

 ――『アトラク・ナクア』。

 それは蜘蛛くもの姿をした神話上の生物。日々糸を張り巡らせ、何かを作り続けているらしい。それが完成したあかつきには世界が破滅するのだという。

 自分もそのような存在なのかもしれない。例えば無限の距離を繋ぐ事になり、全人類同士の糸が全て視界に映るようになってしまったら、きっと破滅してしまう事だろう。綾音自身が、だが。

 更に考えたはいいが、そんな大層な蜘蛛のはずもないと自ら突っ込みも入れる事も忘れない。

 私じゃせいぜい『子蜘蛛ベビースパイダー』だろう――そんな風に。


「や、綾音」

「む。恭子きょうこちゃん」

「占い終わった?」

「うん。ばっちぐー」

「お、すっかり恋のキューピッドだねぇ」

 恭子は綾音に『占い師』を勧めた張本人だった。彼女とは親友を意味する『緑の糸』で結ばれていて欲しいと願う綾音だが、残念ながら自身から伸びる糸は見えた試しがない。

「どうした恭子?」

「あ、守谷先輩」

 綾音は息を呑む。現れた人と恭子との間に、見てしまった。見えてはいけないたぐいの糸を。それも、三本も。


 一つは金銭目的の繋がりである『金色』。

 次は一見赤に見えるが、桃と深紅のマーブルがかった『薔薇ばら色』だ。体目的の繋がりであることを示す。

 最後は『黒』。印象のまま不吉な意味を持つ糸であり、悪因縁を示す。


 ここは高校だ、この場所でこんな色は初めて見る。それも三種同時とは何事か。不穏な糸のバーゲンセールにも程がある。

 二人の関係は? それとなく伝えるか? などと思いを巡らせていたら、

「後で教えてね、糸の色」

 そう耳打ちをするだけで、恭子は守谷と共に去って行ってしまった。


 今は放課後。こんな時間に連れ立って、どこへ行く?

 一緒に下校する様子じゃなかった。手ぶらだったし、向かう方角が明らかに違う。

 脳内の警報器が鳴り響く。恭子が危ない。

 どうしようと慌てふためいていると、誰かの後ろ姿が目に留まった。


「……あの先輩は」

 噂を耳にした事がある。

 あれは中学時代に暴力事件を起こし、三人を病院送りにした過去を持つ先輩だったはず。

 こんな状況に御誂おあつらきな格言が頭をよぎった。『毒を以て毒を制す』だ。

「助けてくれませんか!」

 咲太さくたは辺りを見回した。周りには他に誰もおらず、どうやら自分に対しての言葉らしいと気づく。

「僕?」

「はい。『病院送り先輩』ですよね?」

「……そんな呼び方をされたのは初めてだ」

 咲太は露骨ろこつに顔をしかめた。

「えとえと、上手く説明できないけど危ない先輩がいて、友達が酷い目にあいそうで……」

「そうか、なら警察でも頼ってくれ」

「ちゃんと話を聞いてください!」

「ごめんな、人と会う約束があるんだ」

「あのあのっ、私――」

「お前も僕の話を聞けよ」

 咲太はやんわりと断ったつもりだったが、尚も続けようとする綾音に頭を抱える。

「私、見えるんです!」

「……何が?」

「人と人を結ぶ、糸みたいなものが。それを見ると何となくわかるんです、その人たちが今どんな関係にあるとか、近い将来どんな感じになるとか」

「……」

「こんなの誰かに言っても信用されないし、時間がないかもです、危ないのは今すぐかもなんです」

「つまり、占いや予知ができるって事か?」

「はい。そりゃにわかには信じられないでしょうけど」

「信じるよ」

「ですよね、でもでも本当に本当で……えっ?」

 あっさりと飛び出した咲太の言葉に、ぽかんとしてしまう。

「だからそのことが解決したら、付き合ってくれ」

「ふえ? ……えぇぇっ!?」

「糸とやらが見えるんだろ? ちょっと見て欲しいんだ、面白そうだから」

「……あ。そ、そういう? なるほどなるほど、お安い御用です」

 不意打ちとは言え、らしくもなく取り乱した事を恥じた。こほん、と一つ咳払いをする。

「自己紹介が遅れました、一年の秦野はだの綾音あやねといいます。よろしくです、病院送り先輩」

梓川あずさがわ咲太さくただ。梓川サービスエリアの『梓川』に、花咲く太郎の『咲太』で、梓川咲太」

「何やら風変わりな自己紹介の仕方です。というか梓川先輩、って呼びづらいです」

「『病院送り先輩』よりマシだと思うが」

「んー。『咲太郎さくたろう先輩』でもいいですか」

「おい、それだと『梓川』と字数変わってないだろ」

「さ、いきましょうか。咲太郎先輩」

「……」

 咲太はさじを投げた。どうやらこの後輩は、唐突に人の声が耳に入らなくなるらしいと胸に刻む。

「そもそもなんで僕に?」

「お噂は聞いておりましたので。人助けという大義名分の上、合法的に暴れられるとなれば、喜んで協力してくれるかなと」

「血に飢えた戦闘狂か?」

 綾音はうーんと唸る。咲太は強そうに見えない。

「けど占い師という職業柄、人間観察は得意になったと自負しておりますが、先輩はなんかすっごいオーラがほとばしってる気がします。色んな人から色んな糸が伸びてそうです」

