父は何者

@nishihina

もう16年、父の娘をやっているけれど。分からない。

お弁当持参で繰り広げられる毎日開催の女子高生のおしゃべりタイムは小・中学生のそれとは何かが"明らかに"違う。メイクやファッションの流行に敏感な年齢であることに加え、このご時世だ。身近すぎるSNSから多くの情報が短時間で入手可能であるし、自分から発信することも容易い。かわいい芸能人のアカウントをフォローしてオシャレの参考に。人気動画投稿者のメイク動画で1からメイクのお勉強。

そんな話が飛び交う毎日に見事に感化されて私も流行に乗りたい!と少しずつみんなの世界に足を踏み込んで行った。リップ、ネイル、イヤリングにヒールサンダル、チークにティント…少しずつ習得していく。私は思った。なるほど、結構楽しいな。

とここで私の父、通称おとうちんの登場だ。

おとうちんは高校生になってオシャレに気を遣うようになった私を見て毎回決まって、

「色気づいたのぉ。」

と言う。色気、なんてなんだか小っ恥ずかしいし、それを父に言われれば尚更、どう返していいのか分からない。仕方がないから私は毎回、「うざったいぞ、中年男め。」の顔をおとうちんに向ける。呑気に笑っている当人は全く気づいていない様だが。

うざったい、なんて書いたが私は別段おとうちんが嫌いという訳では無い。黙っていればまあまあイケメンな方に入る顔だと思うし、年齢より若く見られることも多いであろうおとうちんの第一印象は恐らく方言が強くてパワフルなフレンドリーおじさんと言ったところだろうか。小学生の頃から授業参観がある度に、「nishihinaのお父さんすごい人だね〜」「面白いお父さんだね!」と言われ続けている。根暗より明るい方がいいし、私の友達にも好印象で悪い気はしない。

そんなおとうちんは、高校生になった娘のことをどう思っているのだろう。昔は繋いでいた手は当たり前だがもう繋がないし、2人でよく行っていたイタリアンのチェーン店も今の私にとっては友達と学校帰りに行くお店の選択肢に過ぎない。そう考えると私はおとうちんのことをよく知らない気がする。理由があって今は別々に暮らしているため外で待ち合わせをしていると、よぉ。と右手を上げ、大股でこちらへ来て

「おおきゅうなったのぉ。」

と言って銀歯をのぞかせながらニヒヒと笑う。いつものルーティーンだ。

おとうちんは私が幼い頃、勝手に作詞作曲した「眠れnishihinaちゃん」という歌でよく私を寝かし付けてくれた。ただひたすらに眠れnishihinaちゃんと繰り返すだけの歌だったが、その歌のメロディは今でも鮮明に覚えているし、毎回おとうちんの腕の中で安心して夢の世界へ落ちていった記憶がある。

断片的な記憶は沢山あるし、もう何年も繋いでいない手の形やしわの深さ、大きさ、厚み、安心感。しっかりと感触が残っている。

そんなおとうちんの気持ちはやっぱりよくわからない。"記憶"は全て自分を視点としていて、おとうちんの感情は同時にインプットされていないからだ。勉強や進路で悩んだり、部活に励んだり、友達と笑い合ったりする毎日の中で確実に成長しているであろう娘、つまり私の姿を見てわおとうちんは何を感じているのか。私とおとうちんとで共有できるものはなんだろう。自分が親になったら分かるものなのか。

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