「秦野の本業は占い師じゃなくて女子高生だろ」

「あ、そでした。まま、細かいことは気にせずに」

 ――色んな人から、色んな糸が。

 さらっと気味悪い発言をされた気がしたが、変な糸が伸びてない事を祈る咲太だった。


「いました、あの子――」

 二人の姿を視認し、絶句する。

 今正に人気のない空き教室へと消えていってしまう場面だった。

「……あ、あの」

 不安げに咲太を見上げる。

「待て。少し様子を見る」

「で、でも」

「秦野の勘違いかもしれないだろ? 危うい雰囲気になったらすぐ――」


「きゃあああっ!?」


 発言をさえぎる悲鳴がした。十中八九、恭子だろう。

「……いくら何でも早すぎるだろ」

「さ、咲太郎先輩!」

「まあ任せとけ」


     ◇


「何するんですか!?」

「はあ? 決まってんだろ?」

「い……、嫌っ、離して!」

「そういうの白けっから。素直になれ、な?」


「お盛んですね」


 割り込んだ声に、守谷は怒りをあらわにする。

「誰だお前。邪魔すんな、さっさと消えろ」

「あれ、知らない? 僕の事」

 相手の無知をあざけるように咲太が笑った。

「まあいいや。とりあえずケータイ貸してくれ」

「……は?」

「先に呼んでおいてやろうと思って。救急車」

「何言ってんだてめえ、ふざけてんのか?」

「大真面目ですが」

 言葉通り、その目は笑っていない。

「三年の先輩みたいだけど、別にタメ口でいいよな。来年は同学年だろうし」

「あ?」

「出席日数が足りなくて留年するだろ? 明日っからしばらく、あんたの住まいはだ」

 守谷の背中にゾクっとしたものが走る。

 噂は聞いていた。二年にヤバい奴がいると。

 そいつの事は皆本名ではなく、こう呼んでいた。

「お前、まさか『病院送り』……!?」

 そうだ、と言わんばかりに咲太は不敵に笑う。

「な、なんでお前が?」

「ここ、どこだと思ってる?」

「ここって……ただの空き教室だろ?」

「スケールも脳みそも小っちゃいな」

「……学校、か?」

「そう、学校」

 僕の――そこを意図的に強調する。まるで自分が、この学校の番長でもあるかのように。

「ここはで、その子はなんだよ。この意味わかる?」

 守谷の頬に一筋の汗が伝う。

「そんじゃ先輩、口もきけなくなるだろうし、今の内に改めて挨拶を」

 咲太は気だるげに首を捻り、おもむろに準備運動を始めた。

「来年もよろしく。同じクラスになれるといいな、その方が楽しそうだろ?」

 ゆったりと歩み寄る。その口元は邪悪にゆがみ、わらっていた。

「し、知らなくて悪かった……物騒な事言うなって、な?」

 守谷の目には、さながら悪魔のように映っていたのだろう。慌てて飛び退き、両手を上げ敵意がない事を示す。

「なら二度とこんな真似しないでくれ。僕も暇じゃない」

「あ……ああ。もちろんだ」

 脱兎だっとごとく全速力で駆け出す守谷。その背中を見送った咲太は、上手くいってくれたようだと胸を撫で下ろした。

 状況の把握できてない恭子が恐る恐る口を開く。

「あ、あの……ありがとうございました」

「礼なら友達に言ってあげて」

 咲太があごで視線をうながせば、その先にはドアの陰で顔だけを覗かせている綾音がいた。

「よかったぁ、恭子ちゃん……!」

 抱き合う二人の姿を見届けた咲太は、邪魔にならないようにとその場を後にした。



     ◇



「演技するって大変なんだな」

 廊下を歩き、しみじみと呟く。

「すげえな、役者って」

 こんな事をいつもやってるのかと、誰かの顔を浮かべる。その頬が自然と緩んでしまう。

 ふと背後から聞こえた足音に振り向いた。

「咲太郎先輩、ありがとでした」

「いいよ、なかなか新鮮な経験させてもらったし。友達は?」

「帰りました」

「一人にして大丈夫なのか?」

「すっごく怒ってました。今は自分に腹が立ってダメだから、後で話して欲しいと」

「強い子だな」

 手遅れにならず済んで良かったと素直に感じた。

 そしてぽつり、零す。


 ――不名誉な二つ名が、まさかこんな形で役立つなんてな。


「何か言いました?」

「いや何にも。ほらいくぞ」

「え?」

「約束だったろ? 次は僕の用事に付き合え」

「あっはい、了解で――」

 言葉が途切れる。目をぱちくりさせ、ごしごしと擦った。

 糸が見えた、気がした。咲太と自分との間に。

 見間違いだろうか。症状が悪化したのだろうか。どちらにせよ些細な事だ。

 この人となら、何かがわかるかもしれない。変わるかもしれない。同時に感じたそんな直感の方が、何よりも重大だった。

 ぱたぱたと小走りで咲太の後を追いかける。


「待ってください、咲太郎先輩!」

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